テンプレのメリット・デメリット
作家は自分の書きたいモノを書きたい様に書く事が大事だと思う。
しかし、最近投稿されているファンタジーのテンプレぶりに目を回してしまう。
書きたい事がテンプレなのかと思われるくらいに、、本当にテンプレで、もうねテンプレなのです。
…あぁ、何を言っているのか、全くわからなくなってきて混乱しています。
テンプレ?テンプレート?何ソレ?おいしいの?なんなの!もぉーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!
な… 何を言ってるのか わからねーと思うが
おれも何をされたのかわからなかった…
頭がどうにかなりそうだった…
催眠術だとか超スピードだとか
そんなチャチなもんじゃあ 断じてねえ
もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ…
…なんだか急にジョジョ・ネタを言いたくなりました。
……そうです、、つまりテンプレというのは「ネタ」なんです。
■テンプレのメリット
ネタというのは「お約束(決まり事)」という意味が多分にあります。
例えば漫才において笑うツボがあります。これは、その漫才師のネタを何度も聴いていると、「こうくるだろう!」という、「予測」と「期待」から発生する空気感だったりします。つまり「共有認識」です。
テンプレはネタであり、ネタはお約束事であり、多くの人が認めている共有認識でもあり、そして ある意味「共感そのもの」と言える存在です。
それゆえに「テンプレ(ネタ)」は「安心感」を生みます。
物語を読むに当たって、どんな内容かわからないものを試しに読んでみようとする人は少ないでしょう。逆に「こういう感じの話かな」「丁度そういうのが読みたかったんだよね!」と手に取る人の方が多いと思います。これは読書家と言われる人種は別として、エンタメとして読む人程、この傾向が高いと思います。流行りモノは手に取られやすいというのも同様な現象です。
流行りモノというのは、テンプレであり、ネタであり、共感であり、安心感なんです。
ある程度、内容が想定でき、大きな期待外れもない、だから「読んでみようかな…」という最初の関門「読者の興味」をそれだけでもたらしてくれます。
これはミステリーなどでもそうですし、他のどんなジャンルでもそうです。さらに極端に言えば「ジャンルというテンプレ」がある事で、多くの人は安心して本を手に取ることができるのです。
その意味において考えれば、テンプレというのは大きなメリットがあります。
■テンプレのデメリット
ネタ(テンプレ)はあらかじめ知っているお約束事で、その共通認識は「共感」や「安心感」を生み「読者の興味を引き出す」、、その意味では重要な要素だと語りました。しかし、、そこに落とし穴があります。
何故なら「じゃあ~、テンプレって大事だから、テンプレでも問題ないし、むしろ上等だし最高じゃね?」という話になる可能性があるからです。
これは全然違います。実は、、テンプレそのものに大きな問題が孕んでいるのです。
よく考えてください。テンプレそのものは「多くの人が知っているお約束事」「共有認識」ってだけにすぎません。極端な言い方をすれば「常識」なんです。あなたが既に知りえている「常識」を誰かから、何となく聞かされて「面白い!」ってなりますか?
……なりません。
でも、ある状況下において、それは「面白い!」となります。
……何か?、、それは「語り口」です。面白い様に話すから面白いのです。
つまり、テンプレ(ネタ)とはあくまで骨格であり、土台作りの為に単に存在しているにすぎません。テンプレが面白いわけじゃないんです。単に「わかっている部分」というだけにすぎないのです。
これも同様に漫才を例にしてみようと思います。
同じネタばかりしていたら、さすがに観客は「飽き」てきます。しかし漫才師は同じネタだけど微妙に内容を変えて観客を笑わせていきます。別にネタが面白い訳じゃないんです。ネタはもう観客にとって分かっている事なんですから。内容を臨機応変に変化させながら、ネタを仕組んでいく……だから面白いわけですね。
つまり「語り口」であり「アドリブ」だったりします。
ここに「面白さの本質」があります。
これは別の言い方をすれば「個性」とも言えます。
個性において、テンプレとはお題目なのです。
作品に枷せられたテーマのひとつなんですね。
もし、作者が本当に書きたいモノがある場合、これはまさに「枷」になるでしょう。その枷にこだわり過ぎれば、それはある種のパズルのような作業になっていくでしょう。もしそうなったら、書きたいものを書く作業からどんどん遠のいていく事になります。これがテンプレにおける最大のデメリットになります。
……つまり個性を発揮しにくくなる可能性があるのです。
■テンプレと上手に付き合うには。
読み手にとって、テンプレというのは実はたいした存在じゃあありません。ある種の傾向を示すものでしかないのですから。
じゃあ、どこを読むかというと、作者が本当に伝えたい事を読んでます。作者が書いている中で「面白い!」と感じたり「悲しい」と感じたりする事……物語の中に織り込まれる「ニュアンス」をその「語り口」から読み取っているのです。
それをテーマともいいます。いくつものあるテーマの中のもっとも書きたいことを「本題」と考えるなら「メインテーマ」と言い換えてもいいでしょう。
多くの作者が初めはメインテーマ(書きたい事)を持っている様にみえます。筆の滑りよく、サクサクと話を描いていきます。しかし、途中からどうも書けなくなります。
これはテンプレの弊害がほんの少しかもしれませんが現れている気がしています。もちろんすべての作品がそうではなく一部の作品に対してその様に感じるのです。
「こうなるのがお約束だから」「こうならないとつまらんよなぁ」「面白くするためにどんどんいろいろな要素を付け足さなきゃ…」みたいな「固定観念」が働いている様に見えるのです。
つまり、メインテーマ(書きたい事)を意識できない為にそうなっていく気がします。戦闘シーンだけが書きたい!というのであれば、それを中心にプロットを組めば良いはずですが、妙な段取りをつけて「ここは笑う要素がほしいかも」「ここは恋愛も入れたい」と、やっていくうちに、なんだかわからない話が出来上がっていくように見えるのです。
「固定観念」はとても恐ろしいです。作者からどんどんイメージを奪い、パターンへはめ込んでいきます。
最初はテンプレを利用していたつもりが、いつの間にかテンプレに作品を乗っ取られている状態になる事もありえない話ではありません。
そうなると、作品はどこかで見たような内容になり「この作品は一体何を伝えたいのか?」と読み手はわからないくなり、最後は読み飽きて(疲れて)しまいます。
テンプレのメリット・デメリットを理解する事は、とても重要な事だと思い、個人的ながら考えてみました。何かしらの参考になれば幸いです。
補足:「テンプレ」「ネタ」について
・テンプレ
「テンプレ」とは、ワードや年賀状ソフトなどのテンプレートと同様の意味です。ひな形、フォーマットの事などを指すこともあります。ただし、小説に対して「テンプレ」という言葉が使われる場合は、皮肉が込められる場合が多いです。
例えば、年賀状ソフトにあらかじめ備わっているテンプレートを利用する際に「氏名」や「住所」だけ書きかえるだけで、一応、完成させる事ができます。
このように、よくある話、どこかで聞いた話、そういった話の内容の幾つかを、少し変えて完成された作品などを「テンプレ」と言う場合があります。この場合はネガティブな意味、、「ありきたりな」という意になります。
ただし「小説を読もう」において、あらかじめ作者が「テンプレ」である事を表明している場合は、「これはテンプレだけど、色々工夫しているよ」という意味が含まれていると、個人的に思っています。その場合は読者への安心感と期待感を呼ぶ効果があると思っています。
・ネタ
特定の集団においてのみ理解される「ある種のニュアンス(意味)」を指します。
例えば、ガンダムが好きな人が部屋出る時に「アムロいきまーす」と言った場合、ガンダムを知っている人は「馬鹿な事ばかり言って、もう!」とか「カタパルトにちゃんと載れよ!」とか、その台詞が持つイメージ(意味)を共有した上での対応ができますが、ガンダムという作品をしらない人にとって、意味不明な言葉の羅列になってしまいます。
この様にネタ・コミュニケーション(特定の文脈を共有する人々の交流)は、ネタにおける「共有認識」があって初めて成り立ちます。