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一学年キャメロット

 リュゼ!


 シキはベッドから飛び起きた。

 ゆっくりとあたりを見渡す。ぼんやり灯る壁掛けランプのおかげで、自分の生活が一変したことをふと思い出した。

 ひたいの冷えた汗をぐいとり、ふたつ分の寝息を聞いて、ほっと胸をなでおろす。

 どうやら、声に出して叫んだわけではないようだ。

 深く息を吐き、そのときはじめて指が痙攣けいれんしていることに気がついた。

 暗がりで腕をめいっぱい伸ばしてみたけれど、さらさらとした手触りのシーツをつかんだだけで、いつもそばにある、ごわごわした毛並みはどこにもない。

 リュゼは隣にいないだけで、そばにいる。――そう、教えてもらった。

 それなのに、全身は冷水を浴びたように凍え、どうしようもないくらい手足が震えている。

 リュゼが隣にいない。たったそれだけの事実が、恐ろしかった。

 父を失ったあの晩も、ひどく、怖かった。

 シキにとって孤独と恐怖は同義だ。

 ひやりと冷たい焦燥感に襲われながら、カーテンの隙間からそっと外をうかがえば、世界はいまだ夜が支配していた。

 シキはもう一度ベッドに沈んだ。己の身を抱きしめ、丸くなる。


 リュゼ。


 父さん――。


 孤独という名の闇が、シキの隣にいた。


 *


「おはよう、諸君。われらがクラス、“キャメロット”に新しい生徒を迎えることになりました。シキ、挨拶を」

 一学年キャメロットの担任、キリク・パーシヴァルの横に立つシキは、生徒三十九名の視線が一度に突き刺さるのを感じた。そのせいか、手のひらがじっとり湿ってくる。

 円形の広々とした室内は、キリクとシキが立つ黒板側と向かいあうかたちで徐々にせり上がっていて、長机が扇状に何段も並んでいた。

 着席する生徒たちは仲のよいグループを作って散っていたために、キリクいわく、三十九名もいるように思えなかった。それなのに、注がれる視線はその倍あるかのようだ。

 ひそひそとささやく声が波紋のごとく広がってゆく。


 あの髪の色――。

 禁色だわ――。

 他所者かよ――。


 シキは氷漬けよろしく、全身がカチカチに固まっていた。背中の汗まで凍っている気がして、床に氷の粒が落ちていないかと、くまなく探したい気分であった。

 なにせ、これほど大人数の前に立たされる経験など一度もしたことがなく、おまけに居心地の悪いひそひそ話があちらこちらから聞こえてくるのだから、平常心を保てないほど緊張するのも当然といえた。

「せ、先生、こんなに広いし、うしろの席まで僕の声、届かないんじゃ……」

「授業用の魔法拡声器はありますが、私専用なので、シキは使えないんです。だから、大きな声で頑張って」

 背中をぽん、と叩かれる。

「敢然と」

 その言葉に、もはや逃れようがないと悟ったシキは腹をくくるしかなかった。

――やるしかない。

「は、はじめまして、東国から来ました、シキ・ヴァグナーです。どうぞ……よろしくおねがいします」

 最後までちゃんと声が出ていたか、シキにはまったくわからなかった。じつのところ、話し始めたときから頭の中がまっ白で、キリクにあらかじめ教えてもらった「苗字」を、きちんと名前のあとにつけたかさえ、判然としない。

 「苗字」っていうのがあるなんて知らなかったし、北国では必要らしいけど、僕にはいらないんじゃないだろうか?

 ほんとうに変わった国だな、などとぼんやり考えていると、いつの間にやらささやき声がやみ、奇妙な静寂がシキの体にまとわりついてきた。またも、手のひらがじっとりと湿ってくる。

 すると突然、その静謐せいひつを破ってパチパチと一人分の拍手が響いた。

「みんな、かげでこそこそしゃべってんじゃねーよ! 北国の王様と同じ色だべや! オレは、髪の色かっこいいと思うけどな! ってことでシキー! よろしくなぁー!」

 大声を張りあげたのはルームメイトのウルトで、シキはぴしゃりと頬を叩かれたように目が覚めた。最上段にして真正面の座席に目をやれば、力いっぱい手を振るウルトの姿があった。

「素晴らしい挨拶ですね、ウルファート。でもだからといって、魔法学のテストの点はサービスしてあげられませんよ」

「ええー、いまのはプラス十点はくれてもいいと思うんだけどなぁ」

 呆気にとられて沈黙していた生徒たちから、どっと笑いが沸き起こると、シキの緊張も気付けばどこかへ飛んでいった。

「さ、新しい友に盛大な拍手を」

 整然と並ぶ机のほうから、一斉に歓迎の音が沸いた。


「緊張した……」

「がはは、ありゃあ一歩間違えばイジメだなぁ」

 朝礼を終えて、担任のキリクだけが退室した教室はたがが外れたようににぎわいだした。どうやら一時間目の授業、魔法学はここで行われるらしい。

「チッ、クラスも部屋も一緒やねんて、なんの嫌がらせや」

「まあまあ、寝ても覚めてもいっしょなんだし、仲良くしてこーぜ、なっ」

 それに、あのパーシヴァルが連れてきたんだ、実力がはっきりしていいだろ――と、ウルトが不機嫌なユーリへそっと耳打ちをした。


――他人より聴覚がいいのも、問題だよな。


 シキがため息をついたと同時に、背後で靴の甲高い音が鳴った。

「なになに、あんたたち同室なの?」

 女の子の声。

 ぽん、と肩に手を置かれたユーリは慌てる様子もなく、不快感をあらわに背後へふり向き、それに続いてウルト、シキがのんびり首をまわした。

「なんや、アリア。それにフェイメルまで」

「あっ! フェイメルちゃん今日もカワイイね! いや、ボクにはいつも以上にかがやいて見え――」

 ウルトのほころんだ顔が一瞬にして青ざめた。声をかけてきた赤毛の女子生徒の肘鉄をみぞおちに喰らって、カエルが潰れたようなうめき声を最後にその場にどうっと崩れ落ちる。

 もうひとりの銀髪の女子生徒は、それを見てあわてるでもなく、口元に手をあてて微笑するだけだった。

「キミだね、噂の生徒は」

 白い歯をのぞかせ、赤毛の女の子がにこっと笑って言う。東国の夏を思い起こさせる、強い陽射しのような笑顔だ。

 桃色に近い赤毛はあご下の長さで、地毛なのかおしゃれのひとつなのか、ゆるくウェーブを描いている。ライトグレーの生地に白いチェックの入ったスカートから伸びる脚線美に目がいった。

 目を丸めてじっと見つめるシキに、彼女は不思議そうな顔で首をかしげた。

「……なに?」

「あ、いや、ごめん! 寒くないのかな、って思って」

 校内は外と違ってコートを必要としなかったが、それにしてもこんなに短いスカートを履いているなんて、何かの修行をしているのだろうか。

「ははっ、平気だよ! おしゃれはガマンだもん、でも、心配してくれてありがとね」

 そこで、ウルトが憤懣ふんまんやるかたない、といった表情で一歩踏み出した。

「なんだよ、アリア! オレがちらっと見ただけで殴ろうとするくせに!」

「いやらしい目つきで見るやつには殴るにきまってんでしょ」

 アリアと呼ばれた女の子は蔑んだ一瞥をウルトにくれてから、シキに向き直った。一転、表情は穏やかだ。

「シキっていうんだ。よろしく」

 どぎまぎしつつ手を差し出すと、すぐにその手は握り返された。

「うん、よろしくシキ。あたしはアリア」

 まぶしいくらいの笑顔だった。

「髪の毛、本当に真っ黒なんだね。この国じゃ竜王以外、黒髪は存在しないから……北国民は黒い色も使っちゃだめなの。禁色きんしょくってやつ。軍に罰せられるんだよ。ね、東国では一般的なの?」

「東国は黒い髪の人ばっかりだったよ。黒髪も黒い目もだめって知ってたら、ここじゃなくて、べつの国に行ってたのにな……」

 苦笑するシキに、アリアは手を強く握り直した。

「シキは東国出身だもん、大丈夫だよ! ちょっと周りが見慣れないだけだから」 

 すると、いままで傍観していた銀髪の女子生徒が、ふわりと手を重ねてきた。

「はじめまして。わたし、フェイメルといいます。どうぞ仲良くしてくださいね」

 彼女がほほえむと、まるで午後の木漏れ日を浴びているように、ほんわかとあたたかかった。

 白銀のロングヘアに、藍色の目。同い年には見えないほど大人びた少女で、雰囲気も所作も、どれをとっても上品、清楚、可憐という言葉があてはまった。

 とても綺麗な女の子だ。

「ああっ、いいなぁシキ! オレだってフェイメルちゃんにぎゅってされたいのに!」

「あんたは下心丸出しでしょ。あっち行ってよ。邪魔邪魔」

「いってぇ! 殴ることねーだろ、暴力反対!」

 廊下の真ん中を陣取るウルトとアリア、そんな光景を呆れ顔で眺めるユーリと、楽しそうに口元に手をあてるフェイメル。彼らが、シキにとって初めてできた人間の友達である――。


 一時間目終了の鐘が鳴った。

「ぜんぜん、理解できなかった……語圏は一応同じなのに……」

 シキは教科書を手に机に突っ伏した。

「アホ、おまえのための授業や。こんないまさらの内容聞かされる身になってみぃ」

「一時間まるっとおさらいで、こんなに楽な授業、ほかになくってよ、ユーリ君!」

 ウルトの冗談も受けつけないといった様子で、ユーリは鞄を引っつかむと無言で教室を出て行った。

「そっか、みんなからすれば、知ってて当然の授業だったんだ」

「世界には五つの国があって、ご存知のとおり、人間ではなく竜が国を治めますわ」

 フェイメルが机の横に立って、やわらかく目を細めた。ユーリのイライラした口調とは正反対で、彼女はそよ風がほほを撫でていくような話し方をする。

「北は黒竜王こくりゅうおうが統治する国。他国より古い文化を持っていて、魔法や魔術というのがあるんです。つまり、魔法使いが生まれる国ですわ」

「でも」アリアが言葉をつぐ。

「全員が魔力を持って生まれるわけじゃないんだよ。もちろん、ほとんどの人が魔法とは無関係に暮らしてる。それに、魔力があっても、正しい使い方ができなきゃ意味ないでしょ? だから、この魔法学校で勉強するの」

 アリアが教科書を指でつついた。その教科書を、ウルトが取りあげた。

「魔力ってのは、ずっとずっと昔、悪魔が人間に力を渡したってハナシだぜ。パーシヴァルもいってたろ? 『北国は唯一悪魔の存在を認める国』ってさ。悪魔の力だぜ、すごくね?」

 好奇心をたっぷり含ませ、にやりとする。

 だが、シキは本物の悪魔が実際にいるとはちっとも思えなかった。なにせ、悪魔などというものは絵本の中だけの架空の悪役なのだから。

「けれど、人間と悪魔の関係はけしてよくありませんわ。過去には竜王の側近に悪魔を選んだ、という事実もありますが、黒竜王不在のいま、悪魔の侵入は強固に拒まれています。竜王不在は、国を悪くする一方……天災や疫病、飢饉は貧しい暮らしの人たちから順に蝕んでいくんです。国軍は国民の生活を守るために、という建て前で北国を三つに分けました。第一、第二、第三セクターと呼ばれていますわ」

 フェイメルの顔色が曇り、アリアとウルトの表情もさっと硬くなる。

「第三セクターがいちばんひでーところだぜ。仕事だってろくにねーし、みんな、その日生きていくのが精一杯。ま、オレは父ちゃん母ちゃんに感謝しなきゃなんねーけどさ」

「あたしが生まれた第二セクターは過不足なく生活できる場所……でも、子供のころから贅沢なんかできないって、なんとなくわかってたけど」

「第一セクターは政権を握る国軍の直轄地……苦しみながら、もがきながら一生懸命生活してる方たちの犠牲でできた場所。そこで、わたしは生まれました。そうやって分けられているんです。この魔法学校も、第一セクターですわ」

 教科書に連なる難しい文字の羅列が、ウルト、アリア、フェイメルの言葉によってシキの胸に刻まれた。

「そのとおり」

 教材を片付けるキリクが出し抜けにいった。教室を出ていく生徒たちを見送りながら、授業の続きでもするように五人の生徒へ歩み寄る。

「それが北国の現状です。だから、この学校にいるあいだはなにもかも、無駄にしてはいけませんよ」

 青い双眸は、ただただ真摯しんしな光を放っていた。



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