第一幕 忘我邸一日目④
「そういえば先輩?」
「何かしら?」
どうやら先輩がツいていたのは最初だけだったらしくゲームを重ねるたびに腕は落ち、最終戦を終え辛うじて引き分けに持ち込みほっと一息つきながら私達は休憩していた。
「ずっと気になっていたんですけど、今日の朝どうしてリーホアさんが玖韻先輩だって気が付いたんです?」
今時見かけない長細いタイプの缶に入ったオレンジジュースを飲んでいた先輩が此方に顔を向ける。
「あれ?………そうね、普通に教えちゃったらつまらないからヒントを上げる。」
と言ってから私の顔を暫く見て一言。
「優月、来週中に生理が来るでしょ。」
「…………何で知ってるんですか?」
誰にも教えた覚えはない。そもそもそう言う事を教えるような相手なんて私にはいた事がない。
「知ってるっていうのは正しくないわね、アタシには分かるの。」
どういう事だろう、知っているとか私から聞いたとかなら兎も角分かるというのは………もしかして女性の生理がわかるという特技だろうか?………何だか末期的な特技だけど例えそうだとしたら今日の朝玖韻先輩を見破った事のヒントにならない。
「………もしかして、何で先輩が私の生理が来週かってわかる事が、だからそのわかる理由がヒントって事ですか?」
「優月賢い!」
撫でられた。
「ちょちょっと止めてくださいッ恥かしいじゃないですかッ!」
「良いじゃない、恥かしがることなんて無いわよ。ねえ?」
カウンターの向こうでキューを磨いていたメイド姿の従業員さんに太刀風先輩が同意を求める。
笑顔で頷いているが、少し苦笑混じりなのを私は見逃さない。
「それとも優月は撫でられるの嫌い?」
「………いえ、決して嫌いと言う訳じゃ………」
「じゃあ良いじゃない。」
撫で撫で撫で撫で撫で撫で撫で撫で撫で撫で。
猛烈に撫でられる、嘘でも嫌いって言った方が良かったかもしれない。
………決して悪い気はしないけど、素直に認めるのは拒否する。
「で、優月答えはわかった?」
たっぷり五分は撫でられてから太刀風先輩が満足したのか何だかツヤツヤしながらそう聞いてくる。
「わかりません。」
「………少しは考えた?」
「すいません、考えなくても答えがわかりそうな時は考えない事にしてるんです。」
うーん他力本願。
「アタシとしてはその脳の温度が上がりそうな考え方はどうかと思うけど……まあ良いわじゃあ種明かしね。」
とネイルアートの施された指先で自分の鼻を指し示す。
「コレはちょっと自慢なんだけどアタシ物凄く鼻が利くの。」
「鼻ですか?」
「そう、今朝の玖韻先輩の変装は確かに見事だったけど流石に自分の匂いまでは変えられないもの、香水で誤魔化していたけど、ほら大笑いしたでしょあの時にね、気が付いたのよ。」
「………玖韻先輩香水なんてしてましたか?」
「それも分からなかったの?没薬に各種スパイス、後はジャスミンとかイランイラン辺りが感じ取れたからオピウムじゃないかしら。」
「でも何で笑った時に玖韻先輩だって分かったんですか?」
「そうね、優月嘘発見器は知ってる?」
「嘘発見器ってあの身体に電極みたいなのくっ付けて質問するとグラフが動いて嘘かどうかわかるアレですか?」
「そうそう、じゃあ嘘発見器がどうやって嘘かどうか見分けるのか分かる?」
「………知りません。」
「浅学ね。」
「ほっといて下さい。」
「では、浅学な優月に太刀風凪那こと、なぎりんが説明して上げましょう。」
と同じ女性として劣等感を抱きそうになる胸を張る。
それはともかくいい加減「なぎりん」って今時小学校低学年だって嫌がりそうな一人称がイタイと思うけど黙っておこう。
「嘘発見器の一番始めは古代日本で行われていた(クガタチ)かしら、漢字で書いたら(盟神探湯)沸騰させたお湯の中に勾玉を落として罪人と思わしき人物に拾わせる。無事拾えたらそれは神様が認めたと言う事で無罪。もし火傷をすれば有罪。まあコレは中世の魔女裁判に少し通じる物があるかもしれないわね、手足を縛って水に落として浮び上がったら魔女だから火刑。沈んで溺死したら人間だったってね。要は今と逆で疑わしきは罰しろって考えだったのよ。
では、科学的根拠の嘘発見器の歴史はといえば、まず1921年に遡るの。当時のアメリカはフォーダム大学でウィリアム・マーズトン教授が嘘は血圧に影響すると言う理論を発表。これを読んだカリフォルニア州警察のオーガスト・ヴォルマー本部長は血圧測定器を利用した嘘発見器を造らせた所、自分で実験台になって実験してみたら小さな動揺にも反応し嘘を見破る結果となったワケ。関係無いけどオーガストって名前聞くとオーガスト・ダーレスの方を思い出さない?
それは兎も角、コレが一応嘘発見器第一号とされているハイドロフィモグラフ。当時結構話題になってそれを見た犯罪者が偽証するだけ無駄だと悟って白状したなんて話も残ってるぐらいだから。」
怒涛の勢いで太刀風先輩の口から嘘発見器の歴史が流れ出る。それにしてもオーガスト・ダーレスって誰だろう?
「その後改良されて、血圧の他に脈拍、呼吸速度、発汗量も同時に測定できるようにしたカーディオ・ニュモ・サイコグラムが使われる様になったの。只、弱点もあってね、長時間尋問すると血圧や脈拍を左右するアドレナリンが分泌されなくなって反応を示さなくなるから一回の使用時間は3分までとなったのよ。個人的意見としては嘘発見器なんて使う時点で基本的人権なんて無視してるような気がするし、そもそも犯罪者に人権なんてないんだから自白剤でも拷問でもやった方が手っ取り早い気がするけどね。」
心なし乱暴な言葉で太刀風先輩が話を締め括る。
「………何でそんな事に詳しいんです?」
「何言ってるの、一般常識よ。」
「何処の世界の一般ですか………」
「あえて言うなら第3世界だけど、いいじゃない、そんな事どうでも。それで、結局嘘発見器の基本的概念は不随意の身体の反応を測定し、被験者の恐怖、ストレス、覚醒を判定、分析する物で今のモノは多重センサーシステムを使ってGSRを測定するの。」
「GSRって何ですか?」
「galvanic skin response和訳すると電気性皮膚反射。理科の実験で習わなかった?蛙の足の筋肉にメスで触れるとピクピク動いたりするの、アレの事よ。」
「………本当に詳しいですね。」
「因みに江戸時代のお庭番も似たような詰問方法を採ったそうよ。」
「お庭番って吉宗さんの所のアレですか?」
「………ご近所さんみたいな言い方ね、まあそうよ、そのお庭番。捕らえた間者の全身の関節を外して、四肢に紐を結びそれぞれが一人づつが紐を持ったら準備完了。後は質問すると不随意筋が反応してその反応具合で真偽を確かめたとか。」
「中々えげつないですね。」
「そうかしら、敵に情けを掛けるなんて百害あって一利無しよ。見的必滅素晴らしい言葉ね。」
この人真顔で何言ってんだろ………
「話を戻すけど、このGSRは被験者が何か反応を起こせば如実に変化を示す。その反応から事の真偽を見るわけね。最後に嘘発見器の正式な名称は多現象同時記憶装置。試験に出すから。」
試験するんですか?!
「それにしても、本当に詳しいんですね。」
「だって造った事があるもの。」
………はい?
「先輩、そんな簡単に造れるものなんですか?」
「基本理念を理解して知識があってお金と技術があれば以外と簡単よ、ほら、アタシ専攻が機械工学と心理学でしょ、レポートに必要で造ったのよ。」
随分軽く言ってるけど、もしかして太刀風先輩って物凄い事をしているんじゃないだろうか?こんな露出狂みたいな格好してるけど、人って本当に外見で判断しちゃいけない。
「何だか今の説明を聞く限りだと、嘘発見器っていうのは自分でも意識する事や制御できないような反応を感じとって測定して嘘かどうかを判断する機械って事なんですよね?」
「そうそう、優月も中々理解力あるじゃない。」
また撫でてこようとする先輩の手を避けながらふと思った事を聞いてみる。
「それじゃあどんな人であろうと嘘発見器に掛かれば嘘は見破られるんですか?」
「………確かに大抵の人はそうだろうけど、中にはいるのよ嘘発見器でも嘘が見破れない人が。」
「そんな人がいるんですか!?」
「というかそもそも嘘発見器なんて名前だけど、嘘を発見してる訳じゃないし。」
「………はい?」
「嘘発見器はあくまで人の反応を調べるだけの機械だもの、緊張症の人に使用すれば結果だって全然違うんだから、現にアメリカ辺りだと検査結果の信憑性が低いって裁判だと証拠扱いされない事の方が多いし。主流は多現象同時記憶装置から特定脳波検出機器に変わりつつあるわ、コレは人が嘘をついた時に出る脳波を言葉通り検出する装置なんだけど………まだ聞きたい?」
「いえ、もうおなか一杯です。」
「そうね、アタシもいい加減飽きたわ。まあ今回はコレだけ覚えておきなさい。嘘発見器と称される物で嘘は発見できないと。」
「含蓄に富んだお話でしたハイ。」
「それで、話は戻るけど、嘘発見器でも嘘を見破れない人間はいるのかだったわね。答えからすれば幾らでもいるわ。実例から見れば舌を強く噛んでその痛みに集中する事で誤魔化したとか。息を止めたりして心拍数を上げて誤魔化したとか。そもそも心拍や脈拍、発汗、呼吸は訓練しだいで自在に扱えるモノだし。」
「成程、諜報員とか簡単にスルー出来そうですねぇ」
「実際そうじゃないかしら。だから私が作成したのは発汗とかそういった物を殆ど無視してGSR主体で造ってみたんだけど───」
先輩が苦笑を浮かべてジュースを呷る。
「一人だけいたのよ、どんな質問をしても一切フラット、針に動きが出ないって人が。」
ぐしゃりと太刀風先輩がスチール缶を縦に握り潰す。
何気に物凄い事をしながらとんでもない事を言っていたような気がするのは気のせいだろうか?
「機械上の不備も考えて、数回点検した上に身体検査迄したのにフラット。計器は一切動きを見せなかった。となると考えられる可能性は大きく分けて二つ。」
珍しく真面目な顔だ。コレで服装さえまともなら才女とか才媛なんて言葉が相応しい外見なのに。
「一つは自分の身体を完全にコントロール出切る。脈拍も呼吸も血圧も発汗も、だけど此処までは訓練しだいでどうとでもなる。問題はその先。不随意な物なのだから制御しようが無いのにして見せた。五感に感情。下手をすれば生体電流や脳内物質も自由に操っている事になる。」
何その人外。
「二つ目に魂の底から嘘吐きだと言う事。」
「どう言う意味ですか?」
「自分の嘘を心の底から本当だと思い込めると言う事。」
「つまりあからさまに他人から見ても嘘だけど、本人がその嘘を本当だと自分の身体や心にすら嘘をついて騙しているから反応が無いって事ですか?」
太刀風先輩が頷く。
どちらにしろそんなの両方人間じゃない。
「だから優月も気をつけなきゃ駄目よ、玖韻先輩には。」
「そう、俺には気をつけるんだよゆづもなぎも。」
肩をぽんと叩かれると同時に後ろからそう呼びかけられ私と太刀風先輩の時が止まる。
「く………玖韻先輩………何時からいらしゃったんですか?」
ぎりぎりと音が聞こえてきそうな動きで振り向き太刀風先輩がそう尋ねる。
「うん?基本理念さえ理解してれば辺りぐらいからかな。」
ニコニコと満面の微笑を浮かべている。が、その笑みが怖い。
「もう夕餉の時間だ、今日はレニ姉さんが得意料理ご馳走してくれるって言ってたから、そろそろいかないとレニ姉さんすねる。」
私物らしき絶望だってもう少しは明るいだろうなんて思わせるほどに真っっっっっっ黒な浴衣の裾を翻し先にすたすたと歩き出す。
「………じゃあ先輩、嘘発見器にひっかからかった人って。」
私が恐る恐る指差す真っ黒な背中を見ながら太刀風先輩が一つ頷いていた。
結局なんで玖韻先輩が笑った事で太刀風先輩が正体を見破ったのかその理由を聞くのをすっかり忘れていた事を思い出したのはテーブルに着いてからだった。
嘘発見器についてウィキペディアを参照させて頂きました。