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遅刻魔と百人一首  作者: 夢見るカルガモさん
すべては遅刻からはじまった
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7

 雪菜が美月と出会ったのは小学生のころだ。雪菜の粗相がつないだ奇妙な縁である。やがて家族ぐるみの付き合いになった。年の暮れになると隔年でお互いの家を訪れ、親たち三人は昼間からお酒を飲んでいる。

 美月の父は菩薩のようなおだやかな人だ。口数は少ない。ところが、美月の母は底抜けに明るい。雪菜に質問を投げかけて、そのまま自分で答え出すときもある。口から先に生まれた人だと雪菜は思う。親戚にさえ冗談を言わない母がなぜか美月の母とは気が合うらしく、酔っぱらって二人で肩を組んで合唱していたときには、雪菜はひどくおどろいたものだ。

 美月の両親は都内で有名なエステサロンを経営している。半年に一度、視察と称して旅行に出かける。そのうちの一日、雪菜は神岡家に泊まる。親の目を離れて、隠れ家的に楽しむのだ。

 はじめて泊まりに行ったとき、冷蔵庫にかなりの量のそら豆が入っていたのを雪菜は思い出す。あと一個、あと一個と手が止まらず、結局三人ともおなか壊した。以来、彼女たちは「そら豆会」と呼ぶようになった。そら豆会はたいてい土曜日に行われる。

 この日も雪菜は二日分のカレーを作ってから美月の家に向かった。家に着いて彼女の用意してくれたコーヒーとクッキーを楽しんでいたが、夕方になり、雪菜と、美月の妹の花音は夕食の買い出しに向かった。

 神岡邸を出て北に二、三分歩くと林間の遊歩道がある。遊歩道は高架橋に沿うように東に伸び、左右に立ち並ぶ木々がアーチを作るように握手している。深緑や萌黄に色づいたトンネルは、まるでモネの世界。雪菜はこの遊歩道が好きだった。

 この日雪菜と花音を通せんぼするように、十数羽の鳩が歩いていた。鳩は雪菜たちが一、二メートルまで近づいても気にする様子はなく、首を振り歩いていた。こんなにも警戒心がなくて大丈夫かと雪菜は心配になった。

 花音がつぶやくように言った。

「もしかして鳩って二種類いるんですかね」

「え? そうなの?」

「たぶん……」と花音は自信なさそうに答えた。

 雪菜が鳩をじっくり観察したのはこのときがはじめてだった。背の模様はそれぞれ異なっているけれど、白い鼻こぶと、首回りにある緑と赤紫の光沢は共通していた。

「もう一種類ってどんなのだっけ?」

「ほら、キジみたいな背中の」

 雪菜はたまに一羽で歩いている鳩を見かける。全身は灰色だけど、うろこみたいな羽の縁は橙色で、きれいだなと思った記憶がある。

「あっ! 見たことある。二種類だよ」

「ですよね」

「よく気づいたねえ。花音ちゃん、相変わらず鋭いなあ」

 遊歩道を抜けてスーパーに着いた。入店すると、五、六十代の女性店員が二人並んで、カチッ、カチッとシールを貼りながら雑談していた。別のところでは、若い男性店員が店長らしき人と軽口を叩いていた。

 二人で来たときの買い物の立ち回りは決まっている。雪菜がカートを押しながらリストを読み上げ、花音が商品を持ってくる。

「次は玉ねぎ一個だよ」

 待っているあいだ、雪菜は買い物かごに入っていた大葉、ぶなしめじ、エノキ、エリンギ、大根、キャベツの整理をしていた。しかし、花音は玉ねぎ売場に行ったきり、なかなか戻ってこない。不思議に思って雪菜が探しに行くと、花音は不安げに玉ねぎを見つめていた。

「どうしたの?」

「どれがいいのかなあと思いまして。玉ねぎは皮かぶっているので、よくわからないじゃないですか」

「指で押してみたらいいんじゃない?」

 花音は玉ねぎを押しはじめた。どんな基準で判断しているのかわからないが、八の字眉になったかと思えば、ちょこんと首をかしげて次の玉ねぎに移っていく。雪菜はたまらず噴き出した。

「ごめんごめん。冗談だよ。傷んでないやつとか、食べたいと思うやつでいいと思うよ」

 花音はようやくだまされたと気づいたらしい。ふぐのようにぷくーっと口をふくらませた。

 買い物も残すところ二、三品となった。リストを見ると『牛と豚 300』と書いてあった。雪菜は花音にリストを見せて、

「これさあ、合い挽き肉三百グラムって意味だよね」

「あっ、きっとそうですよ。でもなんでこんな書き方したんでしょうね」

 花音も姉の真意がつかめないらしい。雪菜の脳裏に、悪ふざけをして「うっしっし」と口を押さえる美月の顔が浮かんだ。

「こんなの書かれたら、料理どころか牧場が開けちゃうよ!」

 帰宅後、すぐに料理に取りかかった。夕食メニューの決定権は順繰りに回ってくる。前回は雪菜の番で「フライパンで簡単パエリア」を作った。今夜は花音のリクエストで「たっぷりきのこの和風おろしハンバーグ」だ。

 美月も花音も料理に詳しくない。料理長は雪菜だ。この日は雪菜がハンバーグを、美月と花音はきのこソースと付け合わせのキャベツを担当した。

 雪菜はみじん切りした玉ねぎをさっと炒め、ひき肉、パン粉、卵、牛乳、ナツメグ、塩コショウと合わせた。よいしょよいしょとタネをこねていると、美月と花音がもめている声が聞こえてきた。

「お姉ちゃん、ちゃんとほぐしてよ。ぶなしめじ、つながってるじゃん」

「根元からちゃんと切ったって」

「見てよこれ」

「文句言うくらいなら花音がやりなよ。そのほうが早いじゃん」

「これも──。ほら、これもだよ!」

「そっちこそ、この胞子、きちんと取りなよ」

「たぶんこれ胞子じゃないよ」

 美月は「花音をいじめるやつがいたらバット持ってぶん殴りに行く」と物騒なことを言う。しかし、こうしてよく口げんかをしている。姉妹のいない雪菜にはその光景すらほほ笑ましく見える。

 ハンバーグの両面がほどよく焼けたころ、美月と花音のきのこソースも完成した。

 雪菜と美月が盛り付けをしていると、花音がぼそっと言った。

「あの……、大根おろし忘れてませんか?」

「ぎゃああああ、忘れてた」

 三人で料理をするようになって雪菜には変化があった。母を別の角度から見られるようになったのだ。気の置けない美月や花音相手でも、「おいしい」と言ってもらえるまで落ち着かない。それなのに母はずっと、それを仕事にしてきたのだ。ホテルに勤めていたときには失敗して真っ青になったかもしれない。料理教室を始めてからは、いくつものトラブルに巻き込まれたかもしれない。それでも淡々と食に向き合ってきたのはすごいと雪菜は思うのだ。

 いつのころだったかあいまいだけれど、

「私はプロだからね。あの仕事が嫌だったなんて、口が裂けても言えないものなのよ」といった母の顔が雪菜の記憶に残っている。

 後片付けとお風呂を済ませて美月の部屋に移動した。薄型テレビ、ベッド、学習机、パソコンデスク、高さ三メートルほどの本棚、ドレッサー、ローテーブルまである。三人が床に座っても決して窮屈ではなく、むしろゆとりすら感じる。

 ところが、美月は自分の部屋の大きさにあまり関心がないようだ。小学生の雪菜が「何畳あるの?」ときいたときには「八畳だよ」と答えていたのが、中学では「九畳以上」に変わり、どういうわけか彼女が成長するにつれて大きくなっていく。高校に上がってからはとうとう「十畳くらい」になってしまった。

 テーブルにはポテトチップスやポッキーなどのお菓子、コーラやカルピスのペットボトルが並んでいる。パソコンから美月の好きな、ビリー・アイリッシュやレディー・ガガが流れていた。

「花音ちゃんって何部だっけ?」

「手芸部です」

「手芸部って何してるの?」

「ひたすら折り紙を折っています。先輩たちが卒業しちゃって、部員は私一人なんですけど」

「えっ……」

「雪菜、なんで引いてるのよ。花音の技すごいんだよ」

 美月が花音に言った。

「ねえ、作ってあげたら?」

「うん、わかった」

 花音は部屋を出て行ったが、折り紙と本を抱えて戻ってきた。

 雪菜は美月と話しながら、花音の手元を見ていた。彼女は教本を見ずとも、器用に折っていた。

 十分もかからずに、

「雪菜さん、出来ましたよ。これがアマリリスで、これがマリーゴールドです」

 アマリリスは苺色の折り紙で円状に花びらが並び、マリーゴールドは橙色の折り紙でアジサイのような球状の形をしていた。

「すごっ! 花も折り紙で折れるんだね」

「はい。簡単に作れますよ」

「そうなの? じゃあさ、私たちにも作り方教えてよ」

「いいですよ。なんの花がいいですか?」

 雪菜の希望どおり、花音はダリアを教えてくれた。折り紙を三枚使うが、初心者向けのもののようだ。雪菜は花音に言われるままに折るだけだった。たかが折り紙と侮れないくらい多くの工程があった。こんな感じでいいかと適当に折っていたら、不恰好になってしまった。

「雪菜さん、もう一度最初から作り直した方がいいですよ。それもう修正できないと思います。あっ、お姉ちゃん、そこ全部折り目つけちゃだめ」

「え、そうなの?」と美月がきくと、

「さっき言ったのに……。えっと、ここの線くらいのとこまでにしないと」

「美月、ちゃんと先生の話聞きなよ。君はそういうとこがあるよ」

「いやいやいや、君は最初からやり直しなんだよ」

 はじめのうちは笑いながら折っていた雪菜も、いつのまにか折り紙に夢中になっていた。誰かが話しても空返事するだけだった。

 雪菜は同じ工程を三回繰り返した。この三つを開くようにつなげば立体的なダリアになる。雪菜がのりを探していたら、美月がホッチキスでパチン、パチンと留めているのが見えた。

 あぜんとした雪菜に、「ん、何?」と美月が言った。

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