第一幕 そうだ、旅行に行こう②
二日後、私達は困っていた。
まだ朝の8時過ぎなのに日差しは私達の影でもアスファルトに焼け付けるかの如く照り付けてくる。
だったら駅構内で待っていれば良いという意見もあるのだが、待ち合わせ場所は駅入り口。それに私は駅構内に漂う名物らしきお菓子の甘ったるいココア風の臭いが実に苦手なのだ。
「……遅い。」
背中で鳳凰と竜が噛み合う何とも末期的な柄のシルクシャツを着た霞桜先輩が呟く。
アイボリーのリネンジャケットを肩に掛け、何時もと変わらないオールバックにサングラス、開襟シャツの太い首や手首に光るゴツイゴールドアクセサリーの姿はどこからどう見ても、一切の弁解の余地無くVシネマの中にしか存在しなさそうなヤクザだ。
さらに腰に挟み込まれたどう見ても銃にしか見えない物に関しては違和感が無さすぎてツッコミをいれる気も起こらない。
とりあえずその手に下げたジュラルミンらしきスーツケースと自分の手を手錠で結ぶのだけでも止めてくれないものだろうか?
「まったく、暇つぶしに誰か襲ったろか……」
不穏な言動も何時もの事なので聞き流してキース先輩と鴛淵先輩に顔を向ける。
キース先輩、本名キース・相良・アウレリウス
特徴はその目立つ緩いカールの掛かった砂色の金髪と青い瞳。
どこからどう見てもアングロサクソンな外見なのに日系二世と妙に強調する変な人だ。慣用句や諺が好きなのかよく使うけど、どれも微妙に間違っている。本気なのか洒落なのか区別が難しい所だが、偶々街中で出逢った子供連れの教授に「子はカスが良い(子はかすがい)」とか真面目な顔で言っていたからかなり胡散臭い。
何にせよ喋り方といいそのキャラクターといいどうにも嘘くさい人だ。
それにしても仮に日系二世だとしたら何処の人とのなんだろう。個人的意見としては名前の語感から考えるとギリシャ系の気がするけど………あんまり興味無い。
二人で何を話しているのかは知らないけど随分盛り上がっている様子だ。そのまま私は視線を横にずらすと太刀風先輩が目に入る。
太刀風先輩、本名 太刀風凪那
セミロングの赤い髪と塗れた様に光る二重の目。美人で何処となく冷徹な空気が漂い悪役な雰囲気が漂う。黙って腕でも組んで立ってれば同性にも関わらず、嘆息を漏らす程に格好良い人だけど、内面は結構イタイ。何しろ可愛い娘に見境が無くて妄想癖があって多情だからもう救いようが無い。始めて合った時、最初は何だか良い人で気を許していたら二人きりになった瞬間襟首を掴まれ何をされるのかと身構える間も無くキスされ「ねえ、オネエサンと48時間耐久ペッティングしようか?」と笑顔で語尾にハートマークが付きそうな程に明るい口調で言われた時は霞桜先輩と違う意味で恐かった。
今の所毒牙にはかかっていない。
少々……思いきり身の危険を感じるけど、割合良い人だ………と思う。
因みに太刀風と言えば江戸時代にいた力士の名前らしいけど、何にも関係はないそうな。
どこかの国のスモウレスラー、タチカゼなんたらとも関係無いそうな。
そんな太刀風先輩が呆気に取られたような顔をして何処かを見ている。
「太刀風先輩、どうかしたんですか?」
何時もなら「なぎりんって呼んで」とかイタイ返答が返される筈なのに今回は無言で視線の方向を紅いマニキュアが丁寧に塗られた指で指差す。
太刀風先輩が無言で指差した方向を見て、私も思わず口が開いた。
「あれ、二人ともそんな顔してどうしたんです?」
鴛淵先輩が話しかけてくるので私も太刀風先輩に見習い無言で指差すと、そちらに顔を向けた鴛淵先輩とキース先輩の顔もぽかんと口を開ける。
「何や、どないしたん皆で罵迦面下げて?虫入るで?」
私達に話しかけながら霞桜先輩も顔をそちらに向け、そのまま呆気にとられた表情を浮かべる。霞桜先輩だけじゃない。通りを歩く人達も、駅から出てきた人達も足を止めそちらの方向に顔を向けひそひそと言葉を交わしたり呆気に取られたような顔を浮かべている。
その方向には一人の女性がいた。
ただ、何と言うか、取りあえず朝の駅前にいるのはどこまでも場違いな人には違いない。
顔だけを見れば、文句の無い美人。項の所で結わえられた艶やかで真っ黒な髪、向こうが透けて見えそうな程に白い肌、切れ長な目の上を縁取る様に蒼のアイシャドウ、唇は深紅。最近流行の化粧じゃないけど美人としか言い様がない。耳には小さく蒼いサファイアらしきピアスが光っている。
そんな美人が一人物憂げな表情で未亡人御用達なんて言葉がピッタリくる黒いレースの日傘をさしてそこにいた。
しかし、いくら美人でもそうそう人が足を止めしげしげと見たりはしないだろう。が、それもその井出達による。
人一人簡単に入りそうな巨大なトランクに足を組んで腰掛けた、それだけでも目立つのにその上女性はチーパオ姿だった。
足の方から胸元に向かって渦を描く白蛇が刺繍された金縁取りの漆黒なチャイナドレス。限りなく深く入ったスリットからは真っ白な細い足が惜しげも無くさらされている。
同じ様に白く細い腕にはブレスレット、爪には青いマニキュアが塗られ細身の指輪を嵌めている。
そんな美人がトランクに足を組んで腰掛け物憂げな表情を浮かべ日傘をさしながら長煙管で煙草を燻らせているのだから目立たないワケがない。
……ここは日本よね?
左右を見るまでも無く南の日差しが暑い福岡のそれなりに中心都市。
決して高級娼館とか阿片窟じゃない。
似たような店は沢山あるけど。
「………先輩?」
「………何かしら?」
「………よだれ拭いて下さい。」
太刀風先輩が慌ててハンカチで口元を拭う。美少女だけでなく美女も守備範囲のようだ。
私達がそんな会話をしていると横から「OH……ビューティフル……」とキース先輩の声が聞こえてきた。
と、その美人が此方を向きニコリと(花が綻ぶ)という慣用句(以前キース先輩は「花が朧昆布」と言った)がぴたっと来るような笑みを浮かべる。
「ハウンッ!」
そんな声を上げながら頬を赤く染め胸を押さえ、さらに膝をつく太刀風先輩。
そんな先輩はさて置き、その美人は猫のような仕草で華麗にトランクから飛び降り、その大きさにも関わらず軽がるとそのトランクを引っ張りながら此方に歩いてくると私の前に立った。
細い体形の割に身長は思ったより高くて私が見上げる格好になってしまう。
「你好」
女性は何故か私に向かってニコニコと笑いながら綺麗な発音の北京語でそう話しかけてくる。
「に、にーはお。」
慌てて答えてから助けを求めようと太刀風先輩に顔を向けるが………いない。周りを見ればキース先輩も霞桜先輩も鴛淵先輩もどこにも見当たらない。
後から視線を感じて振り向けば皆で地下鉄入り口に隠れ……
というか思いっきりはみ出ているので隠れられていないのだけど……
とにかく地下鉄入り口のにしゃがみこみ通行の方々の邪魔をしながら、口々に小声で何か言ってくる。勿論内容は聞こえないけど、何となくこの3ヶ月での事からで想像はつく。
多分「頑張れッ」とか「負けるなッ」とか、挙句の果てには「押し倒せッ」とか言ってるんだろう。
助けて貰えられそうに無い事に少しヘコみながら中国系美人に顔を向けるとニコニコと笑みを浮かべたまま早口に何か日本語じゃない言語でまくし立てられるが、分かる筈がない。
こんな事なら必修の第二外国語で中国語を取っとけば良かった………なんて一瞬の混乱の為に一年の苦行を得てしまうような馬鹿な事を思ったりしたけど、今はそれどころじゃない。
少し冷静になろう。
私の知っている中国語は?
「我愛你」
和訳すると(愛しています)この場面で言ったら只の罵迦だ。この美人のお姉さんが太刀風先輩と同じ属性というか嗜好の人だったら洒落にならない………かもしれない。
「我的愛人」
和訳すると(愛しい人)
同じだッ!
思わず自分に突っ込んだ。
「えーとですね、その………アイ、キャント、スピーク、チャイニーズ……」
幾ら考えても単語しか浮ばず、必死の思いでそれだけ怪しい英語を言った私の思いは天に通じた。
「あー、そうでしたか。私、少し日本語出来ます。」
………助かった。
というか日本語できるなら始めから話してよ……
腰が砕けそうになる私にお姉さんの笑顔が眩しい。
「何だ、日本語話せるじゃないの」
その声に振り向くと何時の間に来たのか太刀風先輩が腕を組んで偉そうに立っている。
「いや、面白い見世物やった。」
霞桜先輩が相変わらずのミュートが掛かったトランペットのような妙な声で言い、キース先輩鴛淵先輩がうんうんと頷く。
先輩、もっと早く出てきて下さい。
非難がチョモランマより高く積もった私の視線も気にせず、太刀風先輩がお姉さんに問い掛けている。
「それで、何かご用?」
その言葉にお姉さんが少し眉を顰めて尋ねてくる。
「えと、私時計無い、何時?」
………多分コレは「私は時計を持っていません、今何時ですか?」と聞きたいのだろう。
しかし……私は思わず上を、お姉さんの頭上を見上げた。
そこにはビルの電光掲示板に設置された巨大なデジタル時計。だが、ここでアレを指し示す事は簡単だけど、折角聞いてきたのだから教えて上げよう。
「今は8時20分ですよ。」
私の言葉にお姉さんの顔が曇る。
「コラッ虚祁、お前何を言うた?!」
「なっ何も言ってませんよッ!っていうか可愛い後輩が困っている時はさっさと隠れたのにこのお姉さんに対してはそういう態度を取るってあんまりじゃないですかッ!?」
「可愛くないッ!」
断言された………
「否、言いなおしたる。お前は一般レベルから見たら十分可愛い、美人の部類に入る事は間違い無いやろう。しかしや、それも時と状況と場合によるんや、オマエがこのお姉さんより美人やったらちゃんとオマエの肩持ったるわ、即ちオマエの美に対する修行がたりんッ!!」
ビシィッと私に指を付きつけながら霞桜先輩は堂々と言い放ち、キース、鴛淵両先輩はまたもウンウンと頷いている。男って酷い。
「ちょっと、それは言い過ぎよ。」
「太刀風先輩………」
すいません太刀風先輩、多淫症だとかイッちゃってるだとか、妄想癖だとか前世女だとか思って………もう絶対………いや多分………それなり………ま、アレです。思考は自由ですしね。
「確かに優月は美に対する修行が足りないけど、でもそれを補って余りある………」
と太刀風先輩が私をゆっくりと上から下まで舐める様に見た後お姉さんの方をまた上から下まで舐める様に見てからもう一度私を上から下まで舐める様に見て一言。
「………まあ、あれかしら。今回はカスミンの言い分の勝ちね。」
………泣いてやろーかな。
そんな私達を美人のお姉さんがニコニコと見ている。
「皆さん、とても仲が良さそう。」
………いえ、否定はしませんよ。本格的に人間関係にヒビが入ってればこんな軽口叩けませんから。
お姉さんに話しかけられた事を切っ掛けに美に対する問答は取りあえずお開きになったようだった。
「どうしたの、誰かと待ち合わせ?」
太刀風先輩が取り繕う様にお姉さんに問い掛けると途端にお姉さんが嬉しそうな顔を浮かべ「ハイ」と言う。
それにしても、遠目に見たときは何だか美人でも陰の気が漂うような人だと思ったのにこうやって近くで見ると儚げではあるものの陰なんて欠片もない人だ。
「もしかして恋人とか?」
その言葉にお姉さんは頬を赤らめ俯きコクリと一つ頷いた。
………どうでも良いけどこんな仕草が嫌味無く似合う人からは美人税とか徴収するべきだと思う。でも徴収されなかったらそれもそれで悲しい。
「私、名前、リーホア言います。実は恋人に結婚ノ準備出来タ、来てほしい、言ワレテ………」
とまた頬を赤らめ俯く。
それにしてもこんな美人のお姉さんを待たすなんて誰だか知らないけどその男良い度胸だ。
そんな考えは先輩方も同じだったらしく霞桜先輩は明らかに憤慨している。鼻息が荒いから間違いない。そして怒りのあまり口から炎でも吐き出しそうな太刀風先輩をキース先輩と鴛淵先輩がどうどうと馬でも宥める様に宥め「アタシは馬かッ!」と蹴られている。ピンヒールブーツだから絶対痛い。
傍から見たらさぞ異様な集団だろう。
あんまり客観的に自分達の姿を考えると逃げたくなりそうなので、出来るだけ考えない様にしておいてリーホアさんに話しかける。
「あの、リーホアさんの恋人ってどんな人なんですか?」
「聞イテくれますか!」
嬉しそうにリーホアさんが目を輝かせた。
何て言うか可愛い人だ。私が男だったら放っておかないだろうと思う。
「格好良イ人デス。何時モ黒い服を着ていて、本沢山読んでいます。」
………本沢山読んでいて、黒服ねえ。
先輩方と顔を見合わせると皆微妙な表情、一人物凄く見知った人物でそういうのが一人いる。というか玖韻先輩だ。そう言えば玖韻先輩も遅い。もう8時半を越えている。
「ソレニ料理作るの好キデス、胡弓も演奏してくれマシタ。」
先輩方と私の顔が益々微妙な物になって行く。
料理も、胡弓に限らず弦楽器演奏も数ある玖韻先輩の特技の中でも十八番だ。
「アノ人に見詰められただけで私モウ体ガ熱クテ、思イ出シタダケデモ……アン」
「ちょ、ちょっと!」
私は何の因果で朝から身悶えする美人の中国系お姉さんを止めているんだろう?
そんな事を考えながら慌ててお姉さんを止める。
「ヤダ……ハシタ無イ」
お姉さんの顔が益々赤く染まり俯く。
太刀風先輩はもうメロメロだ。お姉さんに「死んで」とか言われたら自分で息を止めて窒息死するぐらいの事をやってのけると思う。逆に「殺して」なんて要求されよう物ならマーダーどころかエリミネイターになる事ほぼ確定。
「あの、その人何て名前何ですか?」
その質問に先輩方の視線が集まる。
「ハイ、あの人ハ……」
「あの人は?」
「…………ククククク………ハハハハハハハハハハハハッ」
と突然天下の往来にも関わらずお姉さんは笑い出した。
私達は呆気に取られる。
何がおかしいのかお姉さんはトランクをばしばし叩きながらまだ笑うのを止めない。とその時「あーッ!!」と太刀風先輩が大声を上げ何事かと顔を向けると口元を押さえ、目を見開きながら震える手をリーホアさんに向け一言。
「……まさか、玖韻先輩?!」
?
何故か太刀風先輩はリーホアさんを指差して玖韻先輩と言っている。
つまり、玖韻先輩=リーホアさんと太刀風先輩は認識した。
うん、この人駄目だ。前々から少々イッちゃった先輩だとは思っていたけど、とうとう一線を越えてしまったらしい。
「……太刀風先輩、私雀医者とか紐医者しかいないけど取りあえず看板は精神科の病院知ってますから…」
そんな台詞を口に出した時。
無理矢理笑いを押さえながらリーホアさんが言った言葉に私達は再び目が点になった。
「フフ、君らもう少し洞察力を磨くべきだね。」
私も含む五人が涙まで浮かべて笑うリーホアさんを凝視する。
「ちょいと、まだ分からないの?」
分からないも何も悪い冗談としか思えない。現に声も完全に女性の声だ。
「そっか、声戻さんとなぁ」
と言いながらリーホアさんが首に手をやり二回程コキコキと鳴らす。
「ほら、コレで信用しただろ?いや、中々面白かった。ゆづの狼狽具合とかゆづの狼狽具合とかゆづの狼狽具合とかな。」
「全部私じゃないですかッ!て、そんな事より本当に玖韻先輩なんですか?!」
「だからそう言ってるだろ、まったく先輩を信用しないなんて悪い後輩だねぇ。玲音哀しい!」
と完全に何時もの声に戻ったかと思いきや、またさっきとは違う女の子の声になって玖韻先輩が私の頭をぐりぐりとやってきていた。
「………えーと……な……玖韻、言いたい事は色々ある。」
目が点の状態から漸く戻った霞桜先輩が口を開く。
そうだ、言いたい事は山ほどある。これには皆同じ意見だったのか太刀風先輩と私も続いてうんうんと頷く。
ずいっと音が聞こえそうな威圧感と供に霞桜先輩が一歩前に出る。
そして一言。
「何も言わず俺と結婚しいひん?」
私達は駅前で盛大にこけ、霞桜先輩の頬には玖韻先輩の幻の右が入っていた。