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忘我邸にて  作者: 十二匣
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第一幕 遭遇①

 

 眼下に石灯籠いしどうろうが見える。

 屋敷の回りを囲む様に敷かれた石畳の回りを沿う様に石灯籠が並んでいる。

 名前は全くわからないが様々な形の物があり、また中に灯りが入っていて仄かに光る様は中々風雅ふうがで見ていて面白い。


 俺が何処にいるのかと言えば忘我邸二階らしき所の渡り廊下から中庭を見渡している。

 あの後忘我邸に入った俺と夜哀は耀耶麻楓テルヤマカエデと名乗る和装のお手伝いさんに案内され既に夕食の用意の整った部屋に通された。

 カエデさんは本来なら澪璃レイリさんが対応する筈だったがちょっと席が外せないと言う事で代わりに案内する事を恐縮していたが、俺としては在り難いの一言に尽きた。

 取りあえず今日はゆっくりとくつろいでほしいと通された部屋は外見からは想像できない程に立派な和室だった。畳表も新しく青々とし、あの禍々し過ぎる外観からは想像もつかないほどに清浄な空気が満ちている。

 夕食を終え夜哀は「お風呂入ってくる。」と言って地下大浴場に向かい、俺は一人部屋にいてもやる事がないので缶ビール抱えここでこうして夕涼みをしている。

 何となく灯篭の数を数えていると涼しい風が吹いてくる。適度に湿った涼しい風が頬を撫で、廊下一杯に吊り下げられた簾がかさかさと音をたて、どこからか風鈴らしき澄んだ鈴の音が聞こえてくる。

 悪くない。

 これがただの旅行なら言う事ないのになぁ………

 そんな事を考えている矢先だった。


「あら、湊様お久しぶりですね。」


 その声に背筋が凍る。

 首筋を冷たい何かがするっと撫でる。その感触に震えながら振り向く俺の眼前一杯に澪璃さんの顔はあった。

 間近なんてもんじゃない、鼻の先が少し触れた。


「れっ……澪璃さん……」


 後ずさる俺の姿を見て澪璃さんがくすくすと笑う。

 肩を越す程度に伸ばされた真っ黒な髪、真っ黒な瞳、白い肌。夜哀が病的かつ異質な美人だとしたら此方は問答無用に人の美人だ。ただし決して陽性の美人じゃない。陰性の、とことん陰性の美人だ。あえて花で表すなら………銀龍草ぎんりゅうそう

 少し着崩れた黒地に朱の篭目模様が入った紬の胸元に覗く黒子がセクシーだが、この人にはそういった感情が全く湧いてこない。


「綺麗でしょう?この庭には今まで私達玖韻と遊んで下さった方々の屍が沢山眠っていますの、その陰火いんかがあんなに綺麗に……」


 くすくすと笑う澪璃さん。

 もしこの言葉が本当なら一体この一見風雅な庭には何百人の屍が眠っているのだろう?というかアレ全部人魂ヒトダマか。


「お元気そうで何よりです。」


「……澪璃さんも、お元気そうですね。」


 再びくすくすと笑いながら右目の位置に在る眼帯に触れる。


「今日の午後はごめんなさい、ちょっと所用でお迎えして上げられなくて。」


 こうやって話す分にはそつの無い同年代の女性だが、その本性は………………エグイ。


「いえ、とんでもないです………所で目の方は大丈夫───」


 そこまで言って自分の迂闊うかつさを呪う。

 どんなに慌てていたって俺は絶対にその話題に触れてはいけないのに、いきなり触れてしまった。


「フフフ、湊様に合ったせいかしら、今とてもうずいているの。」


 澪璃さんが眼帯を外す。

 右目がある位置にはポッカリと穴が空き暗いピンク色の肉壁を晒している。片目の無いその笑顔がまた綺麗で、怖くて俺はもう一歩後ろに下がる。


「……一つ聞いても良いですか?」


 恐る恐る尋ねてみる。腫れ物、それも熱を持ち、膿が飛び散りそうな腫れ物に触れる心境で。


「喜んで。」


 凶悪に笑う髑髏が描かれた眼帯を付け直しながら澪璃さんが頷く。


「その、何で俺と夜哀を招待してくれたんです?」


「あら、どうしてそんな事をお聞きになるのかしら?」


 澪璃さんは虫も殺さぬといった笑顔を浮かべているが、その笑顔が怖い。現にこの人はその笑顔のまま俺の知り合いを再起不能にしている。


「……だって……澪璃さんこの前別れ際に……」


 そこで口をつぐむ。何だかさっきから俺は言っちゃあいけない事ばかり言っている気がする。

 ちなみに分かれ際に言われた台詞は「今度は本気で遊んでさしあげます。」ここの遊ぶの部分に普通は「殺す」とか「いたぶる」とか「いてこます」とか物騒な単語が入る。


「その事ですか、湊様覚えていて下さったんですね。」


 内心脂汗だらけの俺を知ってか知らずか嬉しそうに言ってくるが、俺はちっとも嬉しくない。出来ることなら今すぐこの場から逃げ出したい。


「勿論、あの言葉は本気です。」


 そう言った次の瞬間玄人裸足の足さばきで俺に詰め寄ると何処に隠していたのか小さいけれど鋭く研ぎ澄まされたナイフが俺の首筋に当てられる。


「そう、こうして話している今でも気を抜いたら湊様の肌を切り裂いて私が与えられる限りの苦痛を与えて上げたいと思ってしまうもの。」


 ナイフがツツと下がる。シャツの釦が飛び皮膚を切り裂き胸に赤い線が一本。


「でも、湊様はあの夢幻の末姫に気に入られた存在、そして私の右目を抉ったお方。」


 そう、澪璃さんの右目は俺が抉った。言い訳する気はないがあの場面からすればどんな腕の悪い弁護士だって正当防衛で無罪を勝ち取れる。

 澪璃さんの顔が間近に迫る。俺はその右目に突っ込んだ指の感触をまざまざと思い出していた。想像以上に固く、ぶちゅっと音がして生暖かいゲル上の物質に人差し指と中指が包まれたあの感触を。


「私達(玖韻)と同等に遊べる相手は少ないの、だから私は湊様の事も夜哀さんの事も嫌いだけど大好きよ。」


 ナイフが動き今度は横に一本線が引かれる。抵抗は出来ない。抵抗すれば次の瞬間このナイフが俺の喉を抉る。或いはもっと悲惨な目にあう。

 折角ここまで来たのだから退場にはまだ早い。

 ぺろりと澪璃さんの舌が俺の傷口を舐め、俺を見上げる。


「フフッ甘い血ね。」


「………血糖値は低い筈ですけどね。」


 小さなナイフは何時の間にかまた何処かへ消え、澪璃さんが俺から離れる。


「湊様、この目の事は気になさらなくて結構なんですよ。コレは私が貴方の事を甘く見ていたペナルティ、それに私の目を抉った時の湊様のお顔。とても素敵だったもの。右目一つ分以上の価値はありましたから。」


 ウットリとした顔で言ってくるが、俺はあまり嬉しくない。どんなに極上の美人であろうとこの人は余りにも規格外だ。


「この傷跡は湊様からの大切な贈り物、私の大事な宝物。」


「……相変わらず……跳んだ思考してますね。」


 いとおしそうに眼帯を撫でる澪璃さんを見て強烈な皮肉を食らっている気がして思わず皮肉の一つも口にしてみるが。


「あら、そんなに褒めないで下さい。」


 ……向こうの方が上手だった。


「そうそう、妹も湊様と夜哀さんに会いたがっていましたわ。」


「……琉伽ルカちゃんも来てるんですか?」


 また俺の脳裏にこうばしい記憶が甦る。


 玖韻琉伽クインルカ、俺を殺人犯に仕立て上げ誤認逮捕させた恐るべき高校生。


「ええ、今度こそ湊様をオトスって張り切っていますわ。」


 正確に言うのなら陥れるだ。


「それでは湊様、また後ほどお会いしましょう。」


 何が面白いのか……多分俺が面白かったのだろう、くすくす笑いながら澪璃さんが渡り廊下の向こうに振り返ることも無く、滑る様に消えていく。俺はその場に無意識のまま腰を下ろしていた。胸の十字架が少し引き攣れたがそれ以上に澪璃さんの舌の感触が残っていた。………だからといって全く欲情できないが。

 すっかり酔いも覚めてしまい部屋に戻ると夜哀はもう帰ってきていた。濡れた髪と少し紅い頬が艶かしい。


「あれ、湊何処に言ってたの顔色悪いけど。」


「………久しぶりに怖い目にあったからな。」


「ふーん、湯上りのビールは美味しいね。」


 俺の事など気にかける素振りなど全く無く、冷蔵庫から出した缶ビールの下に小さなナイフで穴を開けるとソコに唇を当て上のプルトップを上げる……ショットガンかよ………


「夜哀、お前一応女なんだからそういう飲み方はどうかと思うぞ。」


 ちょっと気にかけて欲しかったな等と思いつつそんな事を言ってみる。


「あれっ湊ボクの事一応女の子だって思ってくれてるんだ?」


 ……なんだろうこのしてやったりの笑みは。


「一応も何もお前は女だろう?」


「あのねぇ、世の一般男性はボクみたいなちょっと変った外見の美少女がこんなに無防備でいたらもう少し積極的に行動起こす物なんだよ?」


 確かに美少女だが自分の事を自分で言うのはどうかと思う。


「……だから?」


「湊もね、もう少し積極的になってもいいんじゃないかなぁって言ってるの。」


「そう言われてもなぁ……」


 俺を心なし赤い顔で見てくる夜哀に食指が動かないわけではないが、さっき澪璃さんの毒気に当てられたばかりの今はとてもじゃないがそんな欲求は起きそうにない。


「湊って本当に淡白だよね、面白くない。」


 何か言い返そうとしたが、やめた。

 態々自分がいかに性的欲求がある人間かを語ってどうしようというのか。


「さて、俺も風呂入ってくるか。」


「それがいいよ、イイお湯だったからね。」


 一瞬夜哀の口調に含みがあったような気がするが、気のせいだろう。

 タオルと備え付けの、胸元に大きく(歓迎!忘我邸)と入ったセンスの無い浴衣を持って行こうとする俺に夜哀が声を掛けてくる。


「湊ってさ、何か肉体的な接触を嫌がらない?」


 俺はその問に苦笑だけを返した。

 夜哀ほど波瀾に満ちていないかもしれないが、俺にもそれなりに色々あったのだ。それなりに。


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