第二幕 招かれざる客① side虚祇
「嫌とは言わせない、僕達をもう一度ココに泊めさせてもらう。」
その男はレニエルさんに傲岸不遜な口調で言い切った。
細面に短く切った髪と眼鏡が妙に似合っているが人を見下したような印象を受ける顔だ。鴛淵先輩に少し似ていなくもないけど、目つきがかなり陰険な感じ。
「私は去年忠告しましたわ、この建物は呪われているから無理に泊まって何が起きても一切文句は受け付けませんと。」
幼い外見のレニエルさんが冷静に返した事で男と一緒にいた迷彩姿の一人はたじろいだような顔をする物のもう一人は面白そうに顔を歪め、細面の男は尚も食い下がる。
もう結構遅い時間なのによくあの森を越えてきたと思う。良く見ればズボンの裾や靴は泥で汚れ服もよれよれ、半袖の腕には細かなキズが幾つも見えて顔も疲れている。けど良く見て見ると一人だけ、細身のカーゴパンンツに深紅の逆十字が刻まれた、半袖レザーシャツを着た男だけは疲れた様子が微塵も無い。短い髪をワックスで立たせていて整った顔だけど何か凄みが在る。鋭角的な形をした色の濃いサングラスがその凄みを強調させている。
細面に眼鏡の男は白を主とした地味な服装だ。どことなく気障でインテリっぽい雰囲気はする。その後に長髪をひっつめて結わえた迷彩服の霞桜先輩ほどではないががっしり体形の男。靴も良く見ればジャングルブーツを履いている。言い表すなら一般人が想像する傭兵。
ただ一人、レニエルさんの応対に対して一人だけ鷹揚な顔を浮かべているサングラス男だけが何か違う。
背が高く半袖のシャツから覗く腕は決して太くない物のガッチリと締まっている。私の直感が、長年の猫かぶりで築いた人物評価センサーが要注意の警報を大音量で鳴らしている。
「文句を言う気なんて無いさ、ただもう一度ココに僕達を泊めろと言っているんだ。」
レニエルさんが一つ嘆息をし再び口を開く。
いい加減堂々廻りになってきた会話に終止符を打ったのは玖韻先輩だった。
「レニ姉さん、泊まりたい言うんだから泊まらせてあげなよ。」
「でも………玲音ちゃん………」
「良いだろ、何が起きても文句は言わないって言うんだから、なあ兄さん等、何が起ころうと一切こっちは責任とらないけど構わないんだろ?」
突然玖韻先輩が話し掛けた事に少し驚いたような顔を細面と迷彩が浮かべるけど直ぐに細面の男が大きく頷く。
「………分かりました。」
それを見てレニエルさんも折れる。
「では宿帳のサインをお願いします。」
何時の間にか控えていた楓さんが宿帳を差し出し。三人がそれぞれ名前を書く。生憎ここから名前は見えない。
「では鍵をお渡ししますが、如何いたします?何かお飲みになられますか?」
折角の楓さんの言葉も無視して細面と迷彩は毟り取る様に、レザーシャツの男は丁寧な仕草で鍵を受け取る。足早にバーから出て行くかと思いきや急に足を止め玖韻先輩に細面が顔を向けた。
「───お前僕達と逢った事が無いか?」
「フン、君等みたいな無礼者なんて知らんよ。」
ぐい飲みを傾けながら其方を見ようともせず鼻で嗤う玖韻先輩に細面の男の顔に怒気が過るが後ろにいた迷彩におさえられ、玖韻先輩を睨みつけて足早に今度こそバーから出て行った。
「………何アレ?」
呆れたような声を出したのは太刀風先輩だった。
「無礼にもホドがありマース。」
「全くです、あーゆー手合いは少し痛い目に合わせた方が良いですね。」
キース、鴛淵先輩も憤慨している。
「…………」
霞桜先輩は酔いつぶれてテーブルにうつ伏せに突っ伏している。鼾どころか寝息も聞こえず時々びくびく動くのがなんか怖い。
「それで、結局今の三人って何だったんですか?」
そうなのだ。さっき紅葉さんが連れてきた三人組みは結局のところ誰なのか、それが聞きたい。
「実はね、あの人達去年ココに泊まったお客さんなの。」
少し困ったような顔をしてレニエルさんが話を始める。
レニエルさんの話を簡単に纏めればこう言う事だ。去年の夏、とある伝手でココを尋ねてきて興味半分に泊まった結果6人で来た内の一人が変死、一人が行方不明のまま幕を閉じたそうだ。現役の大学生が二人おかしな事になっているのだからもっと騒がれても良い筈だが、喧騒を嫌うココの常連客で少々各方面に影響力の強いお客さんがもみ消してしまったらしい。
「きっとあの子達意趣返しのつもりできたんじゃないかしら。」
レニエルさんが何事もないかのように言う。玖韻先輩が言っていた通り変死自殺合わせて数百件ともなればもう慣れてしまっているんだろう。全く慌てている様子もない。先輩方も皆心臓に毛が生えているどころか心臓が炭素鋼やチタン、動脈はナノカーボンチューブで出来ているような人達だ。私以外誰も気にしないらしい。
私はちょっと引いている。
「なんか白けちゃったわね。」
太刀風先輩のその言葉で今日の所はお開きとなった。今夜はもう呑み始めてしまったし、皆疲れているだろうし霞桜先輩も酔いつぶれてしまった事を考慮してこのゲームは明日の午前中からと言う事になった。
椛さんは明日の朝食係と言う事で残念がりながら部屋に戻り、紅葉さんはもう暫く飲む様子の玖韻先輩と太刀風先輩と鴛淵先輩の酒豪トリオに付き合うと言い出し、私とキース先輩それにレニエルさんと楓さんは二階の喫茶室に移動して温かいアプリコットティーでもという話になった。
誰も霞桜先輩を気にかけようとする様子は無く、ただ椛さんが何処からか持ってきた新聞紙を掛けていたけど結構涙を誘う姿だ。というか何で新聞紙………
そりゃ夏だから風邪はひかないかもしれないけど………ウチのサークルって友情があるようでいて無いのかも。
私もせめてうつ伏せの状態だけでも何とかしてあげようかなと思ったけど、朝散々言われた事を思い出して止めた。
喫茶室に移りマフィンを摘み、楓さんの煎れてくれたアプリコットティーを一口。幸せな気分だ。
「ミスレニエル、良かったら去年あった事をもう少し詳しく教えて下サーイ。」
「あっ私も聞きたいです。」
レニエルさんと楓さんが顔を見合わせ苦笑めいた笑みを浮かべた物の「ではお茶菓子の代わりにお話しましょうか」とテーブルの紙ナプキンを一枚広げると何人かの名前を書く。
書かれた名前は全部で六人、右の方から比良坂湊、片桐梧、火光真冬、御厨美柚、間宮信士、高原詩遠。名前からだと男性か女性か判断しにくい名前が数人いる。
「去年ある人の紹介で泊まりに来たのがこの六名の方々です。先ほど私と話していたのが片桐梧様。その後にいたのが間宮信士様。もう一人の方は始めて見るお方でした。」
「宿帳には久我裁響とかかれておられます。」
楓さんが宿帳を捲りながらそう言った。レニエルさんはペンで片桐、間宮両名の名前を丸く囲んでいる………いまさらっと個人情報漏洩しなかったかな?
「この紙に書いてある順番で、比良坂様が一階壹號室、片桐様が一階貮號室といったようにお泊り頂き高原様だけは二階参號室に泊まって頂きました。」
「ナンデ一階の陸號室と二階の壹號室、貮號室には泊まらなかったんデースカ?」
「その日は個人的なお客様がいらしていて二階の壹號室と貮號室に泊まっていただいていたのです。一階陸號室はちょっと諸事情がありました。」
何時の間にか飲んでしまったらしく空になっていた私のティーカップにアプリコットティーのお代わりを楓さんが入れてくれた。
「皆様が宿泊された次の日の事です。二階参號室に泊まられた高原様が失踪いたしました。部屋の鍵も窓の鍵も、出入りできる可能性のある所の鍵は一切掛かったまま密室状態からの失踪でした。お泊りになった皆様と私達従業員総出で地下から屋上、周囲の森まで捜索しましたが結局見つからず今現在も行方知れずのままです。」
レニエルさんがペンで「高原詩遠」の上にバツを書く。
「本館の方は調べなかったんですか?」
「去年本館は改修工事の為一切立入が出来ないように処置してありましたから、間違っても本館に入ったという可能性はありません。それに改修工事が終わってから本館も調べられる限り調べましたけれど、結局見つかりませんでした。」
「アノ、警察は?」
レニエルさんがふるふると首を振る。
「ここ、忘我邸及び眩暈館は世俗に疲れた方々が多数御出で下さいます。その為ココでは一切の通信器機が使用出来ないようになっています。もし携帯電話を持っておられましたら画面を見て下さい。」
言われてポケットから携帯を引っ張り出して適当に電話を掛けてみようと思ったけど液晶には圏外の文字が浮んでいる。
「ソレデハ、もし急病とか出た場合は?」
「ご心配無く、楓は医師免許を持っています。専門は内科、外科、皮膚科、レントゲン科、放射線科、肛門科、耳鼻科、泌尿器科、眼科、耳鼻咽頭科、整骨、整形外科、産婦人科、小児科、消化器科、一人で殆ど、肉体的な損傷に関してはどうにか出来ますから。」
楓さんが恥かしそうに頬を染めて俯く。
それ以前に今レニエルさんは物凄い事をさらりと言ったんじゃないだろうか?
「もしどうしても外部に連絡が必要な場合は特殊な訓練を施した伝書鳩がいるので心配なさらないで下さい。」
ニコリとレニエルさんが微笑む。
それにしても可愛い。
「さて、話を続けます。高原さんが行方不明になったその日。残った5名の方は意地でも探すと言いはりもう一晩宿泊する事になりました。結局その日皆様は夜遅くまで探していらっしゃいましたが見つからずそれぞれ自分の部屋に戻られ過ごされました。」
レニエルさんがアプリコットティーで口を湿らす。
「次の日の朝です。今度は火光様が死体で発見されました。朝になっても音沙汰が無いので昨日の事もあり私も一緒にお泊りになった皆様で火光様の様子を見に行った所高原様と同じ用にドアも窓もしっかりと施錠された密室状態の部屋の中で事切れておりました。」
「死因は何だったんですか?」
今まで黙っていた楓さんが口を開く。
「自分で言うのもおこがましい話ですが、私が見たところ絞殺か扼殺だと思われました。死因は窒息死だと思われるのですが、はっきりとした事は言えないのが残念です。」
「ナゼ恐らくナノデースカ?」
「実は死体に首が無かったんです。」
レニエルさんが苦笑を浮べる。
「ベッドの上で火光さんは胸の上で手を組んでいました。首から下は綺麗なものでしたけど、首はボロボロでした。刃物で切ったと言うよりも無理矢理引き千切ったような感じで骨も組織もボロボロ、首の皮膚は引っ張られたのかべろんと伸びていました。」
お願いだから笑顔でこう言う事を言わないで欲しい。
「ソレデ……頭は?」
「多分相良様も虚祁様も本館の前で大鳥居をご覧になられたと思いますが、その上に乗ってたようです。実は首は最初見つかりませんでした。片桐様達が帰られて暫くした風の強い日に上から落ちてきて始めて首は大鳥居の上にあった事が分かったのです。酷い有様でしたよ。夏の最中でしたからどろどろに腐った上に鳥に啄ばまれて、しかも落ちた所が石畳の上でしたので衝撃で頭蓋骨は割れて腐肉が飛び散って。掃除が面倒でした。」
「オオ、ソレはご苦労サマデス。」
掃除がどうこうと言うレベルの話じゃない。どうも私の感覚とレニエルさん達や先輩方の感覚には大きな溝が在るみたいだ。
「シカシ、どうして落ちてきた頭がミス火光のモノだと分かったのでデスカ?」
「簡単な話です、実際に合わせてみましたから。」
「………何をですか?」
「火光様の遺体は地下にある冷凍施設で冷凍保存していましたので、無事だった首の骨を合わせて見た所合致しました。」
「ちょ、ちょっと待って下さい。」
今レニエルさんは妙な事を言った。
何故火光さんとやらの遺体を冷凍保存していたと言うのだろう?
「勿論ちゃんとした理由があります。」
私の顔を見て疑問を悟ったのかレニエルさんがその理由を話してくれる。
「まず、火光様が天涯孤独の身の上だと言う事でした。だからと言って勝手に荼毘にふすわけにも行かないので暫く冷凍保存しようという話になったのです。この事に関してはその日泊まっていた皆様からも了解をとってあります。それにコレは個人的な事なのですが、どうせ荼毘にふすなら五体満足な形でして上げたいと思ったのです。何しろココはそういった事故が多いものですから私の先代総責任者が地下にモルグを設えたのです。」
レニエルさんと考えが通じそうな所を見つけて私は内心ほっとしたのも束の間「燃料費もタダじゃないですから。」という楓さんの言葉に頷くレニエルさんにがっくりと項垂れそうになった。
キース先輩が3杯目のアプリコットティーを貰いレニエルさんの話を急かす。
「ソレでその後ドウナリマシタ?」
「コレで終わりです。」
「終り………デスカ?」
「私達が火光様の遺体を地下のモルグに運び、上がってくると書置きと宿泊料金を残して誰もいませんでした。きっと限界だったのでしょうね。」
レニエルさんが話し疲れたのか背もたれに身体を預ける。
「デハ犯人とか───」
「ええ、一切分かっていません。犯人も、動機も、殺害方法も、密室の作り方も、首の切断方法も、その首をどうやって大鳥居の上に置いたのかも、高原様がどこに失踪したのかも、全て闇の中です。」
そういって再びニコリと笑う。
ここでニコリと笑えるレニエルさんの神経に私はぞっとする。
「でも安心して下さい、ここではこんな事珍しい事じゃありませんから、寧ろ大人しい方です。記録に残る中で一番酷い物は一晩で四十人が血肉の塊に変えられましたから、そちらの方も全て不明ですけど。」
今更だけど帰りたくなってきた、でも夜にあの森を越える度胸は無いし。どうしよう、身の危険を感じるけど太刀風先輩の部屋に泊まりに行こうかな………行ったら行ったで別の意味で怖い目に逢いそうな気がする。いや気がするじゃなくて怖い目に間違いなく遭わされる。
ああ、私はどうしたら良いんだろう!
「デモそんな事があったのに良くまたミスター片桐達はキマシタネ。」
私の苦悩なんて知る由もないキース先輩が4杯目のアプリコットティーを貰いながら………って良く飲むなぁ………
「ええ、私も少し驚いています、それにあの久我裁と宿帳に名前を書かれた方、只者じゃありませんね。」
レニエルさんの目がキラリと光る。
「ミーも同意権デース、あの目付きといい足運びといい素人の動きじゃアリマセン。」
キース先輩の目もキラリと光る。
言動は怪しいが巻き藁五本を一太刀で両断する居合切りの達人としてのキース先輩の目は本物だ。
見た事はないが聞いた話だと木刀で真剣を切ったり、真剣で自動車を両断した事もあるらしい。何故そんな場面になったのかは聞けない。
私も最初嘘だと思っていたけど一度割り箸でスチール缶を両断するという妙技を見せられてからは強ち嘘とは思えない。因みにキース先輩には何処で誰に付けられたのか知らないけど「剣聖」なんて二つ名があるらしい。武器を持ったら先輩方の中でも1位2位の強さは間違いない。
因みに素手で一番強いのは霞桜先輩だ。打撃も恐ろしいけどそれ以上に捕まれたら次の瞬間投げらるか折られるか極められるか外されるか、五体満足ではいられない。これまた何時何処で誰に如何してどんな状況で付けられたのかは一切不明の二つ名「武神」は伊達じゃない。しかも必殺技とか生身の現実でいわれるとジョークのようにしか聞こえない技もあるという。
………初めて聞いた時は余りにも痛いジョークだと思った私に罪は無いと思う。
しかし、何で玖韻先輩も鴛淵先輩もキース先輩も霞桜先輩も太刀風先輩も頭脳と戦闘に関しては向かう所敵無しといった感じなのに他の部分はアレなんだろう?バランスをとっていると言えばそれまでだが、もう少し人格とか性格の方にパラメータが寄ればさぞかし立派な人達だろうなと多くの人が思っている事は周知の事実だ。それにしても私ももっと頑張って先輩方みたいに二つ名で呼ばれぐらいの実力を身につけるべきなのだろうか?
というかおかしいよね、何で皆戦闘前提何だろう?
「虚祁様?」
「はっはい!」
楓さんに呼びかけられ私は夢想の世界から戻ってくる。
「もう一杯如何ですか?」
「いえ、もう十分頂きました。」
白磁のティーポットを差し出してくる楓さんを丁重に断る。どうもレニエルさんの話を聞いている内に結構沢山飲んでいたみたいだ。お腹がタポタポ言ってる。
………うら若き乙女にあるまじき行動だったかも。きちんと猫を被りなおしておこう。
「オヤ、もうこんな時間デスカ?」
キース先輩の声に私も時計に目を向ける。時刻は一時を過ぎようとしている。
「ミスレニエル、ミス楓こんな時間までスイマセンでした。」
キース先輩が頭を下げる。鴛淵先輩に続いてマトモで紳士的なキース先輩だけの事はある。全く嫌味の無い仕草だ。
「いえ、構いませんよ私達も楽しい時間を過ごせましたから。」
レニエルさんがこれまたそつのない返答をして深夜のお茶会はお開きとなった。