第一幕 出発②
「ご馳走様でした。」
「………お粗末様。」
ぺこりと夜哀が頭を下げ銀髪がさらさらと肩の上を流れ落ちるのを何となく見ながら呆れ半分に俺は答えた。
あの後、冷蔵庫の中に何があるかと見てみれば冷蔵庫の中はエビスビールの500mm缶で一杯。野菜室は自家製梅酒が15ℓ瓶で二本。冷凍庫の方はロックアイスと冷やしたジョッキ、それにウォッカとジンのボトルが入っていただけ。念の為に台所にある床下収納を見て見るとワインにラム、ウイスキー、ブランデー、カルバドス、各種リキュール、ジン、清酒、白酒、日本酒、焼酎が数種類ずつ、どれも抜群に美味い事と引き換えに値段も抜群にお高いものと水割り用のケースに入ったミネラルウォーター、銘柄は夜哀一押しの竜泉洞の水。トニックウォーターが、それもどこから持ってきたのか日本国内じゃ流通してないキニーネが配合されているヤツが数瓶、各種柑橘類系100%ジュース、それも濃縮還元じゃあないモノが数瓶。後は小さな戸棚に入ったマドラー、ミキシンググラス、シェイカー、つまりはカクテルに必要な道具と細い足の洒落たカクテルグラスが数脚を筆頭にタンブラー、ショットグラス、杯、猪口、ぐい飲み、ロックグラス………つまり食材は全く入っていなかった。
普段何を食べて暮しているのかと考えながら買い物に出かけポークソテーにしようかと豚肉を買って買えると「今日はお肉の気分じゃない」と我侭を言う夜哀と暫し口論をした結果、俺が負け再び今度は野菜と魚介類を買って来て夏にも関わらず寄せ鍋を作ったワケだが……
改めて鍋の中を見てみる。具が粗方終わった所で下茹でしておいた饂飩を5玉いれた筈だが、汁すら残っていない。
目の前で冷やしておいたジョッキにウォッカのビール割りという恐ろしいモノを、ビールに比べてウォッカの量が遥かに多い物を注ぎ嬉しそうに飲んでいる夜哀を見る。お腹が膨らんだ様子は外見からは全く分からない。一体この華奢な体の何処にあの大量の具と饂飩は消えて行ったのだろう?
「でも湊ってちゃんとしたご飯作れるんだね。」
「材料と知識、ある程度の器用さと気力さえあれば誰でもできるよ。少なくとも愛情なんてモノはいらないしな。」
「そう?ボクは料理苦手だから。」
前に一度だけ見たことがあるが、少なくとも米を磨ぐと言って砥石でかき混ぜてみたり、包丁を持った方の手を切ってみたり、電子レンジを爆発させたり、台所を全焼させたり、一回の調理で調理器具を全て駄目にするのは苦手どころのレベルじゃない。というかそんな事を現実に出切るヤツがいるとは想いもしなかった。
夜哀が注いでくれたウォッカのビール割りを飲みながらそう思う。口に出した所で聞いちゃあいないだろうからあえて言おうとは思わない。
ちなみにウォッカのビール割りは思ったより味が良いが、強いなコレ。目の前で夜哀が俺の数倍濃い物を平気な顔で飲んでいるのでそんな事言えないが。
「今日得した事は湊の手料理が食べれた事とエプロン姿が見れた事だね。」
ほっといて貰いたい。
何が哀しくてあんなフリルとリボンだらけの非実用的なエプロンを着なきゃいけないのか、エプロンはシンプルなのに限る。色はクロで決まりだ。
「ねえ湊?」
「あん?」
折角俺がエプロンについて考えているのに夜哀が話しかけてくる。因みに裸エプロンは好きだ。裸エプロンに関してはリボンとフリルだらけでも許せる。
「あの人覚えてる?」
思わず裸エプロン姿の夜哀を想像してしまいその想像をウォッカのビール割りと一緒に飲み下す。
「あの人って言われても該当するのが沢山いるんだけど、名前で言ってくれよ。」
「あのね、玖韻澪璃さん。」
ブッ
その名前に俺の口から勢い良くウォッカビールが飛び出る。
「気を付けなよ、はいティッシュ。」
咳き込みながら口とちゃぶ台に飛び散ったウォッカビールを拭き同時に頭の中に澪璃さんの事が浮ぶ。
玖韻澪璃。
和服が似合う長身スレンダーな美人。そして俺を含むサークルメンバーが連続殺人事件にあった時の関係者というか犯人というか実行者というか………そして少々罪悪感と呼べるようなモノを感じる人。
「………あの、澪璃さんがどうかしたのか?」
「うん、手紙が届いたんだ。」
「手紙ぃ?」
「そう、何かねあの人の経営してる旅館の改修工事がすんだからその記念も兼ねて本格的なシーズン前にボクと湊を招待したいって。」
全身をぞわぞわと戦慄が駆け抜け鳥肌が立つ。
「………夜哀、お前行くつもりか?」
「うん、この頃暇だったしね、偶にはあの人達と遊ぶのも楽しいんじゃないかな。」
「お前、今度は本当に殺されるかもしれないぞ?」
そう、脅しではなく多分、いや確実に殺されまではされなくても何かやられる。実際俺は前回逢った時殺されかけた。5分の3殺し位だ。
「大丈夫でしょ、ボクと湊の二人に勝てる生命体なんてそうそういないよ。」
この無根拠の自信は何処から………って二人?!
「夜哀、お前………まさか……」
「うん、湊と二人でお伺いしますってもう返事出しといたよ。」
謀られた!
「もしかして、湊一緒に行ってくれないの?」
俺の気勢を制するように、いや実際制して夜哀が哀願の目で俺を見てくる。左右わずかに色の違う深紅の瞳は潤み、雪の日に震える子猫のような目で………いや実際にそんなラブリーなモノ見たこと無いが………
「……分かった俺も行く。」
想いとは裏腹に口がそう答えていた。
「湊ならそう言ってくれると思ったよ、ほら切符も同封されてたんだ。」
夜哀の指の中でぺらぺらと舞う切符を見ながらこの日俺は三度騙されたと思っていた。そろそろ自己防衛機能が働き夜哀に騙される事を喜びにすり替えそうな自分が怖い。