第一幕 忘我邸一日目③
コツコツ
私の歩調に合わせて足の下から硬い音が聞こえてくる。
音を立てているのは私の履いている靴の裏とぴっちりと敷き詰められた御影石、というよりも黒曜石みたいな石のパネルとが打ち鳴らされる音。石のパネルがひとりでに鳴ると言うことはそうそう無い。ということは音を立てているのは歩いている私であってそれはつまり私の歩くと言う行動が音を立てているのだから、私の歩くという意思が音を立てているとまで思うのは果たして行き過ぎだろうか?
「行き過ぎね。」
突然後からのツッコミに私は震えあがる、遠ざかる、降りむくを一度にやろうとしてその場で転ぶ。一応受身は取れたけど恥ずかしいことに間違いはない。
「たっ太刀風先輩何時来たんですか!?」
玖韻先輩に撃墜されてからココの従業員さん達に運ばれてベッドで延びていた筈の太刀風先輩がそこに腕を組んで立っていた。
着替えたらしくあの露出狂予備軍敵なレザージャケットは着てない物の、今着ている服も真っ当な服を一端バラバラにした後意図的に大部分取り去り再統合したような変態一歩手前、服何だか布何だか判断に困る。これじゃあさっきのレザージャケットとどっちがましか悩まさせてくれる格好だ。
「あら、愛しい優月のいる所海の底だろーがこの世の果てだろーがアルデバラン星団だろーがアタシがいないはずないでしょ」
なんかウインクしながらポーズを取って言ってくる。
嫌になる程似合っているけどこんな服装が問題無く似合うっていうのはそれだけで問題な気がする。
「……先輩、それ答えになってませんよ。」
「所で優月は何してるの、確か夕食は七時からだって聞いたけど。」
私の疑問は全くムシ。わかっている。こーゆー人なのだ。だから一々突っかかれば疲れるのは間違い無くこっちなのは痛いほどに経験済みだけどそれでも何か言いたくなるのは私の業だ。
そんなに重くも無いか。
「………ちょっと中を見て周っていたんです。」
「ふ~ん、アタシも一緒に行って良いでしょ?」
慌てて周りを見まわす。幸い周りには従業員の方々が何人もいる。暗がりとかに近づかない限りは押し倒される心配もないだろう。
「ええ、いいですよ。」
ニッコリ笑って答える。
「………なんか気になるわね今の間が」
対照的に太刀風先輩は渋い顔をしているが、気にしない気にしない。
「あれっ?そういえば先輩さっき私の考えていた事にツッコんできませんでしたか……?」
そう、私は声に出して足音の考察をしていなかった筈だ、なのに先輩は確かにツッコミをした。
「そう?気のせいよ、気・の・せ・い。」
絶対に気のせいじゃない気がする。
心のメモ帳二十五頁太刀風先輩の欄に新たに一項目「NEW!サトリかもしれない。」が追加された。
今私が歩いている所は一階のホールに繋がる廊下の一つだ。このホテルは何だか面白い造りをしている。
まずこの建物、忘我邸別館。正式名称「眩暈館」は真上から見ると正六角形を描いており地下1階2階を含めると5階建ての建物である。そして、角の部分が部屋になっていて宿泊できる部屋は1階と2階の壹號室から拾貮號室までの12部屋だけ。3階はさっき上がってみたら空中庭園になっており部屋がある部分はそれぞれ赴きの違う花壇と簡単な休憩所になっていた。天井は透き通った硬質硝子、かアクリル。
それは兎も角として面倒臭い造りをしている。
各階を結ぶ階段は中央ホールに設けられた螺旋階段一つだけ。そしてこの中央ホールをぐるりと囲う様に六角形を描く第一廊下。
その周りを1階2階とも食堂や遊技場といった各施設が囲みさらにその周りを囲う様に第二廊下。そしてその第二廊下を挟み大三廊下がそれぞれ客室に通じている。
こう言えばあんまりややこしい作りには見えないかも知れない。でも実際はややこしいのだ。何故かと言えばまず1階。入り口は中央ホールにある。つまりこの眩暈館に入るには一端地下に潜り螺旋階段を上がって1階に入る事になる。そして円形の中央ホールから第一廊下への通用口は北側と南側の二箇所。そして六角形を描く第一廊下からは北側と南側を除く4箇所が通用口、それぞれの通用口が各施設に直接繋がっていて第二廊下へ出るにはどこか施設を通るしかない。因みに1階の施設はまず多目的ホール、レストラン、ビリヤード場、カウンターバーの四つ。
さて第二廊下がまた面倒臭い。それぞれ施設から出られる或いは入られるつまり第二廊下への入り口は四箇所あるけど、第三廊下への入り口は北側一箇所にしかない。そしてその北側通用口を抜けると目の前に壹と大きく書かれたドアが現れる。六角形の、眩暈館の頂点の一つであり、壹號室のドアの真正面に当たる。そして第三廊下はそれぞれ客室と客室の間を遮る様にドアが立っている。そして何故かこのドアは一方通行なのだ。
どういう仕掛けかはわからないけど壹號室を基点として右回りにしか進めない。だから貮號室の人間が壹號室、或いは第二廊下へ行く為には一端参號室、肆號室、伍號室、陸號室の前を通り壹號室の前まで来ないと駄目なわけだ。
2階も基本的に同じ造りだけど、2階の第三廊下は構造が逆になっていて第三廊下の入り口は南側にあり………少々面倒な話なのだけれど、つまり一階肆號室の上が陸號室にあたり、そこを基点として逆時計回りに一方通行になっている。
地下1階に限っては何だか単純で螺旋階段を降りて南側に出れば眩暈館出口へ、北側に出れば大浴場へ繋がっている。災害時の想定とかバリアフリーとか一切気持ち良い程に無視した人に厳しい設計だ。
で、今私と太刀風先輩は1階の第二廊下を歩いている。
「それにしてもややこしい造りよね、内装も同じだから本当に眩暈起こしそう。」
「そうですね、何だか同じ所を堂堂廻りしているみたいで、昔出掛けた栄螺堂を思い出しました。」
太刀風先輩に「渋いわね」と肩を竦められた。
「ねえ優月、晩御飯までまだもう少し時間があるんだけど、ナインボールでもやらない?」
ビリヤード室の前を通りかかったのを良い事に太刀風先輩がキューで球を付く仕草をしてみせる。
「良いですよ、一勝負やりましょうか。」
早速二人でビリヤード室に入る。スポットライトのオレンジ色の光だけで照らされた室内に重厚な外見のビリヤード台が4台静かに鎮座している。カウンターに向かいメイド服の従業員さんに話しかけてキューと球を借りてくる。
それを手馴れた仕草で太刀風先輩が並べ、ブレイクショットをするかと思いきや、手を止める。
「優月、折角だから賭けない?」
「賭けません。」
艶っぽくもあり色っぽくもある太刀風先輩の笑顔に恐怖を覚え即刻断る。が、それをムシして太刀風先輩が言葉を続ける。
「じゃあ優月が勝ったら優月が前から欲しがっていた裸石のセット買ってあげる。」
うッ
弱い所をついてくる。
「………太刀風先輩が勝った場合は?」
ニヤリと物凄く悪い笑みを浮かべる。
「今日はね、朝から女装した玖韻先輩見たり、レニチャン見たりしちゃったから血が滾ってるのよね。」
妙に真っ赤な舌が唇を舐める。
背中に戦慄とも恐怖ともとれるモノが走る。
「………つまり………それは………」
遠まわしに夜の相手をしろと。
頭の中に天秤が浮ぶ。片方のお皿には裸石セット。出物のロイヤルブルームーンストーン、レインボームーンストーン、カボッションカットを施されたスターサファイアとスタールビー。もう片方のお皿には裸の私。
さあ考えよう。私達のメンバーでビリヤードをしに出掛けた事は何度かある。その際当然太刀風先輩もゲームに加わるが、そんなに上手じゃなかった筈だ。私とサシで勝負して大体4対6ぐらいで私が勝っている。
そんな情報を天秤に加味しながらしばし揺れ動いた結果。
「………分かりました、その賭け受けます。」
私がそう答えた時の太刀風先輩の笑みをなんと表現したらいいだろう。それはまさしくヘカテかヘラか、はたまたバビロンの大淫婦かそれともリリスか、そんな笑みだった。
「………因みに先輩、レニちゃんってもしかして?」
「ええ、レニエル・オルフェウスさんの事よ。でもあの外見で二十五歳って詐欺よねぇ?」
華麗にブレイクショットを決め、いきなり全ての球を落し艶然と笑みを浮かべる太刀風先輩。
私はレニエルさんより太刀風先輩の腕前の方が詐欺だと思います。
教訓、人間モノが掛かると強い。