不運すぎる聖女ですが、婚約破棄された途端、元婚約者ばかりが不幸になるのはなぜでしょう?
「ミレーユ・アルディ! 聖女の名を汚す不吉な女め、お前との婚約を破棄する!」
壇上から指を突きつけているのは、我が国の王太子であるルドヴィク殿下。ついさっきまで私の婚約者だった御方である。
王宮の大広間では、建国祭の祝賀の式典が始まったばかりだった。
(存じております。というより、今の今まで婚約が続いていたことのほうが驚きです……)
そう思っていた私の頭上に、バランスを崩した花瓶がぐらりと落ちてきて、間一髪で回避する。
(あ、危なかった……!)
しかし、とっさに避けた先で祝杯を配る給仕とぶつかり、盆の上のワインを胸元から浴びて、よろけた拍子に自分のドレスの裾を踏んで尻もちをついた。
「いててて……」
「見ろ、これが何よりの証拠だ! この不運聖女め!」
床に座り込んだまま、私は胸元の葡萄酒を拭って苦笑いを浮かべた。
殿下のおっしゃる通り、私、ミレーユ・アルディは聖女のくせに不運塗れなのです。
私はアルディ伯爵家の娘だ。祈りの力を神殿に見出されて百年ぶりに聖女に任命され、その途端、王家に囲い込まれるようにして殿下との婚約が決まった。
別に、ルドヴィク殿下と恋に落ちたなんてロマンチックなものではなく、聖女を手元に置いておきたい王家と利益を得たい神殿とのただの取り決めだった。
まあ、それも運命かと受け入れていたのだが。
ルドヴィク殿下と婚約を結んだころから、私は不運に見舞われるようになっていった。
『ミレーユ様が殿下の婚約者になってからなんだか不運続きね』
『本当に聖女なのかしら』
そんな噂が国じゅうを駆け巡った。
祈りの力は本物のはずだが、疑われるのも無理はない、と自分でも思ってしまう。
「聖女には、真に光の加護を持つセレナこそふさわしい!」
壇の上、殿下の隣で男爵令嬢のセレナ様が気まずそうにうつむいた。
可憐で、美しい殿下好みの女の子だったけれど、どこから連れてきたのだろう。
「思えば、このところ国は凶事続きであった! 隣国と外交が上手くいかず、貴族たちは俺に刃向かってくるし、国民も税を取り立てるなとうるさい! それもすべて、この疫病神が聖女の座に居座っていたせいだ!」
(それは、全部ルドヴィク殿下のせいでは……?)
そう思うけれど、殿下が声を張り上げるたび、広間のあちこちから笑いが漏れた。
「まあ……本当に、おかわいそうな方」
「近寄ると不運がうつるそうよ」
葡萄酒で濡れた床に座り込んだ私を、皆、扇の陰からひそひそと笑っている。
言いたいことは沢山あったけれど、もし私がここで反論して、大好きな家族に何かがあれば私は耐えられない。
(我慢よ、ミレーユ)
そこへ、白い祭服をきた神殿長様まで進み出た。
「神殿としても、かねてより憂慮しておりました。祈りの成果は上がらず、凶事ばかり。――ミレーユ・アルディ。本日をもって、聖女の位を剥奪いたします」
(……それは、つまり)
私は、思わず顔を上げた。聖女が剥奪されたということは、私には帰る家がなくなってしまうということだ。
殿下は厳しい表情のまま、告げた。
「ミレーユ・アルディ、お前を国外追放とする! 本日の日暮れ、西の関所が閉まるまでに国を出よ! 間に合わなければ牢に入ってもらうぞ!」
西の関所までは馬車を飛ばしてもまる半日。どうやって、国を出て行けというのだろう。
「それは、さすがにやり過ぎなのではないか?」
「権力の不当行使なのでは……」
私を笑っていた貴族たちですら、さすがにそれは暴挙だとざわめいたけれど、ルドヴィク殿下に口答えできる人間などいない。
そう思っていた時だった。
「――閉門まで、もう半日もありませんが」
よく通る声が、ざわめきを止めた。
来賓の列からひとり、長身の青年が歩み出た。ゆるいパーマのかかったミルクティーの髪が揺れる。
彼は、我が国の筆頭貴族であるエルデール公爵家の嫡男にして、次期宰相と誰もが認める秀才のエリアス様である。
そして――私の、幼馴染でもあった。
アルディ伯爵領は、エルデール公爵領の隣にある。母同士が親しくしていたので、私は物心つく前から公爵邸に出入りしていた。
……聖女に任命されて、王都に召し上げられるまでは。
(久々にお顔を見た気がする……)
婚約が決まってからは、彼とはめっきり口をきいていない。
意図的に避けられていると思っていたのだが。
「女性ひとりを供もつけず、日暮れまでに関所へ? ずいぶんと慈悲深い措置ですね。……殿下は、地図をお読みになったことがおありで?」
「クッ……エリアス、口を慎め……!」
「慎んでいますよ、これでも。追放者の護送は、エルデール公爵家がお引き受けしましょう。ご異論は?」
異論なんて、あるわけがなかった。
エルデール家は王家に次ぐ――いや、財と人脈で言えば王家に並ぶ家柄で、しかもエリアス様の母君は先の王妹殿下。つまりこの方は、ルドヴィク殿下の従兄にあたる。うっかり無礼を働けば、大変なことになる。
殿下は苦々しげに顔を歪め、しっしっと虫を払うかのように手を振ってエリアス様に言い捨てる。
「ふん、勝手にしろ!」
「これはこれは物分りが良くて助かる」
「いちいち嫌味たらしいな! 早く行け!」
エリアス様の機嫌はなぜか上々で私に向かってくる。
「じゃ、行こうか」と差し出された手を取って、私は困惑したまま、広間を後にするのだった。
◇
エリアス様と二人で馬車に乗り込み、しばらくして私は気づいた。
「……あの、エリアス様。関所は、街道を西です。この馬車、北へ向かっていませんか」
「向かっているよ。うちの屋敷は北だからね」
「へ?」
「僕は『護送する』と言っただけで、行き先までは言っていないけど?」
(詭弁では!?!?)
ふわりと柔らかく微笑まれるけれど、殿下の命令を堂々と無視するのはさすがにまずいのではないか。
「で、ですが、日暮れまでに関所を越えなければ私、牢に……」
「じゃあ賭けようか、ミレーユ」
エリアス様は脚を優雅に組み替えると、にっこり笑った。
「日暮れまでに、君が牢に入るのが先か。それとも――あちらが泣きついてくるのが、先か」
◇
エルデール公爵邸のサロンは、庭の薔薇が見渡せる日当たりのいい部屋だった。
どうみても、追放された人間が通される部屋ではない。
「……あの、この膝掛けは」
「今日は少し冷えるからね。女の子が体を冷やすのは良くないよ」
「この、いい匂いの焼き菓子の山は」
「君、朝から何も食べていないんじゃないの。顔色で分かるよ」
卓の上には、焼きたてらしいマドレーヌが貝殻の形にふっくら膨らんで湯気を立てている。
生姜の入った甘いお茶からは、湯気と一緒に懐かしい匂いがした。
子どもの頃、このお屋敷でよくご馳走になっていたものだ。
「どうぞ、召し上がれ」
マドレーヌをひとくち齧ると、なんだか急に緊張が緩んでどっと疲れが押し寄せてきた。
幼い頃から食べていたけれど、公爵家のマドレーヌは格別に美味しいのだ。
優しい甘さが体に染みていく。
「……おいしい、です」
「よかった。君とこうやってまたお茶が飲めて嬉しいよ」
エリアス様は真っ直ぐに私を見つめてそう言った。耳が少し赤く見えたのは、たぶん陽射しのせいだと思う。
「僕はね、ミレーユ。君が婚約してからずっと――」
「エリアス様!」
エリアス様が何か言いかけたところに、バタバタと従者が駆け込んできた。
エリアス様は不機嫌そうに顔を歪める。
「なんだい。せっかく良いところだったのに」
フォークを下ろして、エリアス様は従者に顔を向ける。
「しかし、エリアス様! ルドヴィク殿下が、先ほど新しいご婚約を発表なさろうとした瞬間、壇上の階段を踏み外されまして……!」
「へえ」
「転げ落ちて、ズボンが……その、大変申し上げにくい箇所が裂けまして。令嬢たちは目を伏せるほかなく!」
「へえ? それはそれは、おいたわしいことだね」
エリアス様は楽しげな顔で使者を帰した。私はといえば、マドレーヌもぐもぐしながら、
(こんな真冬に寒かったに違いないわ……)
と、どこか他人事のように思っていたのだが。
なんと、早馬はそれきりではなかった。こんどは乾杯の音頭で、殿下は勢い余って大臣に葡萄酒を浴びせた。慌てて拭こうと手を伸ばし、足を滑らせ、転びながら掴んだのが大臣の頭だった。楽団の音が止んだ大広間を、艶やかなカツラがころころと転がっていったという。
「大臣のカツラは、我が国の機密事項と言っても過言ではないからね。ふふっ」
「エリアス様、楽しんでませんか?」
「ひどいなミレーユ。僕は本気で心配しているんだよ、大臣を」
その後も、何度も何度も。ルドヴィク殿下の身の回りで起こった不運が舞い込んできた。
(……不思議。今日の王城は、まるで――いつもの、私の周りみたい)
「……ねえ、ミレーユ。気づいてる?」
何度目かの使者を帰したあと、エリアス様がこちらへ向き直った。
「君、王宮を出てから一度も転んでいないよ」
「え?」
言われてみれば。先程からお茶を零してもいないし、お菓子を喉に詰まらせてもいない。
不運聖女の私とは思えないほど、何も起きなさすぎである。
「……ぐ、偶然では?」
「偶然ねえ。じゃあ――種明かしをしようか」
ティーカップを置いて、エリアス様は私を見た。
「君の不運はね、ミレーユ。もともと君のものじゃない」
「……どういう、意味ですか」
私は弾かれたように顔を上げた。エリアス様の中性的な顔に、得意げな笑みが浮かぶ。
「君の力は、普通の聖女の能力に加えて――大切な人の不運を引き受けてしまう」
「えっ」
初耳すぎるその話に私は思わず身を乗り出した。
「今まであの男に降りかかるはずだった不運を、いちばん近くにいた君が代わりに引き受けていたんだ。花瓶も葡萄酒も、本当なら全部、あの不注意王太子に降りかかるはずのものだよ」
「それにしては、私は不運を引き受けすぎではないですか!?」
「あの王太子は頭が少々弱いからね。他人より不運に巻き込まれやすいんだ」
確かに、頭上の棚に花瓶を飾るなんて万が一のことがあったら危ないと忠告をしていたのに、聞き入れなかったのは何を隠そうルドヴィク殿下である。
「……そ、それで、なぜエリアス様は私の能力にお気づきに?」
「きっかけは、子どもの頃だ。僕が庭の木に登って、落ちたことがあっただろう」
私は窓の外を眺めた。
公爵邸の真ん中にある大きな木。子供の頃、その木に登ったエリアス様をちょうど下にいた私が受け止めて、代わりに私だけが怪我をしてしまったことがあった。
「僕だって脚を擦りむいたはずなのに、傷ひとつなかった。おかしいとずっと思っていたんだよ」
「た、確かに」
言われてみれば確かにそうだ。私自身はよく怪我をするけれど、周りの人が怪我をするのをあまり見たことがない。
幼い頃に、それに気付けるエリアス様は本当にすごい。
「で、でも待ってください。そ、それなら……今は、エリアス様の不幸を、私が引き受けてしまうのでは」
「いい質問だね。――僕が君の隣で、そんなヘマをやらかすと思う?」
エリアス様の余裕たっぷりな笑顔に、私は首を振った。
彼は王国いち用意周到な男と言われているのだ。何かをやらかすなどありえない。
「君が引き受ける不幸の量は、隣に立つ人間がどれだけ災いを呼び込むかで決まる。毎日君に怪我させていたあの男の脇の甘さがどれほどのものか――もう、答えは出ているようなものだけどね」
エリアス様は事もなげに続けた。
「君が王家に召し上げられてから、書庫で昔の聖女の記録を片っ端から調べたよ。同じ力を持つ聖女が、大昔にもいたそうだ」
「そんなに前から調べてくださっていたんですか。どうして、そこまで……」
「さて。マドレーヌ、もうひとつどう?」
「ごまかしましたね!?」
もはや彼の用意周到さが怖いまである。本当にこの幼なじみは、どこからこの未来を見通していたんだろう。
「君は疫病神なんかじゃない。昔から、呆れるくらいのお人好しなだけだ」
「……っ」
不運だ、不吉だと言われるのには慣れたつもりだったけれど、私は何でもないふりをするのが上手くなっただけなのかもしれない。
そうやって道化を演じて生きてきた私を――エリアス様だけは、ちゃんと見てくれていたのだと思う。
(嬉しい……)
視界が滲んだのと同時に、エリアス様はいつの間にかハンカチだけを差し出して微笑んだ。
しばらくしてやってきた来訪者はなんと神殿長だった。真っ青な顔で、サロンの絨毯に額がつきそうなほど頭を下げていた。
「聖女ミレーユ様……! 古き記録と、本日の凶事の数々、すべて照らし合わせました! 今朝がた聖女剥奪などと申し上げたことは心よりお詫び申し上げます。どうか、どうか王宮へお戻りを……!」
聞けば、私が真の聖女であったことは神殿を通じて貴族たちにも回り、王城は今、大変な騒ぎになっているらしい。
エリアス様は懐中時計を取り出して蓋を開け、まだ高い陽を一瞥して、実に嬉しそうに笑った。
「……思ったより早かったね。お茶のおかわりの前に片がつくとは」
それから私を見て、すっと立ち上がる。
「戻る必要はないよ、ミレーユ。ここにいればいい。ただ、もしも王宮に向かうのなら僕もついていく」
私は立ち上がった。
今度は、ちゃんと自分の言葉で言いたいことを言ってみせる。
◇
日暮れ前の王宮大広間は、それはもう大荒れ模様だった。
「殿下! ご説明いただきたい! 聖女様は、偽物などではなかったではないか!」
「我らが不吉と笑っていたお姿は、殿下の災いを代わりに受けてくださっていたお姿だったと!?」
「その恩人を、私情で国外へ放り出したと仰るのか!」
「神殿長殿もです! 御力の正体も見抜けぬまま、剥奪などと!」
「セレナ嬢を新たな聖女に、という話も当然白紙ですぞ!」
朝、私を笑っていた貴族たちが、今はひどく青い顔で壇上へ詰め寄っている。ひと足先に戻っていた神殿長様は、頭を垂れたきり顔を上げられない。
誰かが私に気づいて、あ、と声を上げた。広間が、いっせいに黙り込んで道が開く。
その先の壇上から転がり落ちるように駆け下りてきたのは、額に包帯を巻いた殿下だった。
「ミレーユ! 戻ってきてくれたのか! ……そう、そうだ、婚約破棄は取り消しだ! あれは何かの間違いで……!」
(……この方は、役に立たなくなった相手を、こうやって簡単に捨てるのね。今朝の私も、セレナ様も)
思えば、セレナ様もとんだ迷惑だっただろう。勝手に担ぎあげられて断ることも難しかったに違いない。
そう思うと何だか腹立たしい気持ちになってくる。
「殿下。今朝、この広間で仰いましたよね。国の凶事はすべて、私のせいだと」
「あ、ああ……いや、それはだな」
そう。
全てを私のせいにされたままというのは、あまりに酷い話だ。
今朝飲み込んだ言葉たちを、吐き出していく。
「隣国との外交が上手くいかない、と仰いました。思い返せば、隣国の使節をお迎えする晩餐に、殿下は遅れておいででしたね。お召し物の襟の刺繍が気に入らないと、着替え直されていたからです」
「なっ……」
「貴族の皆様が刃向かってくる、と仰いました。去年の秋の狩りの費用を北方のご領主様方に立て替えていただいて、まだお返しになっていませんね」
「そうだ!」と、壇の下で北方の伯爵様が言った。
「国民が税を取り立てるなとうるさい、と仰いました。――殿下の新しい馬車は、今年で三台目です」
「そ、それは公務で必要だから……!」
「あら、装飾が気に入らなかったと伺いましたが」
(あ、ちょっと言い過ぎたかしら)
横を見たら、エリアス様は口を押さえて肩を震わせていた。完全に楽しんでいる。
「私、そのたびに申し上げましたよね。晩餐に遅れてはいけません、お借りしたものはお返しください、と。装飾の花瓶も、落ちてきたら危ないのでやめておきましょうと」
「う……」
「不運なら、私がいくらでも代わりに引き受けます。ですが、お約束を破ることも、お金をお返しにならないことも、不運ではありません。――全部、殿下がなさったことです」
殿下はもはや言い返すことすら諦めているようだった。私のことを気まずそうな顔で見つめていた。
「それに、セレナ様のことも。あの方はご自分が望んだわけでもないのに聖女に担ぎ上げられたのです。……きちんと謝ってさしあげてください」
「それは、そうだな……」
しおらしく頷く殿下だが、一旦失望した気持ちはもう戻ってはこない。
だが、私はこの国が憎いわけではない。私のことを大切に育ててくれた家族も、慕ってくれた国民もいる。
私は踵を返して、不安げな貴族たちに微笑んだ。
「安心してください。聖女として、引き続きこの国に祈りは捧げますので。それでは」
「ま、待て、ミレーユ。俺が悪かった。だが、お前がいなくなったら、俺の不運は誰が引き受けるんだ!」
焦る殿下の言葉に、いよいよ呆れてくる。私を連れ戻したのは、結局自分のためだったのか。
「殿下。私の祈りは、おそばにいる大切な方を守るためのものだそうです」
もう、うつむかない。生まれて初めて、まっすぐに殿下の目を見た。
「――ですので。私はこれから、大切にしていただける場所に参ります」
「なっ……どこへ行くというのだ! お前の帰る場所などっ」
失礼な。私だって一応伯爵令嬢だ。実家に帰って、それから――。
「僕の隣ですが、何か?」
(えっ)
背後から伸びてきた手が、ごく自然に私の腰を支えた。広間が、今日いちばん大きくざわめいた。
「エ、エリアス様!?」
エリアス様は「いいから」と耳打ちして私を安心させると、殿下に向き直った。
「ああ、それから殿下。北方のご領主様方への立替金は、本日中に王家の会計からお返しいたします」
「なっ、勝手に決めるな! 誰の許可を得て――」
「書面はすでに公爵家へ回してあります。殿下の署名は要りません」
「……は?」
「今後、王家の支出は公爵家ですべて確認いたします。四台目の馬車をご入用でしたら、父か僕まで書面を」
わなわなと震える殿下だったが、周囲は違ったらしい。
「異論はありませんぞ!」
「エルデール公爵家に見ていただけるなら、我らも安心だ!」
広間のあちこちから、堰を切ったように賛同の声が上がった。北方の伯爵様にいたっては、何度も何度も頷いている。
殿下は口を開けたまま、壇上の大臣を見た。大臣は目を伏せた。今度は神殿長を見たけれど、神殿長は膝をついたきり顔を上げない。
この広間に、殿下の味方をする人間はもうひとりもいなかった。
「神殿長。御力の正体も調べぬまま聖女の位を剥奪なさった件、神殿の長として責を負っていただきます。後任の選定は、今日から始めましょう」
「は……はい……」
エリアス様は壇上へ一礼して、私の手を引いた。ものすごい視線を背中に受けながら、広間を去っていく。私はエリアス様を見上げて、小声で尋ねた。
「もしかして、エリアス様は国王の座を狙われているのですか?」
「まさか。あの方には玉座に座っていていただくよ。そのほうが便利だからね」
「べ、便利」
「新しい王を立てれば貴族の派閥が割れるだろう? それより、言うことを聞く王太子がひとりいるほうが都合がいい」
私が黙っていると、エリアス様はこちらを見て笑った。
「君を追い出した人間が、これから君にいちばん気を遣うことになるよ。それも悪くないだろう?」
……エリアス様って、ちょっと腹黒かもしれない。
◇
王宮前の石段を降りると、すっかり日が落ちていた。
「ミレーユ」
馬車の前で、エリアス様が立ち止まった。
「さっきは勢いで『僕の隣ですが』なんて言ったけど」
「はい」
「……順番が、逆になってしまった。先に言うべきだった」
いつも余裕たっぷりのエリアス様が、めずらしく言葉に迷っている。
「君が殿下と婚約したとき、僕は、それが君の幸せなんだと思ったんだ。僕が口を挟むことじゃないと」
「それで、口をきいてくださらなくなったんですか」
「……君の顔を見ると、余計なことを言いそうだったからね」
エリアス様は私の手を握ったまま、目を逸らした。
「でも、君が不運を引き受けているのに気づいてからは、迎えに行く準備をしていたよ。……全部、今日のためだ」
「そんなに前から……」
「もし良かったら、僕の隣にいてほしい」
エリアス様は頬を赤らめて不安げに私のことを見つめるのだ。
「――幼馴染は、恋愛対象外、かな?」
「そんなことありません!」
あんまり大きな声が出てしまって、私は誤魔化すように咳払いをした。
「わ、私、婚約していた間、ずっとエリアス様に嫌われたのだと思っていました。……ですから、嬉しくて。私も、エリアス様のことがもっと知りたいですし、それに――」
「ミレーユ!!」
と、私たちの前で急に馬車が止まったかと思うと、父と母が転がり出てきた。よっぽど慌てていたのか、母は片方の靴が脱げている。
「お父様、お母様!?」
「ミレーユ、無事なの!? 追放だと聞いて領地から飛んできたのよ!」
「牢に入れられていないか、ちゃんとご飯を食べているか、父さんはもう生きた心地が」
ふらりと倒れそうになる父を慌てて母が支える。
「大丈夫です。エリアス様に助けていただいて」
「まあ!」
ぽっと頬を赤らめた母に、慌てて弁明しようとするものの、父は父で、私とエリアス様の手元をじっと見ている。
「……ところでミレーユ。なぜエリアス様と手を繋いでいるのだ」
「え」
「ミレーユ! まさか、エリアス様と結婚するの?」
違う。
さすがにまだ恋人でもないのに、結婚するだなんて気が早すぎて、頭がクラクラしてくる。
「お父様、お母様、話がはやすぎる……」
「早いかな。僕はずいぶん前から待っていたけど」
「エ、エリアス様!?」
エリアス様は父に向き直って、深く頭を下げた。
「アルディ伯爵。後日あらためて、正式にお話をさせてください」
父は口をぱくぱくさせたまま、母に支えられていた。
エリアス様は、私の手を離すとにっこりと微笑んだ。
「ミレーユ。幼馴染じゃなくて恋人にしてもいいって思ってもらいたいな。今度は君の好みを教えてよ」
「……っ」
顔が熱い。何か言わなければと思うのに、言葉が出てこない。
エリアス様は少しだけ困ったように笑って、自分の馬車の扉に手をかけた。
「エ、エリアス様!」
振り返った背中に、私は思いきり声を張り上げた。
「マドレーヌが好きです!」
……我ながら、何を言っているんだろう。
父が「はぁ?」という顔をして、母が扇で口元を隠した。
「生姜入ったお茶も、好きです。公爵家の雰囲気も大好きです」
「うん」
「でも、その……恋人になるかどうかは、まだ分かりません。私、ついさっきまで婚約者がいた身ですし」
「知ってるよ」
エリアス様は、今日いちばん嬉しそうに笑った。
「じゃあ、また明日お茶に呼んでもいい?」
「あ、明日!?」
「好きなんでしょ。うちのお茶とお菓子」
答えられないでいるうちに、馬車は走り出してしまった。
母がにやにやしながら、私の腕を取る。
「ミレーユ。明日、何を着ていくの?」
「お母様まで!」
私は熱くなる頬を一生懸命に冷ますのだった。
不運だった聖女と秀才の公爵様が仲睦まじく国を豊かに導くのは、そう遠くない未来の話である。
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