未来を垣間見る者
カチカチカチ。
と、しきりにケルトゥァースはくちばしを鳴らしていた。
毛をふくらませすぎて、青い毛玉みたいになっているから、これはかなりご立腹なのかもしれない。
そんな青い鳥の前に座らされたシキとしては、なんとなく――いや、まあまあ居心地が悪かった。だから極力目を合わせないように、ひとりずっと壁をにらんでいるのだ。隣に座るユーリは当然すました顔をしているし、ウルトは椅子の脚がグラグラしているほうが気がかりらしく、シキの憂いなど歯牙にもかけなかった。
「だいじょうぶ。だいじょうぶだよ、ケルトゥァース。この子たちはおまえになにもしないよ」
耳ではなく、胸に響く、深みのあるやさしげな声。
モルガンは青い鳥のくちばしを指先で撫でながら、ふとこちらに目を向けた。
会計机を挟み、向かい合うかたちでモルガンも腰をおろしている。木の椅子ではなく、古ぼけた木箱に。
「きみたちも、落ち着いたかね?」
ケルトゥァースに放ったものと、まったく同じ声色でモルガンがいった。
ユーリがちらりと隣を一瞥し、すぐに視線を正面へと戻して首肯する。それを認めて、モルガンは、またゆるりと口をひらいた。
「じつは、フェイメルお嬢ちゃんとは昔からの知りあいでのう」
「司法省大臣の娘と、おじさんが?」
ユーリの言わんとすることは、シキにもだいたい理解できる。つまり、第一セクターのお嬢様と、第二セクターのしがない薬品店の店主がどうして知りあえるのか、というわけだった。
「お嬢ちゃんの父上――モルガーナ裁判長はわたしの教え子で……わたしはいまから二十年ほど前までは、魔法学校の教壇に立っていてのう」
「教師やったんですか?」
「うむ、科目は卜占学。この学問は昔、必須科目のひとつだったのだよ。モルガーナ君はとても優秀で――ああいや、その話は今度にしよう。それで、ひとり娘であるフェイメルお嬢ちゃんのこともよく知っていてね。小さい頃、よくここまで遊びに来たからのう……」
モルガンは懐かしそうに目を細めた。
「何年になるだろう……十年前くらいから、店にぱったり来なくなってしもうて、寂しい反面、年頃なんだし仕方ないとも思っていた……けれど、あの子にまさかあんな恐ろしいことが起こっていたなんて――」
顔をしかめたモルガンが言葉を切った。肺から憂いを追い払うように深く息を吐きだすと、また静かに言葉をつぐ。
「そういえば、二年前の冬に一度だけ訪ねて来たことがあってね。たしか、木精霊の種を買っていったはず……。なぜそれが必要なのか、ちょっと気になって訊いてみたんだけれど、言葉を濁されてしまって……わけもなく、不安を感じたのう……」
それを聞いて、三人の少年たちは同時に顔を見合わせた。
「僕が誕生日にもらったやつだ……」
「フェイメルちゃん、この店で買ったのか」
「フェイメルはペンドラゴンがじきに学校を襲うて知ってたから、魔力のないシキにあらかじめ種を渡した、ゆうことか……」
あごに指をあて、難しい顔でユーリがうなる。
「……やさしい子なんだ。それなのに、服従の呪いだなんて、かわいそうに……」
モルガンの声がふるえた。
「でも、モルガンさんが魔法を使っても意識が戻らなかったのに、どうしてフェイメルは目を覚ましたんでしょうか?」
小首を傾げるシキの前で、モルガンはしわしわの目蓋をめいっぱい縦に引き伸ばし、あ然とした。
「それは、黒竜王がすべての生命に干渉できるお方だからですよ。黒竜王の命令には、北国においてだれでも、なにであっても従うのが理……俗にいう、“言葉による支配”というものです……」
もしやご存知なかったのですか? と、老爺が前のめりになった。シキはそのぶん、のけ反って身を引き、見栄を張らずにうなずいた。
「はじめて知りました……」
「驚きました」
「お、お恥ずかしいです……」
ふ、と鼻先で、小さく笑う音がした。それは、あざけりや失笑のたぐいではなく、気がゆるんでしまった。そんな笑み。
モルガンがにこりと笑っていた。
「ですが、わたしは黒竜王の言葉だけの力ではないと、信じておりますよ」
そこで、ユーリの探るような視線がモルガンに向いた。
「おじさん、もしかしてはじめからわかってたんとちゃいますか? 黒竜王がここに来るゆうことを……いや、フェイメルが自分に呪いをかけるところから。シキがフェイメルを助けるて、わかってはったから、ずっと匿っていたんやないですか? ……卜占師なら、未来を垣間見れる。どこまで、読んではったんです……?」
「いやはや……きみは……」
モルガンが、仙人みたいな長いひげを無意識にしごいて、目を皿のようにしている。
そのとき、奥の小部屋の扉がキィと控えめな音をたてた。そうとわかったときには、フェイメルが飛びかかるようにしてシキを抱きしめていた。
「ごめんなさい、シキ君、本当にごめんなさい……!」
フェイメルの肩越しに、赤毛の女の子――アリアと目があう。彼女が微笑のままうなずくのを見、シキは友人を抱きとめたまま、うなずき返した。
「だいじょうぶだよ、フェイメル」
とびきり上質な絹さながらの髪をやさしく梳き、頭をなでていると、その身体がふるえていることにふと気づいた。
「シキ君……」
「ん?」
手は止めずに、訊き返した。
「……わたしを、恨んでいるでしょう?」
「どうして? フェイメルは木精霊の種で僕を助けてくれたじゃないか」
「あれは……」
フェイメルが、小さくかぶりをふる。
「あれは、少しでも自分が救われたいと思ったからですわ……わたしは、自分の保身のために、あの種をシキ君に渡したんです……!」
「それでフェイメルが救われて、僕は誕生日プレゼントをもらえて、最高にラッキーじゃない?」
ふふっと笑ってみせると、フェイメルの身体がゆっくりと離れていった。困ったような、泣きたいような、そんな顔が目の前にあった。
「シキ君……ああ、わたし、」
ごめんなさい、と言いかけたくちびるが、途中で止まった。
「……ありがとうございます」
両眼に涙をたっぷり溜めて、彼女が笑う。
シキが待ち望んだフェイメルの表情だ。
それは、あの可憐な微笑ではなく、彼女本来の屈託のない少女みたいな笑顔。
フェイメルの笑顔が、シキにも伝播する。
そこで、ウルトがたまらず声をあげた。
「おいっ、つーか、もーそろフェイメルちゃんの肩から手ェ離せよ、なあシキ!」
やはりと言うべきか、やっとと言うべきか――。
今度はユーリの使役獣ではなく、アリアの使役獣、魔獣フリージアの背に乗って、シキは学校へと戻ってきた。
木造の頑強な正面扉を、フリージアが頭突きで破ったときはその衝撃のすさまじさよりも、ブラッド教頭かモリスの説教を予感して、胃がキリリと痛みを訴えた。
長い毛にしがみつきながら、木端微塵に散った扉の残骸を顔面蒼白で眺めやったのは、いうまでもない。
「シキ、おかえり!」
玄関ホールで出迎えてくれたアリアのまばゆい笑顔も、いまはうらめしいの一言に尽きる。しかし、四人の親友がそろっている光景を見たとたんに、自然と笑みがこぼれた。
「ただいま、みんな」
手足をきちんと折りたたんで降ろしてくれるフリージアに、シキは感謝の気持ちをありったけ込めて、鼻先をやさしくなでた。動物で例えるなら身体はウサギに近く、猫に近い顔立ち。その、ちょっと気まぐれそうな目が、気持ちよさげにふうっと細くなった。
パートナーでもないシキに、ユーリとアリアの使役獣はおどろくほど従順だったし、よく慣れていた。きっと、ふたりが二年かけて築きあげた、相棒との信頼があってこそだろう――。
「おっしゃ、これで全員そろったな!」
ウルトがぐるりと首を回していった。
そこでアリアが指輪にフリージアを戻し、「ありがとね、セントルクス」そういって、胸のポケットに指輪を納めた。
たしかユーリもスラックスのポケットに指輪をしまったような。では、ウルトは?
その右手には、金の指輪そのものがなかった。
どうして、と口を開きかけたまさにその瞬間、
「おう、戻ってきたかい!」
突然、腹に響くような男の声がホールにとどろいた。
五人が五人、雷の直撃を受けたように跳びはね、一斉に背後をふり返る。
玄関ホールで待ち構えていたのは――
「バショカフ!」
ユーリが吠えた。
「みんな下がりや! こいつは……ペンドラゴンのスパイや!」
唸るユーリのとなりに、眉間に剣を刻んでシキも立った。ふたりの女子を背に庇うウルトの前に、ユーリとシキとで完全な布陣を敷く。
対するバショカフは、小さな目をぱちぱちしばたいて、きょとんとしていた。それからハッと何事かを察したように首をめぐらせ、どこへともなく「おいっ!」と、がなり声をあげたのだ。