番外編 玖韻玲音の日常①
番外編になります。本編には一切関わってこない筈ですので宜しければどうぞ。
俺の通う大学に玖韻というヤツがいるのは結構有名な話だった。
本名は誰も知らない。ただ、自己紹介の時には玖韻と名乗り皆も玖韻と呼んでいた。
実際の所ウチの大学の学生に間違いはないのだから学生課に問い合わせれば名前ぐらい教えてくれるのだろうが、そこまで動く気力は沸かない。何しろ自他ともに認める不精モノなのだから仕方が無い。
閑話休題。
さて、玖韻という人物を簡単に表すなら、その顔は何処までも美形、嫌味を通り越し呆れるほどに美形。
その性格は何処までも不明、残酷なのに優しく、冷静なのに単純、歪曲的かと思えば直情的、感情豊かなのに無表情。ただ破綻している。
何時だって漆黒の服を身に纏い、自分の感性を刺激する物を求めてフラフラと動き回る雲か風、そんなヤツだ。
俺はと言えば共通するのは酒好きな事くらい、見た目も普通なら、性格だって各種診断をやってみた所どれも普通の結果だったという玖韻とは正反対のような人間である。なのに、何故か玖韻とは気が合う、というよりも一方的に玖韻が俺を誘ってくる。決して悪い気はしないものの以前何故かと尋ねて見ると「キミはねボクの知的好奇心を満足させうる性質を持っているんだ」とよく分からない答えが帰ってきた。
俺と玖韻の出会いについては少々長くなるので割愛する。機会があれば話す事もあるだろう。
もっとも俺にとっては結構忌わしい記憶なので話さない可能性のほうが高いが。まあそれはそれだ。
さて、話は変わるが、当時俺は焼酎が大好きだった。
米焼酎や麦焼酎は癖が無くていくらでも飲めた、蕎麦焼酎も飲んだし、ほのかに胡麻の匂いがする胡麻焼酎や少し癖の強いのがまた美味しい芋焼酎、それに栗焼酎なんて堪らなく大好きだった。そんな焼酎大好きな俺が突如全く飲めなくなったのには玖韻が関係している。
そしてその日も俺は玖韻に呼び出されていた。
呼び出された所は最近お気に入りの居酒屋その名も「五百釘」俺も以前玖韻と一緒にきたのだが圧巻させられたのはその(お品書き)と銘打たれた小冊子にずらずらと並ぶ地酒の数々、店主が胸を張りながら百種類何時でも揃えていますという言葉に玖韻が狂喜しそれ以来三日と空けず通っている店だ。また、酒だけじゃなく肴も中々イケル店だった。
扉を開けるとそう広くもない店内を見渡すまでも無くカウンター席に腰掛け上機嫌な顔で猪口を口に運ぶ玖韻の姿が見える。
「いらっしゃいッ」と威勢の良い声を聞きながら俺は玖韻の隣に腰掛けると間断なく目の前に突出しとお絞りが置かれ眼が妙に恐い胡麻塩頭の大将が「ご注文は」と聞いてくる。六時という晩酌には少し早い時間だと分かってはいるが、酒好きの俺が厨房の方から漂ってくる匂いに耐える事が出きる訳も無く、普段なら焼酎を頼む所だが隣で玖韻の飲む酒の匂いに誘われ「久保田の千寿を冷で肴は適当に」と注文したのを見計らったように玖韻が話し掛けてくる。
「遅かったね、確か五時ぐらいに電話したと思ったけど?」
綺麗な顔を朱に染めそう言ってくる。相変わらずソッチの気の無い俺でさえ心が揺れ動きそうな顔だ。
「しょうがないだろ、今日は五限目迄あったんだから、俺の所為じゃないよ、それとも何か?俺に授業サボって来いっていうのか。」
「そうだよ、当たり前だろ。」
涼しい顔でそう言い放ちわざわざ持ち込んでいる漆器の杯を口に運ぶ。
まあ俺ももう呆れたりしない、玖韻のこういった物言いは何時もの事だ、取りあえず相手に無茶を言いその反応を楽しむ。悪趣味には違いない。
「ハイお待ち」
その声と供に俺の前にも徳利と猪口が一つそれに海月の和え物らしきものが入った小鉢が置かれる。
まずは一杯。溢れんばかりに注ぎ、口を近づけ溢さない様に一息に飲む。
ああ、美味い。
「まったく、にやけた顔して、君って幸せだね。」
玖韻が新しい徳利を受け取りながら言ってくる。
「ほっとけ、何の憂いも無く自分の金で旨い酒が呑める。コレ以上の幸せがあるか。」
「枯れた十代だねキミも」
玖韻が顔に皮肉な笑みを浮かべまた猪口を口に運ぶ。
その後俺達は暫く無言で呑み続けた、元来俺は無口とは言わないまでもあまり喋る方ではない。玖韻はその辺りが適当で喋りたい時はとどまる所を知らず、さながら機関銃や鉄砲水のように喋るかと思えばピタリと口を閉じたまま何時間でも下手をすれば日長一日何も話さず終わってしまう事もある。どうやら今日は後者の方らしい。その後一時間ほど二人で黙々と酒を飲んでいた時、唐突に玖韻が口を開いた。
「キミはさ、薬用酒って知ってるかい?」
俺より早く来てその上俺より早いペースで杯を重ねている筈の玖韻だが少し頬が明らみ白い顔が益々白くなっているだけで他に変化も無い。
「薬用酒ってアレかよく宣伝でやっている滋養強壮とかのヤツか?」
あのずいぶん毒々しい液体、以前一度だけ飲んだことがあるが随分薬臭く不味かった覚えがある。
玖韻は首をふるふると振り違うよと言う。さらさらな黒髪が妙に艶かしい。
「もっと広義の意味での話だよ、例えば梅酒、杏酒、花梨酒とかね今は普通に水割りとかで楽しむけど昔は薬効効果を求めて作ったものだったんだよ。他にも沢山あるよ例えばウォッカだったらズブロッカとかさテキーラなら芋虫を漬込んだグサノ・ロホ、日本だったらハブ酒とかマムシ酒それに岩魚の骨酒とかもあるね、尤も最後のは薬用酒とは言いがたいけど。」
と、また杯を呷る
「要はあれか、アドヴォカートとかの事だろ?」
「いやそれは違うよ。」
玖韻がやんわりと否定してくる。因みにアドヴォカートとは卵とブランデーをブレンドした濃いリキュールの事でかなり甘い。俺は苦手だ。
「それを言い出したらリキュールやジンなんか皆薬洋酒の分類に入るだろ、まあ確かに元々ジンは薬用として開発された物だけどさ、ボクがここで言いたいのは何かモノを漬込んで造った薬用酒の事なんだよ、分かる?」
と、疑問調で投げかけてきた癖に俺の答えなど無視し新たに酒を注文している。
「それで結局何が言いたいんだ?」
玖韻が徳利を受け取り杯に並々と注ぎ、一杯呑んだのを見てからそう聞くと実に楽しそうな笑みを浮かべこちらに顔を向けると小声で切り出してくる。
「実を言うとね、最近面白い情報が入ったんだよ。」
一旦言葉を切りまた一杯。
「何でもね、凄い薬用酒があるっていうんだ、その名も首酒。」
「くびざけぇ?」
「そう、何でも造り方は純度の高い焼酎或いはウォッカとか蒸留酒に各種動物の頭だけを、蜥蜴や蛇に始まって蟷螂や飛蝗それに亀や魚、終いには猿。つまりは脊椎動物から無脊椎動物まであるとあらゆるといえば言い過ぎだけど何種類もの頭を漬込み何年も寝かせて置くそうだよ、そうするとねゆっくりと頭から脳内麻薬とか各種ホルモンとか色々解明し切れていないような成分がゆっくりとゆっくりと染み出してきてえもいわれぬ味になるって言うんだよ、呑んでみたいと思わない?」
思わず想像してしまう。
無色透明な液体が満ちた大きな瓶、そしてその中に浮ぶ幾つもの頭、どれもが恨めしげに此方を見ている。
正直かなりエグイ。
「俺は思わん」
俺の言葉に玖韻が心外だといった声を上げる。
「何で、人生は短いんだよ、次は無いかもしれない。呑める時に呑むべきだって。」
ふと、玖韻の物言いに俺は引っかかる物を感じた。
「おい、まさかその首酒とやら………」
玖韻が喜色満面に頷く。そして大将に何やら目配せをする。すると三白眼どころか上下左右と四白眼の大将が厨房の奥に引っ込み何やら巨大な、一抱えはある巨大な瓶を台車に乗せ運んでくると店員と二人掛りで持ち上げドンという音を立てカウンターの上にそれを置いた。
中の液体は赤黒く濁っており中に何が入っているのか全く見えないが、嫌な予感がする。
「ジャーン、首酒登場!」
嫌な予感大当たり。
俺の嫌な顔も余所に大将が小振りな切子グラスを出すと瓶の下部に着いている蛇口を捻り赤黒い液体を八分目程注ぎ俺と玖韻の前に置く。
何とも言えない強いアルコール臭に混じって甘ったるい纏わり付くような、生生しすぎるほどに血腥い匂いが漂う。店内は静まりかえり俺と玖韻の動作を一挙手一投足見逃さないとばかりに見てくる。無理もない。いきなり赤黒い液体で一杯の巨大な瓶が出てきてその中身を飲もうというんだから注目しないほうがどうかしている。
そんな目を気にする様子も無く、玖韻が赤黒い液体で満たされたグラスを持ち上げ口をつける。白い咽が上下に動き一息に赤黒い液体は玖韻の口の中に落ちていった。
「っふう、結構野趣のある味だね、キミも呑みなよ。」
何でコイツはこんな怪しい液体を一息に、そう思いながらグラスの中を覗いた時だった、グラスに付着した一本の毛。
駄目だもう呑めない。
大将が言うには動物の頭は毛を落とし眼球を抜き下処理してから漬けるというがたまにはそり残しが在る事もあるという。
さらに良く見てみれば妙な鱗のような物や皮のような物、どろりと濁ったゲル状のモノ、兎に角得体の知れないモノが表面に浮んでいる。
赤黒い液体からは血腥い匂いと焼酎の匂いが混ざりあって立ち上ってくる。いつもなら恋焦がれるほど好きな匂いなのに、今日はもう吐きそうだ。
その時、奇跡が起きた。
震度で数えれば大した事はない。せいぜい一か二だっただろう、ただ、カウンターを揺らし巨大な瓶を床に落とすには十分な揺れだった。
瓶が床に落ち派手に割れ、中身が出た瞬間店内は大混乱となった。
それを、砕け散った瓶の中身を見た瞬間俺は床に吐き散らしながら気絶した。
二日後、俺と玖韻の二人は警察の事情徴集が終り帰途に着いていた。
あの時、瓶の中から出てきたのは玖韻が言った通り大小様々な生物の首、そしてそれに埋もれるように半分骨が覗き所々溶解し青白く膨らんだ人の首だった。
つまりあの店の首酒とは人の首をも漬込んだ酒だったわけである。
帰り道の途中、呑んでもいないのに未だ吐き気が治まらない俺を余所に、その酒を呑んだ玖韻はといえば全然平気な顔で「結構美味しかったんだけどねぇ」と言っていたが聞かなかった事にしておこう。
後日談になるが、あの店内からは他にも同じ処理を施した首が数十個見つかりその中には捜索願の出ていた行方不明者も結構いたらしい。当然の事だが店は閉店となり今では更地となっているが、玖韻はただ「良い店が無くなった」と嘆いている。
以上が焼酎を飲めなくなった所以である。