第8章 海賊白頭の襲撃
「ついに、地球の船が助けに来てくれたんだよ!」
双子の歓喜する声に、少年たちは色めき立った。
地球軍や銀河連邦軍が、ようやくキララ号を見つけ出してくれたのだろうか。はち切れそうな期待に、タツヤたちは、興奮して大画面の前に集まった。
しかし、カイは冷静な態度を崩さなかった。
「だとしたら、何故、船の識別が不明なんだろう。単に、まだ距離が遠いからかな?ケンゾー、急接近中の船の映像をそろそろ出せるか?」
カイが早口で呼びかけると、ケンゾーはすぐさま、望遠カメラで捉えた画像を映し出した。初めはぼんやりしていた画像が、徐々にはっきりと、明確な輪郭を伴って顕れた。
画面に大写しされたのは、一隻の変わった超大型宇宙船だった。少なくとも、地球や月や銀河連邦の、見なれたタイプの宇宙船ではない。
その巨大船は、黒くごつごつとした突起物に全身をおおわれ、すきのない、異様な形をしていた。黒光りする外殻は、おそらく、輝眼石とチタン合金をふんだんに使い、とりわけ頑丈に造られているのだろう。ちょっとやそっとの攻撃では、びくともしなさそうだ。
ねじ曲がった太いアンテナは、何ものも逃さんとばかり、上方へ鋭く張り出し、船体の前方には巨大なレーザー砲が進行方向に向けられている。まるで、前を行くキララ号を狙っているかのようだ。
距離がだいぶ離れているのに、タツヤたちは、既に追いつめられた獲物の気分だった。それほど、追いかけて来る謎の巨船は、飢えた猛獣のように、凄まじい迫力だ。
あれは、明らかに、戦闘用として作られた特殊宇宙船だ。画面を一目見たタツヤは、背筋がぞっとした。
船の映像が映し出されて数秒後、甲高い絶叫が司令室中に響き渡った。マナミが耐え切れずあげた、恐怖の悲鳴だった。
「ああ、神様。なんてむごいことを!まさか、カシオペア号を襲った海賊船がここまで追いかけてくるなんて。今すぐ逃げないと、みんな、殺されちゃう。ああ、大変、どうしよう、どうすれば。でも、何故、どうして、追いかけてきたの…」
マナミは狂ったようにそう叫ぶと、ショックのあまりその場に、へたれ込んでしまった。
全員が一瞬にして凍りついた。
小さい頃より、海賊についての怖い話を聞かされてきた少年たちは、その全てを信じていたわけではない。しかし、生き証人のマナミがいる今では、最悪の噂話さえ信じるようになっていた。
人間の子どもの肉は、高く売れる。これこそ、少年たちを震え上がらせた、最悪の噂話だ。子どもの肉は柔らかく美味であり、外宇宙にある闇市場では、非常な高値で取引されていると言う。そのため海賊は、旅客船や海賊船を襲っては子どもたちをさらい、市場に売り払っていると言うのだ。そればかりか、海賊は自分たちも好んで子どもの肉を食べるらしい。
それが決して、根も葉もない噂話ではなく、現実のものとして自分たちの身に振りかかっていると、少年たちは初めて心底身震いしたのだ。
「本当に、本当に海賊なのか?君の見間違いじゃないのか?」アキラは、裏返った声のまま唸った。現実がどうしても信じられず、その代わり、狂おしく頭をかきむしった。
つい数日前までそうだったように、マナミの顔は真っ青になり、血の気のない唇が震えている。
「…見間違いだったら…どんなに良かった…か。でも、あの独特な形の船は、忘れようとしても、一生忘れられない…」
マナミは言い終わると同時に、ぐったりして固定シートの間にもたれかかった。一度ならず、二度も恐怖を味わったマナミは、ここが夢の中だと信じたいのか、硬く目を閉じた。そして、何も見ないよう、何も聞かないよう膝を抱え込むと顔をうずめ、両手で耳を塞いだまま動かなくなった。
「どうしましょうか?」
ケンゾーが画面から呼びかけてきた。今回は、マナミの悲鳴を警報と勘違いはしなかった。
「ただちに、全速力で直進!」
カイは雷にでも打たれたように、大声で叫んだ。とりあえず、追いかけて来る海賊船との距離をあけなくてはならない。
「了解、7秒後に全力発進します。全員、大至急、体を固定するか、何かに掴まって下さい!」
ケンゾーは返事をすると同時に、短いカウントダウンを設け、エンジンを全力稼動させた。
突然の猛烈な加速に、全員が吹き飛びそうになったが、どうにかして、近くの固定シートにしがみついた。マナミは元から固定シートの間にうずくまっていたので、そこから飛び出さず、体は自然に挟み込まれていた。ボルとバルも、固定シート間の狭いすき間に、二人同時に体を滑り込ませ、上手に固定できていた。
キララ号は爆音を轟かせ、あっという間に速度を上げた。タツヤたちは、歯を食いしばってシートにしがみついた。画面には、巨大海賊船の映像と、双方の距離を表した図を映していたが、振動で大きく乱れ、ところどころ歪んだ。キララ号が全力疾走しているにも関わらず、追いかけてくる海賊船は、少しずつ、そして確実にその距離を縮めている。
「ケンゾー、ワープはできるか?」
カイは、シートにしがみついたまま、キララ号の振動に負けないよう、大声で叫んだ。歪んでいたケーブルの修理はほぼ完了し、あとは試し運転をするだけの状態だった。
「できると思いますが、ワープに必要な速度を得る前に、背後の大型船に追いつかれるでしょう」
海賊船はそれほどものすごい勢いで、キララ号を追いかけているのだ。その差は歴然としており、スピードではとても勝負にならない。タツヤは固定シートにしがみつきながら、何かいい方法はないかと必死で考えたが、浮かんでくるのは最悪の場面ばかりだった。
カイが再び大声で叫んだ。
「このままだと確実に追いつかれてしまう。ケンゾー、どこか船を隠せそうなところはないのか?」
「少し先に、不透明な地域が確認できます。おそらくガスの溜まり場かと思われますが、かなり広大な領域です。このまま全速力でそちらに進んだ場合、7分ほどで到着します。ギリギリ、後続船に追いつかれる前に逃げ込めそうです」
ここで落ち着いているのは、いまやケンゾーだけだった。
「よし、それだ。そこへ全速力で向ってくれ。海賊から逃げるのが先決だ」
キララ号はすぐさま、水平方向に80度、垂直方向に55度、向きを変え、未知の領域へ突進していった。
加速が落ち着くまでは、誰もその場から離れられない。タツヤたちは、固定シートや柱に必死に捕まって、猛烈な加速を耐えていた。おかげで体は鉛のように重く、手足の筋肉はすっかり硬直している。その上恐怖のため、顔も手足も、暗く青ざめている。マナミとアキラはとりわけひどく、まるで冷凍睡眠中の人間か、死人のようだった。
マナミの近くにいたカイは、船体の急激な加速と激しい揺れに耐えながらも、固定シートをたどり、じりじりとマナミのところへ近づいていった。
「マナミ、心配しないで。この船は小さいけれど、見た目よりずっと頑丈なんだ。海賊船なんかにやられやしないさ」
カイが、貝のように閉じこもったマナミに話しかける。固定シートの隙間に体を抑え込んでいたマナミは、話しかけてきたカイにようやく気づいた。硬く閉じられた瞼が、ピクリと動いた。マナミは、目を閉じたまま少しずつ声を絞り出した。
「そうよ、そうよね。きっと、そうだわ。このキララ号が海賊船に負けるはずがない。シールドだって強いし、ケンゾーだってついている。小さいけれど、カシオペア号みたいにボロ船じゃないし…」
強気な返事とは裏腹に、気が触れそうなほどの恐怖を、タツヤはマナミの中に垣間見た。マナミは、大声で叫び思い切り泣き出したいのをどうにかして堪えている。細い糸が何かの拍子でぷっつり切れたなら、ダムが決壊するように、マナミはきっと狂乱してしまうに違いない。
「絶対諦めないって約束するよ。だから、みんなで泣くのは後に取って置こう」
カイは自分も恐怖で青ざめながら、必死になってマナミを勇気づけようとしている。そんな思いが伝わったのか、マナミはようやく瞼をうっすらと開け、うつろな目をカイに向けた。
マナミの中で何かが変わった。それはほんの小さな変化ではあるが、マナミの心に不思議な静けさをもたらした。すると体の震えは少しだけ落ち着き、それを見たカイも、ほっとした表情を見せた。
しかし、さすがのカイもアキラには近づけなかった。アキラは、マナミ以上に、酷い状態だった。今何か言葉をかければ、アキラのプライドを激しく傷つけてしまう。タツヤ同様、カイもきっとそう感じたのだろう。
いつもは負けん気が強く、たいていのことには動じないアキラだが、顔は気味が悪いほど真っ青で、体は硬直し、びくとも動かない。まるで、死人をそのまま青い蝋人形にしたようだった。だからタツヤもカイも、今はあえて気がつかないふりをした。
キララ号の加速が落ち着くと、固定シートにしがみついていた両腕の力が軽くなってきた。きっと、ガスで被われた不透明領域に近づいたのだろう。キララ号は、明らかに減速している。カイはついに立ち上がって叫んだ。
「みんな、今のうち固定シートにしっかり着席するんだ!それからタツヤ、一緒に操縦席へ!」
カイが大声で叫んでも、タツヤはまだ呆然としたまま、しがみついている固定シートから手を離そうとしなかった。あまりの緊張に、腕の筋肉がこわばり、動けなくなってしまったらしい。それを目にしたカイは、タツヤの背中を思いっきり叩いた。
「しっかりしろ!僕らは操縦士だろ!」
そのとたん、体中の血管に熱い血が流れ込むのをタツヤは感じた。
(そうだ、僕は操縦士だ。こんなところで恐怖に負けちゃいけない。全てが今、キララ号の操縦士にかかっている。もっとしっかりしなければ)
タツヤは、頭を大きく二、三度振ると、よろめきながらも、カイの後を追って、操縦席へ駆け込んだ。
操縦席の前方には、黄ばんだガスで淀んだ、妙に薄明るい領域が、暗黒の中にくっきりと浮かび上がっていた。正体不明のガスは、ほのかに発光しているようだ。タツヤは初めて見る光景に気を取られながらも、ようやく操縦席に収まった。
「あと2分ほどで、不透明地域に到着予定。ガスの成分は不明。突入に向けて、大幅に減速中」音量をあげたケンゾーの声が、操縦室に響き渡った。「後方の未確認大型船はかなり接近しています。このままだと、キララ号が不透明地域に突入するとほぼ同時に、追いつかれそうです。また、その更に後方には、未確認の宇宙船が複数、同じようにこちらに向かって来ています」
「何だって?複数の宇宙船だって?」タツヤが、猫の悲鳴のような声をあげた。
「はい、まだかなり距離はありますが、確実に近づいてきています」
「複数ってどれくらいだ?」今度はカイが唸るように聞いた。
「だいたい2百隻くらいでしょうか。まだ相当遠い距離にあるため、はっきり捉えられませんが、中には大型母船も混じっているようです」
タツヤは、思わず息を呑んだ。
「海賊船が2百隻も…」
泣きそうなバルの声が、船内スピーカーを通じて聞こえてきた。船内通話ができる状態なので、ケンゾーの声が司令室にいる4人にもしっかり届いていたのだ。
カイとタツヤは二人とも、ハンマーで頭を殴られたような衝撃を受けた。
たった一隻の海賊船でさえ、自分たちにとっては十分脅威なのに、2百隻もの海賊軍団相手では、全く勝負にならない。まるで狼の集団に追われている、一匹の野ウサギのようではないか。
そもそも、キララ号は戦闘用の宇宙船ではない。だから、反撃できる手段だってそう多くはない。逃げる時間を稼ぐため、堅固なシールドで身を守りつつ、貧弱な対空レーザーで反撃するのが精一杯だ。それすら海賊船に通用するのかどうかは、非常に怪しい。
それに比べ、敵は少なくとも、巨大なレーザー砲、破壊力抜群のミサイル、違法に改造した特殊ビームを多数、取り揃えているに違いない。海賊は目的を達成するためなら、遠慮なくそれらを使うだろう。
誰もが瞬時にこの結末を想像したが、それを口に出すのだけは、かろうじて抑えていた。タツヤは、隣にいるカイと視線が合った。カイの顔は、真っ青で唇が僅かに震えている。カイも何かを言いたそうだったが、結局二人は互いに何も言わず、前方に目を向けた。
ボルとバルは一時、押し黙っていたが、船の外に出るんだと、突如狂ったようにわめき出した。二人は、固定シートのスイッチを切ろうと、身をよじって暴れている。
アキラとアリオンが、二人を懸命に押さえ込もうと奮闘している様子が見て取れた。通信器からその一部始終が、船内中に鳴り響いていた。しかし押さえ込もうとしている二人も、双子にかける慰めの言葉が見つけられず、双子の叫び声と暴れる音だけがいつまでも鳴り響いていた。
タツヤは、その騒動に影響されないよう、口もとをぎゅっと硬く結び、腹に力を入れた。
「間もなく、不透明領域に突入します」
幸い、ケンゾーの、あくまでも冷静な声がタツヤたちを励ました。タツヤとカイは、余計なことは考えず、目の前の出来事に集中しようと、操縦桿を握る手にぐっと力をこめた。操縦はまだ自動になっているが、操縦桿を握っているだけで、不思議と心が落ち着いてくる。タツヤは、そんな自分に気づいた。
(こんなところでやられてたまるか)
タツヤは姿勢をぐっと正し、唾を呑み込んだ。
目の前の薄黄色いガスの塊は、手ぐすねを引いて、キララ号を待っている。遠い彼方に見えていた光の集合体は、もうとっくの昔に見えなくなっていた。少しずつ、揺れが激しくなってきた。
「不透明地域に突入します。シールド、最大レベルへ。探査レーダー及び走査ビーコン、前方120度の範囲に作動」
速度を落としたキララ号は、それでもかなりのスピードでガスの中に突入した。不気味な薄黄色いガスは、待ちかまえていたかのごとく、さっとキララ号を包み込み、呑み込んだ。
操縦席の大窓からは、ほとんど何も見えなくなった。こうなると、人間の肉眼は全く役に立たない。ケンゾーはカイの指示通り、さらに速度を落とし、あらゆる探知機能を駆使して、どんな小さな障害物にも衝突しないよう、キララ号を安全に飛行させていた。幸い、このあたりには、キララ号に衝突しそうな、硬い浮遊物はそれほどなさそうだ。
タツヤとカイは、コントロール・パネルやいくつもあるレーダー画面にもれなく目を光らせ、突然何が起こってもすぐ対処できるように、全身をとぎ澄ませた。
「なんて薄気味悪いガスなんだ。ケンゾー、後方の海賊船はどうなっている?」
タツヤはレーダー画面を横目で見ながら、同時に、何も映っていないキララ号後方の映像を確認した。
「やはりこのガスが苦手なようですね。キララ号にピッタリ張りついていますが、さすがに速度を落としています」とケンゾー。
窓の外では、まだら模様のうす黄色いガスが、次から次へと、背後に流れていった。その流れるガスの中には、何かが紛れ込んでいるようだ。よく目を凝らしてみると、黄土色の、ぐにゃぐにゃ動く巨大な塊だった。こんなガスの中でも生きている生物がいるらしい。地球では考えられない生命体だ。
すると、その一つが、タツヤ側の窓にべったりと張りついた。薄気味悪いと思ったとたん、窓に張りついた塊は真ん中から裂け始め、その中から、とげとげしい牙の列が現れた。タツヤは驚いて、身を引いた。
しかし、気味悪い生き物は、裂けた口を見せつけただけで、窓ガラスを食い破る気はなさそうだ。口はみるみる横一文字に広がり、体の両端を目ざして裂けていった。ほとんど口だけの生き物になり、この先どうなるのだろうと思った瞬間、広がりすぎた口は、ついにぱっと切り裂け、真二つになって、後方に飛び散った。
このアメーバ状の生物は、窓にひっついては、勝手に裂けて離れていく。それを何度か繰り返した後、ぱったり姿を消した。それと同時に、薄黄色いガスが、濃い部分と薄い部分に分かれ、黄色いふすまを一枚ずつ開けるように、視界が開けてきた。
そして、ついに、ガス領域の恐るべき正体が姿を現した。小山ほどもある鋼鉄の塊や引きちぎられた柱の数々、無惨にへし折れた厚い金属板や折れ曲がったアンテナの先端など、あらゆる金属の廃材が無造作に凝集して、一塊のゴミの島と化している。
そのゴミの島が、一つだけ、あるいはいくつも連なって、ガスの中に次々浮かび上がった。その谷間には、ガスで腐食された古い宇宙船が、何隻も、哀れな姿をさらけ出している。そこは宇宙空間に漂うゴミの島だった。
「酷いところだな。ここはいったいどこなんだろう」
カイは、握りしめていた操縦かんの手を緩めると、不快そうに顔をしかめた。
「ここは、奇岩諸島だ」
突然、誰かの声が真後ろから響いたので、カイとタツヤはぎょっとして振り向いた。
いつの間にか二人の背後には、アキラが立っている。アキラはもう震えてこそいなかったが、まるで幽霊のように青白い顔でうつむいたまま、ぼうっと突っ立っていた。ただならぬアキラの気配に、二人はぞっとした。
「アキラ、どうしたんだい?固定シートに座っていないと危ないよ。いつ急発進するかわからないぞ」とタツヤ。
すると、アキラは固い表情を崩さないまま、ぼそぼそと言った。
「おれも参加したいんだ。カイ、頼むよ、後ろの補助席に座らせてくれないか」
静かな口調だったが、そこには必死の思いが込められているのを、二人は感じとった。カイは少し間をおいてから言った。
「もちろん、君がここにいてくれれば心強いが、そんな顔色で大丈夫なのか?」
アキラは、ただ黙ってうなずいた。カイは、続けざまに聞いた。
「で、奇岩諸島って何なんだ?」
アキラは、カイとタツヤの背後にある補助席に体を固定させた。
「宇宙船の墓場だよ。動力を失った宇宙船やバラバラに解体された機械の残骸が、ここに吸い寄せられるんだ。巨大な潮溜まりさ。しかも、この薄汚いガスが金属を少しずつ溶かしているんだ」アキラはうつろな目で前方を見つめたまま、口もとだけを動かす。「そして別名、海賊の巣とも呼ばれている」
カイとタツヤは、全身が凍りついた。
「…すると僕らは、海賊の巣の中に、まんまと追い込まれたってわけか」
カイは振り向きもせずに、つぶやいた。アキラは何も答えない。きっとそれが答えなのだろう。キララ号はよりによって、海賊の罠に嵌ってしまったのだ。
海賊にとって、この場所はまさに自分の庭だ。全速力で追いかけるふりさえすれば、獲物は自ら罠に飛び込んでいく。そして、実際、その通りになった。
タツヤはこの時、宿命なるものを生まれて初めて感じた。人生には、自分がどんなに強い意志や情熱を持っていようと、変えられない現実に直面する瞬間がある。だが、それは、普通なら、大人になった時にぶち当たる体験だ。それまでに、学び、経験を積み重ね、直視できるように自分自身を成長させる。
それなのに自分たちは、未熟なまま、どうあがいても逃げられない宿命に対峙させられようとしている。宇宙の過酷さと同時に、人生の厳しさを否応なしに経験させられるのだ。
「カイ船長、海賊船はキララ号の後方、約50キロメートルに迫っています」
ケンゾーの声が更に大きくなっていた。
カイとタツヤは、その声にはっとした。いつまでも、絶望に浸るのは許されない。敵は迫りつつあるのだ。操縦室の小さなレーダー画面には、海賊船の接近を警告する赤いランプがしきりに点滅していた。
海賊の支配する領域で、ほとんど丸腰のキララ号は、どうやったら逃げ切れるのか。タツヤは迫り来る恐怖に怯えながらも、懸命に考えた。すると、ある考えが閃いた。
「カイ、ちょっと乱暴な案だけど、散らばっているゴミの島を適当に飛び回ってみるのはどうだろう。やたら図体のでかい海賊船なら、振り切れるかもしれないよ」
確かに、小型のキララ号なら、超大型の海賊船より素早く動き廻れるはずだ。むしろ、キララ号が海賊船に勝てる唯一の長所と言っていいだろう。しかもこの奇岩諸島は、凹凸の激しいゴミの山が複雑に入り組んでいるので、まさにうってつけの舞台だ。後続の2百隻が追いつく前に、この海賊船さえ振りきれば、あるいはうまく逃げられるかもしれない。
一縷の望みに、カイの顔から必死の形相が緩み、その代わり、落ち着きのある真剣な眼ざしが輝いた。
「それはいい考えだ。早速やってみよう。基本操縦は僕がやるから、タツヤは船体のコントロールを、アキラは海賊船の監視を頼むよ。ケンゾー、操縦を手動に切り替えてくれ。そして、これから相当無茶な運転をするから、最高レベルの安全飛行管理をお願いするよ」
カイは、これから始めようとする計画を手短に、司令室へ連絡し、通信を切った。すぐに訪れた短い沈黙に、船内の緊張は一気に高まった。
ここからは、操縦士としての腕の見せどころだ。
「行くぞ」
不規則に点在するゴミ山の間をうねるように、カイはキララ号を飛行させた。右に左に大きく曲がり、ゴミの塊の下へ潜り込み、一変して急上昇すると、一段上を流れているゴミの山を飛び越えた。あるいは、空中で身軽に二回転し、急降下すると、手前にぐっと引き返す。意味もなく、でたらめに動き回ることで、追いかけてくる海賊船を混乱させるのが目的だ。
カイは、とても素人とは思えない操縦技を披露した。タツヤは、自分たちが危険な状況にいるのも一時忘れ、カイのみごとな操縦さばきに、ほれぼれと見とれた。
少年たちは座席にがっしりと電磁固定されているので、怪我をする心配はなかったが、しばらくするとあまりの激しい揺れに、吐き気を催し始めた。操縦しているカイでさえ、しっかり前方を見据えてはいるものの、次第に方向感覚が怪しくなり、顔色が悪くなってきた。そもそも、曲芸のような飛行を長く続けるのには、無理がある。
この勝負は、短時間で決着をつけなければならない。それなのに海賊船は、キララ号を見失うどころか、いつまでたってもしつこく追いかけてくる。
しかも奇妙なことに、海賊船はキララ号のすぐ背後を追いかけるのではなく、キララ号と一定の距離を保ち、キララ号と並行するように飛行していた。だから、キララ号がどんなに派手な動きをしても、少し離れたところには、海賊船がいつも、影のようにぴったりと寄り添っている。海賊船はまるで、キララ号が疲れきって動けなくなるのを、ほくそ笑みながら待っているようだった。
カイの顏や首筋からは、ひっきりなしに汗が流れ出ていた。激しい揺れのため、顔色はますます悪くなり、手もとも怪しくなってきた。それでも操縦かんを握りしめたまま、右へ左へ、必死にキララ号を蛇行させていた。
顔中から吹き出した汗は、キララ号の激しい揺れとともに、肩や足、操縦席の計器にも飛び散った。まくり上げた袖の下からは、あの青銀の腕輪が光っている。体が激しく動いているため、腕輪が手首までずり落ちてきたのだろう。
だが、そうまでしても、海賊船から離れることはできない。
「カイ、ダメだ。奴らは全然騙されない」
タツヤは、込み上げてくる吐き気を抑えながら、横で呻いた。
「じゃあ、どうすればいいんだ!あいつらに捕まった瞬間、僕らの未来はそこでなくなるんだぞ!」
カイは、操縦桿を握りしめながらも、思わず怒鳴った。最悪な気分の上、打つ手がないので、カイはいつもの冷静さを失いかけていた。しかもほとんど一人で、大人顔負けの操縦をしていたため、疲労は限界を超えている。
あまりの迫力に、タツヤは一瞬しり込みしだが、そこはぐっと耐え、すぐに気を取り直した。
「いざとなったら、こっちから攻撃をしかけよう」タツヤは、大きく揺れ動く船体に身をよじらせながら、破れかぶれの考えを口にした。「海賊船の反撃は目に見えているけど、僕とアキラが対空レーザーで、いきなり攻撃を仕掛けるんだ。いや、攻撃と見せかけて、近くにある廃材を狙って煙を多量に発生させ、相手が驚いた隙に逃げるんだよ。かなり危険だけど、少しは時間を稼げるかもしれない」
キララ号の武器がたいして役に立たないのを、タツヤはもちろん十分承知していた。先手を打って攻撃を仕掛けたとしても、海賊船はおそらく怯んだりしないだろう。むしろ、強烈なレーザー砲を即座にお見舞いされる恐れがある。タツヤだって、そんな結果は百も承知だった。
それでも、何かせずにはいられなかった。このまま、ただやられるのを待つだけなんて、どうしても納得できない。ここで諦めたら、7人全員とも、短い人生が終わってしまう。生き残るためには、何かをしなければ。タツヤもまた追い詰められていた。
その時タツヤは、突如、別のアイデアが閃いた。
「待てよ、それよりもっといい考えがある。どこかにじっと隠れて、船の電源を切り、海賊船をやり過ごそう。最大の賭けだけど、こっちの方が、望みがありそうだ」
「そりゃあ、名案だな。その方が、ずっといい」
ここにきて、ようやく、げっそりしたカイにも控えめな笑顔が現れた。
「これから敵を騙すため、船の電源を切るけれど、決して怖がらず、静かにお願いするよ」カイは、船内通信で司令室の少年たちに、素早く伝えた。
主電源を切ってしまうと、当然ケンゾーも停止する。ケンゾーは、安全飛行システムの管理ばかりでなく、キララ号の様々な機能を管理し、また、少年たちにわかりやすく貴重な助言もしてくれる。ケンゾーが停止すると、キララ号は非常に危険な状況になるが、それでも、他に手立てのない少年たちは、賭けてみるしかなかった。
「私としては誠に残念ですが、その案に賛成です。しばらくの間、休暇を頂きます」
ケンゾーは意外にあっさりと、自分の任務を放棄した。
キララ号は7回ほど大きく迂回した後、全速力で急降下して、予め目星をつけておいた巨大なゴミ山の、入り組んだ穴倉に滑り込んだ。穴倉に入ると同時に主電源を切った。エンジン音はぷっつり途切れ、船内の照明も全て消えた。船内の空気を調節管理する装置、そしてケンゾーも停止した。こうなると、キララ号は、その辺にある金属ゴミの一つでしかない。
音も光もない世界が、幕を開けた。
操縦席の青い非常灯だけがぼんやりと、手もとのコントロール・パネルを寂しげに照らしていた。キララ号は、まるで真っ暗な深海に潜む生物のように、息を殺した。
「このまま気づかずに行ってくれれば、助かるんだけど」
「ああ、そう願うしかないな。穴倉の出入口は一つだけだから、見つかったら今度こそ、お終いだ」
カイとタツヤは身を寄せて、ひそひそと小声でしゃべっていたが、互いの心臓が飛び出しそうなほど大きく脈打っているのがわかった。全力で逃げるのも大仕事だが、こうしてじっと待っているのも、耐えがたい苦痛だ。二人は生まれて初めて、命がけの忍耐を経験した。
電源を切ったので、船内はすぐに冷え込んできた。吐く息も白い。空調計の表示から、酸素だけは、当分持ちこたえそうだ。しかし、ケンゾーもレーダーも使えないので、海賊船がどこにいるのか、外がどんな状態なのかは、全くわからない。もはや自分たちの目と耳だけが頼りだ。キララ号は、ただひたすら待つしかなかった。
間もなくすると、キララ号の前方、穴倉の入口からずっと先に、弱々しい光が見えてきた。光は小刻みに瞬きながら、ゆっくりキララ号の方へ進んでくる。
二人は、体を強張らせたまま、まるで全身が目になったように、微弱な光を凝視した。
「ダメだ、見つかっている」背後から、アキラの呻き声が響いた。
カイとタツヤは、すぐ後ろにアキラがいたのをすっかり忘れていたので、その声に死ぬほど驚いた。そんな二人の反応にもアキラは気づかず、蒼白な顔でぼんやり前方を見つめたまま、言い捨てた。
「何をやったって、もう無駄だよ」そのため息には、皮肉さえ入り混じっている。
「まだ、わかんないだろう?もう少しじっとして様子を見よう。今ここで飛び出したら、相手の思う壺だ」とカイ。そうは言ったものの、カイだって本当のところは、全速力で逃げ出したい気分に違いない。
突如、アキラは補助座席の固定スイッチを解除すると立ち上がり、暗がりの中をふらふらと歩き出した。
「アキラ、今、固定シートを離れるのは危険だよ。いつ急発進するか、わからないから」
タツヤは、アキラの背中に向かってかすれた声を投げかけたが、アキラは振り返りもせず、無言で操縦室を出て行った。二人は、アキラの奇妙な行動が気になったが、今はそれどころではなかった。再び前方に向き直ると、見えている光に全神経を集中させた。
二人の切なる願いとは反対に、前方の光はどんどん明るさを増し、煌めきながらキララ号に近づいてきた。それも、ゆっくりではあるが、狙いを定めた猛獣のように、確信を持って、キララ号へ一直線に向って来るではないか。
「これはおかしいぞ」カイが小声で唸った。「電源を全て切っているのに、まるでキララ号の位置を、最初からわかっているみたいだ」
それはタツヤも感じていた。こんなに、ゴミ山が複雑に漂う領域で小型宇宙船を探し出すのは、いくら最新式の海賊船でも、手間がかかるだろう。少なくとも、小型宇宙船が隠れそうな隙間を探るため、右に左に大きく振れながらやって来るはずだ。それなのに、光は少しもぶれることなく、キララ号を目ざして、まっしぐらに迫ってくる。
「確かにおかしい。この領域全体に、蜘蛛の巣のような探知システムでも張り巡らせているのか、それとも、キララ号から誘導波が出ているのか。それしか、考えられない」
二人は、互いの蒼白な顔を見合わせた。
「もしそうなら、隠れても無駄だ。さっさとシールドを張って逃げよう」
カイはそう言いながら、主電源のスイッチを入れようと、急いで手を伸ばした。
しかし敵の方が、一手早かった。穴倉の入口からは目も眩むような照明が差し込み、穴倉の中は瞬時に強烈な光で照らし出され、何もかもが顕わになった。
「まずい、見つかった!」
まばゆい光が操縦席の大窓からどっと溢れた。二人はとっさに、両手で目の辺りを覆い隠すと同時に、体を操縦席の下に潜り込ませた。
強烈な照明がキララ号の操縦席に、直接向けられたのだ。それと同時に、ひどく耳障りな音が響いてきた。タツヤは、身を隠したまま、手探りで主電源のスイッチを探り当て、押したが、電源は入らない。キララ号は、外から無理やり全機能を停止させられていた。
そうしているうちに、操縦室に向けられていた強烈な照明は、横にずれ、やっと目を開けていられるようになった。二人は、操縦席の下から、そっと顔だけを覗かせた。見ると、穴倉の内側の隅々まで光が行き渡り、積みあがった古いパイプの穴や折れ曲がったアンテナの先端までもが、くっきりと照らし出されている。
その照明の源である穴倉の入口には、巨大な海賊船がキララ号を見下ろすようにそびえ立っていた。海賊船の銃口は全てキララ号に向けられ、レーザー砲も発射準備を完了し、その発射口からは、赤い溶岩のような光をチラチラと覗かせている。後はキララ号に向かって、発射されるのを待つばかりの状態だ。
そこへ、ひどい雑音と共に、威厳のある男の声が船内放送のスピーカーから響いてきた。それは、地の底から響くように低く、迫力のある声だった。船外通信用の機器は壊れたままだったが、海賊はどうやら、船内通信回路に強引に割り込んだようだ。宇宙船同士の距離が近いため、そんな芸当も可能なのだろう。
「よく聞け、宇宙船キララ号。私は、海賊一角鷹団の首領、白頭だ。指名手配中の凶悪犯ツクヨミが、そこにいるのは、わかっている。素直にそいつを差し出せば、他の者に手出しはしないし、キララ号にも攻撃を加えない。約束しよう。しかし、おまえたちが、せっかくの申し出を拒否し、不審な行動をとるなら、容赦なく攻撃を開始する。当然、命の保証はない。ここは我々海賊の支配する領域、奇岩諸島である。ここから逃げ出すのは、もはや不可能だ。わかったら、おとなしく従うのだ」
その声が聞こえなくなったとたん、操縦室や司令室大画面の電源が勝手に入り、乱れた画面の真ん中に一人の大柄な男の映像が映し出された。
タツヤは唖然としたまま画面に釘付けになったが、カイは、こちら側から送信する音声や画像の電源スイッチをいち早く切った。ほとんど、本能と思える素早い行動だ。これで、相手からの受信だけが有効になる。操縦室で見ている同じ画面が、指令室の大画面で大映しされている。タツヤとカイは、皆のいる司令室へ急いで移動した。
大画面に映っているこの大男が、海賊一角鷹団の首領、白頭だ。名前の通り、みごとなまでの白髪、骨さえ噛み砕きそうながっしりした顎、子どもをひとひねりで殺せそうな分厚い手、猛獣を思わせる残酷な厚い唇。そして、何者も容赦しない厳しい目で、大画面から少年たちを睨みつけていた。
本物の海賊に、生まれて初めて対面した少年たちは、画面越しにも関わらず、すっかり圧倒された。声すら上げられず、ただ画面を見つめるばかりだった。泣いていたボルとバルは、あまりの恐怖のため、逆に涙が止まってしまい、ポカンと口を開けたままだ。カイでさえ、画面の人物に射すくめられると、たちまちその場に凍りついてしまった。その後ろからやってきたタツヤは、早くも司令室の入口で立ちすくんでいた。
差し出せと言われても、キララ号には、ツクヨミなんて凶悪犯はいない。いないものは、差し出せない。海賊は明らかに、思い違いをしている。
それでも、差し出すものがなければ、逆らったとみなされるだろう。言い訳が通用するとは、思えない。そうなれば、白頭は容赦なく、キララ号を攻撃するに違いない。しかし、たとえ白頭に従ったとしても、約束どおりキララ号を解放してくれるとは、到底思えない。相手は、野蛮な海賊なのだ。
こんな時、ケンゾーの知恵を借りられたらとタツヤは思ったが、外から強制的に機能を停止され、ケンゾーを呼び出せない。
万策は尽きた。さすがのカイも、今度ばかりは次の一手が思いつかない。緊迫した時間だけが、空しく流れた。
そんなカイを、ボルが驚いた表情のまま、おずおずと見上げた。
「カイ、僕たち、さっさと降参しようよ。ここには凶悪犯ツクヨミなんていないんだから、それさえわかってもらえれば、きっと僕らを解放してくれるよ。海賊は、約束するって言っていたし」
ボルは、白頭の命令に従うのが当然だと思うようになっていた。あまりの恐怖に、小さな少年たちの心は、とっくに耐えられなくなっていたのだ。だから、すがるような気持ちでカイに訴えた。しかし、どうしたことか、カイは何かをしゃべろうとするものの、言葉にならず、ただ戸惑っているばかりだ。
「海賊の約束なんて、そんなもの、信じられるか」
代わりにタツヤが、後ろから陰うつな声で答えた。カイはその声ではっと我に返り、奇妙なほど必死の形相になると、今度は小さなボルに力説し始めた。
「タツヤの言うとおりだよ。海賊の言う、約束なんてあてにしちゃいけない。キララ号を明け渡したら、僕らは、一巻の終わりだ」
「でも、キララ号は外からロックされて、もう動けないんでしょう?どっちにしろ、降参するしかないじゃない」今度はバルが、負けずに食い下がった。
「キララ号の古い自家発電機を使えるかもしれない。そうしたら、対空レーザーを動かせるかも」とタツヤ。
「そんなもの、役に立たないって、わかっているでしょう?それより、こっちからレーザー攻撃なんてしたら、強烈なレーザー砲が十倍返しで飛んで来る。それに、海賊船はあと、2百隻いるんだよ。どうやって戦うのさ!」
双子はついに小さい顔を真っ赤にさせ、カイとタツヤに歯向かった。
これ以上、恐怖に晒されるのは限界だった。双子だけではなく、誰もが、正気でいられるぎりぎりの、崖縁に立たされているのだ。タツヤにはそれが痛いほどわかっていた。わかっているのに、どうすることも出来ない。
カイはまたしても、放心したように虚ろな目で宙を見つめ、よろめきながら壁にもたれかかった。
すると、固定シートにうずくまっていたアリオンが、真っ青な顔を上げて、おもむろに立ち上がった。
「もう降参するしかない。そうすれば、犠牲は最小限ですむはずだ。カイ、これ以上は無理だよ。私は…」
アリオンは、首を小さく横に振った。涙が一粒、淡い栗色の目に浮かんでいる。たったそれだけの言葉に、カイは、今まで見たことないほどひどく狼狽し、たちまち全身から血の気が引いた。
「そんな、アリオン、こんなところで諦めるなんて。ああ、だって、僕らは…」
言葉にならなかった。カイは空の固定シートに、なすすべもなく、崩れ落ちた。こんなカイを見るのは、初めてだった。
キララ号のリーダー・カイは、若干、14歳ながら、どんな場面でも冷静で、皆を正しい方向へ引っ張ってくれた。連絡通路爆発の時は、みごとな腕まえでキララ号を墜落から救ってくれた。キノコ星ピロクセンでは、降下艇が巨大キノコに衝突しそうだった時、やはりその力量を発揮した。ピルラ星では、長老と交渉して燃料を手に入れ、地球へ帰る道筋をつけてくれた。そして海賊に追われても、冷静にキララ号を操縦して、ここまで逃げ延びてきたのだ。
その唯一頼りになるカイが今、アリオンの一言で信じられないほど打ちのめされ、絶望のどん底へ突き落とされた。まるで見えない何かが、カイを押し潰してしまったかのようだ。
カイは固定シートに顔をうずめたきり、動かなくなった。きっと泣いているのだろう。声もたてずに。
それを見たアリオンも、倒れ込むように固定シートにうずくまり、苦悩の表情のまま、頭を抱え込んだ。
船の中は、不思議な静寂に満たされた。恐怖と戦うのに疲れ果てた少年少女は、いまや、諦めに身を委ねる方が、ずっと居心地よく楽だった。もちろんその先にあるのは地獄であろうが、それすら、先の見えない恐怖よりは、ずっとましだった。
あとは、その地獄を受け入れる決心だけだ。静かな沈黙の中で、少年少女たちはそれぞれ、最後の覚悟を決めようとしていた。
ところが、その沈黙をタツヤが、突然打ち破った。
「僕は諦めないよ」タツヤが、動かなくなったカイの前にすっくと立ちはだかった。「僕は怖がりで、すぐに手足が震えちゃうけど、諦めるなんてごめんだね。それを、身をもって教えてくれたのは、カイ、君だよ。たとえ結果がどうであれ、卑劣な海賊なんかに降伏したくない。最後まで戦うよ、怖いけどね」
タツヤの膝は、やっぱり震えていた。それでも、その目はしっかりと、戦う覚悟でいる。
タツヤは、どうしても諦め切れなかった。
数々の困難を皆で乗り越えてきたのに、こんな野蛮で卑劣な海賊に、自分たちの命と運命を明け渡すなんて、我慢がならなかったのだ。地球で平和に暮らしていたタツヤは、こんな危険に直面する経験なんて、今まで一度だってなかった。
だから、自分がどんな人間なのか、どれほど臆病なのか、あるいは、どれほど勇気があるのか。そして自分に何ができるのか、まるでわからなかった。だが、こうして迫り来る危機に直面した今、本当の自分が少しだけわかったような気がした。
すると、度重なる恐怖のため、身を縮こませ、何も見ないようにしていたマナミが頭をもたげた。その顔は、恐怖に歪み人生を呪っていた今までとは違い、力に満ちあふれ生き生きとしている。
「タツヤの言うとおりよ。私も、海賊なんかに負けたくない。ここで、ただ怯えているだけなんて、もうごめんだわ。肉の塊として売られるくらいなら、最後まで戦って死んでやる。これでもレーザー銃なら、少しは使えるしね。その方がよっぽど格好いいし、私らしい」
マナミは、固定シートから勢いよく立ち上がった。少女とはいえ、女は一旦心を決めると力強かった。マナミは絶望の淵から、不死鳥のごとく甦った。
マナミの復活を目の当たりにした双子も、次第に顔が輝いてきた。さっきはあまりの恐怖に、人生を投げ出しかけた二人だが、海賊に降伏したところで自分たちがどうなるのか、やっと理解できたのだろう。
「わかった。僕たちも戦うよ。もう、怖がるのは止めた」
「うん。父さんに褒めてもらえるような、勇敢な戦士になるんだ。海賊になんて、負けたくない」
双子は、甲高い声で強烈に叫んだ。
すると、絶望の底にいたカイがほんの少し顔を上げた。カイはやはり泣いていた。目を真っ赤に腫らし、涙で顔が濡れている。それでも、みんなの強い決意を聞いているうちに、少しずつ、絶望の底から這いあがってきたのだ。
「カイ、戦おう。諦めるのは、それからでも遅くないさ」
タツヤはカイの目の前に、すっと手を伸ばした。
「戦おう、カイ船長。みんなで戦おうよ。海賊なんかに負けたくない」
小さな双子が元気な声を張り上げた。
「そうよ。まだ勝負は決まったわけじゃない。いいえ、勝負はこれからよ」
マナミが勇ましく拳を振り上げた。
カイは、差し出されたタツヤの手を掴んだ。そのまま、引っぱり上げられ、皆の前に立ち上がった。まだ、目は赤かったが、皺くちゃになったシャツの袖で涙をぬぐうと、いつものカイに戻っていた。
それから、カイは、固定シートにうずくまっていたアリオンに手を差し伸べると、今度はアリオンの体を力強く引っ張りあげた。アリオンは泣いてこそいなかったが、泣く以上に、気の毒なほどやつれていた。
「タツヤ、君の勇気はアリオンのリュナ以上だよ」
カイは、鼻の下に残っている涙を手でぬぐった。タツヤは、そのしぐさに思わず笑った。
マナミは、アリオンに白いハンカチを差し出した。マナミが初めて少年たちと出会い、海賊の恐怖に泣き出した時、アリオンがマナミに差し出した、あのハンカチだ。
「勇気の印をあなたに返すわ。今度はあなたが受け取る番よ」
アリオンは、泣いてはいなかったが、少し照れくさそうに笑うと、ハンカチを受け取った。
危険な状況は何一つ変わっていないものの、さっきまでの少年たちとは大きく違っていた。だから、先ほどまでとは違う何かができると、少年たちは小さくても熱い希望を胸に抱いた。
タツヤは、船内カメラのスイッチが切られているのを確認してから、言った。
「カイ、こっちからは、声だけを送るようにしよう。通信機器が壊れているふりをしてね。この船には、子どもがいないと思わせるんだ。ばれないように、声も変えて」
カイはきりりと顔を上げ、全員が大きくうなずいた。
「よし、やってみよう。これでダメなら、徹底抗戦だ。皆、どうか声を出さないでくれ」
カイの決定に、全員が小さくうなずいた。
画面の白頭は、いくら待ってもキララ号から返答がないので、相当苛立っていた。そして、ついに痺れを切らしたのか、再び画面に向かって、怒鳴り出した。さっきより、一層凄みを増している。
「キララ号、ただちに返答せよ。あと一分待っても返答がなければ、容赦なく宇宙船を破壊して、凶悪犯を捕らえに行く」
カイは、司令室にある通信回路のスイッチを入れると、マイクに向かった。
「一角鷹団の首領、白頭に回答する。当キララ号には、ツクヨミなる人物は乗っていない。返答が遅くなったのは、ツクヨミなる人物を確認するため、時間がかかったからだ。我々は、純粋に宇宙旅行を楽しむ、銀河連邦地球の一団だ。知らなかったとはいえ、あなた方の領域に踏み込んでしまい、深く反省し謝罪する。それゆえ、この場はどうか収めて頂けないか」
青年の声に変換された、カイの声が流れた。送信画像の元スイッチは切ってあるので、キララ号側の画像は送られず、青年カイの声だけが相手に届いているはずだ。
「なるほど、そちらの事情はよくわかった。今回は見逃そう。なんて言うとでも思ったのか?猿芝居は、いいかげんに止めるんだな。そこに凶悪犯ツクヨミがいるのは、とうにわかっている。隠れても、隠しても無駄だぞ。それからアキラ、おまえもな」
白頭の刺すような眼差しが、暗い司令室にいる少年たちを貫いた。