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魔法の馬車

 突然現れたマント姿の男は、なにかを待っているようにあたりを見回していた。

 つられてシキも周囲に目をやってみたが、役場付近は住民の影すら見当たらない。

「あのー……」

 いよいよ不安が募って、キリク・パーシヴァルと名乗るその人物にそろそろと声をかけた。

「迎えに、ってどこかへ行くんですか?」

「学校です。私もあそこで暮らしてますからね」

 さも当然、と言わんばかりにキリクは片眉をあげた。

 シキには話の意図がつかめない。そもそも、学校というものが集団で勉学や道徳を学ぶ教養の場であることは知っているけれど、自分の人生では無縁のものである。

 一体なんの話をしてるんだろう?

「もう着いてよい頃合だが――曲がり角を間違えたのか?」

 キリク・パーシヴァルはだれにともなくつぶやき、ため息をついた。

「まったく、あまり長居はできないというのに……」

 短く、鋭い口笛を吹く。すると、合図を聞きつけ、通りの角から二頭牽き馬車がけたたましくひづめを踏み鳴らし、土煙をまいて現れた。

 二頭の馬は銀色に光る甲冑をまとっており、その兜からは、鋭い一角が突き出ているように見える。それに、よくよく見れば、御者台はどういうわけか無人なのだ。


 御者がいない?

 それに、一角馬?


 東国では、角の生えた生き物はことごとく獰猛であり、魔物と呼ばれている。それは、けっして人間には使役できない存在であった。ところがこの一角の馬たちは手綱を握る人間がいないにもかかわらず、従順に車を牽いていた。

 シキは口を半開きにし、ひと言も発せないまま、半ば無理やり馬車に乗せられた。

 気まずい気持ちのままキリクと向かい合って座ると、足もとがギシッと軋んだ音をたてた。音は徐々に大きくなり、滑車がうなりをあげて滑り出す。

「昼休みが終わる五分前で頼みますよ。軍の目を誤魔化すのは骨が折れるんですからね」

 あるじの命令に、一角馬たちが壁板を挟んだむこうでいなないた。

 どうやら彼が暮らす学校へ向かっているらしい。ただ、ごとごと揺られて居心地が悪いことこのうえなく、窓がないからどこを走っているかもさっぱりだった。加えて、友を置き去りにして約束の場所を離れる不安が、シキの心臓をいっそう焦がしていった。

 これじゃリュゼを見捨てたも同然だ。

「僕、そこで待ち合わせていた者がいるんです。できれば戻ってもらえたら……」

「その通り、きみはあの場所で待ち合わせていた。だから迎えに来たのですよ」

 キリクの言っている意味が少しも理解できずに、シキは眉根を寄せる。

「どうして――」

――リュゼとの待ち合わせのことを知ってるんだろう?

「心配せずともすぐにわかります。さあ、一気に向かいますよ、北国の心臓部である国立魔法学校へ! きみはこれから学校で様々なことを学ぶのです。たまに、私のもとで助手として働いてもらいますよ」

 キリクがぱちんと指を鳴らすと、馬車を覆っていたほろが魔法のごとく消え失せ、灰色の空があらわとなった。

「え――?」

 シキは弾かれたように立ち上がり、辺りを見回した。すでに町並みはどこにもなく、あるのはひんやりとした灰色。

 馬車は地面ではなく、空を駆けている。いつの間に不快な振動がなくなったのか、まったくわからなかった。幌が消失しても、どういうわけか寒さを感じない。あの凍死寸前の凍てついた風ではなく、暖炉の火のような目に見えないぬくもりがシキを包んでいた。

 魔法の馬車に乗っているみたいだった。

 いや、魔法という言葉は本の中だけでしか存在しない架空のもののはず。なのにこれはいったいどういう現象だろう。

 馬車から身を乗り出して下界の風景を見るや、疑問はもはやどうだってよく、いっぺんに彼方へと飛び去った。

「すごい、空を飛んでる!」

 町や村、都市がどれもこれも、模型のおもちゃのよう。

 翼がないにもかかわらず、二頭の馬は少しの不自由もなく、悠々とギャロップを踏んでいる。

 あっ気にとられるシキを尻目に、キリクはふたたび指を鳴らした。刹那。もやが馬上に発生し、それはどんどん密度を増して霧へと転じる。

 青味をもって、ついにはシキのよく知る姿に変わった。

「リュゼ!」

 驚くことに、霧はリュゼに変貌した。

 狼よりもはるかに巨躯きょくの、青色の獣。甲冑の馬に四肢を踏み、金色の瞳はシキを穏やかに見つめている。

「……シキ。卿に無事会えたようでよかった。先に話してやらなくて、悪かったな」

「先に話す? どういう――」

 シキの肩に、キリクが手を置いた。

「五年間ご苦労でしたね、リュシフュージェ。シキ、きみのいう『リュゼ』は私の親しい友なのです」



「おれはおまえを無事に北国へ連れてくる役目だったんだ。パーシヴァル卿は国軍に監視されてるから、派手に動けないしな」

 空っぽの御者台で体を休めるリュゼは、いまにも眠ってしまいそうな声で、そういった。ひどく疲労している理由は、ひたいや前肢にくっきりと赤く刻まれている。

 リュゼのいう、「おまえを無事に」という意味が痛いほどわかった。

 いつだって側にいて、シキを守ってくれていたのは、リュゼなのだ。

「でも、北国へ行くって決めたのは、僕の判断だよ?」

「まあ、その通りだけどな――じゃあ、どうして西国でも南国でもなく、北国に決めたんだ?」

「……それは、あの日――」あごに手をあてて言いさしたときだった。

「そう。あの日、北国へ進みなさい、と私がコンパスを渡したのです」

 はっとキリクの顔を見た。

 五年前、東国の砂漠にいたシキのもとに大勢の兵士がやってきて、父の遺体はその場に埋葬された。役目を果たした彼らが去っていくとき、その中の一人から針の指す方角へ行け、と金色に輝くコンパスを手渡されたのだ。

 針には「ノルドー」と文字が打たれており、それをきっかけに、この北国を目的地に決めた。

 父も旅の終点をいいはしなかったが、東国ではない、見知らぬ国の話をよくしていた。幼いながらも、その国に向かっていると直感した。

「あのときの、兵隊さん……?」

 キリクに問うと、当の本人はやんわりくちびるをゆるめ、曲線を描く。

「思い出していただけましたか? でも、私は兵隊ではなくて、ただのいち教師です」

「教師――学校の、先生?」

「ええ。魔法学校の、ね」

 目を丸めるシキに、キリクはぱちりとウインクを寄こしてくる。

 シキは思い出したように懐からコンパスを取り出した。

「あの! とても高価なものを今まで借りっぱなしで、こんなに――汚してしまって……すみませんでした」

 おそるおそる差し出すと、キリクはそれをにこやかに受け取った。

「いいえ。もともとこれは私物ではありませんから、お気になさらず」

 シキが小首をかしげる。

 さて、と手を打ったキリクが立ちあがった。上品だった笑顔が、少年のような笑みへと変わる。

「そろそろ本校舎の真上です! シートベルトはしっかり締めてくださいね。じゃないと、地面に真っ逆さまですからね」

「シート、ベルト?」

「安全装置のようなものです」

 キリクが人差し指をくるくる回すと、木製の背もたれから細いツタが何本も伸び、それぞれが規則正しく編み合わさり、帯らしきものになった。

 なぜそんな魔法のようなことができるのかとか、まさかこれが安全装置だろうか、などと疑問に思うひまもなく、突如、馬車が垂直に傾いた。

 一瞬の判断で帯状のツタを手に取ると、それは勝手に座席に絡み、シキを固定してしまった。体は安全どころか背もたれとシートベルトに挟まれ、肺までつぶれてしまいそうだ。

 つかの間の静止のあと、猛烈な勢いで下降に転じた。

 心臓がはるか上空に置いて行かれたような感覚と、体をぺしゃんこにしようとする風圧で、いつ気を失ってもおかしくない。

「ははは、私の楽しみのひとつなんです! どうです、このスリル!」

「卿の楽しみはどうにも理解できかねますね」

 凄まじい風圧をもろともせず、なんと二人は楽しげに会話をしていた。キリクとリュゼの場違いなかけあいは、右の耳から左へ通り抜けてゆく。

 自分の絶叫だけが頭の中にこだました。



 目が覚めたとき、シキの体はまっ白な小部屋のベッドの上であった。

「おや、目が覚めたかい。パーシヴァル先生のに乗ってきたと聞いたけど、毎回同乗者は保健室に担ぎ込まれるんだよ」

 まったく運転が荒いようで困ったもんだ、と苦く笑って、白衣の老人は桃色の液体が入ったコップを差し出した。

「ここは……?」

「国立魔法学校の、保健室だよ」

 シキは体を起こして奇妙なほど白で統一された保健室、という部屋の室内を見回した。となりにもうひとつベッドがあり、不思議な器具があちこちに置いているそばの棚の中には、たくさんの小瓶が並んでいる。消毒液のにおいがツンと鼻をついた。

「わたしは養護教諭のアイゼン。この学校で長いこと生徒たちを診ているんだ」

 細身で背が低く、白衣と同じく真っ白の短髪にまん丸の眼鏡。優しげに細められた目が、丸眼鏡の奥にある。

「あ、ありがとうございます」

 桃色の飲み物を一気に飲み干すと、めまいはあっというまに治まった。甘い果実の味が口いっぱいに広がる。

「転入生と聞いたけれど、パーシヴァル先生の手伝いもするんだって? それはさぞ大変だろう。具合が悪くなったらいつでも保健室へいらっしゃい」

 アイゼンがくすくす笑った。

 彼のとてもやわらかな雰囲気に触れて、シキは、空に置いてきた心臓がやっと体に戻った気がした。

 アイゼンにお礼をいって保健室を出た瞬間、どきりと心臓が跳ね上がって、シキはたたらを踏んだ。眼前――それも至近距離にキリクが現れたのだ。

 足音すら聞こえなかった。

「よく眠れましたか?」

「あっ、はい。ええと、パーシヴァル……先生」

「キリクで構いませんよ。堅苦しいのはどうも苦手でしてね」

「……はい。……キリク、先生」

 シキがちょっと照れくさそうにいうと、キリクは満足げにうなずいた。

「私は最上階の校長室に用があるので先にゆきますが、シキはこの廊下を左に行ってください。途中に職員室があるので、そこへ。私のほうから先生方には説明してありますから、挨拶するだけで結構ですよ」

 すい、と指で示したはるか先で、ドアノブがひとりでに回され、勝手に扉がゆっくりと開いた。保健室からでは遠すぎてわからないが、おそらくあそこが職員室なのだろう。

 シキは口を半開きにしたまま、首だけで返事をしてみせた。

「それではのちほど」

 キリクは暗灰色のマントをさっと翻すや、衣擦れの音とともに姿を消してしまった。

 完全に口が開いた状態で、シキは廊下を歩き出す――。



 *



 壁にびっしり並ぶ本棚、幻獣、魔獣、不思議な動物達の剥製はくせい。古めかしい置物が飾られた広い室内はほんのり暗く、天井近くの宙に小さな橙色の光が漂いあたりを照らしていた。

 部屋の中央には、キリクの背丈の倍ほどある巨大な木が植えられている。葉をつけない枝だけの樹木の先に、透明なガラスが釣り下がり、その中に灯るのは、橙色の炎。

 キリクがガラスの表面に触れると、中の炎が揺らめき、紫色へと変貌した。

「セーラ。待ちに待ったときが訪れましたよ」

 抑揚をつけず、淡々と述べる。

 キリクは、期待と喜悦をあまり表に出さないように努めた。

 執務机で書類に向かっていた白髪の老婆は羽根ペンを置き、キリクのほうへと顔を向けた。

 

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