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届いた手

 廊下に整然と並ぶ部屋のうち、手前の扉がひとりでに、きい、と開いた。

「部屋って、人の言葉わかりましたっけ……?」

「ええ、利口でしょう?」

 そういって、キリクは軽やかに笑った。

「この階には一年から三年までの男子生徒、約百八十名が暮らしています」

「えっ? でも部屋数はそんなになさそうですよ?」

「そう見えるだけ、ですよ」

 シキの見立てでは、扉は左右あわせて、たったの十部屋分。

「自分たちの部屋番号が呼ばれるのを、待っているんです」

 だれが、と口をついて出そうになった言葉をのどの奥に押し戻した。

 不可思議で奇妙なことばかりがめまぐるしく入れ替わり、シキは頭の整理がつかないまま、廊下を歩き出した。なにせ、早くおいで、と催促するように扉をぱたぱた動かすのだから、進まないわけにはいかない。

 613号室のなかを覗くと、白を基調とした壮麗な室内がシキを圧倒した。

 薄汚れたコートを着てこんな部屋に入るなんて、場違いもいいところだ。

「部屋は三人一部屋。いまここには同い年の生徒二人が暮らしていますから、仲良くしてくださいね」

 え、とふり向いたところで、渡されたのは鞄と靴と折りたたまれた真新しい学生服。シキは背の高いキリクをきょとんと見上げた。

「さ、きみに必要な物はすべてその鞄に詰めておきました。きょうはゆっくり休んでください。わからないことはルームメイトに聞くといいでしょう。まもなく授業も終わって、生徒たちが戻ってくる頃ですから」

 素直にうなずく。

 鞄や服はいったいどこから出したのだろう、という疑問は黙って飲み込むことにした。すると、キリクはぱちりとウインクを投げて寄こし、優雅にマントを翻すと姿をくらました。

 魔法使いなんて、現実にいるとは思いもしなかった――。

 キリクが去って、廊下は水を打ったように静まり返った。ひとり残されたシキはわずかな緊張を胸に、開いたドアをそろりとくぐる。扉は、いつでも脱出できるよう、開け放ったままにしていた。

 ごくりとのどが上下する。

「……だれもいない」

 目を大きくして四方を見渡していると、自分がとんでもないことに巻き込まれている気がしてならなかった。宿屋で有り金すべてはたいても、こんなに贅沢な部屋は泊まれないだろう。

 天井には宝石をちりばめたような、いままでに見たことのない電灯が吊るされており、競い合ってきらめくそれは、侵入者の目を眩ませるための罠かもしれない。そう考えた。

 シキは視線をそらし、頭を低くして壁際を進む。

 ベッドは離れて三つ置かれ、掛け布団や枕は触れるとふんわり柔らかく、花のほのかな香りがはじけた。窓際には、本棚付きの机が三台仲良く肩を並べている。

「そっか、三人一部屋だっけ」

 収納扉や、部屋の中央の丸テーブルに備わる椅子、さらに、青々と茂る観葉植物の鉢までが人数分。さすがに鉢はひとつでじゅうぶんのような気がする。

 あっ気にとられて部屋を舐めまわしてどれだけ経っただろう、細長の窓から、薄暗い色が差し込んでいたことに気がついた。

 北国の夕暮れ。茜色に燃えることもせず、ただ空は陰気に姿を変えた。

 いつの間に――そう思った瞬間。

「だれや、おまえ?」

 突然、背後から剣呑な声を浴びてふり返ると、同じ年頃の少年が二人、扉の前に立っていた。

「俺らの部屋になんの用や」

 短い言葉に刺をふくませ、金髪の少年が眉を寄せてじろりとにらむ。

 彼の独特の発音は、各国各地にあるという、方言なのだろう。

 ややつり上がり気味の青紫の目は、研いだ刃物さながら鋭い。それだけで相手を萎縮させる力があるというのに、口調まで威圧的ときた。

 しかし、彼の整った顔立ちとクールな雰囲気は、同姓から見ても格好よく思える。

 真っ白なシャツに、細いえんじ色の紐ネクタイ。それをブローチできゅっと締め上げ、少しの遊びも必要ない、といった着こなしだった。しわのないライトグレーのズボンと同色の上着を着た姿は、まるで身分の高い役人のようにも思えた。

 胸元に縫い付けられた学校の紋章――つまり校章は、竜の足元に三本の剣、頭上に二本の羽ペンが交差している図柄で、どこかで見覚えがあったものの、はっきりとは思い出せない。

「黒髪……?」

「あ――」

余所よそのやつが、なんしてこの部屋にいてんのや」

「えっと……」

 歯切れの悪いシキを見かねたのか、もうひとりの少年が一歩前に出た。

「なあ、ユーリ、オレたちと同い年っぽいし、もしかして新しいルームメイトかもしんねーよ?」

 彼はズボンのポケットに両手を突っ込みながら、ずばり言う。赤味がかった茶の短髪、冬の湖面を映したような双眸は電灯の装飾の光で反射し、氷のつぶてを散りばめたように輝いている。いや、あるいは好奇できらめいていたのかもしれない。

 左目の下に泣きぼくろを見つけたが、めったなことで涙を流しそうにないのが不思議だ。その短髪の少年がシキの視線にきづくや、白い歯をみせて、にっと笑った。

「どう? 違う?」

「アホか! この学校は中途入校なんかでけへんて、ウルトかて知ってるやろ!」

「でも見ろよ、制服持ってんぜ」

 ウルトと呼ばれた少年が肩をすぼめる。金髪の少年――ユーリの素っ気ない視線は、シキが手にもつ制服へ向いた。

「……ほんまに中途入校?」

 ありえない、と目がいう。

「おまえ、試験は受けたんか?」

「……いや、そういうのは、やってない。それに、よくわかんないんだ。僕はさっき来たばっかりで……きょうから寮で生活しろって、この部屋に案内されたんだけど」

「は? なんやて?」

「へぇ、見たとこよその国から来たんだろ。この北国に黒髪はいねーし、どこの国のお坊ちゃん? それとも天才ってやつ? つーか、よその国のやつがこの学校に入校できたっけ?」

 シキは返答につまった。

 学校の仕組みを聞かれても、ついさっきここに来たばかりで、わかるはずがない。ついでに、お坊ちゃんと天才、そのどちらでもなかった。なにより、他人とのコミュニケーションに不慣れなため、友好的にぐいぐい迫られても、ユーモアのある返事ひとつさえ思いつかない。

「はーん、もしかして、わけありか」

 したり顔で、ずいと迫るウルト。迫られたぶんだけ後退したとき、彼の服装が目を惹いた。

 ズボンはやや腰下で履かれ、流行にうといシキには、ウルトがサイズ違いでズボンを履いているのか、お洒落のひとつなのか判然としない。首元のボタンを外した姿はユーリと違って堅苦しさがなく、奔放で明るい人格なのがうかがえる。思えば、言葉づかいもくだけているし、良くいえばあか抜けていて個性的、悪くいえば中身も見た目も軽薄な少年だ。

「んで、おまえ、名前は?」

「……シキ。えっと、よろしく」

 あわてて左手を差し出した。

「オレはウルファート」左手がぐっと握り返される。「みんなウルトって呼ぶから、シキもそう呼べよ!」

「俺はユーリ。同室らしいけど、余所者となれ合うつもりは毛頭ないから、用事がないならしゃべりかけんといてくれな」

 ユーリは差し出された手を無視し、あからさまに不機嫌な態度でまっすぐ机へ向かっていった。呆けるシキを一顧だにせず。

「はは、ユーリのやつ、初対面の人間にはだいたい、ああなんだ。慣れたらちょっとはマシになると思うけど」

 わりーな、とウルトが苦く笑う。


 人間の友達がいないシキにとって、同年代との交流は、これが初めてのようなものだった。

 部屋ではおしゃべり好きのウルトから質問攻めが続き(それも食べ物の好みや趣味、好きな女の子のタイプや胸と太ももどちらに目がいくか、などなど)、ほどなくして、ひとり机に向かっていたユーリが立ち上がった。

「食堂行くわ」

「オレらも行く行くー!」

「そいつも一緒かよ」

「いいじゃん、ルームメイトなんだし、きょう来たばっかで色々わかんないことだらけだろーしさ」

 いかにも迷惑そうにくちびるを歪めるユーリに対し、ウルトは嬉々としている。シキとしては解放されただけで万々歳だ。

「相変わらずのお節介やな」

「おうおう、もっとほめていいぜ!」

 ウルトには直球の皮肉さえ効果がないなんて。

 初対面の自分に色々世話を焼いてくれるウルトの優しさが骨身にみた。けれど、ユーリの冷淡な態度に居心地の悪さも感じる。だから、一緒に行くのを辞退しようとした矢先――ウルトが機先を制した。

「ユーリはこーいう言い方しかできねーけど、気にすんなよ、シキ。翻訳すると『俺、人見知りだし、一緒にメシ食うのは恥ずかしいなー』だぜ!」

 けらけら笑うウルトにつられて、思わずシキも肩を揺すってしまった。ユーリの機嫌がますます悪化するのは目に見えていたのに。

「べつに、あかんとはってへんし。けど食事中、俺に話しかけんなや」

 ユーリはふんと鼻を鳴らして、仏頂面のまま、ひとり先に部屋を出た。

「ほんと、いつものことだけど可愛くねーの」

「……僕かなり嫌われてるね」

「いや、まあ、よその国から来たってのもあるけど、試験をパスしてこんな時期に入校ってのが、気に食わねんじゃねぇの? なんせ、学校は金持ちかエリートしか入れねぇしさ。子供に魔力がなくても、バカ親どもは金を積んでまで見栄を張りたいっていうし。北国にここ以外学校はねえから。ユーリはさ、第一セクターの連中と違って、実力で入ったんだぜ。今年の入校生の中で、成績ダントツ一位!」

 自慢顔で胸を張るウルトは、自分のことのように友達を誇った。根は真面目で、心優しい少年だと気づかされる。

「すごいんだね、ユーリとウルトって」

「え、オレも?」

「うん」

「いや、まあ、そりゃーユーリほどじゃねーけど、それなりに……」

 ふだん褒められ慣れていないのだろうか、ウルトは気恥ずかしそうに頭をガシガシ掻いて視線をそらした。それがなんだか新鮮で、妙に可笑しかった。

「でも、一位って本当にすごいや」

「そっ。だからさ、この学校にあっさり中途入校してきたシキがムカつくんだよ。たぶん」

「それであんな邪険にされてるのかな」

「つーかシキ、おまえ試験パスってどんなコネ持ってんだよ。もしかして校長先生とか?」

「さあ……」

 学校へ来ること自体、シキの意志ではなった。キリク・パーシヴァルがどういった人物なのか、どんな意図があって彼は自分をここへ連れて来たのか、まだわからないでいる。試験とやらを受けずに済んだのは、キリクにそういった権力があるからだろうか。


――じつはすごい人だったりして……。


 うなるシキをよそに、ウルトの腹の虫が盛大に叫びだした。

「まっ、べつにいーや。ほら、早く食堂行こーぜ! オレ腹ぺこぺこだし」といって、ウルトは強く、からりと笑む。

「僕も一緒でいいの?」

「あったりまえだろ、友達じゃんか!」

 そのひと言に、胸が躍った。

 父以外の人間との交流は常に差し障りのない程度で、「人間の友達」は手の届かない存在だと思っていた。けれど、思っていただけだった。

「……うん、ありがとう、ウルト」

 シキは新しい友にならって、強く笑んでみた。


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