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遅刻魔と百人一首  作者: 夢見るカルガモさん
出会いはある日突然に
12/32

4

 送り盆をして数日が経った。早朝、雪菜はリーベに足を噛まれて目を覚ました。痛くないけれども夢から引き戻されるくらいのねっとりした甘噛みだ。まだ部屋は暗い。

「もうちょっと寝かして~」と雪菜がタオルケットにくるまると、リーベはしばらくおとなしくしていたが、彼女が夢うつつになったころ「みゃあ、みゃあ」と上に乗ってきた。

 雪菜はリーベを玄関に連れて行こうと階段を下りた。しかし、リーベは雪菜の足に巻きつくように歩いた。

「ちゃんとついて行ってるってば!」と声をかけても、彼の用心深い性格から一段ごとに振り返った。

 ようやく玄関に着きドアを開けると、今までのだらだらした行動が嘘のように、リーベはタックルするラグビー選手のように飛び出し、暗闇に溶けていった。

 雪菜は部屋に戻ってふたたび横になった。眠たいのにどういうわけか寝つけない。小窓から薄明が漏れはじめた。ようやく町も目覚めたらしく、人の話し声やらゴミの収集音が聞こえてくる。

 せっかくまどろんでもすぐ覚醒してしまう浅い眠りだった。そうこうしているうちに時間が経っていたみたいだ。ドア越しにリーベの声が聞こえた。母が入れたに違いないけれど、いつ部屋の前を通ったのかまったく気がつかなかった。

 雪菜は指先さえ動かさず耳を傾けた。リーベはオペラ歌手顔負けの声で鳴いている。なぜか「わお~ん」という声も交っている。おまえはオオカミかとつっこみたくなるほどの甲高い声だ。雪菜がこらえきれず噴き出すと、たぬき寝入りを察したのかリーベが「みゃ~お、みゃ~お」と畳みかけてきた。

 朝食のとき雪菜が

「ごはん食べたら、公園に行って自然観察してくるね」と宣言すると、伊澄はパンを頬ばったまま、

「めずらしいわね。どういう風の吹き回し?」

「今学校で百人一首を習ってるから、花や鳥を見たら理解が深まるかもしれないでしょ?」

「鳥? 鳥に興味出てきたの?」

 母のおどろきようが普通じゃなかったので、

「え、なんで? 鳥にというか、自然に興味はあるんだけど」

「そっか。突然鳥なんか言うからびっくりして」

「なるほど。百人一首には鳥も出てくるからね」

「へえ、そうなのねえ。まあ、あっても不思議じゃないけど……。鳥の歌ってどんなの?」

 雪菜は昨日覚えたばかりの和歌を暗唱した。

 ──ほととぎす鳴きつる方を眺むればただ有明の月ぞ残れる

「暗記してるの? すごいじゃない。どんな意味なの?」

「『ホトトギスが鳴いた方角を眺めると、もうその姿はなく、ただ有明の月が残っていた』だよ」

「イメージしやすい歌ねえ」

「この歌すごくてね、二句目までが耳で聞いた世界なんだけど、三句目以降からさりげなく目で見た世界に変わっているんだよ。感動するでしょ?」

 雪菜が得意げに言っても、伊澄の反応は「へえ……」と薄いものだった。

「それだけ?」

「そう言われても特に感想ないけど、そうねえ……、じゃあ、なんでホトトギスなの?」

「よくぞ聞いてくれました。ホトトギスは夏の訪れを告げる鳥で、初鳴きに価値があったみたい。昔の人は夜を明かして聞こうとしたんだよ」

「そうなんだ。あれっ? ホトトギスの鳴き声ってどんなのだっけ? ホー、ホケキョ……はウグイスよね」

 雪菜はファルセットで、ホトトギスの聞きなしをまねた。

「特許許可局」

「ええっ! その鳴き声ってホトトギスだったの?」

「そうだよ」

「知らなかった。それにしても、昔の人は暇だったのね」

「違うよ。風流だったんだよ」

 伊澄はフフッと笑って、

「そうとも言えるのね。これは一本取られたかなあ。有明の月って明け方に見える月だっけ?」

「そうそう」

「つまり、左側が光ってる月よね。と言うと、上弦? 下弦?」

 母も理科は苦手だったようだ。雪菜は牛乳をぐいっと飲んで、

「昨日知ったんだけどね、簡単な覚え方があって、月が沈むとき、弦が上にあるか下にあるかで見分けるといいんだよ」

「それじゃあ……下弦?」

「うん。正解」

「雪菜、すごいじゃない!」

「でしょ~。人間三日もあれば変わるもんなんだって」

「そう言えば」と伊澄は思い出したかのように、

「お父さんもバードウォッチングしてたっけねえ」

「そうなの?」

 それでさっきあんなおどろいた顔をしたのかと雪菜は納得した。

 食事を済ませて、雪菜は父の部屋に向かった。

 父が亡くなってまもなく、このまま置いていても仕方ないからと母は処分も考えたみたいだが、結局捨てられなかったらしい。物心ついてからずっと雪菜は父の部屋を避けていた。入るのはこうして母と一緒のときだけだ。父の部屋は相変わらず整理整頓されていた。

 伊澄はダンボールの前に膝をつき、蓋が閉まらないように頭で押さえて、ごそごそ漁り、

「あっ、これだこれだ」とチャコールグレーの双眼鏡とポケットサイズの野鳥図鑑を取り出した。

「今日野鳥観察するんでしょ? それならこれ使いなよ」

 そんなこと一言も言ってないのにと雪菜が思っていると、伊澄はぐいっと押しつけた。

「私は興味ないし、どうせ眠ってるだけだから雪菜にあげるよ」

「いいの?」

「うん。そのほうがお父さん喜ぶと思うよ」

 雪菜は伊澄から受け取ってもじっくり見るわけでなく所在なさげにいると、母は

「それともお父さんの使った物は嫌?」と力なくたずねた。

 雪菜の聞いたところによると、父は彼女が入園前に、見ず知らずの人を助けた代わりに、事故に巻き込まれ亡くなったという。雪菜はいまだに父を無責任だと思う。けれどもそれは恨んでいるとか許せないといった気持ちとは違う。

 伊澄の言葉に刺激されるように、雪菜の頭に浮かんだのは、中学のとき彼女が母に放った言葉だった──

「知らない人のために死んだなんて、お母さんかわいそう」

 本心からのものなのか、うっかり口から出たものか、雪菜ははっきり覚えていない。それでも母の中ではずっと消えない言葉として残っているのだろう。こうしてうまく伝えられなかった自分を恥じるかのようなきき方をする。雪菜には深く身にこたえる。

 雪菜は母を安心させたい一心で、

「そんなわけないじゃん。だって私もさ、観察したいと思ってたから。それにしてもバードウォッチングやってたなんて意外だなあ」

「そう?」と伊澄はほほ笑んで、

「でもあまり続かなかったみたいよ。二、三か月くらいかしら。私も一度お父さんに誘われたのよ。でも、お父さんがあまりに大きな声出すものだから鳥逃げちゃってね、結局スズメとカラスしか見れなかったのよ~」と言った。

 野鳥図鑑は持ち運びできるコンパクトサイズのものだった。帯もついたままで、新品と言っても差し支えない。父もあまり使わなかったのだろう。

 雪菜が中を見ると、ページの上半分には野鳥の写真がのっていて、引き出し線で見分け方のポイントが書かれていた。下半分には鳥の生態や探し方のコツがまとめられている。ツバメ、ムクドリ、スズメなど見慣れた鳥もいれば、ウグイス、カッコウなど想像とかけ離れた鳥もいた。

 ページ右上にQRコードがあった。野鳥の鳴き声がダウンロードできるらしい。試しにコマドリのコードを読み取ってみると、「ヒンカラカラカラ」と馬のいななきに似た声が聞こえた。

 雪菜は部屋に戻り、チェアに座って図鑑を眺めた。そのうちに、「こんな変な鳥もいるのか」「今日運よかったら会えるかな」と興味が湧いてきた。

 双眼鏡、野鳥図鑑、スマホのほかに、水筒、ハンカチ、タオル、リップクリーム、ハンドクリーム、虫よけスプレーなど手当たり次第に詰め込んだら、背中を引かれるくらい重くなった。

 雪菜は磯鴫高校そばの海浜公園に行くつもりだったが、母の勧めもあり、隣の駅の自然公園まで足を伸ばそうと思った。


 姫鵜駅まで出て、高架橋に沿って西に十五分ほど自転車をこぐと、海秋沙うみあいさ駅が見えてきた。

 雪菜がはじめてこの地を訪れたのは、たしかガールスカウトのときだ。リーダーに「ここ変な町でしょ?」ときかれ、ざっくばらんに「都会と自然をのりでくっつけたみたい」と答えたら、みなが大笑いしたのを覚えている。

 駅から南に数分で「海秋沙自然公園」に着いた。焼きつける陽射しと生ぬるい風で、汗がしたたり落ちてくる。雪菜はタオルで汗をぬぐい、水筒を飲んだ。

 駐輪場の隅に園内マップがあった。現在地は左下だ。中央には大噴水広場、ふれあい広場、芝生広場があった。不自然なほど「広場」がついているのに雪菜はあきれたが、右上に野鳥の森を見つけると「いいとこあるじゃん!」と声を上げた。

 てくてくとプロムナードを歩いた。小学生のころはツクツクボウシの声を聞いて夏休みの終わりを実感したものだ。最近は秋になってからでないと聞かなくなったなと、身の回りにも小さな変化が起きているのを知った。

 噴水を囲むように二十張りほどのテントが立っていた。テントの中にはバーベキューのコンロが一つずつ置いてある。まだ開店前なのだろう。客の姿はなく、本部テントでスタッフTシャツを着た男女が集まっていた。

 芝生広場の中央にはケヤキの巨木があった。その根元で小学生くらいの女の子と弟らしき男の子が手を広げていた。はじけるような笑顔である。何してるのだろうと眺めているうちに、ああ、ケヤキのまねをしているのかとわかって、雪菜はふっと笑みをもらした。

 芝生ではピクニックをしている家族連れや、愛犬とフリスビーをしている男性などたくさんの人がいた。

 空いているスペースに数羽のカラスがいた。雪菜はさっそく双眼鏡をのぞいた。剣先のようなたくましいくちばし、濡れ羽色の毛並み、鋭い爪までくっきり見える。これまでカラス──黒い──不気味と連想してそれだけの理由で避けていた雪菜でも、お尻を振りながら歩くカラス、背後にいるスズメに見向きもせずドングリに夢中なカラスに愛嬌を感じた。

 せっかく野鳥図鑑をもらったので、カラスを調べてみた。意外な発見があった。全身漆黒のカラスはなんと二種類に分かれるらしい。ハシボソガラスとハシブトガラスだ。「ハシ」はくちばしを指すのでこれが見分ける基準になる。ハシボソガラスはくちばしが細く「ガア、ガア」と鳴き、ハシブトガラスはくちばしが太く「カア、カア」と鳴く。それ以外にも鳴く姿勢にはっきりとした違いがあるから区別しやすいらしい。雪菜はとっさにツッコミを入れた。

「絶対に気づかないって!」

 あれはどちらだろうと、本を片手に観察したところ、ハシボソガラスっぽいなあと思った。

 野鳥の森に着いた。木々が陽射しをさえぎるためか、広場と違って風がひんやり涼しい。雪菜はくんくん鼻を鳴らした。木の香りだけでなく、土の湿ったにおいも含まれていそうだ。

「ヒーヨ、ヒーヨ」とソプラノ歌手のような声が聞こえた。鳴き声をたよりに探すと、止まり木で鳴いている鳥を見つけた。鳩より一回り小さい鳥だ。じっくり見ようと双眼鏡を向けたが、レンズにおさめるのも一苦労。肉眼では見えるのに、双眼鏡で狙いさだめるのは難しい。おまけにずいぶんとすばしっこい鳥である。とらえたと思っても、ピントを合わせているうちに別の枝に移ったり、木の茂みに隠れてしまう。

 そこで雪菜はあらかじめ見晴らしのいい止まり木を決め打ちしてピントを合わせ、鳥が近づくのを待ち構えた。五分ほどねばったら、ふらっと鳥が止まってくれた。「逃がすか!」と双眼鏡を向けたところ、全身ねずみ色、頭はぼさぼさ、頬が赤錆色と、きれいな声からは想像できない姿だった。天を仰いで元気に鳴いているのがなんとも愛らしい。記憶をたよりに図鑑で調べたところ、ヒヨドリという鳥だった。

 野鳥の森の奥へと進んだ。木からマイナスイオンでも出ているのだろうか。森の香気を感じる。あちこちからひっきりなしに鳥の声が聞こえた。こうして鳴き声に意識を向けるだけでたくさんの鳥がいるのに雪菜はおどろいた。木漏れ日をたどっているうちに小さな森の合唱祭に迷い込んだ気分だ。

 ヤマモモから「ツピッ」とかわいらしい声が聞こえた。声を頼りに探したが鳥らしい姿はない。

 どうやら真夏の野鳥観察は初心者には難しいらしい。青々と茂った葉が野鳥の隠れ蓑になってしまうのだ。

「まいったなあ……」とつぶやきながら探しているうちに、鳥のほうからひょっこり出てきてくれた。スズメほどの大きさの、おもしろい見た目の鳥である。真っ白なワイシャツを着て光沢のある墨色のネクタイをしているように見える。せわしなく動く様はまさしくサラリーマン。

 雪菜はふたたび野鳥図鑑で名前を調べた。シジュウカラという鳥だった。名前の由来が書かれていた。シジュウカラ一羽でスズメ四十羽分の価値があるため「四十雀」と言うようだ。さらに繰ってみると、ゴジュウカラという鳥もいた。青みのかかった灰色の羽が五十代の髪色に似てるから「五十雀」らしい。

「シジュウカラとゴジュウカラで由来が違うんかいっ!」

 図鑑で見る限り、たやすく見分けられそうだが、現地での判別は難しいのだろうか。本には小林一茶の俳句──

『むづかしやどれが四十雀五十雀』が紹介されていた。

 雑木林を抜けた先には、体育館二つ分くらいの広さの駐車場があった。この先には何もなさそうだ。引き返そうとすると、モノクロームの鳥が目にとまった。体の大きさはスズメくらいに見えるが、ずいぶんと尾羽が長い。とことこ走り、ぴたっと止まっては尾羽をぴょこぴょこ振っていた。ハクセキレイという鳥だった。

 雪菜は母に見せてあげようとスマホを向けた。しかしハクセキレイは足が速く、大股歩きの雪菜との距離はいっこうに縮まらない。むっとして「待てこのやろう!」と追いかけたら、ハクセキレイは飛び去ってしまった。

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