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はじまりの手紙

 ――親愛なるキリク・バーシヴァル


 どうか、俺の代わりにあの子を助けてやってくれ。キリク、お前にしか頼むことができないんだ。

 どうか、あの子に生きるための知恵と技術を教えてやってはくれないか。

 どうか、友の素晴らしさと誰かを愛することの素晴らしさを教えてやってはくれないか。

 そして、どうか、俺の代わりにあの子を信じてやってくれ。

 わが友よ。

 俺にはこの地を見渡すことができないが、お前はその目で凍てつく国の終わりを見るだろう。

 だから、お前に託すことを許してくれ。

 К――


 小さな羊皮紙に青いインクで綴られたパーシヴァル卿への手紙。

 それは彼のただひとつの遺言状であった。


 *


 まったく、よりによって私なんかに頼るとは。いや、私以外に頼る者がいなかったのだから、仕方のない話だが。

 けれど、謝るくらいなら、どうして死んだりするんだ。

 私は彼の遺言状に目を通し、そう心の中で呟いた。私の一番の友であり、理解者でもあった。

 いまはもう、彼の笑みを見ることは叶わなくなってしまった。

 北国を囲む渓谷と山岳を目の前にした国境付近、東国の干巌砂漠ヒガンサバク。こんなところじゃおまえの墓標もたててやれない。いや、名前のないおまえに墓標は必要ないか。

 北国の紋章――竜の足元に三本の剣が交差する図柄――が刺繍ししゅうされた黒い布をそっとめくる。そこには友の面影もなくなった、凄惨なむくろが――顔の半分は抉り取られ、体中の肉がついばまれた骸が、横たわっていた。 

 脂肪など無いに等しい男だというのに、喰らって美味いはずがなかろう。加えて死後一ヶ月くらいの遺体はすっかり腐敗していた。

 砂漠といっても、広大な大地が砂に埋もれているだけで、干あがりそうになる暑さはまったくない。

 体中の水分を蒸発させるくらいの気候であれば、少しは原型を留めていただろうに。

 彼の亡骸を見た兵士達のなかで、胃酸が逆流する者は少なくないようだ。数少ないカラカラの白い幹にすがって、嗚咽を漏らす姿が目の端に映った。

 本来ならば東国の領地である干巌砂漠で出た死者は、東の国境警備兵が処理する規約だが、国境付近の押しつけあいは慣例となっていた。

 そして、いつも敗者となるのは、国力の劣る、わが国だ。

 けれどおかげで私は彼に再会することができたのだ。

「放浪者のようですね。東国の身分証はありません。成人男性、という以外は不明です。そこの子供との関係はわかっていません」

 上手く飼い慣らされた兵士の、上官に向けるきびきびした声音こわねに、ああ、とわれに返った。

 骸に再び布を被せ、立ち上がる。

 彼は放浪者などではない。身分証は捨てたのだ。年齢は四十四。とても慈愛深く、聡明で、意志の強い、私の友だ。

 そう、異を唱えたい気持ちを押し殺した。

 手の中で握りしめている羊皮紙を魔性の力で燃やし、軍の犬たちに気づかれぬよう、砂漠の砂っぽい風に乗せて舞い散らせた。細かな灰となってそれは、天を目指す。

 輪郭のぼやけた真白な太陽、その脇で控えめに並ぶ二つの月。午後の空はどこか頼りなく、物哀しい気配を漂わせていた。

 ふと、木の幹の根元にしゃがむ少年に目を向けた。少年は空を仰いでいた。いや、舞い上がった灰を追っているのだろうか。

 ぼろぼろのマントに身を包み、ぽつんとひとりひざを抱えている。亡骸のそばに寄り添って座っていた数十分前と同じように、ひと言も発することなくただ、ひざを抱える。

 兵士達の尋問も徒労に終った。

 黒い目が彼の残滓を見届けているようだった。黒髪が、砂塵さじんにまみれてくすんでいる。とうに散々泣いたのだろう、漆黒の双眸は潤むこともなく、乾ききっていた。

 まだ十そこらの幼いこころに、どれほどの痛みを負ったのか私には計り知れない。

 ああ、これがおまえの息子か。かけがえのない、大切なもの。いや、これからは私がおまえに代わるのか。けれど、まだ私には信じることはできない。

 そんな私に託すなんて。


 ――許してくれ、だなんて、おまえは本当にずるい男だ。


 もう一度、布を被る友の亡骸に、目をやった。


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