第3章 青白き死の星
キララ号が東京宇宙空港を飛び立ってから、9日が過ぎた。
10日目の朝、船員ベッドで眠っていたカイとタツヤは、部屋に飛び込んできたボルとバルに叩き起こされた。
「さあさあ、二人とも早く起きて。例の惑星に到着したんだよ」
二人は、半開きの目をこすりながら、ようやく起き上がった。ボルたちの甲高い声に急かされ、そのまま、司令室へと追い立てられていった。
大画面には、青白い燐光に包まれた惑星が、大きく映し出されている。一瞬、地球に似ているとタツヤは思ったが、青白い光は、地球の青さに比べて、ずっと寒々しい印象だ。
「おはようございます。皆さん、おそろいですね。未知の惑星Xに到着しました。惑星名が不明なので、Xと呼ばせて頂きます」ケンゾーの景気良い声が司令室に響き渡った。「惑星Xの直径は、3875キロメートル、自転、公転はほとんどしていないようです。遠くにある太陽の周りを廻っているものの、カタツムリの進む速度と変わりません。太陽の周りを一周するのに、3万5千年ほどかかる計算です。つまり、大変珍しい現象ですが、惑星Xは軌道上のその場所で、ほとんど停止しているのです。もはや惑星と呼ぶには、ふさわしくないかもしれません。太陽までの距離を考えると、計算上、もっと速い速度で公転するはずなのですが」
ケンゾーは、惑星Xに関するデータを大画面上の惑星に重ねて表示した。
「鉱石でできた地殻を確認。柔らかく薄い地表の下に、硬い地面があるようです。液体状の海はなく、大気は少量で、主に窒素と酸素です。有害物質及び放射線は検出されません。また、惑星の周囲を廻る衛星と推察される岩石を発見しましたので、船外カメラ映像を拡大します」
画面が、青白い惑星から切り替わり、歪な形の大岩を映し出した。ゴツゴツとした岩の塊が、青白い惑星の遥か上空を周回している。小惑星か、火星の衛星フォボスやダイモスのような映像だ。
画面を拡大したとたん、タツヤがはっと息をのんだ。
「地球の船がここに来ている!」
少年たちの仰天した声が、次々に続いた。興奮したタツヤは、画面に顔をくっつけんばかりに近づき、乱暴に指さした。
「ほら、岩の左下のところを見て。地球軍がこの惑星に来た証である、通信施設の跡が残っている。青いテラのマーク、変てこな三又のアンテナ。あの施設跡は、間違いなく地球軍のものだよ。それに、惑星を周回する岩石に通信施設を設置するのは、地球軍お得意の手法だ。あるいは、あの岩は、通信用の人工衛星なのかもしれない」
タツヤの説明に、ほどなくして万歳の歓声が上がった。拡大された画面上には、岩の表面にへばりつく建物が、確かに映し出されていた。黒っぽい金属で出来た、小屋のような施設だ。しかし、長い年月に晒されたせいか、施設はすっかり錆びて、見るも無残な廃墟と化していた。
「かなりボロボロだぜ。みんな、惑星から引き払って、何も残ってないんじゃないか」
アキラの気乗りしない言葉に、タツヤは鼻を鳴らした。
「あれは単なる通信施設で、通常は惑星本体にしっかり地上基地を造るんだ。だから、惑星本体を探ってみないと、わからないさ。それに、地球軍がこの星から引き上げたとしても、燃料や必要な部品は手に入れられるはずだよ」
タツヤの説明に、今度はアリオンが怪訝な顔をした。
「どうして?」
「つまり、外宇宙の開拓が盛んになった頃から、辺境の星にはなるべく、最低限の食料や燃料を残しておくのが地球の慣例になっていたんだ。後に続く人々や、不幸にして、遭難し不時着した人々のためにね」
「なるほどね。まさに、今のおれたちのためってわけか」アキラの顔が再び輝いた。
「へえ、地球人も、なかなかやるじゃないか」カイがわざと悔しそうな顔をしてみせる。すると、一瞬の沈黙の後で、全員の中にある、何かのスイッチが突然入った。
次の瞬間、全員が画面の前で躍り上がり、大はしゃぎを始めた。子どもっぽく、バカバカしいが、やっと見えてきた希望の光に、少年たちは素直に歓喜した。
何より少年たちを興奮させたのは、未知の惑星に対する好奇心だった。少年たちは、10日間、何もない宇宙空間での漂流に、退屈を感じ始めていた。無重力の宇宙遊泳でさえ、3日も楽しめばいいかげんに飽きてくる。
そのせいで、早く地球や月へ帰りたいという願いよりも、未知の惑星に対する思いの方が強くなっていた。不安や恐怖を駆逐するのは、飽くなき好奇心なのだ。
「あの施設はずい分古いし、型もだいぶ昔のものだな。たぶんあれは、20年以上昔に使われていた、軍事用の通信施設だと思う」
タツヤは、画面をじっと観察しながら冷静に分析した。タツヤのマニアックな軍事知識が、ここにきて、役に立っている。
カイは、ひとしきり考え込むと言った。
「ケンゾー、念のため交信を試してみてくれ」
ケンゾーは、すぐさま近距離用の通信ビーコンを岩の塊に送ったが、予想通り、返ってくるものは何もなかった。
「惑星本体の方は、どうだい?」
「同じく、反応がありません」ケンゾーが事務的に答えた。「ところで、キララ号は、惑星Xにかなり接近しましたので、今ならより詳しい情報が得られるかもしれません。まずは、地表面を拡大して映し出してみます」
ケンゾーがそう言うが早いか、大画面には惑星Xの青白い地表が映し出された。が、画像は一面が青白くぼやけている
「この謎の燐光が邪魔になって、詳細がよく観察できません。地表からの反射光でしょうか。生命体がいるかどうかはわかりませんが、いるとしたら、蛍のような生物が発光しているのかもしれません」
全員が目を爛々と輝かせて、何も見えない青白い画面を見つめた。
「結局、惑星に降りてみないと何もわからないって話だな。どうだろう、何名かで、この惑星を探索してみるっていうのは」
カイがまだ言い終わらないうちに、すばやく賛成の声が響く。
「キララ号本体を惑星に降ろすのは不安だから、格納庫にある降下艇を降ろしたらどうかと考えている。たとえ惑星に人がいなくても、さっきタツヤが言ったように、燃料が貯蔵庫に残っているかもしれないし、この惑星の位置情報が見つかるかもしれないからね。降下艇は、僕が操縦する。昨日、ざっと調べたけれど、単純な造りだから、問題なく操縦できると思う。で、行きたい人は?」
全員がいっせいに、勢いよく手を挙げた。するとアリオンが、みんなの様子に驚き、気迷いしたのか、まっすぐ挙げた手を肩のところまで降ろした。早くもアリオンは、競争から降りる気配を見せていた。
ボルとバルは元気な声を張り上げ、両手を必死に振っていたが、幼い二人を冒険に連れ出すのは、さすがに全員が反対した。
「僕らが小さいから、惑星に行けないなんて、おかしいよ。僕らだって十分役に立つさ。IQだって、この中では一番なんだよ」
「おいおい、無茶言うなよ。役に立たないどころか、足手まといになるだけだ」
アキラが、冷たく言い放った。双子は、恨みがましい目をアキラに向けた。
そこに、タツヤが口を挟んだ。
「アキラ、いくらなんでもそれは言い過ぎだよ」
「だって、事実だろう?いくら頭が良くても、危険な宇宙では行動力が物を言うんだぜ。それとも、タツヤは、おチビさんたちを連れて行くのに賛成なのか?」
「いや、反対だよ。今、行くのはやっぱり危険過ぎると思うから」
アキラが両腕を組んで、それ見たことかと、小さな双子をじろりと見下ろした。
双子も負けずに睨み返した。「僕らも絶対行くんだ!」
すると今度はアリオンが、自信なさそうにボソリと言った。
「私も反対だな。止めておいた方がいいと思うよ」
みんなにこぞって反対された双子は、泣きべそをかきながら、しつこく反論した。アキラがまた、冷たく言い返し、タツヤとアリオンはなだめながら双子を説得したが、双子は決して諦めなかった。
「ボルとバルは、おとなしくキララ号に残ること。これはリーダーの命令だよ」
最後はカイが仕方なく、鶴の一声という形で決着をつけた。こういう時に、リーダーは役に立つのだ。双子はみんなの予想どおり、大声で泣き出した。
「じゃあ、私がボル、バルと共に、母船に残るよ。どのみち、双子以外でも、誰か残る必要があるしね」しばらくたってアリオンが、留守番の名乗りをあげた。「私たち3人は、ここに残って、君たちが送ってくる画像と音声で我慢する。でも次回の探検には、私たち3人が優先だからね」
悔しさのあまり、まだ涙ぐんでいた双子は、ここでやっと居残りに納得した。こうして、6人は、探索班と居残りサポート班の二つに分かれた。
しばらくすると、キララ号は青白い惑星の遥か上空に停止した。船外カメラの映像は、やはり青白くぼやけたままで、新たな情報は得られなかった。しかし、少年たちは、この頃には、もうどうでもよくなっていた。船外カメラの映像よりも、これから実際に、惑星を探索し、自分たちの目で惑星を観察するのだから。
早々と朝食を済ませた6人は、さっそく惑星探査の準備に取りかかった。全員がこれほど意気揚々と、一緒に何かを行うのは、顔を突合せて以来、初めてだ。
探索班のタツヤとアキラは、降下艇ハッチや宇宙服の点検を行い、電動脚立や小型ドリル、プラスチック爆弾や器材運搬機、簡易燃料タンクなど、およそ必要そうな機材をキララ号格納庫から選び出し、降下艇に詰め込んだ。
降下艇を操縦するカイは、操縦席に座って、目の前のコントロール・パネルを一つずつ、丁寧に確認していった。降下艇は、いたって単純な構造と機能だ。
ただ、惑星Xの大気と重力と地表面には、十分気をつける必要があるだろう。大気の薄さや天候などが、重力と共に大気圏飛行に影響を与える。また、地表面の状態は、離着陸する際、問題になってくる。その3点については、ケンゾーから事前に直接アドバイスがあった。
一方、キララ号で待機する3人は、ケンゾーと共に、降下艇への燃料注入作業、降下艇との通信の確認、惑星周辺全域の監視作業の分担、降下艇の監視準備などを手際よく行った。
準備はあらかた整い、探索班の3人はロッカールームで、船外活動用の黄色いつなぎに着がえると、降下艇に乗り込んだ。
「降下艇のシールドは、念のため最強に設定してあります。何が起こるか、わかりませんからね。不要であれば、順次レベルを下げ、身を軽くしていってください。ご存知かと思いますが、シールドを強くすると、それだけ攻撃から身を守れますが、その分抵抗が増し、燃料を消費します」
ケンゾーの声に、いよいよ始まる探検を実感し、ますます3人の胸は高鳴った。
「なお、惑星地表面を走査した結果、着陸は、C145地点を選択しました。建物があるかどうかは不明ですが、他と比べて、より密度が高い地域です。平坦で見晴らしも良く、地球軍が基地を作るとすれば、そこが最適だと考えるでしょう。第2、第3の候補地は、その隣のC152及びC137です。あとは順次、目視で判断して、経路や着陸地点を変更してください。カイ、これで問題なければ、着陸予定地点の情報を送りますので、降下艇のコンピュータに取り込んでください」
降下艇は、キララ号本体より更に古い型式なので、自動でやり取りができないらしい。
カイは操縦席にある緑の画面にむかい、ケンゾーの指示通り、情報を取り込むパネルを操作した。すると、着陸予定のC145地点を現す立体地図と情報が、画面に表示された。
「降下艇への入力を確認」ケンゾーの声が再び響いてきた。「目標までの飛行コースは、大気の成分や重力などをふまえ、自動に設定しました。気流は、都度測定し、プログラムに修正が必要な場合は、表示されるようになっています。何らかの理由で地表に着陸できない場合は、手動に切りかえ、そのまま上昇し、いったん上空で待機してください。位置とタイミングを合わせ、キララ号への格納作業に入ります」
「了解」
締めくくりは、ケンゾーによる最終チェックだ。結果は一瞬で、はじき出された。
「よろしいでしょう。降下艇も母船側も、地表へのコースも問題ないようです。それでは、よい旅を」
格納庫に収まった降下艇は、深海の生物のように、ひっそりと息を潜め、次の行動に備えた。ケンゾーの了承が出て間もなくすると、目の前の暗い空間に亀裂が入り、薄明るい光が差し込んできた。キララ号後方にある、資材運搬車両用の扉が開いたのだ。小さな降下艇は、キララ号本体から滑るようにして吐き出された。
そのとたん、降下艇操縦席の窓枠いっぱいに、青白い惑星が広がった。キララ号指令室の大画面とはあまりに異なる、ダイナミックな光景に、3人は目を輝かせた。いよいよ未知の世界へ出発だ。
「それにしてもケンゾーの奴、だいぶ使えるようになったじゃないか」
「今じゃすっかり、キララ号と僕らを取り仕切っているね。実質、キララ号の艦長かな」
タツヤとアキラは、興奮のためか、すっかり浮かれ、普段以上に口数が多くなっていた。そんな中、カイだけは、一人、降下艇の飛行に集中していた。自動操縦は順調で、何も問題はないはずだが、カイは決して気を緩めず、計器類をチェックしながら、外の様子を観察している。
大気圏に突入したが、予想どおりの状態だった。雲はなく、ただ青白い靄のようなものが惑星をくまなく覆っている。
薄い大気の層は、穏やかで、乱気流や気圧の変動も少ない。惑星磁場も安定し、重力も一定している。それでもカイは、今ひとつ、落ち着かない様子だった。時折、神経質に耳を澄まし、何かをじっと考え込んでいる。
タツヤはカイの様子が気になったものの、少しずつ顕わになっていく惑星の正体に、夢中になっていった。夢中にはなったが、美しく壮大な光景に感動し、逆に、はしゃぐような気分ではなくなった。しまいには、タツヤもアキラも、すっかり口をつぐんでしまった。
3人はある事実に気がついた。
惑星は、遠くの頼りなげな太陽に照らされ輝いているのではない。惑星自体が、青白く輝いている。それは微弱な、今にも消え入りそうな光であるが、自らを主張している。
青白い光は、惑星を余すところなく覆い、蛍光を放つ深海魚のように、ぼんやりと地表を浮き上がらせていた。青白い燐光は美しいが、寒々としてどこか不気味だ。
降下艇が薄い大気圏を突き抜け地表に接近すると、青白い光の正体がますますはっきりしてきた。タツヤとアキラが、その正体に見とれているうちに、降下艇はぐいぐい高度を下げ、自動操縦のまま、あっという間に、予定地点に着陸した。
小さな振動を二度ほど感じただけの、非常に静かな着陸だった。3人は、着陸時に、地面が、ぷるんと波打って揺れるのを窓から目撃した。どうやら、地球や月のように、硬い地面があるわけではなく、柔らかいゼリー状の地面のようだ。
すぐさま船体から固定フックが四方八方に延びて、地面深くに突き刺さり、船体を支えた。フックの突き刺さり具合から、表面は柔らかいが、その下には固い層があるようだ。これは、ケンゾーが、既に分析していた通りだ。
どっちにしろ、着陸を気にかける余裕もないほど、3人は目の前の光景に、すっかり心を奪われていた。
「こんな世界があるのか…」
未知の世界は、3人の驚きの声さえ押し留めた。
あたりは一面、キノコ型の青白い半透明ゼリーで、びっしり覆われている。そのため、薄い色をした空は、遥か上方に追いやられていた。キノコは、粟粒ほどの小さな物から、大きなビルほどの物まで、様々だ。隣のキノコとの隙間が見えないほど、ひしめき合い、空間全体をびっしりと埋め尽くしている。
そのどれもが、透き通ったゼリーの中心部分から、青白く輝いていた。輝きは、傘の中心付近が一番強く、しかも、心臓のように、ゆっくりと規則正しく脈動している。キノコのつけ根からは、青白い菌糸が四方八方に伸びて、互いに複雑に絡み合っていた。
着陸が静かだったのは、着地した地面も、菌糸と思われるゼリーに覆われ、振動を吸収したためだろう。降下艇周囲の地面は、キノコではなく、この根のようなゼリーが連なり、ちょうど道路のような形状になっていた。
降下艇の通信機からは、アリオンたちの驚く声が、次々轟いてきた。キララ号に残った3人は、降下艇から送られてくる映像を緊張しながら監視している。
カイは、ケンゾーに確認した。
「ケンゾー、本当に有害物質はないんだね?足もとが不安定そうなので、自由に動き廻れるよう、できるだけ軽い装備で行きたいんだ」
「大丈夫ですよ、カイ船長。毒性の強い有害物質や放射性物質は、検知されません。生命反応も周囲100kmの範囲内では、感知していません。重装備は、必要ないでしょう」
突然、船長と呼ばれたカイは、頬をさっと赤らめた。カイは何でもないようなふりをしたが、目ざといタツヤたちは、頬の赤みに気がついていた。さすがのカイも、コンピュータとは思えないケンゾーの発言には、かなわないらしい。
ケンゾーは時折、このように信じられない発言をするが、一体どんなプログラムが仕込まれているのだろう。そのたびに、誰もが疑問を感じた。
「念のため、船には反重力装置を設定しておくよ。固定フックだけじゃ心もとないからね」カイは、そう言うと、顔を見られたくないのか、まだうつむき加減のまま、素早くコントロール・パネルを操作した。
なるほど。タツヤは、心の中で声を上げた。あらゆる危険を想定し、予め手を打っておく。確かに、リーダーは、そうでなくてはならない。すっかり浮かれ、何も考えず外に飛び出そうとしたタツヤは、自分が分別のない幼児のように思え、突然恥ずかしくなった。
3人は、防護力は多少劣るが、機敏に動ける、薄手の白い宇宙服を選んだ。慣れた手つきで着用し、酸素などの装備を整えた。この時のために、何度も着脱の練習をしたのだ。最後に、軽いヘルメットを密着すると、目線で示し合わせ、降下艇のハッチを開けた。
ヘルメット越しに、青白いキノコのジャングルが鬱蒼と広がっている。見渡す限り、余すところなく、びっしりとキノコで覆われている。大きいものになると、巨木ほどの高さにまでそびえ、傘の縁はギザギザにちぎれている。まるで、樹齢何百年クラスの銀杏の大木を見上げているようだ。
そのキノコから延びた根のような菌糸が、地面を縦横無尽に広がり、惑星本来の地面を覆い隠している。船外に出て踏み込んでみると、ゼリーで覆われた青白い地面は、ぐにゃりとした感触だ。少々沈み込むが、足が抜けなくなるほどではない。足の重みでへこんだ地面は、数秒で元どおりに戻った。3人は用心深く降下艇を離れ、周囲を歩いてみた。
アキラは、小型ナイフの柄でゼリー状のものを軽く突きながら言った。
「人の形跡は、全く感じられないな。それどころか、生物のいる気配がまるでない。この奇妙なキノコ以外には、何もなさそうだ」
「そもそも、これは生物なのかな?」タツヤはかがみこんで、手でつかむと、脈動するキノコをじっと観察した。「ケンゾーは、生命反応がないと言っていたけれど」
「どうだろう。一見すると生物のようだけど、青白い光の点滅は機械みたいだし、外側のゼリー体も、合成物のようにも見えるな」カイも、キノコを手袋越しに触っている。
タツヤは、キノコの中心に脈打つ青白い発光体が、気になって仕方がなかった。そこでキノコを切断して、中を観察してみようと提案した。アキラは大賛成だったが、カイはあまりいい顔をしなかった。
「もう少し調べてからの方がいいんじゃないかな」
カイは全く反対ではないが、今ひとつ気乗りしない返答だ。
「切ってみるのも調査の一つだよ」タツヤは、どうしてもキノコを切断してみたかった。
「反対する理由がわからないね。何のために、おれたちはここへ来たんだい。君は、ただ怖いだけじゃないのか?」
アキラの挑むような態度に、カイはむっとしたが、すぐに両手を掲げ、降参した。
タツヤとアキラは目を輝かせながら、小型の電子ノコギリを手にして、キノコに近づいていった。アキラは早く切れよと、からかいながらタツヤを小突いた。
タツヤは、どのキノコを切断しようかと、迷った。結局、自分の腕ほどもあるキノコを選び、左手でキノコの軸をつかんだ。柔らかく、それでいて弾力のあるゴムみたいな感触だ。続けざまに、右手に持った電子ノコギリのスイッチを入れると、白いのっぺりとした刃が宙に浮かび上がった。
「ちょっと待って!」カイが、背後から鋭く叫んだ。
しかし、時、既に遅く、タツヤは、電子ノコギリの白い刃をキノコに当てていた。
その瞬間、キノコは音もなくあっさりと切断された。切断された軸の面からは、青白く光る霧が勢いよく噴出した。ちょっとした爆発と見間違えるほど、もの凄い量の霧だ。タツヤの体はその霧の塊をよけようと、反射的に身をのけ反らせていた。
それとほぼ同時に、タツヤの宇宙服に備えられている放射線探知機が、大音量のサイレンを鳴らし始めた。
切断されたキノコからは、ものすごい量の霧が途切れずに噴出し続けている。逃げる間もなく、あたりは霧で覆われ、たちまち視界が塞がれた。
続いて、カイとアキラの宇宙服の放射線探知機も、いっせいに大音量の警告音を鳴らし始めた。3人全員の警告音がやかましく鳴り響き、声が聞き取れない。それでもカイが何かをわめきながら、右手で方向を示し、逃げろと必死に合図している。霧のすき間から、かろうじて、カイのサインを目視したタツヤは、カイの後に続いた。
3人は、よろめきながらも急いでその場を離れ、降下艇の後ろに避難した。それと同時に、鳴りやまない警報音のスイッチを切った。
濃厚な青白い霧は、一部屋分ほどの塊になって、切断したキノコのあたりに浮かんでいる。それ以上は、広がらない様子だ。3人は、とりあえずほっとした。
カイは、腰のベルトについている防護機能の目盛りを最高に上げるよう、タツヤたちに手で指示した。最高レベルにすると、より安全にはなるが、エネルギーをかなり消耗するので、それだけ、活動時間が短くなってしまう。
だが、そんなことは言っていられない。放射線測定値を確認したタツヤは、ぎょっとした。
原子爆弾一個分にも相当する放射線が、あの青白い霧には含まれているのだ。それほどの放射線をじかに浴びれば、3人はその場でたちまち即死してしまう。タツヤとアキラは慌てて、目盛りを最高にあげた。
この薄手の宇宙服が、本当に自分たちを守っているかどうかはわからないが、もし何か異常があれば、ケンゾーが漏れなく知らせてくれるはずだ。3人の健康状態は、母船キララ号のケンゾーが監視しているはずだから。
「カイ船長、聞こえますか?有害物質が検出されました。宇宙服の防衛機能レベルを最高値に上げてください。有害物質は、強度の放射線のようです。警戒してください。今のところ、3人の体に影響はないようです」
ケンゾーの大声が、降下艇の上部から響き渡った。上部のアンテナ付近には、旧式の拡声器が臨時に設置されていた。船外活動用のヘルメットは、降下艇との通信はできるが、キララ号とのやり取りは、直接できない。そこで、少々古臭い方法だが、単純な送受信機と拡声器を使って、キララ号からの音声を3人に伝えている。
アキラは、もうとっくにやっているよ、と息を切らせながら、吐き捨てるように言った。タツヤはショックのため、何も耳に入らず、体をこわばらせたまま、降下艇の陰に座り込んでいる。
3人の体に異常がないとわかったカイは、その場で大きく息をついた。それから、降下艇の外殻に力なく寄りかかり、ぼやくように言った。
「危機一髪だったな。何か嫌な予感がしていたんだ」
アキラはまだ息を切らしていたが、素早くカイの方に向き直った。
「危ないと思ったら、なんでもっと早く、キノコ切断を止めなかったんだよ」アキラは相当苛立たし気に、カイに怒鳴った。「おれたち、全員死ぬところだったんだぞ」
「嫌な予感がしただけで、何も根拠はなかったんだ。アキラ、そんな目で見るなよ」
今度はカイが、ヘルメット越しにアキラを睨み返した。
険悪な空気が二人の間に流れた。アキラは言い返す代わりに、拳で降下艇の外殻をガツンと叩いた。
「ふうん、惜しかったな。うまくいけば、おれとタツヤは放射線にやられ、君だけが助かっていたのにね。でも、たまたま、おれたちに宇宙服の目盛り操作を見られたので、教えざるを得なかったんだろう?残念だったな、計画どおりにいかなくて」
アキラは皮肉たっぷりに、言い放った。
「どうして僕が、そんな酷いことをする必要があるんだい?君こそ、自分でキノコを切らず、タツヤにやらせたじゃないか」
カイの言葉にアキラはかっとなり、殴りかかった。カイはさっと身をかわしたが、次のパンチが早くもカイの顔めがけて飛んできた。今度はヘルメットに直撃し、カイは後ろに、大きくのけ反った。しかし、カイは地面に倒れることはなく、なんと地面すれすれにまでのけ反ると、そのまま元に戻り、態勢を立て直した。
カイも、負けずに殴り返したが、やはりアキラの体は、振り子のように大きく傾いただけだった。その動作が、どれもこれも、スローモーションを見ているようにゆっくりだったので、傍から見ているとひどく滑稽だ。
二人は、宇宙服の厚い手袋で手を覆われ、頑丈なヘルメットをつけている。軽装備なタイプとはいえ、それほど宇宙服は優れものなのだ。しばらくの間、ゴムを打つような鈍い音があたりに鳴り響いた。
二人は、殴り合うのに意味がないとわかると、今度は体ごと相手に体当たりして、相手を弾き飛ばした。体当たりされた方は、信じられないほど軽く飛ばされ、青白いキノコの傘に投げ出され、ふんわりと受け止められた。惑星の重力が小さいため、簡単に相手を弾き飛ばせるのだ。
「おい、二人とも、いいかげんに止めてくれないか。ここで揉めている場合じゃないだろう?」
アリオンの呆れた声が、降下艇の上方から、青白いジャングルにこだました。カイはその声にはっとすると、つかんでいたアキラの腕を離して立ち上がった。アキラも気まずそうに身を起こし、のろのろ進むと、船体に寄りかかった。
こんなに派手で奇妙な殴り合いが、目の前で繰り広げられたのに、タツヤは全く目に入っていなかった。キノコを切った当の本人は、未だショックから立ち直れず、ただ呆然と、動かない霧の塊を眺めているだけだった。
タツヤは、生まれて初めて、宇宙の怖さを知った。宇宙では、地球の常識が通用しない。それを、身をもって学んだのだ。
「あのキノコは、たぶん、放射性物質を信じられないくらい凝縮して閉じ込めていたんだ。キノコを傷つけない限り、放射線は、ほんの微量も検出されない。僕らは、いや、僕は、危うく騙されるところだった」
タツヤは座り込んだまま、呪文でも唱えるように、上の空でつぶやいた。
「全く油断ならない惑星だ。澄ました顔をして、私は無害ですと言いながら、そのくせ、毒を隠し持っていやがる。ケンゾーは何かつかんでいるかな」
アキラも、誰に言うわけでもなく大声でわめいた。それからすぐに、上方のアンテナ付近に向って叫んだ。
「ケンゾー、聞こえるか?おまえも見ただろう、あの変テコなキノコを。あれはいったい何なんだ?何故あんなに、放射線を溜め込んでいるんだ?」
返事はすぐに上から返ってきた。
「わかりません。初めて出合う、半生命体です」
「半生命体だって?」アキラとカイが口々に叫んだ。
「ええ、生物と鉱物の中間体です。生命反応がなかったので、かなり鉱物寄りの中間体でしょう。まだ、よく解明されていない物質です。ただ、それによく似た半生命体を見た覚えがあります。位置情報が不良なので、どのあたりの星系なのかはわかりませんが、ジルコニア星という名の惑星です。重力毒を取り込んだ薄緑のネギ坊主が、地表を覆い尽くしていましたね。やはり大きさは大小様々で、大きいものは電波塔くらいに成長し、小さい物は、スプーンほどの大きさです。特徴としては、全てのそれが同じ形をとるんです。初めに決まった形を元にして、その形をコピーし、次々増殖して重力毒を取り込み、濃縮していく…そのような記録だったと思います」
ケンゾーは淡々と答えた。
「なるほどね。じゃあ、このキノコは放射性物質を取り込み、濃縮していたんだな。しかも、青いゼリーは、いったん取り込んだ放射線を、僅かでも外に漏らさない仕組みになっているのか。驚いたな」
カイが気味悪そうに、地面から伸びるキノコの群生をあらためて観察した。
すると、タツヤが、おもむろに立ち上がり、反対方向を指さした。タツヤは、まだいく分ボーっとして、目の焦点が合っていない。
「ねえ、あれを見て。地上基地らしき建物が、キノコに呑み込まれている」
3人は、その巨大なキノコをしっかりと見据えた。軸の太さが30メートルはある、化け物のようなキノコだ。その青く半透明なゼリーの中に、崩れかかったレンガ色の建物が固定されているのだ。それは、あたかも、巨大生物に呑み込まれ、体液を吸い取られた結果、ミイラとなった標本のようだった。
壁はほとんど崩れ、虫食いだらけの柱が、斜めに傾いたまま、そこで固定されている。おそらく、元はドーム型だっただろう屋根が、ひしゃげたボロ切れに変わり果てている。この成れの果ての姿が、そのまま半透明の青いゼリーの中に、永久保存されているのだ。下手すると、青い空に浮かんでいるようにさえ見えてくる。
その中で、地球を表す青いテラ・マークだけが、誇らしげに形を留めている。それがかえって痛々しかった。
「溶かされている。青いゼリーが、ただ建物を包み込むだけじゃなく、その中で、ゆっくり溶かされているんだ」
カイが注意深く覗き込んで、驚きの声を上げた。よく見ると、壁や柱はゼリーに侵食され、確かに、少しずつ溶かされているようだ。
アキラも中を覗き込むと、ブルっと身震いした。
「こりゃあ、酷いな。なんて有様だ。これじゃあ、燃料なんて残っている訳がない。万が一見つけても、取り出せやしない。ああ、危険を冒したわりには、収穫ゼロか」
すると、タツヤがうんざりするように言った。
「地球軍がここにいたんだ。それがわかっただけでも、いい収穫だよ」
タツヤは、ショックから多少なりとも立ち直っていた。
「地球軍が、キノコからうまく、逃げ出していればいいけどな。おれたちも、ここでぐずぐずしていると、キノコに呑み込まれ、溶かされそうだ」
アキラが、げっそりして言った。
「引き上げるしかなさそうだな。後は、キララ号に戻る前に、この星を半周ほど廻ってみるか。そこで何か得られたらラッキーだな」
カイは、アキラの方を見ることもなく、独り言のように宣言すると、さっさと歩き出した。
タツヤと、少し遅れてアキラがカイに続き、あたふたと、しかしキノコを踏みつけないよう、注意深く降下艇に戻って行った。3人はエアロックで、放射能除去を黙々と行い、身軽になってから船内に戻った。
例の、キノコから噴出した青白い霧は、一塊になったまま、まだ同じ場所に漂っている。とても奇妙な光景だ。何にしても、こんな危険なところには、いつまでもいられない。何かの拍子に、うっかりキノコを傷つけてしまったら、取り返しのつかない事態になるだろう。この点については、話し合う必要もないほど、3人の思いは一致していた。
準備が整うと、船体の周囲にあるキノコを傷つけないよう、降下艇を静かに垂直上昇させた。あっという間に5千メートルほどの上空へ浮き上がり、その高さを保ったまま、異様な大地に沿って飛行し始めた。眼下の地表には、険しい山々はなく、ただ青白いキノコのなだらかな丘が、どこまでも続いているばかりだ。
あんなに凹凸の激しいキノコで覆われた地表も、上空から眺めると、いたって滑らかだ。しかし、延々と続く青白い大地は、もしかしたら、昔は険しい山脈だったかもしれない。もしも、全てがキノコに覆われ、溶かされたのなら、このような地形に変わった可能性も考えられる。想像すると、寒気がする。今となっては、もはや惑星の本当の姿を知る術はない。
あの地球軍基地も、やがては完全に溶かされ、痕跡すらなくなるのだろう。
この星は、何ゆえ、こんな奇妙な状態なのだろうか。この星に、ある日突然、信じられない何かが起こったのだろうか。それとも、元からこんな状態の星に、地球軍が、たまたま降り立ってしまったのだろうか。
3人はしばらく無言のまま、それぞれが物思いにふけっていた。
「変だなあ」アキラがふいに漏らした。「だって、変じゃないか。地球軍がこの惑星へやって来たのなら、惑星百欄や宇宙データ管理ログに載っているはずだろう?おれ、この手の変わった話は得意な方だけど、こんな惑星のデータは見た覚えがないぜ」
タツヤは、その横で大きくうなずいた。この頃には、放射能ショックからも立ち直り、いつもの落ち着きを取り戻していた。
「そうだね。僕の父さんは宇宙管理局に勤めていて、珍しい星の情報を管理しているんだ。だから僕も、いろんな話を耳にするけど、これは聞いた記憶がないね。だいたい、こんなに変わった星を見つけたら、一大ニュースになると思うんだけどな」
タツヤはちらりとカイを見たが、カイは何も言わず、一人、操縦桿を握っていた。
会話はそこで途切れ、しばらくの間は多少気まずくも、静かで平穏な飛行が続いた。カイは問題ないと判断したため、自動操縦に切り替えた。
母船に残ったアリオンたちは、降下艇から次々送られてくる映像と音声に、最初は喜んだり驚いたりしていた。それでも、延々と続くキノコ平原の映像には、いい加減飽きが来たのか、時折、欠伸の音が紛れ込むようになっていた。
降下艇は、まもなく、この小さな惑星を半周して、裏側に廻り込もうとしていた。そろそろキララ号への引き上げ時かと、3人が思い始めた時、それは起こった。
「警告。前方に未確認の巨大物体を確認。対応困難なため、10秒後に自動操縦を解除します」
突然、降下艇の甲高い警告音声が鳴り響いた。単調な風景と気まずい空気に、うんざりしていた3人は、船の警告音声に飛び上がり、身を乗り出して前方の窓にへばりついた。いつの間にか、あたりは白い靄で覆われ、視界がぐっと悪くなっている。そのせいか、肉眼では何も見つけることはできない。
「自動操縦解除!」
カイは、いち早く自ら自動操縦を解除し、パネルを操作すると、降下艇の飛行速度を最低に落とした。そして、降下艇の進行方向をずらすために、すぐに右へ舵を切り、可能な限り船体を上昇させた。
続けざまに、警告音声が上がった。
「警告。約100キロメートル先に、未確認の巨大物体を感知。このまま進むと、衝突の危険性が大です。ただちに回避行動を取って下さい」
降下艇の探査機能が、危険な障害物をやっと具体的に捉え出した。手もとのコントロール・パネルには、異常を示す赤いランプが点滅し始めた。先ほど、大きく方向や高度を変えたのに、危険は全く回避されていない。Uターンするには、もはや遅すぎる。
こうなると、巨大物体の全容を把握しない限り、衝突を避ける道は探せない。右か、左か、上なのか下なのか。どちらに進めばいいのか、判断がつかないのだ。闇雲に進めば、かえって危険な目に遭ってしまう。
タツヤとアキラは、その場でうろたえるばかりだった。
操縦桿を握るカイは、一瞬、顔が強張ったものの、すぐにいつもの冷静さを取り戻し、今何をすべきかを瞬時に判断した。
「タツヤ、君はその目で物体を確認してくれ。アキラはレーダー画面の方を頼む」
カイとタツヤは、大きな窓から外を凝視した。まだ何も見えないが、すぐに危険な物体の正体が見えるはずだ。見えたら、どのように回避したらいいのかが、わかるだろう。
降下艇は、母船キララ号と違い、自動で危険を回避する機能が備わっていない。船の周囲、特に前方を探索して、危険を知らせてはくれるが、それを回避するには、自分たちで行動するしか手はないのだ。
「レーダーには何も映ってないぞ!」
アキラはレーダー画面を凝視したまま、必要以上の大声で叫んだ。
100キロメートルの距離なんて、あっという間だ。それなのに、敵は一向に姿を現さない。自分の心臓ばかりが、やたら強く打ちつけている。まるでカウントダウンのようだ。タツヤがそう思っていたところ、靄の間から突然、巨大な物体が姿を現した。
3人は、自分の作業も一瞬吹き飛び、息を呑んだ。
白い靄を押しのけ、聳え立っていたのは、あまりにも巨大なキノコだった。巨大という言葉では言い表せないほど、どす黒いキノコが天高く屹立している。その天を覆うばかりの不吉な傘が、惑星や3人の少年たちを傲慢に見下ろしていた。
「上昇は間に合わない。左へ、めいっぱい旋回するぞ。踏ん張れ!」
カイは叫ぶとほぼ同時に、操縦桿を思い切り左に傾けた。タツヤとアキラは我にかえり、身を縮めて全身に力を入れた。
そそり立つ絶壁のようなキノコの軸は、降下艇を呑み込むがごとく、みるみる迫ってきた。
キノコの軸は、上にまっすぐ伸びる煙の束を思わせる。鈍く光る壮大な縦筋が、いく重にも重なり、まとめ上げられている。巨大な軸は、巨大な絶壁となって、行く手と視界を遮り、すぐ目の前から覆い被さろうとしているかのようだった。
ぶつかると覚悟したタツヤは、思わずぎゅっと目を閉じ、信じてもいない神に、必死に祈った。
次の瞬間、船体が大きく左へ傾き、自分の体も強く横に引っぱられるのを感じた。永遠の数秒が過ぎても、衝突の衝撃はやってこない。タツヤは、恐る恐る硬くなった瞼を開けた。汗と涙で、視界はにじんでいた。
巨大な斜めの縞模様が目の前いっぱいに広がっている。傾いた船体に合わせ、縞模様をした灰色の絶壁も、同じように傾いていた。目を開けているのが、空恐ろしくなるような光景だ。だが、操縦席のカイだけは、しっかりと前方を見据えたまま、操縦桿を握り続けていた。
やがて灰色の壁の端から、青空が顔を覗かせ、視界が一気に開けた。
衝突は避けられた。
降下艇は、キノコの軸から少しずつ遠ざかって行った。巨大キノコは、決して追いかけては来なかった。3人は、まだ緊張でガチガチだったが、巨大キノコはその場に凍りついたように、あくまでもただ静かに、聳えているだけだった。
「…いったい何を呑み込めば、あんなにでかくなれるんだ」
アキラの顔はみごとに青ざめ、両目は、かっと見開かれたままだ。
そこへ、えらく軽快な声がスピーカーから語りかけてきた。ケンゾーだ。
「皆さん、ご無事ですか?障害物があったようですね」
それと同時に、アリオンたちの悲鳴に近い騒ぎ声も、ケンゾーの声の背後から鳴り響いていた。
「カイ、応答してくれ。画面が激しく乱れたけれど、大丈夫なのか?いったい何が起こったんだ?」アリオンの慌てふためいた声が、スピーカーからキンキンと鳴り響いた。
すぐさまカイが応答した。
「僕らは、全員無事だよ。たった今、化け物級の巨大キノコにぶつかるところだったんだ。でも、衝突は避けられた。ギリギリだったけどね。今、化け物キノコから離れて、安全な場所へ移動している最中だよ」
カイの声にはまだ緊張が入り混じっていたが、それでも、アリオンたちを安心させるには十分だった。スピーカーの向こうから、大きな安堵のため息が聞こえてきた。
そうしているうちに、降下艇は巨大なキノコからみるみる遠ざかり、やがてその全容が見渡せる高度まで上昇した。3人は、改めて巨大なキノコを目にした。
この巨大キノコは、今まで見た、青白いキノコとは明らかに違っている。衝突しそうになった柄の部分は、傘の部分にくらべて異常に細い。これでよく、化け物のような傘を支えられると思うほど、細くて華奢なのだ。細いとはいえ、幅は何十キロもあるだろう。
もはや青白い光はなく、ほぼ垂直に伸びる灰色の軸には、白っぽい縦の筋がいくつも折り重なり、組み込まれている。
地表部分には、四方八方に延びる青白い根っこはなく、血のような赤黒い塊が見えるだけだった。そしてキノコを中心に、波紋のような赤黒い輪が何重にも広がり、波紋同志が重なり、交差し合っている。特に一番外側の輪は、青白いキノコの平原にまで達していた。
最も不気味なのは、天を覆う、巨大な黒い傘だ。急速に発達する入道雲のように、随所から湧き起り、めくり上がり、あらゆる方向に広がろうとしている。まるで、そこに住む魔物たちが、そこかしこに顔を出しては、天を呪っているかのようだった。
しかもそれは、過去の出来事ではなく、今まさに、すごい勢いで膨れ上がりながら、成長しつつある。目の錯覚だろうか。どうしても、そう、見えてしまうのだ。
しかし、この巨大な化け物は、間違いなく静止していた。その恐ろしいほどの静寂が、なおさら、見る者をぞっとさせるのだ。
「おぞましい。寒気がする…」
タツヤは、身震いして、思わず目を伏せた。情けないと思いつつも、あまりに不気味過ぎて、ずっと直視しているのが耐えられなかったのだ。
ふと、隣を垣間見た。カイは、独りもくもくと操縦桿を握っている。何事にも動じない強さと冷静な操縦ぶりは、タツヤにとって、まさに驚異だった。カイは、まだ、14歳だ。タツヤと1歳しか違わない。なのに、どうしてこうも自分と異なるのだろう。
さっきの危機迫る場面でも、カイは決して慌てず、操縦桿をさばいて危険を回避した。きっと、空港の連絡通路が爆発した際も、こんな風に、キララ号を操縦して立て直したに違いない。いや、むしろ、あのような冷静さがなければ、宇宙船の操縦はできないだろう。
危険を前にして、目を閉じるような人間は、操縦士には向かない。タツヤは、なぜ父親が自分を、法律学校に入れたがったのか、理由の半分は納得した。悔しいが、タツノシンはああ見えて、タツヤのことを見抜いていたのだろう。
カイは、巨大キノコから十分な距離をとったまま、上空を周回するよう設定してから、ようやく自動操縦に切り替えた。ここでやっと、カイは操縦の重圧から解放され、座席の背もたれにどっと寄りかかった。
「ふうっ、あれが生き物じゃなくてよかったよ。もしもこの船に襲いかかってきたら、ひとたまりもないからね。見れば見るほどぞっとするよ」カイの腕には、本当に鳥肌が立っていた。「それにしても、あの音はなんだろう。金属の擦れる音のようにも、人の叫び声のようにも聞こえるけれど、えらい不協和音だな。頭が変になりそうだ」カイは不快な顔で、こめかみを軽く手で押さえた。
タツヤとアキラはすぐさま耳を澄ませたが、降下艇の低く単調なエンジン音しか聞きとれない。二人は互いに顔を見合わせた。
「何も聞こえないよ、カイ。きっと、疲れているせいだよ。大人顔負けの操縦を、たった一人でやってのけたんだから、無理もないさ。君は、まったく凄いよ。本当は君を休ませたいところだけど、あと一息、頑張って欲しい」とタツヤ。
すると、カイは少し驚いたような表情をして身を起こすと、もう一度じっと耳を澄ませた。それから半ば諦めたように頭を振ると、再び背もたれに体重を預けた。
「気のせいだったみたいだな。もう、何も聞こえない。ああ、今回はさすがに疲れたな」カイはやつれた顔のまま、にっこり笑った。「でも、操縦シミュレーションの経験がまたしても役立ったよ。月や地球に戻ったら、みんなにもぜひ、操縦シミュレーションを体験してもらいたいね。もっともその前に、本物の操縦を覚えてもらうつもりだけど」
降下艇は巨大キノコの周囲をゆっくり5、6周廻ると、高度をぐんと上げ、巨大キノコを見下ろせる上空2万メートルまで上昇した。
そこでわかったのは、巨大キノコの高さは、なんと1万メートル近くもあったことだ。地球でたとえると、ヒマラヤ山脈を悠に越える高さだ。青白い平坦な大地の先に、どす黒い奇怪な塊が、オブジェのように、不自然にそそり立っている。
「まさに化け物級の惑星だな。この星は、きっと呪われているんだ」アキラが呻く。
「カイ、これ以上得るものはないし、さっさとキララ号に帰ろうよ」
タツヤは、青白い霧の一件で弱気になった上、巨大キノコとの遭遇で、すっかりこの星が嫌になっていた。さすがのカイも、あまりの疲労と不気味さで、この星への興味は消え失せたようだ。
「そうだな。そろそろ僕らの古巣に帰るとするか」
降下艇は、さらに上昇を始めた。青白い地表も巨大キノコも、少しずつ遠ざかっていく。その代わり、濃紺色の空間が上方から膨らみ、風景を下方に押しやった。巨大キノコの不気味な姿も、やがて青白い燐光の中に埋没して見えなくなった。遠くには、青白い地平線が丸みを帯びながら広がっていく。
いよいよ、この奇妙な惑星ともお別れだ。
だが、ここで3人は、生涯忘れられない光景を目にすることとなった。
地平線の奥から次々現れたのは、数え切れないほどの巨大キノコだった。これがこの星の正体だと言わんばかりに、醜い姿を白日の下に晒している。林立する、化け物キノコの軸は、途中で奇怪にねじ曲がり、ひねくれながらも、天を目指すように伸びていた。
まるで、怒り狂った針金の束のようだ。そして、強い憤りと同時に、まるで何かを切願するように、どす黒い傘を天に差し出している。
化け物キノコたちは、静止した時間の中で、無言の叫びを永遠に繰り返していた。そして、たまたまこの星を訪れた生物に、全力でぶつけることで、跡形もなく砕け散るのを望んでいるかのようだった。
「いったい、この星はどうなっているんだ」
アキラは恐怖に顔を引きつらせたまま、自分の頭を乱暴に叩いた。
「この星に、何かが起こったのだけは確かだな」カイは、アキラの方を見ることもなく、無表情のままつぶやいた。
3人は小さくなっていく惑星に、そっと別れを告げた。
降下艇はケンゾーに誘導され、難なく母船キララ号に戻った。そこで、タツヤは初めて、キララ号の外観を目にした。空港では、連絡通路が直接、キララ号のハッチに連結されていたため、キララ号の全容を目にすることはなかった。
キララ号は、空港の展示室に飾ってあった模型どおり、銀ねずみ色をした、どこにでもある小型宇宙船だった。太い胴体部分には、控えめなテラのマークと共に、キララの文字が大きく描かれていた。ルビーのように赤く浮き出た文字は、出しゃばらず、しかし、しっかりと誇り高く輝いている。
この宇宙船は今まで、どんな人々を乗せ、どんな宇宙に行き、どんな経験を積んできたのだろう。タツヤは、自分の知らない過去に、しばし思いをはせた。
キララ号に入る前に、3人はエアロックの放射線除去装置によって、宇宙服や装備に付着した放射性物質を徹底して落とした。3人とも、ほとんど収穫のない冒険に疲れていたが、カイは、たった一人で操縦していたため、とりわけ疲労が激しい。
3人は普段着に着がえるため、着用していた黄色いつなぎを脱ぎ始めた。
タツヤは、カイの手首にキラリ光るものを偶然、目にした。青銀色の太い腕輪だ。着がえる際に、二の腕あたりからずり落ちてきたようだ。
「カイ、それ何だい?腕につけてるやつ」
タツヤが何気なく尋ねると、カイは急いでシャツの袖をおろし、服の上から腕輪を肘の上にずり上げた。しかし、タツヤと、そしてアキラも、しっかりとその腕輪を目に焼きつけていた。
それは、厚みのある、重々しい青銀製の腕輪で、美しい三日月の紋章が刻み込まれている。その素材といい、造りといい、とても14歳の少年が身につけるものではない。
「なんで隠すんだよ」アキラが不審そうに言う。
「恥ずかしいだけだよ。これは、養母から渡された形見のお守りなんだ。あんまり仰々しいつくりなので、普段は隠しているんだよ。こんな風に、たいていは冷やかされるからね」
カイはシャツの上から右手で、腕輪のあるあたりをポンポンと軽く叩いてみせた。
「ふうん、お守りにしちゃ、ずい分と豪華だな。三日月型のマークは、月の関係だろ?」
アキラは、意味ありげに目を細めた。
「そうらしい。養母は月の生まれだからね。でもアキラ、君だって持っているだろう?首にぶら下げている、赤いやつ」
カイの指摘に、アキラはぎょっとし、とっさに自分の胸のあたりに手を持っていった。
「おれも同じだよ。両親からもらった大事なお守りさ」
アキラはぶっきらぼうにそう言ったきり、何も言わず、二人に背中を向けてさっさと着替え始めた。そして、そのまま、逃げるようにして部屋から出て行ってしまった。カイもそれ以上深入りする気はなく、無言のまま着替えると、続いて部屋を後にした。
どうもしっくりこない。一人残されたタツヤは、いつの間にか、着替える手が止まっていた。自分の思い過ごしかもしれないが、カイもアキラも心の底に、他人に言えない何かを隠している気がしてならないのだ。
それに、二人の関係についても気になっている。相性が悪いのは仕方ないが、ヘルメット越しとはいえ、殴り合いにまで発展するのは、どこか不自然だ。アキラはカイに対して、必要以上に警戒しているし、カイはアキラをいつも遠ざけようとしている。それは、自分の思い過ごしだろうか。
タツヤはもやもやした気持ちを振り切るように、手早く着替えると、みんなのいる司令室へと急いだ。