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1番こわいもの

掲載日:2025/12/11




金曜の夜、ビルのエレベーターが突然ガタンと揺れ、停止した。


狭い箱の中は薄暗く、非常灯だけがぼんやりと光っている。


ユウマは思わず舌打ちした。


「……最悪」


残業帰りで、心も体も擦り切れている。

しかも隣にいるのは、見知らぬ中年の男。

こういう状況、昔から苦手だった。誰かと閉じ込められるのが、とにかく怖い。


男は、静かに深呼吸していた。

焦っているようには見えない。


「大丈夫ですよ」

落ち着いた声だった。

「エレベーターの閉じ込めって、意外とよくあることらしいですから」


「……あんた、よくこんな状況で落ち着いていられるな」


「まあ、怖いですよ。でも、ふたりなら少しはマシでしょう?」


ユウマはむっとした。


「他人なんて、あんまり信用できないんでね」


「そうなんですか?」


「裏切られたことが多すぎて。だから他人と狭いとこは……最悪なんだよ」


男は、少し黙ったあと、ゆっくり言った。


「じゃあ今だけは、“裏切らない他人” だと思ってください」


「そんな簡単にいくかよ」


「簡単じゃなくていいですよ。

“騙されたと思って信じてみる”っていう程度で」


ユウマは苦笑した。

なんだその妙に柔らかい言い方は。


エレベーターは静かだ。

外の気配もない。

閉じ込められたと自覚した瞬間、喉の奥がきゅっと締まった。


やばい。呼吸が苦しい。


そんな時、男が声をかけた。


「息、浅くなってます。ゆっくり吸って、ゆっくり吐きましょう」


「……見りゃわかる?」


「ええ。怖い時って、皆そうなります」


男の声は、不思議と落ち着いていて、暗闇でも安心感があった。


ユウマは深呼吸を試してみる。

数秒後、少しだけ胸の痛みが和らいだ。


「ほら、大丈夫でしょう」


「……ありがと」


男が微笑んでいるのが、薄い光の中でもわかった。


「人ってね、こういう時こそ助け合うんですよ。知らない同士でも。

むしろ“知らないからこそ”優しくできる時もある」


ユウマは、その言葉を静かに飲み込んだ。


本当はずっと怖かったのだ。

裏切られた日々も、信じて傷ついた自分も。

他人と距離を置けば楽だと思って生きてきた。


でも今、この狭い箱で優しく声をかけてくれる人がいる。


閉じ込められて十五分。

その沈黙の中で、胸の奥の固いものが少し溶けた。


「……なあ」


「はい?」


「もし俺がまた息苦しくなったらさ。声、かけてくれる?」


「もちろんです」


迷いのない答えに、ユウマは思わず笑った。


その瞬間、エレベーターが唸りをあげて動き出した。


床が震え、ゆっくり下降し、やがて扉が開く。

まるで外の空気が祝福しているみたいだった。


ユウマは振り返って言った。


「……ありがとう。本気で、助けられた」


「いえいえ。あなたのおかげで私も落ち着いていられましたから」


男はきちんと頭を下げ、廊下へ歩き出した。


去っていく背中を見ながら、ユウマは思った。


――案外、人間って悪くない。


そんな単純な一言が、今日だけは胸に素直に落ちたのだ。







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