表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
21/115

禁忌の魔術

 底冷えする夏の冷気を確実に受け継いで、季節は厳寒の秋に移り変わった。当然空は相変わらずの鉛色で、双子の半月だけがぽっかり浮かんでいる。

 『秋晴れ』などいう言葉が使われたのは、いまから百年以上も前のことだ。

 そんな北国の憂いをあざ笑うように、今朝は一段と冷たい強風が吹き荒れている。もちろん、校舎に魔法がかかっていなければ、窓という窓がたちまち音をたてて砕け散っていることだろう。

 そんな気もめいる天候もあいまってか、メリーニ・ブラッドは苛立たしげに、人差し指を教務机きょうむづくえに打ちつけていた。

「なにをやってるんだ! 早いところあの小僧の化けの皮を剥がせと、いっただろう!」

 部下のモリスに大量のつばが飛ぶ。

 教頭のプレートが置かれた机の前で、生活指導教諭のモリスは小さくなって、上司の癇癪かんしゃくが過ぎ去るのを待った。そのあいだに、顔面に浴びたつばをぬぐう。

「あの、すかした! 下級の! 薄ら笑いがじつに陰険な――」

 言葉を区切るごとに、ブラッドが机を平手で叩く。そのたびにおかっぱが揺れた。

「悪魔が連れて来た小僧が、ただの子供のはずがない!」

「ご、ごもっともです、教頭先生……」

「私は悪魔の存在を認めはしない! 悪魔は卑劣で、残虐で、もっとも愚かだ! 私の曽祖父も祖父も闇の力に殺された! 悪魔など、北国に必要ない!」

 後半は私怨も混じって、もはや爆発寸前といった雰囲気だ。

 ブラッドは肩でフーフー息をすると、浮き上がった腰をゆっくり椅子に下ろした。乱れた髪とちょび髭をなでつけ、ひとつ深呼吸。

 そうしてやっと落ち着きを取り戻し、モリスに一瞥をくれる。

「必ずたくらみを暴いて退校処分にしてやる……! さっさと小僧の尻尾をつかめ、いいな、モリス!」

「は、はい……」

 散々わめかれた挙句あげく、教頭室から叩き出されたモリスは深く息を吐き出した。それから、後頭部が薄くなった髪をなであげる。

 痩身の彼は、疲れているのか生まれつきなのか、背中を丸めてドアの前に立ちすくみ、もう一度ため息を落とした。


 この魔法学校の全権限を持つガヴェイン校長と違って、教頭の権限は片手で足りてしまう。それゆえ、水面下では校長の座を狙っているとかなんとか。

 ブラッドは悪魔の存在を認める北国において、悪魔拒絶者のひとりである。その彼は、下級とはいえ悪魔のキリクが連れて来た得体の知れない子供――シキを、当然ながら良く思っていない。

 グレーゾーンの生徒の正体を暴くべく、部下を使って身辺を調べ上げる日々が続いていた。だが、いまのところ、これといった成果はないようだ。

 モリスは言いつけどおり監視をするために、シキの姿を求めてとぼとぼと歩き出した。

「シキ・()グナーが悪魔の手下だって? 悪魔だったら魔力があってとうぜんだっちゅうのに……あのヒゲナットウ、とうとうおかしくなっちまったんだべか……ただの子供にここまでするなんて、イカレとる」

 ヒゲナットウ――もとい、ブラッド教頭に聞こえないよう、ぽつりとつぶやく。

 もちろん、上司の半狂乱ぶりには、さすがのモリスもため息と愚痴がこぼれるようだ。

 けれど、教頭の肩書きを持つブラッドに尻尾をふっておくほうが、彼にとってはおおいに都合がよかった。理由はきわめて簡単で、生徒たちを正当に口撃こうげきできるすばらしい役職を拝命するため――ということは、公然の事実である。


 教頭室の扉の前でちょこんと座る青い目のネズミは、背中を丸めて立ち去る小男をしばらく眺めた。

「ふむ……モリス、あなたのほうがいい線をいっていますよ」

 感心を多分に含んでうなずき、小さな指でぴんと伸びたひげをもてあそぶ。

 廊下の窓はガタゴト揺れ、風のぶつかる音が、不気味な叫び声に聞こえた。

 だが、悪巧みをするにはぴったりの早朝に思えて、ネズミはチチッと声をあげて笑いだす――。


 *


「なんで、いっつも、魔法学の授業って、こんなんばっか、なんだ、よっ……!」

 ゼーゼー息を切らしてウルトがうめいた。

 たしかに、このいまにも死にそうな友人を見れば、昼食前の持久走は地獄の仕打ちのように思える。しかも、汗をふくんだシャツと運動着が重たいのか、走る速度は亀並みだ。

 きょうの魔法学の授業は、西塔のとなりにある競技場で、四十五分間ぶっつづけの耐久走である。

 魔法などちょっとも、いや、まったく関係がない。

 そもそも、シキが入校してから魔法学の授業では、魔法を使ったことなど一度もなかったし、こうしてずっと走らされたり、曇天を見上げて星座の授業を受けたり、ときには童謡を歌う日もあった。

 ちなみに北国や黒竜王の歴史については、同じ内容を四回も聞かされている。

 授業終了の十分前で、四十名の生徒はやっと床に倒れることを許された。

 シキも仰向けになって天井を見つめる。電灯のまばゆい光に目を細めた。

 ほかの生徒たちがあえぐなか、シキひとりがほとんど息切れもなく、軽い汗を浮べる程度であった。

「どうしてキリク先生はただの運動なんてさせるんだろ……」

 ぼんやり考えていると、隣に座るユーリが汗だくの顔をあげた。

「パーシヴァルが、こないな魔法と無関係なこと、させるとも思えへん……なんや裏があるはずや」

「ウソだね! 一度だって、魔法学らしい授業したことねーじゃん! 絶対、オレらをいたぶってるに違いないね!」

 ウルトが大の字になったまま抗議する。こんな授業が続けば卑屈になるのも無理からぬことだ。

「僕は魔法とか使えないし、ラッキーだけど」

「なんで、シキはそんな体力あんだよ。反則だっつーの……昼飯前だぜ? オレもう腹減って死んじゃうよ……」

 ぼやくウルトの腹の虫がとうとう騒ぎだした。

「はやく食堂いきてぇー……」

 シキは空腹こそ感じてはいなかったけれど、ウルトの手前、なんとなくうなずいて応じた。ふいに、何者かの視線を感じて跳ね起きる。なにやらその視線がねっとり絡みついて、とても気味が悪かった。

「そういえば僕、今朝からずっとだれかに見られている気がするんだ……」

「んだよー……自慢かっつーの!」

「その髪の色やしな、あんま、かまへんほうがええ」

 ウルトのつっこみをそれとなく流して、ユーリの言葉にうなずく。

「……そうだね、そうする」

 念のため、こっそり周囲に目を配ったとき、少し離れた場所に座るアリアとフェイメルを偶然目にした。

 フェイメルが青い顔でふらふらと立ち上がって、アリアに一言告げている。

 ひとり競技場の扉から出ていくうしろ姿に、シキは妙な不安を覚えた。


――アリアが『給水所まで一緒に行こうか?』っていってくれたのに、フェイメルは、なんでひとりを選ぶんだろう……。


 *


 人気のない給水所のへりに手をかけて、彼女は苦しそうに嗚咽をもらしていた。それは、キリクが予想した通りの結果だった。

 へりに手をかけたまま、フェイメル・モルガーナのひざが崩れ落ちる。

 元々体力のあるほうではないが、顔面蒼白のうえ、尋常ではない大粒の汗が頬を伝っていた。胸を押さえる手に力がこもる。

――胸の刻印が熱を帯びているのだろう。

「この室内競技場の照明に、セルカークの光と、朝日を使っています。闇の魔力を持つ人間にはつらい環境でしょうね」

 キリクが声をかけると、彼女の肩がびくりとはねた。ふり向いたフェイメルの表情は、普段の彼女には見ることのできない、ひどく怯えた――むしろ、絶望に近いものをはらんでいた。

「……パーシヴァル、先生……!」

 ゆっくり近づいたとはいえ、気配を断っていたわけではない。ならば、背後の気配に気づかないほど苦しかったに違いない――とキリクは表情を曇らせた。

「この授業は闇の魔力に対する免疫力を高めるため、と授業前に説明しましたが、本当は光の力に対する免疫をつけるためです」

 もちろんこれも嘘である。

「フェイメル・モルガーナ。貴女のそれは――胸に刻まれているものは、闇の呪いですね。一体なんの呪いです?」

 ぎくり、とフェイメルは全身を硬直させた。胸を押さえる手が、かたかた震えだす。

 そう、この授業は彼女に用意したものだった。それも、この瞬間のためだけに。

「……これは、ただの――」

「私も、闇の力をもつ悪魔のはしくれですよ」

 キリクが自嘲気味にそう言うと、フェイメルは観念したように短く答えた。

「これは……死の――呪いです」

 言って、硬く目を閉ざし、うつむく。

 苦しみを抱えた彼女の境遇に、キリクはわずかながら哀れみを抱いた。

「……そうでしたか」

 しゃがむ少女の肩に、そっと手を置いた。


 死の呪いに抗うことは絶対にできない。すなわち、魔法や魔術で打ち消すことも、防ぐこともできない代物なのだ。呪いを解くことができるのは、かけた者のみ。それが闇の魔術の中でも禁忌のひとつ、死の呪い。

 この北国では過去、悪魔や闇の魔術師によって罪なき多くの国民が呪いを受け、それは子孫にまで影響を及ぼしている。


「フェイメル、つねにこれを身につけていなさい」

 ローブから取り出した銀色のロケットを握らせると、彼女ははっと目を見開いた。

「これは……この中に入っているのは……」

「そう、セルカークの光です。ただし、ロケットに魔法をかけているので、持っていてもさほど苦しくないでしょう?」

 ふるえる手で握りしめ、フェイメルはこっくりうなずいた。銀の髪がさらりと肩から落ちる。

「闇の力に負けてはいけません……じきに光の力に対する免疫もつくでしょう」

「……ありがとう、ございます……」


 小さくなってうずくまる少女に、ほかにかける言葉はみつからなかった。


 汗とは異なるしずくが、一度だけ頬を伝って地面に――落ちる。


 *


 その日、すべての授業を終えて、ウルトとハリスからホーネットをしに中庭へ行こう、と誘われた矢先のことだった。

「シキ、お使いを頼まれてくれませんか?」

「あー……はい」

 廊下でばったり出会ったキリクからそう言われて、シキは思わず口ごもった。

「知り合いから荷物を受け取ってきてほしいのです」

 今度こそ行くだけ行こうと決めていただけに、できることなら断りたかった。が、キリクからの頼みごとを無下に断ることもできないし、嘘を言って断るなどもってのほかだ。

 廊下の曲がり角でウルトとハリスが早く、と手をふる。

――ふたりとも、また誘ってくれるかな。

 そう考えたところで、苦笑がこぼれた。

 杞憂きゆうに過ぎない。

 こんなことでのけ者にするような友人たちではないことくらい、とっくにわかっていたのだから。



「魔法学で使う教材を、第二セクターの知り合いの店まで、私の代理として取りに行ってほしいのです」

 キリクと並んで歩くシキがぱっと顔を上げた。

 外出は前日までに、担任と教頭の許可をもらわなければいけない規則だ。それに、生徒が第一セクターから出ることは原則的に禁止――帰省きせいのみ認可――されている。

「キリク先生は行けないんですか?」

「ええ、私は一セクから出るときは軍の監視が付くのです。だから、シキに頼みたいのですが……」

「僕ひとりで、ですか?」

「ひとりで、です」

 質問の意味を理解しての、返答だった。

「残念ながらリュゼは連れて行けません」

「そうですか……」

 キリクがシキを見つめる目はひたすら優しい。

「……シキ、任せてもいいですか?」

 リュゼに会えない寂しさを押し返して、シキは力強くうなずく。

「……はい、大丈夫です!」

 

 なにより、キリクの期待に応えたかった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ