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国立魔法学校

 ガラスの中の炎を弄びながら、キリクはとりわけ上品にほほえんだ。

 校長室にひとつだけの大窓を背にした木製の執務机、それと対になる椅子の背もたれに彫り込まれた精緻な幾何学模様が、月日を経ても圧巻の美しさを保っている。

 椅子にする人物こそ、国立魔法学校の校長、セラフィト・ガヴェインその人だった。

 女性的な丸みを帯びた小柄な老人で、一房の赤毛が混じる白髪を結い上げた姿は、もう何十年も変わっていない。細長の四角い眼鏡の奥にある金色の双眸は、穏やかな朝日を思わせ、瞳はきらきらと輝き、多感な年頃の少女のそれであった。

 襟元で結われた大ぶりのピンクのリボン。地味な色のマントにはひときわ目立つそれが彼女のお気に入りだということは、周知の事実である。だが、キリクとガヴェインが旧知の間柄と知る者は少ない。

 ガヴェインはおもむろにそっと眼鏡を外した。

「長かったものじゃ……よくぞやってくれましたね、ルキフェル」

 キリクを見上げるや、彼女は目じりにしわをいっそう刻んだ。

 慈愛に満ち、すべてを包み込む聖母のような微笑だった。そしてそれはキリクに描くことのできない曲線美であった。

 己には無いものだ、とキリクは口元をわずかにゆるめる。苦笑だった。

「……セーラ、あの子は彼が残した希望。私は彼の遺志を継いだまでですよ。ですが、これでやっとこの国の歯車は回りだします」

「うむ。三年あれば十分じゃ。わたくしも全面的に協力するとしましょう」

 キリクが待ち望んでいた言葉だった。

「セーラ、いずれあの子は危険と対峙しなければならないときが来ます。かつて貴女が封じたものを使わせていただきたいのですが――」

 ちらりと床に目を落とせば、その意味をすぐさま悟ったガヴェインが嘆息した。

「あなたはいつも無茶をする……わかりました、あれ(・・)はあなたに譲りましょう。ただし、必ず側で守ると誓ってくれたらの話じゃ」

「もちろん誓いましょう。あの子は北国すべての希望ですからね」

 楽観的とも言えるごく軽い誓言せいごんに、校長は眉間に指を押し当て、ため息をついた。

 それもつかの間、すぐに互いの視線がぶつかった。和やかな雰囲気を一切排除した、真摯な感情の衝突。

「ルキフェル、けしてあやつを甘く見てはなりませんよ。手を出しにくいところにおるのです。すべてあなたの思うとおりにならぬこともあるでしょう。あなたは国軍に監視されている身……あまり無茶をしすぎるのは感心しませんよ。生徒達を守る立場にある教師ということを、一時も忘れてはならぬことじゃ」

 ガヴェインがぴしゃりと釘をさす。

 歯車はかみ合ったのだ。もはや狂いはしない――。

 キリクはくちびるが歪んでしまいそうになるのを堪えて、まぶたを閉じ、承知したとうなずく。

 ひらりとマントを翻し、移動魔法で瞬く間に姿を消失させた。


 暗灰色のマントがばさりと音をたてひるがえる。キリクは一階の通路へ瞬時に躍り出た。

 ちょうど授業中のため、廊下はひどく閑散としていて、職員室へ向かうキリクの足音だけがこつこつ甲高い音を響かせていた。

 ふと、背後に半身をひねり、人気のない玄関ホールを睥睨へいげいした。広いホールを支える三本の太い支柱のかげ、その一本に人間の気配を察知したためだ。並みの魔法使いや魔術師なら気づくことができないほど、巧妙に気配を殺してある。

 魔力を自在に抑制できる魔法使いおよび魔術師はほんの一握りといわれているのに、柱のかげに身をひそめるその者は鮮やかな手際で気配を絶ってみせた。

 キリクは内心で賞賛の拍手を贈ると、なにも気づかなかったふうを装い、視線を逸らしてふたたび歩き出した。

「この私の背後を取る腕も度胸も素晴らしい。むこう側の人間とはもったいない男だ……ロエッタ・バショカフ教諭」

 だれにともなくつぶやき、くちびるに弧を描く。だが、紳士的に振る舞おうとするキリクの意に反して、弧を描いたはずのくちびるは、悪魔よろしく禍々しいまでに曲がっていったのだ。

 ほどなくして、支柱のかげの気配は、ふっつりと消えてなくなった。



 *



 職員室のドアがのんびり開いた。

 来賓用のソファに座らされたシキは、助けを求めてたったいまやって来た人物に視線を向けた。両腕をがっしり捕まえて離さない目の前の女性も、同じく扉へ首をまわす。

「ああ、パーシヴァル先生、やっと来ましたわね!」

 彼女はキリク・パーシヴァルを見つけて、持ち前のきんきら声で叫んだ。立派な――もとい、じつにふくよかな体型の彼女の声は、普通に喋っていても鼓膜をふるわす威力があった。

 できれば耳を塞ぎたかった、とシキは歯を食いしばってそれに耐える。

 彼女が着こなすドレスの奇抜な蛍光ピンク色は毒々しく、ついでにまぶたも硬く閉ざしたいところだ。

「……おや、アザリー先生どうかしましたか?」

「どうかしましたか、じゃありませんわ!」

 体が万力に挟まれたように軋んでいたシキは、やっとのことで万力、もとい、彼女の両腕から解放された。腕をさすって視線だけをあげると、アザリーと呼ばれた女性教諭が標的を変えてキリクにつめ寄っていた。

「もう、先生ったらこんな可愛い秘蔵っ子がいるだなんて聞いていませんわよ! 本校の生徒になるというのに、助手をさせるなんてあんまりじゃありませんか! 学生の本分は勉学ですわよ。それに友情も恋も大事ですわ。それを労働に費やしてしまうなんてもったいないと思いませんこと?」

 激しくまくし立てるアザリーに、苦笑いを浮かべ、じりじりと後退するキリク。

「はは……いえ、入校式から三ヶ月も過ぎていますし、特別枠ということでそのくらいはしていただかないと。まあ、シキ本人も了承していることですから。アザリー先生、近いです……」

 鼻息荒く迫るアザリーをなだめるキリクと、今度はほかの教員たちに囲まれたシキは互いに顔を見合わせた。

 職員室にいた十数名の教員たちは、興味深げにシキを――シキの髪の色や目の色をじろじろ見たり、東国について様々な質問してみたり、果ては茶菓子でもてなし根掘り葉掘り聞きたがる始末。

 キリクは首をふり、これはどうしようもない、とシキに無言の合図を寄こしてきた。そんなとき、アザリーの隣にマントを羽織った白いワンピース姿の女性が現れ、彼女も例に漏れずシキを頭からつま先までまじまじ眺めてから、大きな目をやわらかに細めた。

「パーシヴァル先生が入校の推薦なさった子でしょう? 期待してますわ」

 とろけるような美声と美貌の持ち主は、アザリーよりもはるかに年若く、背中に流した亜麻色の髪から甘い香りがほのかに漂った。

卜占ぼくせん学のグェネヴィア・キエ教諭である。春にこの魔法学校の教師になられたのだ」

 背後から声がして、シキがはっとふり向くと、ソファの背もたれの上に縞模様の茶色い猫が座っていた。背後にいたというのに、まったく気配を感じなかったのは、やはり猫だからだろうか。

「入校おめでとう、少年」

 目を細めてにゃあ、とひとつ鳴くと、猫は椅子からするりと降りて職員室を出て行った。

「リュゼ以外にもしゃべる動物、いるんだ……」

 あっ気にとられ、ぼんやりしていたシキは、アザリーの鼻息で我に返った。

 気づけば、キリクは手のひらを二人の女性教諭の前に突き出し、じりじり距離を取っていた。

「そんなわけで、職員室にも出入りは多いかと思いますので、先生方、何卒ご指導よろしくお願いしますね」

 言うや、ぱちんと指を打てば、いきなりその場のすべての動きが止まってしまった。

 キリクとシキ以外、すべてである。

 職員室は一体感のあるオブジェのようで、アザリーでさえも意匠を凝らした彫刻に思えるほどだった。まるで時間が止まったかのような。

「さ、行きましょう」

「僕たちしか自由に動けないんですか?」

「そのおとり。ちょっとだけ時間を止めたのです」

 颯爽と職員室を出て行くキリクのあとを追うシキは、無音の空間を一瞥した。

 完全に職員室のドアを閉め切ったとき、キリクは無造作にまた指を弾いた。同時に、停止していた刻が動き出し、がやがやと職員室がにぎわいを取り戻す。

「――あらっ?」

「――黒髪の生徒もいないぞ。まったく抜け目のない……あのひとはいつもこれだ」

 だれかのぼやく声が扉の隙間から漏れて聞こえた。

「ははは、こんな小さな魔法は日常茶飯事ですよ」

「すご……先生は本当に魔法使いなんですね」

 シキの口からほーっと感嘆のため息がこぼれた。東国では、魔法使いとは子供の空想の代名詞だ。さっきまでたくさんの大人に取り囲まれていたのが嘘のようだった。

「この学校のほとんどの先生は、そうですよ」

「あの……ありがとうございました、キリク先生」

「なあに。みんな珍しがり屋なんです。すみませんでしたね、遅くなってしまって」

「いえ、先生方が全員いい人ばかりみたいで安心しました」

 だが、まだシキは知らない。教員達が皆いい人たち(・・・・)、とは限らないことを――。

「そうだ、先生。リュゼの姿がずっと見えないんですけど、どこへ行ったんですか?」

「彼は学校には入れないんですよ。ですが、安心なさい。ちゃんとシキを見守ってくれていますから」

 キリクのひと言で、不安だった気持ちがいっぺん吹き飛んだ。やはり犬だから学校には入れないのだろう。そういえば、いままで宿屋や飯屋にリュゼが入れたためしはなかった。

 階段をのぼるキリクのあとに、シキもついてゆく。

「それと、きょうからこの学校がシキの家のようなものです。学生寮が五階と六階にあって、男子は六階です。食堂は一階。きみはこれからここで多くを学ぶのです。もちろん、私の助手として手伝いもしてもらいますよ」

「はい……あの、先生。ひとついいですか? ここって魔法学校、なんですよね? 僕、魔法なんて一切使えないし……それに、えっと、北国の字は少しだけなら知ってるんですけど、難しい字はまったく読めないし、書くのも……きっと僕だけ足手まといになるんじゃ――」

「だいじょうぶ。使えずとも、学ぶことが大切なのです。難しい字はこれから覚えればいいのですよ。すべてを得なさい。それがシキの成すべきことです」

 シキの肩に、白手袋をはめたキリクの大きな手のひらが乗った。ぬくもりが体の内側にしみ込んでいくようだった。


 階段をさらにのぼってゆくと、シキらの前に、いかにも高飛車な目つきで見下ろす男が立っていた。それも、中空に浮いて。

 フリルを贅沢にあしらった、けばけばしい衣服に身を包む姿は、昔絵本で見た貴族という表現がぴったりだ。立派な口ひげも高飛車に見える原因なのかもしれない。体はやや透明で、背後のランプや壁紙までがぼんやり透けて見えた。

「失礼」

 突然、半透明の男がシキの胸に手を当ててきた。するりと身体を通り抜け、「ううむ、残念。男子であったか……行ってよし」と、悔しそうにつぶやいて霧散し、どこかへ行ってしまった。

 あ然とするシキをしり目に、キリクはさも可笑しそうにくっくと笑いをかみ殺していた。

「あれは元貴族のゴースト、ファット卿というのです。寮のお目付け役のようなものです。女子と男子が階を間違えて入らないよう、目を光らせているんですよ。昔、女子寮でさきほどの通り抜けをして、校長先生から大目玉を食らったので通り抜け行為は男子限定ですが……なに、害はまったくありません」

 確かにあれは無害に違いない。

「さあ、シキ。きみの部屋は613号室です。部屋番号を口にすれば、近くに来てくれますから。魔法とは無関係なので、安心なさい。べつの部屋の生徒が悪意を持って侵入すれば、はじき出されます」

「はじき、出され……?」

「そう、部屋は生きてますからね」

 シキは驚くことを放棄した。キリクと出会ってからびっくりするようなことばかりで、心臓がいくつあっても足りやしないからだ。

 「613」と、キリクが部屋を呼んだ。



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