第一幕 出発③
翌々日、レポートだけ提出し、そのまま授業はサボリ駅に向かった憐れな俺は少し早めの夏休みと自分に言い聞かせ夜哀と新幹線に乗り込んでいた。向かう先は長野県。約三時間かかる道のりを夜哀とそれこそどうでも良い会話をして過ごした。例えば「坊主が屏風に上手にジョーズの絵を描いただったっけ、それとも坊主が屏風に上手に坊主の絵を描いただったっけ?」とか「イントロン情報の解析に関して互いに思う事を言おうよ。」とかアカデミックに聞こえるような聞こえないようなどうでもいい一々思い出すのも罵迦らしいような話だ。
唯一気になった話も在る。途中の駅で子供が乗り込んできた時の夜哀の言葉だ。
「ボクね、小さい子供がキライなんだ。」
「どうして?」
「小さい子ってさ、全員が必ずしもそうじゃないけど大抵全身に希望が満ち溢れていて目が澄んで未来に向かって輝いているでしょ、ボクねそれを見るとどうしようもなく苛苛するんだ、あの未来に輝く瞳を濁らせて満ち溢れる希望の光を掻き消して上げたいと思うんだ。生きる事は苦痛だって教えて上げたいんだよ。
もっとも小さい内から世の中の機微をわかっていて不幸を背負ったみたいな顔をしている子供はもっとキライだけどね。アレ?だったら子供は無邪気な方が良いのかなぁ?」
と夜哀は何とも複雑な笑みを浮かべながらそう疑問系で閉じた。
何があったかは知らないがあまり趣味の良い話ではない。生きる事が苦痛に満ちているという言葉に関しては概ね賛成できるが。果たして俺の今までの人生は苦痛に満ちていたかと考えみると………結構苦痛塗れだ。もっとも俺の主観的問題であって客観的にみればどうという事もない人生かもしれないがそんな事はどうでも良い事であって、要は俺自信がどう思うかが重要って事だ。で、改めて俺自信がどう思うかと言えば紛れも無く今までの人生は、少なくとも夜哀に合うまでは退屈で怠惰で惰性で動いているような緩慢な苦痛に満ちている。
さて、長野県は松本市に到着し、国宝の松本城や温泉等観光地を見る事など一切無く、タクシーというブルジョワジーな乗り物を駆使して俺と夜哀はソコに訪れていた。
陰陰滅滅と生い茂った森が見えた頃。俺達はそこでタクシーから降ろされていた。理由は三つ。まず夜哀がタクシーの中で度々外の景色を眺めながら「あそこで事故が遭ったよ、二人死んでる」とか「さっきのトンネル大分迷ってるのがいるね。」とか嘘か真か知らないが、一般的に考えて知りたくないような情報を延々と口走り運ちゃんが辟易していた事。
俺も調子に乗って詳細を求めたから文句は言えない。
次にココから先車は入れない。歩いて行くか、根性があるならスキップや匍匐前進でも構わないのだが、要は歩行者用通路しかない事。
三つ目に運ちゃんが本気で嫌がったからだ。話を聞いてみれば幽霊が出るの怨霊が出るのUMAが出るの妖怪が出るの祟神がでるの不幸な目に逢うの、あの澪璃さんの経営する旅館の近くとなればさもありなん。しかも話を聞いているとその旅館の存在は結構有名らしく泊まれば確実に妖しいモノが見られる或いは妖しいモノに関われると言う事で一部のマニアには大人気らしく固定客もいるらしい。俺と夜哀もそういったマニアだと誤解されたのだろう。
結構迷惑だ。
さて、夜哀曰く玖韻一族とは
全てを欺く者
黄昏に笑う道化師
リリスの末裔
血と狂気の中核
混沌を振り撒く者
月に吼える者
這い寄る混沌
とまあ上げれば切りが無く、字面を見るだけで碌でも無い連中だと言う事は痛いほどに伝わってくる。何でも夜哀の一族、つまり夢幻家は玖韻一族のライバルだという。本質的には同じタイプなのだがそこはそれ、近親憎悪の言葉もあるように、自分に似ているヤツは憎らしい。という事で今までも裏表問わず結構ぶつかり合ってきたらしい。
何故らしいなのかと言えば夜哀が微妙に言葉を濁すからなのだが、詳しく知りたいという気持ちと知りたくないという気持ちがまだ俺の中で均整を保っている今はこの灰色のままで良いと思う。それは置いておくとしてそんな玖韻一族と夢幻家でも夜哀と澪璃さんは年齢も近く互いにライバル視しており今回の澪璃さんからの手紙は夜哀に対する挑戦状ともある意味言える。
そんな訳で俺と夜哀はさっきから夏の最中にも関わらず何処からか底冷えするような風が吹き、重い湿気が肺を満たす空気の流れる鬱蒼とした森の中辛うじて人の歩けるレベルに舗装されている道を歩いている。
タクシーの運ちゃんに聞いた所だとこの森、通称逢魔ヶ森。正式名称不明。その名の通り下手に入ると魔に逢ってしまう森だという。磁気場が異常だとか言う事でコンパスは使用不能。それどころか生物の生体磁石まで狂わすらしく元からここに生息しているモノ以外鳥や小動物の類も近寄らないという富士の樹海も真っ青な森だと運ちゃんは言っていた。さっきから木々の枝先から垂れ下がった先が輪っかになったロープが妙に目につくのは磁気場が異常な所為だと自分に言い聞かせている。
「ねえ良いもの見つけたよ。」
夜哀に渡された凶悪に彎曲した形状が愛らしいグルカククリで草を薙ぎ払い踏み固めながら歩いていた俺はその声に振り向くと、夜哀が手に持った人らしき頭蓋骨を掲げて見せる。
「ほら、信長みたいに杯でも作ろうか?」
「………捨てろそんなもん。」
そう言い捨て俺は草を薙ぎ払い柔らかい腐葉土や苔むした土で出来ている地面を踏み固めながら前に進む作業を再開する。ハンカチで拭って包み込んだ頭蓋骨を鞄に入れている夜哀の姿が見えるが何も言うまい。
今日の夜哀も相変わらずの姿だ。細身のレザーパンツに先の尖った黒いレザーブーツ。上はタイトなレザージャケット。前に暑くないのか聞いたら基礎体温が低いと言う答えが返ってきた。首にはレザーコードのチョーカー、スターサファイアのチャームが光っている。銀髪は何時も通り束ねたりせずストレートに降ろしたまま。顔には向こうが見えているのかどうかすら疑わしいほど黒いサングラスを掛けている。
荷物は俺に背負わせ気楽なモノだ。とはいっても小振りなトランク一つだけだから楽な物だが。
何か後で言ってくる夜哀の言葉を適当にいなしながら歩く事約一時間。突然森を抜け開いた所に出た俺はそのまま呆然としていた。
「………おい夜哀?」
「なーに」
「ここ……か?」
「そうじゃないの、他に建物らしい建物なかったし。それに住所もココだよ。」
唐突に立っている古めかしい立て看板に書かれた住所を夜哀が澪璃さんから貰った手紙に同封されていた地図に描かれた住所と見比べている。
………だからといってこの外観はどうだろう?
俺の立つ位置から巨大な屋根付きの門が見える。よく時代劇に出てくる大名屋敷の前に立っているアレだ。ただその奥が違う。門番もおらず開放された門の向こう側には何故か段々と大きくなる様等間隔に朱色の鳥居が設置されている。遠目に見ても昨日今日に出来た新しいものではない。さらにその鳥居の奥にその屋敷はあった。
外見からは何とも言えないが何度も増改築を繰り返したのか一点を見ている筈なのにだんだんと視線が分散してしまうような。長時間見ていると頭痛がおきそうな古びた和風の屋敷がそこにはあった。
こうして見ただけでは一体何階建てなのかすら分からないが、横にも縦にも驚くほど大きく幽霊とか悪霊以前にこの屋敷自体が怖い。
一度見たことのある中国の九龍城に似てなくもない。
さらに言うなら四国は道後温泉のアノ建物に似ていなくもない。
つまり、九龍城を純和風に改造し数十倍複雑に数百倍禍禍しくさせた感じだ。
「………夜哀、今更何だが帰らないか?」
「それは駄目だよ、折角招いてくれたのにココまで来て帰るなんて澪璃さんに悪いような気がしないようなするような。」
どっちだよ。
「それにこれからまた今の森を越えて行く?ボクは嫌だよ、それとも湊は疲れてもう歩くのがある日起きたら「キミ今日から世界連盟総理事長。就任オメデトーそれじゃ早速国家間問題全部何とかしてね、実費で」何て言われるぐらい嫌なボクをこんな万魔殿に置いて一人で帰るの?うわー薄情者、鬼、悪魔、外道、悪逆非道、鬼畜、ロリコンー」
まるで感情が篭っていない夜哀の罵詈雑言。
だが、一つだけ聞き逃せない言葉があった。
「待て、ロリコンだけは許せん。」
「どうして?前琉伽ちゃんの事可愛いって言ってたでしょ?」
ウッ
否定できない。
「ロリコンロリコンロリコンコン♪」
しかも歌うか……
けど琉伽ちゃんは十七歳。
十九歳の俺が十七歳の女の子を可愛いと言ったら性犯罪者のような言われ方を受けなければいけないのだろうか?
確かに幼い外見だが…………
………………………………………………
まあ、いいや。
必死で「良いのか?」とつっこんでくる俺の半身は無視しておこう。
しかし、後半の、今だ止まないロリコンの歌は兎も角前半部分は中々的を得ていた。いくら夏とは言えそろそろ日が暮れ始めている。生憎俺は日が沈んでからもう一度今の、先が輪になったロープが不自然な程に目に付く森を通ろうなんて度胸は持ち合わせていない。それに慣れない道を歩いた所為か足が痛い。
鈍ってるなぁ。
「ね、さあ行こうよ。」
何だかサッパリした顔で、(アレだけ歌えばサッパリするだろうな)夜哀が俺の手を取り先に進む。
門を潜る時チラリと「忘我邸」と書かれた看板が目に入る。
風も無いのにばさばさとはためく、屋敷の上に乱立する細い深紅の旗を見ながら口ではああ言ったモノの実際はコレから何が起きるか期待している自分に気がついた。