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もうひとつの闘い

 *


 時間はさかのぼり、卒業式がまもなく終わろうという頃。



「――最後に、卒業する諸君が、国立魔法学校で学んだことに自信と誇りをもって、新たなる人生を踏み出すことを心より祈念し、わたくしの式辞といたします。本日はほんとうにおめでとう、わたくしのかわいい子たち……」

 式辞をそらんじたあと、本来ならば壇上から離れるはずのガヴェインは、そのまま大講堂に集まった生徒、教職員をぐるりと見やった。

「それでは」

 つい先刻までやわらかかった声色が一転、急に硬いひびきとなる。

「全校生徒諸君、ならびに卒業生の諸君、はじめにお伝えしましたとおり、これより校外に出ることはいっさいなりません。各自自室で万事に備えるのです、よろしいですね? きょうは百年に一度、闇の力が強まる日……しかし諸君に危害がおよぶことは断じてありません。なぜなら、先生方がそばについていますからね」


 大講堂の扉があけ放たれ、沈黙しきった生徒たちはそれぞれの部屋へ、そして教員たちは廊下のいたるところでひっくり返る軍人たちを魔法で回収していった。


「パーシヴァルセンセー」

 ノックもなしに、ウルトが魔法学教務室の扉を開け入ってくる。さすがに卒業式ということもあり、紐ネクタイ(ループタイ)をブローチでしっかり絞りあげ、スラックスを本来の位置で穿いて――いたはずなのに、なぜかもう腰下までずり下げられていた。

 そこへアリアがつづき、最後にユーリが入る。

「俺らはいつでもええですよ」

「わかっているとは思いますが、軍に乗り込む以上、無事では済まない可能性があります」

「覚悟はしてます」

 ユーリの言葉どおり、三人の強いまなざしが返ってきた。もっとも、そう答えるであろうと、キリクも承知のうえで問うたのだ。

「ペンドラゴン提督は、秘密裏に闇の魔術師を多く抱えています。私たちが先に仕掛けたとしても、連中との戦闘は避けられないでしょう」

「それも、覚悟してます」

 強い意志をからだの内で燃やしているのが、アリアのやや硬い声音から読み取れた。

「きみたちは、シキを捜し出して、地下牢から連れ出してください。学校から軍へは私の魔法で移動できますが、直接地下に送って、闇の魔術師と鉢合わせるのはうまくありませんので、一階から向かってください。東側以外は幻影術がかかっているので、火にはじゅうぶん気をつけるのですよ」

 うなずいたユーリとアリアのとなりで、ウルトの歯が軋む。ここに来てからずっと歯を食いしばっていたことに、キリクはいまになって気づいた。

「……連中を見つけたら、殺したっていいんスよね?」

「ちょ……ウルト?」

 あっ気にとられるアリアを見向きもせず、ウルトは冴え冴えとした視線をキリクに向けてくる。その氷のような眼光に、闇の一端を見た気がした。

「ウルファート……」

 その先の言葉を、探した。

 人間のこころとは、十ブルーム硬貨のように表と裏があり、それはつねに一体であり、簡単にひっくり返せるものなのだ。いまのウルファートならば、闇の魔術師をためらいなく手に掛けるだろう。たとえ連中が同じ種族の、人間であっても。

 言葉を探して、探しあぐねて、けっきょく見つからなかった。しばらく押し黙ったのち、キリクはゆっくりかぶりをふった。

「……ウルファート、きみには、べつのことをやってもらいます」

「は?」

「軍本部には私をふくめた先生方と、ユーリとアリアだけで乗り込みます」

「……はあ?」

 ウルトの声がますます尖る。もはや自分がどんな口のきき方をしているのか気づいてすらいなかった。

 だからキリクはもっとわかりやすい言葉で、「ウルファート、きみは連れて行きません」

 そういった。

「ただ、同じ敷地内にある研究棟で、記憶を復元させるための薬をなんとか作りだしてほしいのです」

「……おいおいセンセー、それ、マジでいってんのかよ?」

「ええ」

 キリクがまだ口を閉じきる前に、ウルトの腕が伸びてくる。なんという瞬発力と反射神経だろうか。

 もとより避けるつもりはなかったが、そうでなくともこれは避けられそうにない。

 襟首を掴まれ、それがまったく遠慮がないものだから、さすがに息が苦しかった。

「ふざっけんなよ……! オレだけ戦わせないっつーのは、どーいうことだよ!」

「やめてウルト!」

「ウルト! 相手はパーシヴァルやぞ、やめや!」

「ウルファート、きみの手はだれかを殺めるためにあるのではない……生かすために、あるのです……」

 襟首が少しずつ、キリキリと絞り上げられてゆく。

 キリクののどもとへ、怒りがダイレクトに伝わってきた。

「綺麗事いいやがって……! だれを生かすってんだよ!」

「――っ、か、彼女、を……」

 首を絞めつけていた力がふっとゆるんで、キリクは一瞬足を支える力を失った。片膝をつく。そこでやっと肺にじゅうぶんな酸素がとり込まれて、おおいに咳込んだ。

 アリアに背をさすられ、荒い呼吸を繰り返すキリクを、ウルトはやはり冷えた目で見下ろしている。

「たしかに」

 つかの間の静寂を破ったのは、ユーリであった。一度言葉をきって、ためらいがちにまた口をひらく。

「いまので先生が心配する理由も、よおわかりましたけど、俺は、ウルトに魔法薬を作らせんのは反対です」

「どうゆうこと?」

 アリアの怪訝な顔が、ユーリに向いた。

「破壊された記憶を完全に復元する魔法も、魔法薬も、まだ編みだされてない、ゆうことや」

「それは知ってるけど」

「魔法薬学の研究者たちが百年そこらかけても、あと一歩届いてへんことを、ウルトにやれゆうてるんや……魔法を新しくつくりだす、ゆうのは、人間で試験するゆうことや」

 アリアの、見えない何かに怯えたような目と、ユーリの何かを堪えたような目が、こちらに向いた。

 そう。ユーリのいうとおり、この魔法薬を作るには人体実験が必要だった。それはつまり、一歩間違えば過去の研究者たちと同じように、生きて戻ることができないということである。

「死ぬ確率なら、俺らと一緒にシキの救出に行くほうがずっと低いとちゃいますか」

 それはもっともだった。

 だが、問題はそこではない。

「研究棟で闇の魔術師と遭遇する確率は、もっと低い……ウルファート、きみは、いま闇の魔術師と正対してはならない。闇に、囚われてはいけない……」

 ゆっくり立ち上がってウルトに目線を合わせると、その瞳はなにか物言いたげに揺れていた。ウルトの口がわずかにあいて、なにも言葉がないまま、また口が閉じられる。

 しばしの沈黙ののち、ぽつりと、切なげな声が転がった。

「やっぱさ、センセーって悪魔だよな」

 ウルトがふっと苦微笑をくちびるに滲ませた。

「それってほとんど死刑宣告じゃんか」

「……そう、かもしれませんね」

「センセーはさ、オレが手を汚すくらいなら、いっそ死んだほうがいいと思ってる?」

「……いいえ。ウルファート、きみならば、先達たちを越えてゆけると私は確信しています」

 さらに苦微笑が深まった。ウルトが降参とばかりに両手を挙げる。

「……わったよ、オッケー。やるよ、薬づくり」

「ウルト! ちょお待て、お前がやらんでもええことや! それより、学校に戻っ――」

「おいおいユーリ、天才に不可能はないぜ。われらが担任の、パーシヴァルセンセーからの頼みを断るってーのは、おとこがすたるべ?」

 ユーリの肩をぽんと叩いて、ウルトが白い歯をのぞかせる。

 ふだんの明るさを演じているにすぎないということは、ユーリもアリアも、とうに気づいていよう。

「……魔法薬のすべての研究は、軍の研究棟でおこなわれています。現在までの資料はすべてそこに保管されていますし、実験に使う魔法具や材料もここならほとんど揃っていますから、なにも不備はないはずです」

「さすがは国軍だわな」

「任せましたよ、ウルファート」

「はいよ」


 キリクが指を弾く直前に、ウルトの悔しそうな笑みを見た気がした――。



 思考は現在へと戻る。

 キリクはリジルを連れて、合流地点である、一階の中央階段へやってきた。

 まだ、だれも現れてはいなかった。

 ただ、あたりには幻影術げんえいじゅつを解かれた兵士たちが狐につままれたような顔で、消火器やら放水ホースを手放している姿が、あちこちにある。あれほどの火災がたちどころに失せていれば、ほうけてしまうのも、無理からぬことだろう。通路にあるのは、受け皿に灯ったロウソクのちいさな火だけだった。

 じつは、キリクらがここへ乗り込んだ時点ですでに、基地内には幻影術がかけられていた。

 壁や天井をねぶり、肌をジリジリ焦がす大火が、もとは他愛もないロウソクの小火しょうかだと頭でわかっていても、術中にはまってしまっては、キリクとてなす術がない。最高位の幻獣スナークが得意とし、あらゆる者を翻弄する――それが幻影術。

 ちなみに、ただひとつ安全なルートとして東側だけ偽の炎――幻覚魔法をかけてあったが、それを知る兵士はほとんどいないだろう。

 すすけてまっ黒になった顔を、キリクはあわれっぽいまなざしで見やった。

 ちょうどそのとき、

「片付いたか?」

 つむじ風といっしょに、キリクの背後にベルガモットが現れた。

 まるで、中間試験の採点はおわったか、とでもいうような、ごくごく軽いトーンで訊いてくる。

「ええ、だいたいは」

「ならすぐにフェルマンとソロを拾って、研究棟へ……」

 ベルガモットの明るい瞳が、となりのリジルを一瞥した。

「先生!」

 言ったそばから、アリアとユーリが息を切らせてやってきた。

「地下を探しても、シキがいないの……! どうしよう、また連れて行かれちゃったのかもしれない!」

 ぼろぼろの姿のアリアが、キリクのマントにしがみついた。

「いま、どうなってはるんですか? そちらの女性ひとは……?」

 呼吸を荒くしたまま、ユーリが訝しげな視線をトリスタン大佐へ投げた。

 彼女は口を引き結んだまま、さっさと説明しろといわんばかりの視線をこちらによこしてくる。

「アリア、ユーリ、きみたちが一歩も退かずに戦ってくれたおかげで、シキを助け出すことができました。こちらの、トリスタン竜騎士が地下牢から連れ出してくれたのです」

「ほんと……? よかった……!」

「ああ……、なんや、よかった……」

 崩れ落ちるふたりの生徒の腕をしっかりとって支えたのは、ベルガモットだった。

「よくやってくれた。フェルマン、ソロ」

「ベルガモット先生……ほかの闇の魔術師は全員倒さはったんですか?」

「ああ、ホランド先生がほとんど片付けてくれた。学校の地下室にでもしばらく押し込んでおくさ」

「先生、捕まっているファット卿も助けてあげないと!」

 それなら、とキリクが声をはさんだ。

「だいじょうぶですよ、双蝕がはじまる前に、ファット卿は助け出されているはずですから」

「だれに?」

 アリアがきょとんと首を傾げる。

 そういえば、その点については、あらかじめアリアやユーリに説明をしていなかった。

「それはのちほど……さあ、全員そろったので、急ぎウルファートのもとへ向かいましょう」

 国軍附属研究棟へ移動するべく、ぱちんと指をはじいた。



 魔法薬学実験室、と部屋の上部にプレートが突き出ていた。扉にのぞき窓はない。

 白軟石タフダイトという石でつくられた床も壁も天井も、すべてが白く輝いており、むしろ神経質に磨き込まれている感がある。あたりは足音ひとつがいやに響くほど、静かだ。

「部屋の中にはリンデルひとりか?」

 ベルガモットの問いかけに、キリクは首肯で応えた。

「ウルファートを送り込むおり、入れ替え魔法を使いました」

 なにも知らないその研究員は、いきなり本部の通路に飛ばされて、さぞかしびっくりしただろう。喫緊きっきんであったとはいえ、その研究員にはすこし悪いことをしてしまった。

 ふと、どこからか視線を感じてキリクが腰をひねると、全面ガラス張りの真後ろの研究室から、白衣を着た男がきょとんとこちらを見つめていた。

 両手にみょうちくりんな器具を持って、どなた? という顔をしている。

研究棟こちらには幻影術も幻覚魔法もかけていないから、向こうの騒ぎには気づいていないはずだ」

「なるほど」

「不審者と騒がれるまえに、さっさと済ませよう」

 ベルガモットがドアノブをひねった。まっ先にアリアが飛び込んでゆく。

「ウルト!」

 まず、いくつもの薬品が混ざりあったいやな臭いがツンと鼻をついた。天井に排気口があるにもかかわらず、すさまじい臭気が充満している。

 床には資料ファイルが放り投げられ、バラバラになった紙や実験用の小瓶が散乱していて、何者かが荒らしていったあとのようなひどい有様だった。

 一クラスが楽々収まるくらいの、広い部屋である。

 いくつもの大きな机が並ぶその一角に、ウルトが丸椅子に腰をかけ、上半身を投げ出すように伏していた。

 キリクの心臓が、一瞬でこわばった。

「やだ……うそでしょ!」

 アリアの甲高い声が、どこか遠くに聞こえた。

 ファイルや小瓶を蹴散らして、アリアとユーリが駆け寄る。 

 顕微鏡やら容器に埋もれるようにして、ウルトがそこにいた。左ほほを下にして、まぶたを硬く閉ざすウルトの口からは血の泡がこぼれ、鼻からどろりとした血が流れていた。そばには、喀血かっけつのあとが、いたるところにあった。

「やだ、やだウルト!」

「おい、ウルト?」


――また私は、たがえてしまったのか?


 そんな不安が、キリクの胸をひしひしと押し潰してゆく。

 ぴくりともしないウルトの背を、アリアがそうっとゆすった。

「ねえ、ウルト……いつもの冗談だよね? ねえ、起きて……!」

「アリア、どきや!」

 ユーリがウルトの首筋に指をあてがろうとした、まさにそのとき。

 ウルトのまぶたがもちあがった。

「ウルト!」

「ウルファート……!」

 とっさに、目線が同じ位置になるようにひざをつく。

 反応はない。ただ虚ろな目だけがこちらを向いている。

 すると、机の上に投げ出されていた左腕が、ぴくりと動いた。ふるえる指が、机上のなにかをさしている。それを目線で追う。蓋のない、小さな瓶であった。

 透きとおった液体が半分だけ入った、小瓶。

「……せ、成功した……? センセー……」

 血の泡もそのままに、ウルトがゆるゆると微笑をつくった。

「私のことが、わかるのですね?」

 ウルトが、尖ったあごをかすかに引く。

「ああ、やはりきみは天才です、ウルファート……!」

 ウルトの手を両手で包みこみ、やさしく、しかし力いっぱいに握りしめた――。



 ――失われた記憶の復元薬を作るにあたって、キリクはひとつだけ、ウルトに魔法をほどこしていた。

 ウルトの記憶のなかから、「キリク・パーシヴァル教諭」に関する一切を、破壊したのだ――。



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