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第6章 小さな王と碧眼の賢者

 翌日は、朝から火のついたように忙しかった。少年たちは、朝食もそこそこに、手分けをして出発準備に取りかかった。いざ、出発となると、やるべきことは山積みだ。

 住人たちに手伝ってもらいながら、先に届いた食料や水やその他必要なものを、タツヤたちはキララ号に運び入れた。種類や量をチェックの上、保管方法に合わせて、食糧庫や冷凍庫、徐放射線室や特殊管理室等に振り分けた。その細かい記録をケンゾーが入力した。

 ケンゾーは、キララ号全体にかかる重量の偏りも調整した。無重力状態の宇宙空間では問題とならないが、地球などの重力の発生している惑星圏に入れば、とたんに船体が不安定になる。そのため、重い積荷をバランスよく配置した。

 地球を飛び出した時点では、偶然なのか、バランスよく積荷が配置されていたため、問題は起きていなかった。

 大量の水は検査しながら管理槽に移し、更に自分たちの体に合うよう、調整剤を慎重に加えた。圧縮空気装置は念入りに点検し、何度も動作の確認を行った。

 昼近くになって、やっと燃料の金属水素が届けられた。金属水素は、特殊なタンクへ慎重に移し変えなければならない。そのために、ケンゾーと協力しながら、何重にも管理シールドを設定した。ほんの少しでもシールドに薄い部分があると、キララ号は大変危険な状態になってしまう。だから、ここは絶対に間違いが許されない。

 ケンゾーが示した手順通りに、とりわけ神経を尖らせてシールドを張り、ケンゾーの確認後に、ようやく燃料を注入し始めた。

 ゆっくりと燃料が注入される間に、キララ号自体の大がかりな再点検が進められていた。外から見ただけではよくわからないが、船体の外殻に若干歪みが生じていた。キララ号の先端に近い部分だ。ケンゾーが異常を感知し、大規模な走査を行ったところ発見された。

 たいした損傷ではないものの、炎の輪をくぐり、この惑星に着陸する際に、変形が起きたようだ。

 長老の言う、7層の厚いバリアのせいだろう。それは、ピルラ星が隠れ星となるため、身にまとった特別厚い鎧なのだ。その厚いバリアの正体を、長老は決して教えてはくれなかった。だが、炎の輪を通過する物体には、何らかの負担がかかると語っていた。

 キララ号は、単なる大気圏突入ではなく、未知の、もっと重い何かをくぐり抜けたのだ。だとすると、惑星脱出にあたり、再度炎の輪を突破する際、今度もまた、キララ号に同様の負荷がかかる恐れがある。

 ケンゾーは、対処として、その部分のシールドを特に厚く設定した。その分、キララ号後部裏のシールドを薄めに配分して、調整した。

 東京宇宙空港での爆発事故による修復は、ほとんどできていないままだ。この星では、必要な部品も、代替えの部品も入手できない。同じような文明が発達していても、さすがに宇宙船の精密部品の調達までは、不可能だった。

 技術の専門家がいれば、あるいは、ピルラ星にあるものを使って、加工し、間に合わせられたかもしれない。だが、あいにくそんな人材はいない。いるのは、宇宙に関心のない、のんびり穏やかな住民だけだ。

 一番修復したい通信設備も、必要な部品が調達できないため、来た時とほぼ同じ状態で、また宇宙空間へ戻ることになる。それでも、食料や燃料を豊富に手に入れたので、すっからかんの貧乏から、小金持ちになった気分だとケンゾーがからかった。

「いや、満腹とはこんなに満たされた気分なのですね。おっと、失礼!」

 ケンゾーがゲップをした。タツヤたちは驚きのあまり、持っていた荷物を床に落とすところだった。

 6人の少年は、出発の準備をする傍ら、ピル・ラ長老、ムバルスを始めとする迎賓御殿の人々や街の面々に、挨拶をしに廻った。かなり余裕を持って出かけたつもりだったが、行く先々で長い時間引き止められ、予想以上に手間取ってしまった。

 街に住む顔なじみの人々からは、この星に留まって欲しいとしつこく懇願され、なかなか次へ進めなかった。中には、自分の家屋敷を全てあげるから、もう少しここにいてくれと、泣きつく者までいる始末だ。すっかり困り果てた少年たちは、結局、ムバルスに住人たちを説得してくれるよう頼んだ。

 特に、小さいボルとバルの人気は凄まじい。山のような金銀財宝や波紋真珠石でできた巨大な屋敷、設備の整ったビルをぜひ受け取って欲しいと、信じがたい申し出が二人に殺到した。

 ピルラ星に来てからというもの、二人は連日、神様のような扱いを受けてきた。兄のボルは、最初の2、3日こそ神様扱いに大喜びし、はしゃいでいたが、4日も過ぎるといい加減うんざりしていた。その頃になると、アキラが、ボルを星の王子様とからかうのにさえ、口を尖らせ腹を立てていた。

 しかし、双子の弟バルは違っていた。ボルのように、初めからうかれたり、調子に乗ったりはしなかった。ただ、黙って受け入れるだけだった。こんな状態が続き、一週間が過ぎても、バルは、人々から崇められるのを嫌がっていない。むしろ、それを静かに楽しんでいる風だった。

 以前は、兄のボルとつるんで、無邪気に騒いでいたバルが、日を追うごとに、変に大人びて口数が減り、昼間は、自分を崇める街の住人と共にする時間が増えていった。そのせいもあって、この頃では、双子なのに互いに話をする機会さえ、めっきり減っていた。

 バルの変化には、皆、気づいていたものの、あまりに心地いい環境に浸っていたせいか、誰も、双子の兄弟を本気で心配しようとはしなかった。二人の面倒を見てくれる保護者は、山のようにいたからだ。

 出発の時間が刻一刻と迫っているのに、バルは知らない間に皆から離れ、自分を崇める街の人々のところへ行ってしまった。そして、いつものように大行列の一団を作り、大通りをさっそうと行進している。その有様を目にすると、バルは本当に、この星の小さな王様のようだった。そんな弟につき合いきれないボルは、独り早々とキララ号に引き上げていた。

 キララ号では、燃料注入以外の作業と確認があらかた終了し、いよいよケンゾーの本格的な最終点検が開始されようとしていた。

 それなのに、まだバルだけが帰ってこない。一同はさすがに心配になり、バルを迎えに行くことになった。カイとアキラは、燃料注入の監視とそれに関する点検作業で忙しかったため、手薄なタツヤとアリオンがその役目を引き受けた。

 迎えに行くにあたって、アリオンは見慣れない大きめの機材を肩にかけていた。

「アリオン、その重そうな物はなんだい?」

 タツヤが問いかけると、アリオンは屈託のない笑顔で答えた。

「ああ、撮影用の小型カメラだよ。記念に、この星の人々を映像に残したいと思ってね」

 タツヤとアリオンは、白い空港を出て、街に向かった。

 二人は、バルを迎えに行くだけと軽く考えていた。が、それが、とんでもない事態になるとは、この時はまだ、想像もしていなかった。

 街に着いたタツヤとアリオンは、先ほどまでバルが人々を引き連れていた大通りに出てみた。すると、いつの間にか、通りはものすごい人だかりになっている。人々は口々に、何かをつぶやきながら、行列になって、通りの突き当りにある神殿へ向かっているようだ。

 普段でも、街の大通りは、通り沿いに市場が連なり、賑わっているが、いつもとは様子がまったく違う。人々の視線はどこか遠いところを見つめ、焦点が合っていない。栗色の瞳の色も、心なしか、更に薄くなっているようだ。そのせいで余計、どこを見ているのか、傍目にはわからない。

 街の行事か祭りでもあったのかと、二人が呑気に首を傾げていたところ、そこからはまだ相当遠い神殿の中で、光る何かを目にした。神殿は、小高い丘の上に建てられ、遮る物が何もないので、そこまでの道のりは見通しがいい。神殿まで続くまっすぐな大街道は、人でいっぱいだった。

 人混みをかき分けて街道を進むと、神殿の様子がだんだんとはっきり見えるようになってきた。神殿の玉座には、誰かが座っている。そして、その者の頭に乗せている王冠が、遠くからでもわかるほど輝いていたのだ。

 タツヤは、自分の目を疑った。神殿の玉座に座っているのは、バルだ。信じがたいが、紛れもなく、あの小さなバルだった。幼く小さな頭には、乳白色の王冠が燦然と輝いていた。

「何てことだ。バルが祭り上げられている!」

 タツヤに続いて、アリオンが小さな悲鳴を上げた。二人は急いで人ごみをかき分け、ようやく玉座の前にある広場にたどりついた。

 石段の上にある玉座を見上げると、この星の住民にしては珍しく屈強そうな男が二人、バルの両脇にぴったり張り付いている。その男たちは、近づいてくるタツヤたちに気がつくと、威嚇でもするように、クリーム色の目で睨みつけた。

 タツヤたちは、薄気味悪さと嫌な予感を感じながらも、とにかくバルのところにたどり着こうと、歩み寄った。だがしかし、今度は、取り巻きの住人たちが玉座の前に立ちはだかり、それ以上は近づけない。あんなに温厚だった人々が、どういうわけか、タツヤたちを、何をしでかすかわからない、よそ者だと決めつけている様子だ。

 危険な雰囲気を察知したタツヤは、仕方なく、その場所から大声を上げた。

「バル、何をやっているんだ!キララ号はもうすぐ出発するぞ。早く戻れ!」

 バルはタツヤの叫び声に気がつくと、タツヤたちの方をちらりと見下ろした。しかしその目は、まるで、冷淡で頑固な老人のようだった。タツヤは、内心ぞっとした。

 バルは、意地悪い笑みを浮かべて言った。

「ちょうどいいところに来てくれた。カイたちにも伝えておくれ。僕はもうキララ号には戻らないよ。ここで暮らすんだ。この星の王様になるべきだと、ここの人々は言っているし、僕もそうすべきだと思う。だって、僕ほど、この星の王にふさわしい人間はいないからね。だから、ここに残るんだ。これは僕自身の問題だし、自分でそう決めたのだから、リーダーの命令だとか、多数決なんて言ってもダメだよ」バルは、冷たく言い放った。

「バル、いいかげんにしろよ。地球に帰らないつもりなのか?ボルはどうするんだよ。君のお父さんやお母さんだって、君がここに残るのを喜ぶはずがないだろう?」

 タツヤが身を乗り出して叫んだが、バルは玉座から見下ろしたまま、小バカにしたように笑い出した。奇妙な、大人を下手にまねたような笑い方だ。ひとしきり笑うと、打って変わって尊大な態度に豹変した。

「君たちにはわからないだろうけど、僕の家族なんかより、この星の運命の方がよっぽど大事だよ。だって、まだボルがいるでしょ?ボルが地球に帰ればいい。だけどこの星の王は、僕以外の誰にも代えられないからね」

 タツヤはバルの変わりように圧倒され、返す言葉を失ってしまった。あれは、バルじゃない。あの小さくて無邪気だったバルは、いまや全くの別人だ。見た目も、言っていることも、自分たちの知っているバルではない。まだ7歳の少年に、倍近く年のいったタツヤが、どうにも太刀打ちできないのだ。

 すると、黙っていたアリオンが、押さえ込もうとする人々を猛然と押し返して、一歩前に進み出た。

「違う。君は間違っているよ。自分一人で何かを判断するには、まだ早すぎるんだ」

 アリオンがいつになく強い口調で叫んだ。

 タツヤはびっくりして目を見張った。何か、動かし難い強い意志が、アリオンを包んでいる。とたんに、人々の動きがピタリと止まり、あたりの空気は一瞬、緊張の静けさに包まれた。そこに立っているのは、繊細で優しいアリオンとはまるで異なる、別のアリオンだ。

 それに驚いたのか、バルの感情が目に見えて大きく揺らいだ。

「僕が幼いって君はバカにするけれど、そう言う君だって、まだ子どもじゃないか。いくら年上でも、君にお説教される筋合いはないよ。前に言った通り、僕のIQは200もあるんだから、その点では君なんかより、僕の方が遥かに上だよ。僕の判断は、完璧だ。間違っているのは、君の方さ」

 ついさっきまで澄まして玉座についていたバルは、興奮し、玉座から身を乗り出して叫んだ。

 すると、緊張の糸は早くも途切れ、バルを熱烈に支持する声が、うねりとなって、方々から沸き上がった。

 タツヤとアリオンが、住民たちの敵に確定した瞬間だ。この二人は、自分たちの小さな王を奪い取ろうとしている。住人たちは、拳を振り上げ、汚い言葉で二人を罵り出した。

 タツヤとアリオンは、いつも温厚な人々の、とうてい考えられない行動に当惑した。それどころか、身の危険すら感じたため、二人はその場をそそくさと離れ、安全な裏通りまで退却した。

 あまりの出来事に、タツヤとアリオンは、呆然としたまま、裏通りで立ち尽くした。いったい何が起こっているのだろう。二人は、まだ混乱していた。

 原因は見当もつかないが、この状態がえらく危険なのは間違いない。野生の勘が、一刻も早く、この星を脱出しろと強烈に訴えている。切羽詰まった恐怖が、ひしひしと身に迫ってくるのを痛感していた。だけど、どうしたらバルを取り戻せるのか、いくら考えても二人にはわからなかった。

 あれこれ悩んでいるうちに、時間ばかりが過ぎていき、バルを崇拝する人の数はあっという間に膨れ上がっていた。神殿前の大通りだけではなく、二人のいる裏通りにも、うつろな目をした人々が溢れてきた。

 穏やかだった街は、ますます不可解な熱狂に包まれ、異様な様相を呈していた。

「これはもう、私たち二人の手には負えない。ひとまずキララ号に戻って、カイたちに相談しよう」

 アリオンが、青白い顔をして苦しそうに言った。

 二人は、仕方なく、キララ号のある空港に向って速足で歩き出した。

 すると、ちょうどそこへ、一仕事を終えたカイがやって来た。カイは、街の異常な様子に警戒しながら、二人のいる方へ大通りを歩いて来る。タツヤは控えめに手招きすると、カイを裏通りに呼び込んだ。タツヤたちを見つけたカイは、ほっとした様子でタツヤたちの元へやって来た。

「いつまでたっても戻って来ないから、探しにきたよ。この様子じゃ、とんでもなく厄介な問題が起きていそうだな」

 カイの勘は本当に鋭い。アリオンが深いため息を一つつく。

「残念ながら、大当たりだ。バルが大変なことになっている」

 タツヤたちはカイに事情を説明した。話を聞いたカイも早速、神殿に分け入って、バルを説得しようと試みたが、タツヤたち同様、小バカにされ、あっけなく追い払われた。

 それどころか、バルと、バルを取り囲む住人たちは前にも増して、タツヤたちを敵視している様子だ。住人たちは農具と思われる先の尖った金属性の長い棒や、おそらくは料理に使う大型の刃物を持ち出し、タツヤたちを容赦なく威嚇した。

 この星に、武器がほとんどなかったのは、幸いだった。銃や電磁捕獲器などの武器があったら、3人はとっくに、もっと危険な目に遭っていただろう。

「そうだ。この星に武器がないなら、レーザー銃をちらつかせれば、脅しがきくかもしれない」

 タツヤが発案した。

「どうだろう。熱狂した人々に効き目があるとは思えないけど、試してみる価値はありそうだな」

 カイは携帯していた小型のレーザー銃を懐から取り出した。まさか使うことはあるまいと思いながらも、何となく異変を察知し、キララ号から持ち出していたのだ。

 もちろん住人たちを本気で撃つ気はないが、それくらいの気迫で、バルのいる神殿に3人は分け入ろうとした。人々の数は、さらに増えていた。

 予想通りの結果になってしまった。神殿に到着する前に、3人は、敵意剥き出しの住民たちによって、あちこちから服をつかまれ、髪を引っぱられ、顔を叩かれ、もみくちゃにされた。あげくの果てに、大声で罵られながら、群衆からつまみ出された。刃物が使われなかったのは、幸いだ。肝心のレーザー銃はこの騒ぎで、どこかへ消えてしまった。

 実は、住民たちはレーザー銃が何なのかさえ、知らなかったのだ。それほどこの星は平和だった。レーザー銃をいくら突きつけても、全く相手にされなかった理由が、その際、よくわかった。

 手荒い目に遭った3人は、その狂気じみた騒動から死に物狂いで抜け出すと、またしても裏通りへ退散した。カイの着ていたシャツはよじれ、ボタンがはじけ飛び、アリオンの長い髪は、見るも無残にぐしゃぐしゃだ。タツヤが着ていたシャツには、穴が開いていた。

「まさか、こうなるとはね。力づくで、バルを取り戻そうとしても、勝ち目はなさそうだな。反対に、僕らまでこの星に拘束されてしまいそうだ。仕方ない、出発を延ばして様子をみるしかないか」

 諦めかけているカイに、アリオンが目をつり上げると、早口でまくしたてた。

「いや、ダメだよ。ぐずぐずしている暇はないんだ。今日中にここを発たないと、危険だよ。一日で一年だ」

 アリオンは何をそんなに興奮しているのだろうか。それに一日で一年って、何の話だろう。訳のわからない会話にタツヤが戸惑っていると、それに気づいたアリオンが、落ち着きを取り戻し、わかりやすく言い直した。

「ああ、つまり、この星に着いた時から危険を感じていたんだ。ここに一日いるだけで、一年分もの厄介事が起こりそうな気配をね。そして実際、こんな問題が起きてしまった。だから、一日でも、いや、一分でも早く、この星を離れるべきだと思うんだ」

 アリオンの意見に、タツヤも同感だった。何としてでもバルを取り戻し、一刻も早くこの星を飛び立ちたい。いや、早くこの星を出なければ、更なる危険に陥るだろう。こんな状況を目にすれば、嫌でも、そして誰にでも予想ができる。

「アリオンの言うとおり、少し無理してでも、さっさとこの星を出るのが賢明だね。この星は確かに、おかしいよ。住民たちが親切で優しかったから、僕らは、油断をし過ぎたのかもしれない。あの人の良さそうな長老だって、本当のところ、何か魂胆があって僕らをこの星に招いたのかもしれないし」

 たった一週間だ。それなのに、幼いバルの心をすっかり変えてしまう、この星の不気味さに、タツヤは得体の知れない恐怖を感じていた。

 しかしカイは、タツヤの意見をきっぱり否定した。

「何度か長老のところに行ったけれど、長老は決してそんな人じゃないよ。いつだって、僕らをこの星に無理やり引き止めようとはしていなかった。この星に招き入れてくれたのだって、長老が前に言ったとおり、助けが必要な僕らを、感じ取ってくれたからだ。何より、この星にとっても貴重な金属水素を、かき集めて調達してくれたじゃないか。いや、むしろ、僕たちが早くこの星を離れるよう、長老は望んでいたような気がするんだ」カイは急にはっとして顔を上げると、指をパチンと鳴らした。「そうだ、その長老に直接当たってみるのこそ、解決の早道じゃないか」

 どうやらカイは、長老ピル・ラを心底信頼しているらしい。タツヤはそれほど長老を信用してはいなかったが、カイを信頼していた。だからそのカイの判断に、タツヤは賛成した。

 小走りでキララ号に戻った3人は、アキラとボルに事情を簡単に説明した。ボルは、ショックのあまり泣き出してしまった。そして、自分も長老のところへ連れて行ってと、カイにしがみついて訴えたが、言っている傍から、その場に力なく崩れ落ちてしまった。涙がとめどもなく、小さな目から伝い落ちている。

「おれが、ボルと一緒に残るよ」後ろでじっと話を聞いていたアキラが、腕を固く組んだままポツリと言った。「そして、君たちがバルを取り戻している間に、燃料注入の点検作業を終えて、ケンゾーと共に緊急発進の準備を整えておくよ。全員そろったら、すぐにでもこの星と、おさらばできるようにね」

 アキラの意外な申し出に、全員が驚いた。誰もが、アキラの口からそんな言葉が出ようとは、夢にも思っていなかったからだ。とりわけカイは、誰よりも驚き、そして誰よりも喜んだ。

「ありがとう、アキラ。ボルとキララ号を頼むよ。ボル、必ずバルを取り戻してみせるから、キララ号で待っていて」

 カイはアキラに目配せすると、そっとボルの手を取り、アキラに引き渡した。アキラは大きくうなずいてボルの手を取った。

「きっとうまくいくさ。おれたちは全員そろって、この星を出るんだから」

 アキラは、まだ泣きじゃくっているボルを背中に背負うと、3人を見送った。

 カイ、アリオン、タツヤの3人は、騒がしい通りを避け、長老ピル・ラの元へ急いだ。

 屋敷に到着すると、いつもは穏やかに迎えてくれる長老が、いつになく厳しい顔で3人を待っていた。長老は、街での騒ぎを既に知っている様子だ。

 カイが緊張の面持ちで、長老の前に進み出た。

「長老、僕たちの小さな仲間バルが、この星に残ると言い出しています。バルはこの星の王になると言って、僕らの話を全く聞き入れません。街の人々も、人が変わったように、バルをおだてて、神殿の玉座に座らせ、連れ戻そうとする僕らを追い返します」

「あの子は、バルというのか」長老は、憂いを帯びた緑の目を宙に向けた。「この星にやって来た時は、露ほどの汚れもない、純粋な心の持ち主だった。あなた方全員が皆、汚れなき心の持ち主だったから、炎の輪をくぐれたのだ。だが、住人たちから、ちやほやされるうちに、心が曇ってしまったのだろう。我々が一番恐れていたことだよ。幼いながら、心の底に眠っていた野心が目を覚ましたのだ。だが、たった一週間でこれほど変わってしまうとは、私ですら予想ができなかった。非常に残念だ。こんな事態が起きるのを防ぐため、あなた方が早く出発できるよう、惜しみなく協力してきたつもりなのだが」

 タツヤは、軽い衝撃を受けた。カイが言っていたとおり、長老はキララ号が早く出発するのを、心底、望んでいたのだ。そして、長老の険しい顔つきから、この件が、今や深刻な問題になっているのを痛感した。

「バルに、いったい何が起こったのですか」

 カイはまるで戦いを挑むように、真正面から緑の目と向き合った。

「波紋真珠石のせいだ。あるいは、この星唯一の弱点と言ってもいいだろう。波紋真珠石は人の心を穏やかで平和にするが、自立心も奪ってしまう。だから、支配しようとする者が現れると、この星の住民は簡単に征服されるのだ。それゆえ私は、この星を閉鎖した。滅びの星ピロクセンの、二の舞を避けるためでもあったが、それ以上に、この星の民が邪悪な者の奴隷にならないよう、星を隠したのだ」

 長老の顔には、底知れぬ憂いと苦渋が現れていたが、その中にも輝かしく深い英知が散りばめられている。その英知ゆえ、今までこの星と住民たちを守れたのだろう。しかし、タツヤたちにとって守るべきは、たったひとり、バルの方なのだ。

「バルが支配者ですって?そんなバカな。バルはまだ7歳の子どもなのに、ここの支配者になるなんて、ありえない」そう言いながらも、カイの声は、何かを悟ったかのように、どんどん悲痛さを帯びていく。「じゃあ、いったいどうすれば、バルを元どおりに戻せるのですか?」

「本人が、考えを改めるしかない。だが、ここまで影響が広がってしまうと、それは相当難しいだろう。力づくで、外から考えを変えようとしても、本人が己の野心と傲慢さに気づかない以上、支配者の心は変わらない。街の人々はますますバルに酔いしれ、バルもますます本物の支配者になるだろう」

 もはや絶望的な状況だった。バルは、たった7歳にして、星の命運を握る、教祖のような存在になりつつあったのだ。それは、外れることのない予測であり、すぐそこにある未来の姿でもあった。何故ならその不吉な兆候を、タツヤたちは、既に目のあたりにしていたからだ。

「バルが、もし変わらなかったらどうなりますか」

 カイが震える声を抑えて、聞いた。聞きたくない話ではあったが、どうしても聞かなければならない。長老は更に深い眼差しを3人の少年に向けた。

「全くもって不本意だが」長老の声が微かに揺らいだ。「全住民が奴隷となる前に、あの子を手にかけるしかないだろう。私は長老として、この星の民を守らなければならない」

 タツヤは一瞬、長老が何を言っているのか理解できなかった。カイもアリオンも、口を半開きにしたまま、凍りついている。

「たった7歳の子どもを、あなたは、殺す…と言うのですか?」

 ややあって、愕然としたアリオンの口から、震える声が絞り出された。

「年齢は関係ない」長老は、厳しい表情を崩さなかった。「この星の全住民が、それこそ、たった7歳の子どもの奴隷になってしまうのだ。大げさな話ではない証拠に、あなた方がここを出て再び街へ戻った時、それがわかるだろう。バルの支配は住民から住民へ、あっという間に伝染しているはずだ。善悪の区別のつかない無邪気な子どもだけに、余計に始末が悪い。ある意味、立派な侵略者だ」

 3人は、返す言葉がなかった。長老の顔には決して覆せない、断固とした決意が浮かんでいる。

「明朝まで待とう。これが限界だ。もし今夜中にバルの考えが変わらなければ、非常に残念だが、明朝一番で私は手を下すことになるだろう。残酷なようだが、これもまた、この星を守る長老の役目なのだ」

 3人は無言のまま、無造作に頭を下げると、長老の屋敷を立ち去った。

 カイは青ざめたまま一言もしゃべらず、タツヤは眩暈のためふらつき、アリオンはうつむいて黙り込んでしまった。

 このままキララ号に戻って、ボルたちにありのままを報告するわけにはいかない。かと言って、バルを取り戻す方法は、一向に見つからない。たとえ全員でバルの説得に当たっても、無駄骨だろう。バルは、自分こそ、この星の王であると信じて疑わないからだ。

 こうなったら、レーザー銃を使い、殺人者になってでも、バルを取り戻すしかないのだろうか。そんな途方もない考えが一瞬、タツヤの頭の中をよぎった。だが、善良で全く悪意のない人々を傷つけたり殺したりするのは、想像するだけでも身震いがする。銃に対して恐怖を持たないゆえ、下手をすると、何十人、いや何百人の命を奪ってしまうかもしれない。

 それでも、早く手を打たないと、今度はバルの命が危うくなる。期限である夜明けは、否応なしにやって来るのだ。

 3人は、どこをどう彷徨っていたのか、記憶がなかった。気がつくと、さっきより更に人で混みあう大通りに、舞い戻っていた。

 いつの間にかあたりは薄暗くなり、通りのあちらこちらには、虹色の街灯が灯されていた。乳白色の神殿はそれを受けとると、暗赤色に輝き出した。神殿は、たちまち狂気のような熱気と輝きに包まれた。

 神殿の周りには、溢れかえった人々の人垣が何層にも広がり、バルのいる玉座を取り囲んでいる。人々は狂ったようにバル様万歳と叫び、神殿の方に向って両手を挙げ、まるで痙攣でもしているかのように、手指を震わせている。

 あれだけ穏やかで慈愛に溢れていた栗色の目も、今ではすっかり色が抜け落ち、冷たくうつろなバルの目とそっくりになっていた。

 群衆の中には、タツヤたちの見知った顔がいくつも見え隠れしていた。迎賓御殿の親切な職員たち、すっかり打ち解けた街の顔見知りたち、いろいろ手を貸してくれた博物館や役所の人々、そしてなんと、ムバルスの姿も見えるではないか。穏やかで温厚な姿は見る影もなく、冷たい群集の中に溶け込んでいた。それを見た3人は、ぞっとした。

 狂気の波は人から人へと伝染し、もはや手がつけられない人数に膨れ上がっていた。惑星中の人々が神殿に詰めかけ、自分を投げ打って、この小さな王に仕えようとしているのだ。長老がバルを殺すしかないと考えるのも、仕方がないと思えるような光景だ。しかし、本当にそうさせるわけにはいかない。それなのに、どうしていいのかわからない3人は、ただ、呆然と群集を眺めているしかなかった。

「これを使うしかない」ずっと黙り込んでいたアリオンが、突然、胸もとを手で押さえ、顔を上げた。

 カイは鋭く反応し、青い顔をいっそう青くさせた。

「ダメだよ、危険すぎる」

「でも、これしか手はないだろう?もう時間がないんだ」

 アリオンは、既に何かを強く決意しているようだ。

 カイはいつになく、ひどく狼狽していた。初めて見るカイのそんな姿に、タツヤの方が驚いた。これまでは、親分肌のカイが、弱気なアリオンを引っ張っているものと思っていた。だが、立場は、今まさに逆転している。ここにいるアリオンは、華奢で繊細な音楽家ではなく、バルに警告した時のような、強い意志で何かを成し遂げようとする、毅然とした少年に変わっていた。

「大丈夫、失敗なんかしないから。私を信じてくれないか?きっとバルを取り戻してみせるよ」

 アリオンは、銀色の眩しいペンダントを胸もとから取り出した。お守りだと言っていた、あの三日月型のペンダントだ。それを見たカイは、引き下がるように、黙ったままうなずいた。

 アリオンは不安げなカイを一瞥すると、銀のペンダントを右手でつかんだまま、大通りの雑踏に、独り踏み込んで行った。カイは青い顔をしたまま、アリオンの消えゆく後姿を無言で見送るばかりだった。

 間もなくすると、どこからか、美しい音色が風に乗って聞こえてきた。ハープと鈴とフルートを合わせたような、何とも心魅かれる笛の音だ。タツヤはじっと耳を澄ませた。繊細な笛の音は、だんだんと大きく、広がっていく。それに伴って、バルを称える狂気の叫び声やざわめきが、小さくなっていった。

 住民たちが笛の音色に気づき、じっと耳を澄ませているのだ。

 笛の音は、街じゅうのあらゆる所に入り込み、気がつくと、通りや家の中、屋根の上や木々の周囲も皆、笛の音色に満たされている。

 まるで、淀んだ空気を入れ替えるように、街が澄んだ、きれいな空間に変わっていった。

 そして不思議なことに、笛の音は、心の中にまで深く染み入ってくる。芸術には疎いタツヤでさえ、思わず引き込まれそうになる、心地よい響きだ。

 そうしているうちに、波紋真珠石が笛の音にあわせ、様々な色を映し出し始めた。神殿はもちろん、人々の身につけているベルトや通りの建物から、淡い虹色の光が踊りだし、たちまちあたりは賑やかな色の饗宴と化した。人々は、目を閉じ、笛の音にすっかり聞き入っているため、色の饗宴には気づいていない。

 通りのずっと先から、笛を吹きながら歩いてくる人物が、やっと姿を現した。それは紛れもなく、アリオンだった。そして、アリオンの吹いている銀の笛は、あの三日月型のペンダントだ。アリオンが現れると、次々開花する植物のように、人々は目を開けた。

 皆、うっとりした表情でアリオンを見つめ、アリオンのために両脇に下がり、道を開けている。

 アリオンは銀の笛を吹きながら、大通りを神殿の方へゆっくりと進んで行った。そのたびに人々は、アリオンに道を譲り、穴の開くほどアリオンの顔に見入る。だが、当のアリオンは、何も気にかけず、無心に笛を吹き続け、歩を進めている。

 やがて大通りの先に、今まで人だかりで見えなかった神殿の玉座が現れてきた。人々は、神殿の前から離れ、遠巻きに取り囲んでアリオンを見つめている。

 アリオンは、玉座の前で立ち止まった。

 そこで一旦笛の音を止めると、目を閉じ、次に、今までとは異なる旋律を奏で始めた。今度の旋律は、心の底がぐいと絞り出されるような、強烈で個性的なものだった。それに合わせるように、波紋真珠石に映し出された七色の光も、濃く鋭い、抽象画のような色彩に変わった。

 そびえ立つ玉座に収まっていたバルは、口を大きく開けたまま立ち上がり、アリオンを無表情のまま凝視した。

(目を覚ませ、驕れる者よ)

 タツヤには、笛がそう叫んでいるように聞こえた。

(さあ、目を覚ませ、目を覚ますのだ。宇宙をあまねく駆け巡る、精霊たちの力を借りて…)

 銀の笛は、そう歌っている。でも、歌っているのは、笛ではなく、アリオンでもない。何か、別のものだ。

 そして、タツヤは驚いた。いつの間にか、自分の全身の血管が笛の音に満たされ、勢いよく振動しているではないか。まるで血管の中から、炭酸の泡がいっせいに吹き出している感覚だ。笛の音は、外側から内側から、あらゆる振動を巻き起こし、タツヤを強烈に揺さぶろうとしている。すると、眠っていた別の何かが目を覚ました。タツヤは、自分の中で、自分が目覚めるのを感じた。

 それは奇妙でもあり、当たり前のようでもあり、感動でもあった。タツヤは、初めて体験する感覚に、恐れることなく身を任せた。

 その時、一陣の強い風が大通りを吹き抜け、アリオンの背後から神殿の方へと吹き寄せた。風は、正面にいるバルに向って一気に吹きつけると、バルの、薄茶の巻き髪を荒々しくたなびかせた。バルは短く、何かを叫んだように見えた。

 次の瞬間、立ちすくんだバルの頭から、乳白色の王冠が冷たい床に落ち、音をたてて割れた。バルははっとして顔を上げ、群集の前にいるアリオンを見つけた。

「さあ、帰ろう」

 アリオンはバルの方に歩み寄り、すっと手を差し出した。バルはにっこり微笑むと、無邪気に神殿の階段を駆け下り、アリオンと手を繋いだ。

 残された山のような群集は、手を繋いで歩いていく二人を、呆然と眺めていた。

 アリオンは、もう銀の笛を吹いてはいなかった。それなのに、何故かまだ、タツヤの頭の中では笛の音が鳴り響いている。その心地よい音色も、やがて体の中に溶けていき、タツヤがアリオンたちに追いつく頃には、すっかり消えていた。

 夢でも見ていたのだろうか。バルがこの星に残ると言い出す悪夢から始まり、アリオンの笛でバルを取り戻す、一連の夢物語だ。しかし夢ではなく、バルは本当に皆のところへ戻って来たのだ。

 キララ号の前には、アキラとボルが大きく手を振って、皆の帰りを待っていた。リニヤカーから降りた一同は、軽く手を振り返すとキララ号のもとへ急いだ。

「バル、お帰り。無事に戻ってよかったよ。さあ、急いで中に入って。話は後だよ。最終点検はとっくに終わっているから、今すぐ出発だ」

 アキラとボルは、バルに駆け寄り抱き留めると、取り囲むようにして、そのままキララ号の中へ滑り込んでいった。

 タツヤも続いて中に入ろうとしたところ、後ろにいるカイとアリオンが気になり、ハッチの前で、つい足を止めた。二人は深刻な表情で話をしている。タツヤは、その場に留まり、靴紐を結び直すふりをして耳をそばだてた。

「…まずいな。ここの波紋真珠石は思ったとおり、えらく反応していたよ。僕たちのことを知られてしまった可能性が高い。ここから先は、かなり危険だぞ」

 カイが唸るような声でつぶやいた。

「わかっている。でも、どうしようもなかったんだ。これを使わなければ、バルを取り戻せないし、もしも、バルが殺されるような事態にでもなったら…私は…」

 唇を嚙しめたアリオンから、苦悩の余韻が広がった。

 タツヤは二人に気づかれないよう、キララ号の中にそっと入っていった。

 それから間もなくすると、船内にはケンゾーの声が高らかに響き渡った。

「全員の乗船を確認。ハッチを閉鎖します。全システム、異常なし。緊急用の自動発進プログラムを作動します。点火、10秒前。乗員用固定シート及び安全装置の作動を確認」

 キララ号は誰もいない乳白色の空港を離れ、厚い緑の雲の中を急上昇していった。カイとタツヤが操縦席に座ったが、自動発進プログラムが作動しているため、二人はただ座って、異常がないかどうかを確認するだけでよかった。

 やはり、この雲は独特だ。7つの層で惑星を守っていると、長老は言っていたが、いったいどんな仕組みになっているのだろう。タツヤは、急上昇の加速に耐えながら、つらつらと考えていた。

 この雲は、キララ号にとって、予想以上に重荷だった。来た時に比べ、さらに大気圏の異様さを感じる。いや、来た時は、炎の輪を潜り抜けると、既に街の上空だったため、それほど感じなかっただけなのだろう。

 それが今は、機械の異常音が複数同時に、船内に響き渡り、船体は不気味に振動していた。各システムは、軽い誤作動を頻繁に起こすようになり、ケンゾーはそのたびに、カイに報告していた。しかし、あまりの件数に対応しきれなくなったのか、ケンゾーはとうとう黙り込んでしまった。

 メイン・エンジンと生命維持装置だけは問題ないので、この際、他の異常は無視する方針に変えたようだ。カイもケンゾーの意見に同意した。何よりも、この惑星を脱出するのが最優先だ。少年たちは、力づくでもこの惑星を脱出しようとするケンゾーの意気込みを、肌で感じた。実際、キララ号は全力で推進していた。

 そうだ、一刻も早く、この惑星から離れなければならない。

 乗っているタツヤたちも、ケンゾーも、キララ号自体でさえ、そう思っているような気がした。誰も何も言わないが、早く宇宙空間に戻れるよう、全員が祈っていた。それほど、あの何もない宇宙空間が恋しかった。

 緑の雲の遥か上空に、小さな炎の塊が見えてきた。どうやらあれが、出口となる炎の輪のようだ。おそらく長老が用意してくれたのだろう。少年たちは、出口を見つけられ、ほっとした。キララ号はその炎の塊を目指して、さらに加速していった。

 ピルラ星は、ちょうど夜を迎える時刻だ。下方では、青白い閃光が、繰り返し雲間に走っている。気味の悪い光景だった。

 やがて急激な加速は落ち着き、キララ号は安定して上昇を続けるようになった。不快な機械音も聞こえなくなり、システムエラーを告げる赤いランプの点灯も、自然に消えていった。

 ケンゾーの大きなため息が聞こえ、司令室の大画面のスイッチが入った。それと同時に、操縦室側でも司令室を映し出すモニターが作動した。操縦席にいるタツヤたちは、このモニター越しに、司令室にいるアキラやアリオンたちと会話ができる状態だ。

 司令室にいるアキラたちは、みんな、ひどく疲れ切った顔をしている。

「改めて、お帰りなさい、皆さん。ずっとお待ちしていましたよ。どうやら、問題の大気圏は抜けられたようです。ありえないシステムエラーの発作が続いていましたが、それもようやく収まりつつあります」

 ケンゾーは、何やら意味ありげな言い方で、みんなの注意をひいた。

「さて、炎の輪に到着するまで、まだ少しばかり時間があります。この星の記念に、興味深い映像はいかがでしょうか。画面をどうぞ」

 大画面には、ピルラ星の街の様子が映し出されていた。どうやら、惑星に残してきたカメラからの映像らしい。おそらく、アリオンが持っていた小型カメラだろう。先ほどの大混乱で、カイのレーザー銃と同様、どこかへ消え失せていた。

 だが、映し出された街の人々の様子は、明らかに奇妙だった。キララ号がピルラ星から遠ざかるほど、人々の動きは間延びして、スローモーションのようになり、しまいにはほとんど動かなくなってしまった。

「ケンゾー、これはなんだい?何故、映像をスローモーション再生しているんだ?」

 カイは、写真のように、ほとんど動かなくなった画面に向かって声を上げた。

「いいえ、スローモーション再生ではありません。そのままのライブ映像です。キララ号とこの星とでは、時間の流れ方が違うので、このように見えるのです」

 驚きの事実に、一瞬だが、全員の目が覚めた。

「おそらくこの星は、通常の宇宙よりゆっくり時間が流れているのでしょう。惑星を取り巻く大気が玉ねぎのごとく何層にも分かれ、中心部、すなわち惑星の表面に近づくほど、時間の流れが遅くなっているようです。よって、地表に暮す住人たちは、外の宇宙に比べて、年をとらないでしょう」

 タツヤが一番早く反応した。

「時間がずれているってこと?長老が、この星は7層のバリアに包まれ、隠れ星となり、外敵から身を守っていると言っていたよ。7層のバリアとは、時間の層だったのか」

 司令室にいる少年たちは、ポカンとしている。猛烈な眠気のせいで、頭がうまく廻っていないようだ。タツヤは続けて言った。

「じゃあ、僕らは一週間ほどしかあの星にいなかったけれど、地球ではもっと日にちが経っているの?あれ、すると、僕らは、地球にいる人たちより、少しばかり若いのか」

 タツヤは、得した気分になり、妙に言葉が弾んだ。すると、司令室にいるアキラが呆れたため息を漏らした。

「おいおい、おれたちがあそこにいたのは一週間ほどだから、大して変わらないよ。浦島太郎の玉手箱じゃあるまいし。時間のずれがわかるのは、地球へ帰ってからだよ。おれたちの腕時計と地球の時計がどれくらいずれているのか、楽しみだね。まあ、どのみち、ここでは比較できるものがないから、知りようがないし」

 アキラは、ほとんど関心を示さず、上の空で答えていた。それより、眠そうにさっきから欠伸を連発している。アキラばかりではない。誰もがひどく眠そうだ。小さな双子は、半分すでに眠りかけていた。

 タツヤも眠気を感じていたが、操縦席にいる緊張感からか、まだまだ元気だった。ピルラ星の大気圏や時間のずれについて、興味をそそられていた。

「ケンゾーなら計算できるだろう?僕らは地球の時間と比べて、どのくらいずれているの?」

「残念ながら、アキラが言ったように、キララ号もピルラ星にいたため、知りようがありません。惑星の遥か上空、宇宙空間で待機していたならば、明確にお答えできるのですが」

「でも、この動画の速度から計算で割り出せるんじゃないの?」

 タツヤが珍しく食い下がった。上昇中のキララ号の高度と画像の動きから、時間のずれが割り出せると考えたのだ。だが、その時、警告音が鳴り、カイが横から声をかけてきた。

「タツヤ、そろそろ炎の輪に入るよ。手動操縦に切り替えるから、集中する準備をして」

 すると、ケンゾーも相槌を打つように、画面から言った。

「…ですね」

 そうこうしているうちに、遥か上空に点だった炎の塊が、急激に大きくなった。炎の輪に近づいたのだ。キララ号がすぐそばまで来ると、炎の塊はふわりと花のように広がり、巨大な炎の輪になった。後は、キララ号がこの炎の輪をくぐるばかりだ。

 タツヤは、緊張で身が引き締まり、握っていた操縦桿を思わず握りしめた。

 ピルラ星地上の映像は、突然途切れて、それっきり見えなくなった。そのとたん、タツヤは、ピルラ星や時間のずれについて、みごとに興味が消え失せた。

 カイは、操縦を手動に切り替え、同時にタツヤに合図をした。飛行は順調で穏やかなままなので、自動操縦のままでも問題ないくらいだ。が、やはり不測の事態を想定すると、最後まで気を抜かず、柔軟に対応できる手動操縦が安全だ。

「間もなく、炎の輪に突入します。皆さん、ご準備を」

 ケンゾーの楽しげな声が船内に響いた。巨大な炎の輪は、もう目の前に迫っている。キララ号はその炎の輪を目がけて、まっしぐらに突入した。

 あっという間だった。キララ号は、難なく炎の輪をくぐりぬけ、再び静かな宇宙空間に放り出された。くぐり抜けたとたん、炎の輪も、緑がかった惑星も、ふっと姿を消した。後には、清々しいほど何もない真っ暗な空間が、横たわっているだけだった。

 夢物語は、完了した。まるで初めから何もなかったように、ピルラ星は跡形もなく姿を消した。いや、本当に、ピルラ星は存在したのだろうか。あれもまた、壮大な夢か幻だったのではないだろうか。バルがおかしくなり、アリオンの笛で取り戻す一連の悪夢もまた、この壮大な夢の中の一部だったのかもしれない。夢の中で見ていた悪夢。

 タツヤは、ついさっきまで起こっていた出来事が、未だに信じられないでいた。

 それでも、ピルラ星から脱出し、少年たちはやっと心の平安を取り戻した。

 音も色もない、宇宙空間。先日まではあれだけ退屈だったこの環境が、少年たちにはひどく懐かしく心地よかった。誰もが、激動の一日に、すっかり疲労困憊している。

 いや、それだけではなく、惑星の重いバリアを抜けた影響があるのかもしれない。どうしようもなく眠いのだ。眠くてたまらない。小さなボルとバルは、もう既に寝息をたてていた。アリオンも、うつらうつらしている。

「それで、どうやってバルを取り戻せたのか、どなたか私にお話願えないでしょうか」

 好奇心を押さえ切れないケンゾーが、画面から話しかけてきた。この中で、ケンゾーだけが独り元気だ。

 アキラは眠そうな顔を上げると、画面に向かって言った。

「あんまり慌てるなよ、ケンゾー。炎の輪の影響なのか、時間のずれが影響したのか、どうやらおれたち全員、ちょっと仮眠が必要なようだ。本当のところ、おれだって、話を聞きたくてうずうずしているけれど、こんな状態じゃ、話す方も聞く方も、全員どうにもならないよ。ああ、ケンゾー以外はね。まあ、外宇宙に出たら、いくらでもたっぷり時間が取れるんだ。その時にゆっくり話を聞かせてもらおうよ」アキラは、一呼吸置いて言った。「それにおれも、カイたちにはちょっとばかり、聞きたいことがあるしね」

 アキラの一言で、ちょっとした緊張感が船内に漂ったが、眠気には勝てなかった。アキラはそう言ったきり、頭がガクンと前にうなだれ、動かなくなった。司令室にいた4人は、固定シートに座ったまま、とうとう全員が眠り込んでしまった。

 それを画面越しに見ていたカイは、影響されないよう、必死で自分を保とうとしている。

「ダメだ、僕も頭が朦朧として何も考えられない。とりあえず、炎の輪はくぐり抜けたから、後は自動操縦に切り替えるよ。安全面を優先にして、ゆっくりピルラ星から離れて…」

 カイの言葉がいったん途切れた。タツヤは隣の席で、やはり朦朧としながら、カイとケンゾーのやり取りを耳にしていた。

「ケンゾー、後は任せる…」

 カイはつぶやくように、そう言った直後、失神したかのように操縦席で深い眠りに落ちた。タツヤもまた、混濁する意識の中で、カイの様子を眺めながら、眠りの深淵に落ちていった。意識を失う瞬間、ケンゾーが何か言っていたような気がした。

(…大丈夫。もう二度と、ヘマはしない。あの子たちを無事に地球へ連れて帰る…)

 タツヤにはそんな風に聞こえたが、それは、自分がもう半分夢の中に入っていたからなのかもしれない。

 やがて、キララ号の船内は、安らかな寝息と深い安寧に包まれていった。

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