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課外授業(2)

「うわああ!」

 魔獣グールの群れの中心に、背中を丸めてかがみ込むシムル・エーレーンの姿があった。

 腐敗した体をもつおぞましい魔獣のグールは、無抵抗の生きたエサに興奮しているのか、べちゃべちゃと舌なめずりをしながら獲物を取り囲んでいる。

 生臭い息づかいが、陰鬱いんうつな森にねっとりからみついて、空気さえも腐らせていくように思えた。

灰となれ(サース アッダス)!」

 怒号のような魔術の詠唱が、よどむ空気を裂いた。同時に、鉄鞭が唸りをあげてグールに襲いかかる。

 高温の熱を帯びた鞭は腐った体表を叩くと、一瞬のうちに次々と黒焦げにし、骨も残さず灰へと変えた。

――すさまじいな。

 もうもうと立ち昇る白煙を前に、キリクは苦笑いをこぼした。

 いまだ縮こまったままの小柄な男子生徒のもとへ、ジンはすぐさま駆け寄った。キリクもあとにつづく。

「おい、無事か!」

「お怪我はありませんか?」

 ジンが荒っぽくつかみ起こすと、顔面蒼白のシムルはギャッと小さな悲鳴をあげて固まってしまった。

 転んだ拍子に眼鏡を落としたせいだろう、目の前にいるのが凶暴な魔獣ではなく、ホランド先生だと気づくのにしばらくかかっていた。ほどなくすると、シムルは額に浮かんだ大粒の汗とこめかみににじむ血をぬぐって、おそるおそるうなずいたのだ。

「生徒を全員、森から避難させましょう」

「命令すんな」

 彼女はすげなくいって、トリガー式発光弾を高々と掲げる。

 この事態が起こるのは当たり前で、あらかじめ対処法も用意していた、といいたいのだろう。ゆえに、ジンの行動には、いっさいよどみがない。

『キャメロット生、課外授業は中止だ! 森の入り口に戻れ! 入り口から遠い生徒はオレの魔獣が誘導する! ビビんじゃねえぞ! 例外は認めねえ、全生徒は速やかに戻れ!』

 続けて発光弾の炸裂音。

 拡声魔法が針の森全体にわんわんと響き渡り、青白い光が空からどしゃ降りの雨のように落ちてきた。

 そうして連絡事項を伝え終えると、呪文で呼び出したおのれの使い魔――使役獣を森に放つ。シムルを肩に担ぎあげると、背後のキリクなど微塵みじんも気に留める様子もなく、ひとり先に「移動せよ!」と、呪文を唱えて姿をくらました。


 *


 一方、森ではジンの号令に従って、生徒たちが慌ただしく来た道を引き返していた。ところが、シキはみんながなぜ急いでいるのか、ひとりだけわからずに首をかしげてぼやぼやしている。

「まだそんなに時間経ってないし、なにかあったのかな……花火もあがったし、僕も戻ろうかな……」

 ウルトやアリアやフェイメルは光を集め終えて、戻っているだろうか?

 ユーリは――きっと一番たくさん集めて、一番早く戻っていることだろう。

 たった二つだけ光が入った瓶を背負って走りだしたシキは、ふいに異変を感じて立ち止まった。

「なんだろう……?」

 いやな気配が、森へ入る前に感じたそれよりはるかに強くなった気がした。

 うっすらと血のにおいも漂う。

 このまま入り口まで戻りたい、という思いと、だれか怪我をしているなら助けなければ、という思いに揺れたシキは迷った末、後者を選んだ。

 通ってきた道からそれて、脇の小道へつき進む。それは、スタート地点とは正反対の、森の奥へと続く道だった。

 獣道のようにせまく、生い茂る木々が行く手を阻むなか、わずかな血のにおいの痕跡をたどる。


――気味が悪い、早くここから出たい……。


 うっそうと茂る小道を進んでいたとき、左手にかすかな光を感じた。

 とっさに光のさすほうへ足が向いた。血のにおいは暗い森の奥へさらにつづいていたけれど、本能が暗がりを出たいと、反射的に足を動かしたのだ。

 躍り出た場所は、ごつごつした岩場の上。木々の類は一切ない。空を仰ぐと、樹木の天井もなくなって、相変わらずの曇天がシキを見下ろしていた。

「木で覆われてないから明るく見えただけか……」

 高台になっているその場所から見渡すと、針の森がどれだけ広く、深い森なのかがよくわかった。

 岩場から首を突き出して下をのぞき込めば、まるで地獄の入り口のようで、底がまったく見えなかった。

 もちろん、本物の地獄なんて見たことはないけれど。

 シキののどがごくりと上下した。どうやら切り立った崖の上に出てしまったようだ。

「やっぱりもとの道に戻ろう……」

 崖を離れてふたたび小道に戻ったとき、もう一度、湿り気のない空気を吸いたくなって、そっとふり返った。

 そこに、信じられないものを――見る。

 魔法のように、なにもない場所から突然ユーリが姿を現したのだ。

 シキは声が出なかった。いや、あっ気にとられて、出せなかった。それは崖を背にゆっくり倒れゆくユーリも同じのようだった。

 もちろん、あの地獄の入り口に手すりなど、ない。

 目に見えないなにかに、突き落とされようとしている。

 ユーリは目をみはったまま、すがるように手を伸ばし、そして空気をつかんだ。

 そんな、うそだろ?

 いったい、なにがどうなって――。

 頭で考えるよりも先に体が動いていた。

「ユーリッ!」

 悲鳴ともつかない叫び声は、知らず知らずのどをついて出ていた。

 持てるすべての力をふりしぼり、地面を蹴りあげる。なにがなんでもあの手をつかまなければいけなかった。

 肺がごうごう燃える。

 脚の筋肉がギシギシ悲鳴をあげる。

 腕の筋が切れそうなほど、手を、伸ばす。

 雄叫びをあげて、シキはすでに崖に吸い込まれかけているユーリの手首をつかんだ。その瞬間、全身におそろしい衝撃が走る。それは、完全に宙に体を投げ出されたユーリも同じだろう。

 驚異的に速く走れたことに驚く暇もなく、うつぶせになって重力との真っ向勝負に臨んだ。だが、敵はいままでに経験したことがないほど、強力で容赦がない。

 かろうじて、片腕だけで命をつなぎとめていた。

 食いしばる歯がギリギリ苦悶の叫びをあげる。それでも、シキはもてる限りの力を四肢に込めた。

 枯れた木の根すらない岩肌でふんばる手足は、いまにももげそうで、腕と肩の悲鳴が聞こえた。

 シキを見上げるユーリの紫の眼が、大きく揺れる。

「お、お前……」

 ユーリは信じられないものを見ていると言わんばかりに、目を白黒させていた。

 その驚いた顔が新鮮で、シキはくすりと笑いそうになるのをなんとかこらえたときだった。ユーリの手の甲に、鋭利なもので裂いた傷を見つけた。そこから鮮血が流れて、手首をつかむシキに、さらなる追い討ちをかける。

――手が滑ったら一巻の終わりだ……!

「おい、お前も落ちるぞ! 一緒に死にたいんか!」

「そ、んな、わけない、だろっ……!」

 必死に声をしぼり出した。見上げてくる紫の目が困惑の色を帯びる。

「俺ならなんとかする、もうええ、手ぇ離せ! お前なんかに助けてもらわんでも――」

「そん、なの――っ!」

 言いさしたとき、シキの背中に重たいものがドッと飛び乗って、一瞬息が止まった。

 両肩に釘のようなものが何本も突き刺さり、血が腕を伝って流れてゆく。

 さらにもうひとつ、もうふたつ。背中が押しつぶされた。

「魔獣、エングリル……?」

 ユーリの声が聞こえた直後、加えてもう一匹現れた魔獣は、崖に宙吊りのユーリに飛び掛かった。

 選択授業の教科書で目にしたことのある、雷のたてがみを持つキツネに似た魔獣――エングリル。

 それが足を滑らせ、崖の底へ落ちてゆくのをシキは見た。



 シキは濁った色の空を見上げていた。

 爆発寸前の心臓をなんとか落ち着けようと、全身を投げ出して、ただ空を眺めた。

 隣で勢いよく上半身を起こすのが目のはしに映る。気絶していたユーリが目を覚ましたようだ。

「……お前、ひとりで俺を上げたのか」

「まあ、ね……」

 呼吸はいまだに荒く、胸が激しく上下していた。言葉はそれ以上つづかない。

「魔法を使わんと引き上げるなんて、できるわけない!」

――僕に魔力がないことくらい、知ってるくせに。

 胸の奥で抗議を述べて、じろりとユーリをにらみつけた。当の本人はシキに見向きもせず、握ったこぶしをじっと見つめている。

「魔法も魔術も使えへんくせに。それやのに、パーシヴァルの九鼎大呂きゅうていたいりょってなんなんや! 気に食わないに決まってるやろ!」

「え……? 先生の、なに……?」

 ユーリの拳がわずかにわななく。くちびるをぎゅっと結んで、ようやく顔をシキの方へと向けた。

 宝石のような目に、羨望や疑心、困惑の色が混じりあって浮かんでいた。深い葛藤がシキにも読み取れる。

「……俺が気ぃ失うまえ、お前が叫んだ言葉――本心か?」

 苦々しく声を絞りだしたユーリから目を逸らさず、シキは呼吸を整え、返すべき言葉を頭の中で丁寧に考えた。

 深呼吸、そして、真摯に応える。

「……本心じゃなくて、打算のうえ、だったら?」

 ありったけの皮肉を込めて、意地悪くくちびるのはしを持ちあげた。

 その不意打ちに、ユーリは豆鉄砲でも食らったような顔で、何度も目をしばたいていた。


『そんなの、だめだ。絶対に、離さない! 嫌われてても、ユーリを見捨て行くわけないだろ……! だったら手をつかんだままいっしょに落ちたほうがましだ!』――あのとき、そう叫んでユーリは初めてシキの黒い目を見つめ返した。

 いまのように、目を逸らさず、真っ直ぐに。

 にわかに鉄面皮が瓦解する。ほんのわずか、ユーリの目もとがふっとゆるんだ。

シキ(・・)がそこまで計算して行動できるとは思えへんわ」

 今度はシキが不意打ちを喰らって目を丸める番だ。一拍おいて、むっとくちびるを尖らせてみせる。

「なんだよ、お礼ぐらい、言えばいいじゃんか」

「フツー、自分でそれうか? お前、案外いい度胸してんねんな」

 互いが鼻でフッと笑う。次いで、くすくす笑い。殴り合ってすっきりしたような、ふたりの姿が崖の上にあった。


「それはそうと、なんでユーリはあんなことになってたわけ?」

 ふと、いまさらの疑問が口を突いて出た。

「俺が知るか。いきなりなにかに襲われて手が切れて……あれは、エングリルやった。そのとき、だれかに移動魔法をかけられたんや。けど、あの魔獣はたしかパーシヴァルの使役獣のはず……魔法学の授業で一度だけ見た――そうや、フェイメル!」

 なにかを思い出したユーリが、一気に青ざめる。

 そこで突如、赤いつむじ風がふたりの前に渦を巻いて現れた。

 それは赤銅色の豹のからだに蛇の尾を持つ魔獣、ベルクルの姿に変わった。


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