第一幕 忘我邸一日目⑤
「ヘイ、ミス優月こんな所で何してマスカ?」
2階の喫茶室で紅茶を楽しんでいた私に声を掛けてきたのはキース先輩だった。
「さっきレニエルさんに楓さんのいれてくれる紅茶は美味しいって聞いたから早速ご馳走になっていたんです。キース先輩も如何です?」
「オウ、ではミーも頂きましょう。」
キース先輩が着流しの裾を掴みながら歩いてくる。着替えたのか南無阿弥陀仏の文字はない代わりに「我ニ敵無シ」と書かれている。どちらにしろ余りいい趣味じゃないけれど、細長い体とカールがかかった金髪にミスマッチして妙に似合っている。
そういえばどうしてキース先輩はこうも和風趣味なのだろう、聞いた事も無いが始めて見た時から派手な着流し姿を通している。
物凄く聞いてみたい気もするが、聞いたら聞いたで思いっきり後悔しそうな気もするのは何故だろう?
何だか葉隠とか武士道とかを延々と説かれそうな気がする。
「生憎準備中の為あまり種類がございませんが、何になさいますか?」
楓さんが耳に心地よい声でキース先輩に聞いている。
楓さんとは耀耶麻三姉妹の次女である。本来ならまだここ眩暈館はオープンしていないワケであって、昼間は様々な準備の為に大勢いた従業員の方々も夕食前には本館、忘我邸の方にある宿舎に戻ってしまっている。それでも最低限の人員は残しておかなければいけないと言う事で夕食の席で紹介されたのが耀耶麻三姉妹こと、長女耀耶麻椛、次女耀耶麻楓、そして三女耀耶麻紅葉と秋に産まれたという理由から冗談でつけられたような名前の三姉妹だった。私達が滞在している間はレニエルさんと耀耶麻三姉妹が世話をしてくれるという。
それにしても耀耶麻さん。一卵性の三つ子と言うだけあって。外見はそっくり。その上服装も同じなら声質も身長も仕草もそのタイミングさえも同じで見ていて複雑な気分になった。一応胸に名札は着けているものの交換したら私には当てられる自身が無い。太刀風先輩の言では多少匂いに違いがあるというけど、正直私には分からない。
「そう言えばキース先輩はどうしてココへ?」
自称楓さんからアールグレイを受け取り満足そうな顔で味わっているキース先輩に声を掛ける。
「実ハ、玖韻先輩に一杯ヤロウと誘われマシテ、1階へ行くのにココを通ろうとしたらミス優月がいたワケデース。」
そのまま優雅な仕草で紅茶を飲み干し立ちあがる。
「ソウ、もし良かったらミス優月、ソレにミス楓も一緒にイカガデスカ?」
私は兎も角楓さんはキース先輩の突然の提案に少し戸惑ったような顔を浮かべる。
「……そうですね、今日は皆様の他にお客様はいらっしゃいませんし、片づけをしてから時間があるようでしたら覗かせていただいても構いませんか?」
「勿論デース、ガレキもサマーの後の祭りイイマスカラ。」
キース先輩の言葉に楓さんが笑顔で首を傾げる。
それを私はひやひやとした気分で見ている。何しろ派手に間違っている上に何だか混ざっているが、キース先輩本当は枯れ木も山の賑わいって言いたいんだから無礼千万な人だ。もっともキース先輩の場合諺の意味をちゃんと理解しているかどうかという問題もあるんだけど。
「ミス優月はドーシマスカ?」
私の非難が篭った視線なんて気にもせず明るい調子でキース先輩が聞いてくる。
「じゃあ私もご一緒します。」
お酒にはあまり強くない。かといって嫌いというわけでもなく、寧ろ好きな方だ。
「オウ、相変わら下手の横好きデース。」
珍しくキース先輩が正しい諺を言えた。でもその使い方は違う。
楓さんが私とキース先輩のカップを片付ける姿を後ろに見ながら喫茶室を後にして第一廊下を越えホールから下に向かう。
1階のバーに入ると私とキース先輩以外のメンバーが揃っている。緩く弧を描くカウンター一番右奥にレニエルさんが背の高いスツールにちょこんと腰掛けている。呑んでいるのは青い色をしたカクテル。頬は少し赤く染まり目は潤み、その幼い外見とは余りにアンバランスな要素が見事なまでに可愛らしく太刀風先輩や霞桜先輩でもないけど何だか攫ってそのまま大きめのドールハウスか何かで飼育と言えば語弊があるかもしれないけど、他に相応しい表現もないので飼いたくなりそうだ。とても年上の女性に思って良いような感情とは個人的に言えないけど、時に感情は年の差なんて越える物だし。それに実際六歳しか変らない。
その隣に玖韻先輩。真っっっっっっ黒な浴衣はさっきのまま、黒髪は緩く三つ編みにして肩から胸元へ垂らしている。こちらも白い頬が薄っすらと紅く目は潤み近寄り難いほどに綺麗だ。妖艶とか艶麗なんて艶の文字が入る言葉が似合いすぎる。こういう人が知り合いだと自分の価値が上がったような気がして少し良い気分だ。もっともその価値は私を通してそういう人にお近づきになりたいという事から産まれるのであって、私には何にも正規の意味で付加価値が産まれているわけじゃあないのが悲しい所。
呑んでいるのはどうも日本酒らしく手には艶やかな漆塗りの杯を持っている。カウンターの上には大振りな白鳥徳利。あの様子からして結構聞し召してるんだろう。
一人離れたボックス席に座っているのは霞桜先輩。此方も着替えていて白のスラックスに深紅のシルクシャツ。原色系の色が好きな人だ。淡い色は覇気が無く、着ると侵食されそうで嫌なそうな。シャワーでも浴びたのか髪も今は降りている。意外な事にその外見からは想像もつかないが霞桜先輩はお酒に弱い。呑めない種類も多く唯一嗜むのがブランデーだけだというのだからある意味徹底している。呑める量も多くないので手に持ったブランデーグラスには指一本分程褐色の液体が揺れている。またお酒は静かに一人で飲むものと妙な拘りを持っていて今日もそれを守っている。良い意味でか悪い意味でかは置いておくとして絵になっているのは間違い無い。
カウンターの真中辺りに鴛淵先輩。着替えはしているもののその柄は筆舌しがたい。ズボンは蛇皮、或いは蛇皮柄。シャツに至っては極彩色の金剛界曼荼羅ときた。もしかしたら胎蔵界曼荼羅かもしれないけどそこまでは分からない。一体何処で服を買ってくるのか今度聞いてみよう。
でも………誘われたら困るなぁ。
呑んでいるのはビール。こうして見ている間にもビールピッチャーから黄金色の液体が見る見る鴛淵先輩の口に消えてゆきサーバーから慣れた手つきで泡と液体の見事な対比をピッチャーに満たしては次々と飲み干して行く。
さらにその隣でレニエルさんに油断の無い視線を送りながらも鴛淵先輩と呑み比べに興じる太刀風先輩の姿。鴛淵先輩が量を飲むのに反して太刀風先輩はショットグラスをカパカパと空けていく。多分中身はアブサンとかスピリタスとかレモンハートとか矢鱈度数の高いヤツなのは間違いない。火でも付けたらさぞかし良く燃える事だろう。火葬場要らずだ。
……いえ、そんな事企んでいませんよ。
「おやキース、遅かったやん。」
バーに入ってきた私達に気がついたのか色っぽい顔のまま玖韻先輩が話しかけてくる。
口調が少し関西風なのはか霞桜先輩とつるんでいる内に感染ってしまったのがアルコールが入ると出てくるらしい。
中性的で辛うじて男性に聞こえる声でどうにか男女の識別が可能な感じだ。
「ええ、チョット喫茶室に寄ってキマシタ。」
「フフ、楓さん可愛かったからやろ、どうするレニ姉さん、従業員に手出そうとしてるのが一人いるけど?」
「もう、玖韻ちゃん、私はそんな事一々言う程狭量じゃないわよ。子供じゃ無いんだから本人達がそれで良ければ良いじゃない。」
「そうなん?それなら椛さんは、妹サンが誑かされそうやけど?」
カウンターの奥でシェイカーを華麗に振っていた椛さんが微笑む。態々着替えたのかメイド服姿から白のタイトなドレスシャツに変っている。首にはワイン色の蝶ネクタイ。
「私も支配人と同意見です。それに妹とは言え個人の恋愛に首を突っ込むなんて野暮のする事です。」
その答えに玖韻先輩が満足したような笑みを浮かべる。
「うん、良い答えや、野暮はいけない。風流に行かないと。」
「その通りデース、ミーが尊敬する方もそう言ってマース。」
一つ席を空けスツールに私とキース先輩が腰掛ける。
「ご注文は何になさいますか?」
椛さんが楓さんと全く同じ声で聞いてくる。そして同じ仕草でメニューを渡してくれる。
メニューを暫し模索した結果、私がモスコミュールかミモザのどちらを頼もうかと考えているとパタパタと軽い足音をさせて耀耶麻三姉妹の誰かが入ってくる。ネームプレートを見ると三女の紅葉さんだった。
「支配人、ちょっと宜しいですか?」
紅葉さんがレニエルさんに何やら耳打ちしている。
「あら………そう、通してさし上げて。」
レニエルさんの言葉に紅葉さんが頷きバーから出て行く。
「姉さんどうかしたん?」
「ええちょっとしたお客さん、ただし招かざるお客さんだけど。」
玖韻先輩の問いに可愛らしくレニエルさんはそう答えるのが聞こえてきた。