第15章 リュナの秘密
波乱の銀王生誕際はこうして幕を閉じ、月の宮殿は再び静けさを取り戻した。
ツクヨミとカイは、金の印を取り戻し、人質になっていた杏姫は無事に、父親である椎間公爵のもとへ戻った。石に封印された呪術師マルディンは、月神殿の神官たちによって更なる封印を施され、人目の触れない深い地下へと埋められた。
夜明けの時間帯に、6千隻もの戦闘用宇宙船が外宇宙から戻ってきた。
その壮大な帰還に、人々は目を見張った。実に、夜空を覆うばかりの宇宙船群が、流星のごとく、次々と月へ舞い降りたのだ。
しかし、その3万人もの兵士たちは、今回の件をどう考えているのだろうか。
ツクヨミたちは、自分たちへの激しい憎悪や怒り、離反や抵抗を懸念した。なにしろ、兵士たちの最高司令官である大臣が殺され、凶悪犯のツクヨミが、その一派と共に、宮殿を取り仕切っているのだ。たった数時間で激変した月王政と宮殿を、果たして受け入れられるのだろうか。
が、戻って来た大軍は、不穏な動きを見せず、冷静だった。
どうやら、先に軍に入り込んだジアン大佐が、軍人たちをうまく説得できたらしい。大佐は、まず地上部隊を取り込み、味方につけた。
この宮殿基地の通信を介して、ジアン大佐は、月に戻って来る前から、部隊の上層部を丁寧に説得し続けた。元から信頼の厚い大佐は、ほぼ全部隊の賛同を得るのに成功した。
そもそも、大臣やトフラ司令官のやり方に、大きな不満を抱えていた士官も多い。王族に対する不敬な態度には、憤りすら感じていた。そこへ今回、逃げていたはずのツクヨミ王子が、堂々と月へ帰還した。そのニュースに、一同は驚愕したが、すぐさま歓喜の声を漏らした。
何かが変わると、言葉にならない予兆を胸の内に感じた瞬間だ。
しかも、ツクヨミ王子は無罪どころか冤罪であり、自ら大臣の陰謀を暴き、真実を月にもたらしたと言う。その上、我を失っていた銀王を復活させ、寝たきりの弟王子を目覚めさせた。これが、銀の精霊に祝福された奇跡でなければ、何だと言うのだろうか。上層部の軍人たちは、心底喜んだ。
もちろん、トフラ司令官とその取り巻き連中は、クーデターだ、謀反だと騒いで、全部隊を動かそうとした。だが、実際はトフラよりジアン大佐の方が、絶大な信頼を得ていた。
そして、大臣亡き後、最高司令官は、暫定的に椎間公爵へ移譲された。各部隊に報告が届けられると、すぐさま新しい命令系統が確立され、ジアン大佐は、椎間公爵直属の要職となった。兵士たちは、当然のようにジアン大佐を支持し、トフラの命令は公然と無視した。
トフラ一派は、分が悪いと悟ったのか、月へ到着する前に、高速宇宙船でどこかへ逃げて行った。だが、彼らを追う者はいない。兵士たちは一刻も早く故郷の月へ戻り、自分たちの目で真実を確かめたかったのだ。
その後、トフラたちの行方は知れず、いつしか月の住人からも忘れられた存在となった。
一方、月に帰還した3万人もの兵士たちは、月宮殿前の広大な庭園に集められた。
早朝の時間帯にもかかわらず、銀王と両王子が宮殿バルコニーに元気な姿を現した。ツクヨミは、クレーター屋敷から戻ってすぐに、そのままバルコニーへと足を運んだ。あれから少し元気を取り戻した銀王は、再び車いすに座れるようになるまで回復していた。3人が姿を現すと同時に、大歓声が夜空と宮殿を包み込んだ。
銀王は、自らの口で事の成り行きを淡々と語った。大臣の死にざまには、誰もが驚愕したが、すぐに祝福の大歓声が上がった。もともと、コーネリウス大臣の強引なやり方には納得できず、平和な星であるトリトンの侵略に反対している者も多かったのだ。
自分たちが忠誠を誓ったのは、銀王だ。腹黒い大臣ではない。銀王の強い後押しで、軍の最高司令官に成り上がった大臣に、仕方なく従っていただけだ。だが、呪術によって銀王を欺き、貶め、権力を不当に握り続けていた大臣に、同情の余地はない。
今は、こうして実際に、銀王自らが語り、ツクヨミ・ツクヨノの両王子が元気な姿を見せている。自分の目で銀王を確認し、銀王の力強い言葉を耳にする。銀王は、今までのように、台本を読むような話し方ではなく、しっかりと自分の言葉で、自分の意志を伝えている。
立ち振る舞いや説明もそうだが、銀王本来の揺るぎない威厳と気高さが、何より本人である証拠ではないか。兵士たちは、ようやく自分たちの主君が戻って来たと喜び、謹んで全てを受け入れた。
最後にツクヨミは、銀のリュナで短い曲を演奏した。心に染み入るメロディーが、何が真実かを教えてくれた。美しくも物悲しい旋律は、宮殿の隅々まで流れ、3万人もの兵士たちの心を潤し、真実に導いた。この真実に至るまでの、壮大なドラマが短い旋律に凝縮されているようだった。
夜空が、ツクヨミたちと共に、兵士たちを祝福した。
兵士たちは、その場であらためて、本当の主君である銀王に、次々と忠誠を誓い直した。
銀王は、微笑んで大歓声のような誓いを受け入れた。しかし、それが大衆の前に姿を現す最後の機会となった。その後、銀王の命の炎は、風船がしぼむように、急速に衰えていった。バルコニーから奥の間に引き上げる際、銀王は既に動けなくなっていた。
その日の午後、宮殿の大広間には、月政府の上層部、宮殿の管理者、地元の有力な名士、月や地球の報道記者など、大勢の関係者が集まりつつあった。重大な発表があると、宮殿から伝えられたのだ。
その大広間の奥にある、銀宮殿には、ツクヨミやツクヨノ、それに今回王族を助けた人々が、既に呼び集められていた。銀王は、バルコニーに姿を現した時より、さらに憔悴が激しく、寝台に横たわっていた。
銀王はもはや、自分で起き上がれず、肩で小刻みに呼吸をするばかりだ。それでも、落ち窪んだ小さな瞳だけは、二人の王子を捉えて離さなかった。
「王子たちよ、よく聞きなさい。私はあいつの術により、無理やり生かされてきたが、本当ならもう何年も前に死んでいたはずだ。そのマルディンが封じ込められ、全ての呪術が解かれた今、私の命はもうすぐ尽きるだろう。これも自業自得であろうが、私は自分の犯した数々の罪と共に、墓の中に眠ることになる。息子たち、特に、まだ幼いツクヨノは不憫だが、それでもおまえたちはこの国を担う王子だ。私の亡き後もしっかりとこの王国を守っていって欲しい。ツクヨノよ。兄王子ツクヨミ、椎間公爵をはじめ、大勢の心清き者たちが銀の精霊と共にお前を助けるだろう。私の願いはそれだけだ」
ツクヨミは、思わず目を伏せた。銀王は、自らの命がもうすぐ尽きようとしているのを、よくわかっている。だが、呪術による傀儡にせよ、何にせよ、銀王は、これまで生きながらえてきたのだ。
もしも自分がマルディンを倒さず、あのまま生かしておいたら、あるいは、父王の寿命はこの先も続いたのではないか。父王の命を断ち切る選択をしたのは、自分なのではないか。あれは、本当に正しい判断だったのか。
胸の底に深く突き刺さった罪悪感が、ツクヨミを苦しめていた。だが、答えを持たないツクヨミは、それについて何一つ、誰に対しても語れなかった。
「さあ、ツクヨミよ。マルディンから取り戻した金の印を私の手に」
ツクヨミは金の印を、銀王のまだ痛々しい右の手のひらに載せた。銀王はにっこり微笑むと、金の印を愛おしそうに握りしめた。次に指を広げた時には、金の印は銀王の手のひらに溶け込み、力強い黄金の光を放ち出した。
「これでよい。では銀の印を」
ツクヨミは胸もとから銀色に輝くリュナを取り出すと、銀王の左手に手渡した。
銀王は手にしたリュナを、金の印のある右手の手のひらと合わせた。一瞬、金と銀の光が競合するように煌めいた。
「これで、金銀二つの印が相通じた。ではツクヨノ、今度はおまえがこれを持つ番だ」
銀王は、銀の印であるリュナを弟王子に手渡そうとしたが、ツクヨノは予想もしていなかった事態に驚いて、手を引っ込めた。
「兄さんではなく、僕が?僕にはこれを受け取る資格がない。だって、僕はまだ子どもだし…」
うろたえた青年は、王を目前にしている自分の立場さえ忘れ、すっかり素の自分に戻っていた。しかし銀王は、軽々しいツクヨノの言葉に対しても、微笑み、ツクヨノの手を取った。
「これでいいのだよ。おまえの兄も承知しているだろう」
ツクヨミは隣で大きくうなずいたが、ツクヨノはますます混乱した。
「陛下、恐れながらわかりません。僕じゃなくて、兄さんが次の王になるべきです」
「ツクヨノ、それは無理だ」ツクヨミが少し厳しい口調で断言した。「金の印を持つ者、つまり月の王になるには、二十歳を越えていなければならない。私は外宇宙へ出てしまったため、この通り、少年のままだ。銀の印であるリュナだけが、10歳年をとったのだ。ここ月と、外宇宙では時間の流れ方が違うんだよ。だからおまえは私の弟なのに、私より遥かに年上になっているじゃないか。ずっと眠っていたとはいえ、月での時間に従っているから、おまえは二十歳を越えている。それにくらべ私はこの通り、出発した時の、14歳のままだ」
ツクヨノは突然の出来事にすっかり動揺し、兄ツクヨミの説明にも、まるで納得ができなかった。
「王位を継ぐなんて、そんな大それたこと、僕にはできないよ。だって十年間ずっと眠っていたんだから、僕だってまだ12歳のままじゃないか。体だけ大きくても、心は12歳の王様なんて、滑稽だよ。誰も認めやしないさ。なんで兄さんは僕に、そんな重い責任を押しつけるんだよ」青年は、ほとんど泣きそうな顔で訴えた。
ツクヨミは、思ってもみなかったツクヨノの反応に、戸惑った。
確かにツクヨノは、12歳で時が止まったままなのだ。それなのに、十年間の眠りから目覚めたばかりのツクヨノに、いきなり大役を引き受けろと迫っても納得いくはずがない。それに、今回の一連の出来事についても、幼いツクヨノは、まだ全てを本当に理解しているとは思えない。
それでも、二十歳にならなければ、何人も月の王位は継げない。銀王亡き後、ツクヨノが王位につかなければ、それこそ月は、最大の危機に陥ってしまう。
小さいが、しかし銀河連邦から独立し、中立を守っている月王国。それを手に入れたい、大臣やマルディンのような連中は、決して少なくないのだ。それはまだ大人になり切っていないタツヤでさえ、理解ができる事情だ。
たまらなくなった公爵が助け舟を出そうと口を開けかけた時、ツクヨミが諭すように言った。
「ツクヨノ。私や椎間公爵、みんなでお前を支えると約束するよ。お前一人に全てを押しつけたりはしない。どうか、私が成人するまでの間だけでも、王位についてくれないか。納得いかないだろうが、今、この月を守れる者はお前しかいないのだ」
しかし、ツクヨノは無言で恨みがましい目を兄ツクヨミに向けている。まるで、気に入っていた玩具を取り上げられた子どものようだ。
ふと、ツクヨミの顔が急に輝き出した。何かいい案を思いついた様子だ。
「そうだ、それなら月の住民たちがどう思っているのか、直接意見を聞いてみよう。ツクヨノが月の王としてふさわしいかどうかを」
ツクヨミはそう言うが早いか、銀王に許しを請うと、まだ動揺し怯えている弟王子の腕をとり、足早に大広間へと連れ出した。慌てた護衛兵に続いて、カイやタツヤたちもあとを追った。
大広間には、早くも数十人ほどの関係者や記者たちが集まっている。突然、奥の扉が開き、ツクヨミ王子と弟王子が姿を現したので、予定より早く会見が始まるのかと、人々がどよめいた。
「皆さん、これは会見ではありません。撮影などはどうかご遠慮いただきたい。正式な発表の前に、月住民としての皆さんに、率直な意見をお聞きしたいのです。わが父、銀王は、次期王位を継ぐ者として、このツクヨノを望んでおいでです」
ツクヨミは弟の手を取ると、力強く上に掲げた。たちまち、割れんばかりの拍手と大歓声が大広間に巻き起こった。
「殿下、喜んで」
「銀王様、万歳、ツクヨノ様万歳」
人々は、満面の笑顔で大合唱した。人々の顔に、声に、態度に、嘘偽りやへつらいは、まったく感じられない。微塵の疑いもない歓迎ぶりに、兄ツクヨミは顔を紅潮させ、目を潤ませた。それからややあって、集まった一同に、自信ありげにうなずいた。
一方、当の本人ツクヨノは、人々の大歓声と拍手に、はじめは信じられないと言った表情で立ちすくんでいた。が、青白い顔から少しずつ不安が消えてゆき、代わりに健康な赤みがすっと差し込むと、ついには希望に輝きだした。
人々の自分に対する正直な気持ちや兄ツクヨミの揺るぎない真心が、ツクヨノの曇っていた心を明るく照らし出したのだ。その瞬間、今までのわだかまりが吹き飛んで行った。少なくてもこれは、怪しい呪術やリュナの魔法ではない。人から人へ直接伝わる、自然で素直な感情だ。
ツクヨノは、兄の目を見ながら小さくうなずくと、自ら人々の前に進み出た。その足取りはしっかりとして、初々しくも自信に満ち溢れ、早くも高貴な雰囲気さえ醸し出している。
「ご存知のとおり、私は呪術師と大臣の手にかかり、ずっと眠らされていました。その間失われた十年間、私の心も人生も、成長が止まっていました。それでも皆さん方は、私を次期王として、ふさわしいと思われますか?」
一瞬、沈黙が流れた。しかしその沈黙は、感動のあまり声が出せなくなった沈黙だった。年若き王子が意を決して、重い荷を引き受けようとしている。誰もが、そう理解したのだ。
次の瞬間、人々は前より一層大きな歓声と惜しみない拍手をツクヨノに送った。歓喜の大声も拍手も、いつまでたっても鳴り止まない。ツクヨノは頬をすっかり紅潮させ、いよいよ決意を固めた。遅れてやって来た椎間公爵は、遠くから二人を見守り、満足そうにほほ笑んでいた。
ツクヨミは安堵のため息をつくと、切りのいいところを見はからい、人々に一礼して弟と共に銀王のもとに戻ってきた。それでもまだ歓声はなりやまない。
人々の大歓声が銀王の耳にも届いたのか、銀王は満足そうに、細めた目をツクヨノに向けた。そして、銀のリュナを再びツクヨノの手に渡した。ツクヨノは、銀の印である神聖なリュナを、今度は両手でしっかり受け取った。頭を深く垂れた姿勢で無言のまましばらく、銀王の手を握りしめていた。
「おまえなら必ずやれる。何故なら私の息子だからだ」
銀王はほんの少しばかり笑みを浮かべると、重そうな瞼を閉じた。今では目を開けているのも苦痛のようだ。
「陛下、ありがたく賜ります」ツクヨノは、少しためらいながら言った。「陛下、銀の印を頂くにあたって、お願いがございます。誠に僭越ながら、一度だけ、その、父上と呼ばせて頂いてもよろしいでしょうか?」
銀王は再び目を開けると、微笑んだ。銀王の顏は、かつてないほど、柔和で優しく、そして本物の父親だった。
一同はツクヨノと銀王を部屋に残し、一礼すると、静かに部屋を出て行った。全員が無言のまま、ツクヨミの後に続いていった。
満天の星の下、月桃園では月桃の葉が夜風に吹かれ、揺れている。心なしか、月桃たちもようやく取り戻した平和を祝福しているかのようだった。
タツヤは月がこれほど美しいと感じたのは、初めてだった。いつも見慣れているツクヨミでさえも、もしかしたら、タツヤと同じように感じているのかもしれない。そう思えるほど、ツクヨミは、別人のようだった。平和で自然な笑みを浮かべ、月桃の葉が揺れるのを楽しそうに眺めている。その瞳は優しく、初めて会った頃の、芸術家アリオンだ。
ツクヨミは長い悪夢から、ようやく解放され、今までは決して味わえなかった、幸せの一コマを全身で感じ取っているようだ。
一同はツクヨミを先頭に、無言のまま緩やかにカーブする回廊をゆっくりと歩んだ。月長石の柱が、秘密の内庭に長く薄い影を落としている。
「ツクヨミ王子、もしよかったら最初から話してくれないか?」
三つ目のカーブを曲がったところで、タツヤが静かに切り出した。
先頭を歩いていたツクヨミはまるで、そう言われるのを待っていたかのように立ち止まり、みんなの方に振り返ると、笑みを浮かべた。
「そうだね。君たちには、いつか秘密を全て打ち明けると約束したね。ようやく、その時が訪れたようだ。こうして打ち明けられる日を迎えられて嬉しいよ。ツクヨノや公爵殿にも、ぜひ聞いておいてもらいたい」
一同は、回廊の角で立ち止まったまま、ツクヨノが部屋から出て来るのを気長に待った。そんなひと時でさえ、不思議なほど穏やかで心地がいい。ほどなくすると、ツクヨノは公爵に連れられて、みんなに合流した。
ツクヨミは、月長石の長い柱廊を進み、執務宮にある「雷鳥の間」へとみんなを案内した。そこは月桃園が見渡せる、落ち着いた一室だった。
大理石の大きなテーブルが、部屋の中央を占めている。部屋は広々として、壁は柔らかいエメラルド色の大理石で覆われていた。天井まで伸びた大きな窓には、上品なカーテンが飾られ、開いた窓からは爽やかな夜風が吹き込んでいた。
全員が、大理石のテーブルを囲むように腰を降ろした。まるで、会議のような光景だ。光る石でできた燭台が、部屋全体を優雅なオレンジ色に染め、席に着いた人々の顔も照らし出していた。
一息ついたツクヨミは、みんなの顔をぐるりと眺め、それからとつとつと語り始めた。
「あの頃、既に弟ツクヨノは眠らされ、父王も人が変わってしまい、私はひとり怯える日々を送っていた。大臣たちは頑なに反対していたが、地球をはじめとする銀河連邦から、名医と仰がれている医者たちを何人も呼んで、父王と弟王子を診てもらっていた。けれど、どの医者も原因は不明と匙を投げるばかりで、何一つ解決できないでいた。ただ、ある名医は、科学的な治療を全く受けつけないのは、もしかしたら魔術や呪術が関係しているのではないかと、こっそり私に耳打ちしてくれたんだ。こっそりとは、大臣たち一派が、医師たちに圧力をかけていたので、おそらく真実を公にはできなかったのだろう。それは、私も薄っすらと感じ取っていた」
ツクヨミのちょうど真向かいにいたツクヨノの顏が、僅かに引きつった。ツクヨミは、真剣に話を続けた。
「それを聞いた私は、もしやと思い、神殿の神官たちに相談してみたが、どんなに調べても、やはりわからない。魔術や呪術の痕跡が、一切見つからないと口をそろえて言う。しかし、副神官長のイラは、こうも言っていた。わからないのは、自分たちの力を遥かに超える力の持ち主が、魔術を使っているのかもしれないと。そこで、私はイラ殿の力を借りて、思いつく限りの方法でリュナを吹いてみた。それでも、リュナの響きは父王や弟に届く気配がなかった。あの頃の私は、本当に未熟だったからね。今思えば、リュナも、何とか答えたいが、私に応じた力しか貸せなかったのだろう」
ツクヨミは、淡々と話を続けた。
当時はまだ、マルディンが犯人なんて知るよしもなかったツクヨミは、見えない敵に四六時中怯えていた。それでなくても、大臣とその一派は、明らかに自分を狙っている。次こそ自分がやられる番だと、夜も満足に眠れず、ツクヨミは気が触れる寸前の状態だった。
宮殿職員の中にも、大臣と手を組む者が増えはじめ、信じていた者たちがいつの間にか、敵方についている。ついに宮殿総務長や宮殿警護上層部の者たち、それに数少ない親戚までもが、大臣側に取り込まれていた。
頼りにしていた椎間公爵や神殿部の神官は、宮殿から追い出され、連絡さえ取れない状況が続いた。もちろん、宮殿内にも支援者たちは残っていたが、もはや誰が敵か味方かさえ、わからない。それほど、ツクヨミの周囲は混とんとしていた。
宮殿の中で信じられるのは、とうとう幼馴染のカイただ一人になってしまった。
それでツクヨミは、カイに全てを打ち明け、相談したのだ。カイは、既に銀王から、忠誠の証である青銀の騎士の腕輪を賜っていた。しかし、未成年ゆえ、まだ正式な青銀の騎士ではなかった。そこでツクヨミは、カイを正式な青銀の騎士として、いわば強引に任命した。そこから、カイはツクヨミと運命を共にした。
そんなある日、カイが月の神殿にある預言書をめくっていると、ある預言詩の一節が目に留まり、すぐさまツクヨミに知らせた。月には、月王国が困難な事態に陥る時には必ず、預言者が現れて直接助言を与えるか、もしくは、預言者がそのために書き残した預言詩を発見できると言う、言い伝えがある。ツクヨミは、その預言詩を見てピンときた。
時の重みをリュナに注ぎ込め
十年という年月
それ以上でも、それ以下でもいけない
その時、
精霊の銀は時へと羽化し
重い呪術の解毒薬となるだろう
弟と銀王にかけられた呪術を解く鍵はこの預言詩にあると、二人は直感した。いや、むしろツクヨミのために、預言者は、この預言詩を残しておいたに違いない。この予言詩からは、預言者の強い意志が感じ取れる。ツクヨミとカイは、ようやく一筋の希望の光を見出した。
とは言え、この予言詩は難解だ。いったいどうしたら十年の年月を、リュナに注ぎ込めるのだろうか。具体的な方法がわからず、二人は苦悩した。
それでも、調べているうちに、月や地球で流れている時間と、外宇宙で流れている時間が異なる事実に、二人は気がついた。時間の流れは、宇宙のどこでも同じわけではない。特に外宇宙は、ここ月にくらべて、極端に早かったり、又は遅かったり、時間の流れ方が大きく異なる。
だから月より時間の流れの遅い外宇宙に赴き、月が十年経つ頃に戻ってくれば、十年という時の重みをリュナに注ぎ込めるかもしれない。二人は、そう結論づけた。
しかし外宇宙に出たくても、ツクヨミは四六時中、厳重に監視されている。何より、月正規軍も、大臣たちの厳重な管理下におかれているため、月で宇宙船を調達するのは不可能だった。
その時ちょうど、地球の、東京宇宙空港で開催される航空ショーに合わせて、本物の宇宙船が一週間展示される情報を、二人は知った。ちょっとした賭けにはなるが、比較的自由に行動できる地球でならば、その宇宙船を使って外宇宙へ旅立てるかもしれない。
そう考えた二人は、好奇心と勉学のためと偽り、宇宙空港と航空ショーの見学許可を得た。こうして、二人は地球にやって来た。
そして、展示宇宙船撮影の振りをして、数日間キララ号に通い詰めた。その間、跡をつけてきた大臣隠密の手下どもをかわしながら、準備を重ねた。時には大胆にも、映画撮影さながらの大型機械を装い、外宇宙に行くのに必要な燃料や機材を詰め込んだ。二人は、配線をいじり、船内コンピュータをプログラムし、出発の準備を整えた。
あとは、人々が航空ショーに気を取られている隙に、事故を装ってキララ号を発進させればうまくいくはずだった。
ところが肝心の出発時、予想外の出来事が起こり、二人は慌てた。誰もいないと思っていたキララ号の中には、まだ四人もの人間が残っていたのだ。しかも、全員子どもだ。それが、タツヤたち四人だった。
ツクヨミは、一瞬迷った。まだ子どもの四人を、危険な外宇宙の旅に連れ出してもいいのか、自分たちの運命に巻き込んでもいいのか、時間の流れを狂わせてもいいのかと。
しかし、ツクヨミには月の命運がかかっていたし、この機を逃したら、チャンスは永遠に巡って来ない。カイとも相談し、意を決してキララ号を発進させたのだ。もちろん、当初の計画は、いろいろと変更せざるを得なかった。
驚嘆すべき話に、タツヤたちは、今までの記憶が一気に、それも悪夢のようによみがえった。
「今ようやく合点がいったよ。つまり、連絡通路で爆発した金属生命爆弾も、君たちの仕業だったんだね?」
タツヤは何故、危険な金属生命爆弾が使われたのか、ずっと疑問に思っていた。
「そうだよ。キララ号を空港から切り離すためと、連絡ができないようにするためだ」
ツクヨミが涼しい顔で言う。
「ずい分と派手な爆弾を選んだなあ。一歩間違えば、キララ号は地上に墜落していたか、空中で燃え尽きたかもしれないのに」呆れ顔のタツヤは、半分投げやりな態度になった。
「ああ、本来なら、爆発とほぼ同時にキララ号を発進させる予定だったんだ。だけど、機内に人がいるのを感知したので、慌ててエアロックに出て行ったんだ。そうしたら、そこで君たち四人と鉢合わせて、さらに大慌てになったのさ。あの時は、本当に心臓が止まるかと思ったよ」
カイが当時の切迫した状況を思い出すように言った。
「じゃあ、ケンゾーの記録を消したのも、星系マップを消したのも、全部君たちの仕業?」
タツヤの問いかけに、カイが大きくうなずいた。
「うん。当初、消すつもりはなかったけれど、君たちが乗っている以上、余計な情報は隠さなければならなくなった。それで、細工する時間をつくるため、ワープの時に、船内の気圧をちょっと下げたんだよ。そのせいで君たちが気を失っている間に、僕がプログラムを書き換えた」
すると、アキラがテーブルの反対側から身を乗り出して叫んだ。
「おいおい!あの時のひどい頭痛は、ワープが原因じゃなくて、気圧のせいだったのか。妙だと思ったよ。ワープで気を失うとか、ひどい頭痛を起こすなんて、どう考えてもあり得ないからね」
アキラは、半分本気で怒っていた。
「今さらながら、謝るよ」カイはきまりが悪そうに答えた。「あれ以来、アキラが頭痛持ちになったのは、僕らのせいだな。でも、事情が事情だけに、当分の間、キララ号は行方不明でないと都合が悪かったからね」
「なるほどな。どうりで緊急時に使う、位置情報発信装置が取り外されていたわけだ。おれたち、最初から、君たち二人に丸ごと騙されていたんだな」
アキラは、不機嫌そうに両腕を硬く組んだ。漂流の途中でアキラは、位置情報発信装置が抜き取られていた事実に気がつき、ずっとカイたちを疑い続けていたのだ。
「許してくれ。今更、言い訳にすぎないけれど、あの時は仕方なかったんだ。位置情報発信装置を使うと、大臣たちはキララ号の居場所をすぐにつかんでしまうからね。どうしても月時間で十年間、外宇宙にいなければならなかったんだ。ただ、ピルラ星でツクヨミがやむなくリュナを吹いてしまったので、結局は、超人的なマルディンには居場所がばれてしまったけれど」
カイとツクヨミは、申し訳なさそうな顔をした。
「悔しいけれど、何もかも許すよ。もしおれが君の立場だったら、やっぱりそうするだろうからね。それに、バルを救うため、危険を覚悟でリュナを吹いたのなら、なおさらだ」
アキラは、降参したかのように、しぶしぶ両手をあげた。カイたちにしてやられたのも悔しいが、散々カイたちを疑って、カリカリしていた自分がバカらしくなったのだ。
ここでカイは、事情を知らないツクヨノや椎間公爵たちに、キノコ星での冒険やピルラ星での出来事、続いて海賊との一件を説明した。椎間公爵は目を白黒させ、驚き、呆れるばかりだったが、ツクヨノは眼を輝かせて、熱心に聞き入っていた。
「でもどうやって、ちょうど十年の年月が流れたってわかったの?」タツヤは不思議そうな目を二人に向けた。「僕らは約一ヶ月間、外宇宙をさまよっていたけれど、月がちょうど十年経った時に戻るって、相当難しい技じゃないか?もしかして、初めからキノコ星のピロクセンやピルラ星に行くつもりだったのかい?」
「まさか」カイが大笑いした。「僕たちは完璧な行方不明にならなければ、ならなかったんだ。だから、自分自身も行き先を知らないのが一番安全だ。当然、銀王や椎間公爵や支援者も知らない。それくらいしないと、大臣とその背後にいる者の目はごまかせないと思ったからね。まあ、結果的にはそれが大正解だったけど。ちょうど十年で月に戻れたのには、ちょっとしたカラクリがあるんだよ。それが、ツクヨミがつけていた特殊な腕時計だ。あの腕時計は、どんなに時間の流れが異なる外宇宙へ行っても、必ず月での時間を示してくれる。あれで時間の流れを確認しながら、帳尻を合わせていたんだ。ピルラ星は、想像以上に時間の流れが遅かったので、ひやひやしたよ」
そう言えば、ツクヨミことアリオンが、しょっちゅう腕時計を気にかけていた。皆は、単にツクヨミの癖だと思っていたが、実はそうではなかったのだ。
そして、ピルラ星でツクヨミがカイに、ここはあまりに遅すぎると言っていた件を、タツヤは思い出した。一日で一年だ、とも言っていた。そうだ、あれはピルラ星での一日は、月での一年に相当するという意味だったのだ。今初めて、合点がいった。
だからこそ、それに気づいたカイたちは、一刻も早くピルラ星を離れようと必死だったのだ。しかし、想定外のトラブルが起こってしまい、結局タツヤたちは、ピルラ星に約十年近くいた計算になる。
「そうか。時の重みをリュナに注ぎ込むため、十年という年月を外宇宙で過ごすのが、君たちの壮大な計画だったんだな」アキラが感心したように、つぶやいた。
ツクヨミは、真剣な顔つきに変わると、心にしまっていた思いをついに打ち明けた。
「そればかりじゃないよ。次期王位を弟ツクヨノに譲るためでもあったんだ。私が無事、月の宮殿に戻っても、私は出発時の十四歳のままだ。これでは、銀王が万が一の場合、いくら銀の印を持っていても、二十歳未満の私は王位につけない。月王不在こそ、まさに敵の思うつぼだ。すぐさま月が乗っ取られてしまう。そこで、時の重みを注ぎ込んだリュナが本当に呪術を解くのなら、私を飛び越えて弟ツクヨノに王位を譲ろうと、そう考えたのだ」
ツクヨミの重くも慈愛あふれた視線に、ツクヨノは一瞬電気が走ったようにビクっと震えた。たかだか14歳の兄が、支援者もなく自分の命を賭け、危険な外宇宙へ飛び出していく。その勇気と大胆な行動力と強い責任感に、ツクヨノは大きな感銘を受けていた。
月王族や月を守る兄ツクヨミの壮大な物語に、ここでツクヨノは、自分の未熟さを思い知った。
「兄さん。兄さんは、僕たちのため、月のために、本当に苦労していたんだね。それなのに、僕は何の事情も知らないまま、ただ眠って無駄に十年を過ごしていたんだ。僕に王位を、責任を押しつけたなんて酷いことを言って、ごめんなさい」
ツクヨノは、12歳の子どもらしく、素直な感情をツクヨミに伝えた。
「いや、私の方こそ、十年の眠りから目覚めたばかりのおまえに、無理を言ってすまない。しかし、どうしても心正しき者に月を治めてもらいたいのだ。あの欲深い大臣やマルディンみたいな悪者に、二度と月を汚されたくないからね」
ツクヨミは、心の重荷がすっかり解かれ、全てを語り尽くしたのか、言いようのない満ち足りた笑顔を浮かべている。
四六時中、恐怖、不審、苦悩におびやかされ、出口のない死の迷宮に閉じ込められていた、狂気の日々。それが、ここでやっと終わりを告げ、新たな人生が始まるのだ。14年の人生で味わったことのない幸福を、今、ツクヨミはきっと初めて噛みしめているのだろう。
「めでたし、めでたし。これで月も安泰かな。しばらくは、私の出番もないようだ。誠に結構」
穏やかな、しかし毅然とした声に全員が振り向いた。一人の銀髪の老人が、いつの間にか「雷鳥の間」の出入口に立っている。老人は、仙人を思わせる風貌で、真っ白な長いローブをまとっていた。
「あなたは、もしや預言者殿では…」
いち早く立ち上がった椎間公爵は、その場でよろめいた。
「さよう、古の神殿に眠っていた年寄りだ。少しばかり立ち寄らせてもらったぞ。ツクヨミ殿、カイ殿、まずは礼を言う。よくぞ強力な呪術師マルディンを倒し、月を守ってくれた。おまえさん方の勇気と正義を信じる心は、天下一品だ」
預言者は、長い銀の顎鬚をなびかせ、つかつかと部屋の中に入ってきた。白く長いローブがふわり揺れるたびに、いい香りが部屋の中に漂った。
カイとツクヨミが立ち上がり、深々と頭をさげた。
「これもみんな、預言者殿のおかげです。助言の通り、あいつを石に封印しました。お礼を言うのは、僕らの方です」
カイの簡単な報告に、預言者はにっこりと笑い満足そうにうなずいた。報告するまでもなく、預言者は既に何もかも知っている様子だ。ツクヨミに促され、預言者は大きな椅子にゆっくり腰を降ろした。
「おお、預言者殿は、月王国の危機を救うため、わざわざ目覚められたのですね」
椎間公爵だけが感激のあまり、ずっと立ちつくしたままだった。一生に一度すら会えないと言われている預言者に、こうして面と向って話をできたのが、よほど嬉しいらしい。
「いかにも。神殿がざわめいていたので、助言の必要を感じて目覚めたのだ。だが、直接私を揺り起こしたのは、ツクヨノ王子、おまえさんだ」
「えっ?僕?僕は、ただずっと眠っていただけだよ」
名指しされたツクヨノは、素っ頓狂な声を張り上げた。
「もちろん覚えていないだろうが、眠りの中でツクヨノ殿の悲痛な叫びが聞こえた。互いに深い眠りに落ちていたので、繋がったのだろう。ツクヨノ殿は深い沼の底に閉じ込められ、泣き叫んでいた。その叫びが、私を現実の世界に呼び戻し、眠りから覚まさせたのだ」預言者はどこか躊躇するように、長い顎鬚をつまんだ。「だが、私が目覚めた理由は、これ以外に、もう一つある。私の後継者となる者に、その件を告げるためだ」
全員が色めきたった。次期預言者については、月にとってはある意味、王位継承者よりも重大な関心事だった。月の預言者は、未来を正確に見通した上で必要な助言を行う、代々月を守ってきた重要な人物だ。
その、超人的な能力を備えた後継者が誰なのか。王族を含め、月の住民はずっと気にかけていた。また、預言者が後継者の件を口にしたのは、そう遠からずやってくる、自分の死を預言しているという意味でもある。
「どなたなのですか?その後継者とは」
椎間公爵は、預言者に詰め寄らんばかりの勢いだ。しかし預言者は相変わらずのんびりとした調子で、公爵をかわした。
「いやいや、名前は伏せておこう。まだその者の決心が固まっていないのでな。そう急く話でもない。だが、その者はいずれ私の後を継いで預言者となるであろう」
預言者は、新たな預言を残した。
「預言者殿、リュナのことをうかがってもよろしいですか?」
ツクヨミが遠慮がちに尋ねた。
「もちろん」
「リュナの魔力についてはわかっていたつもりですが、今回、私でさえ、あのリュナが末恐ろしくなりました。マルディンと戦った時、リュナが爆音を轟かせたり、ものすごい光を放ったり、私たちを大人の姿に変身させ大きな剣を手にしていたり。あれは、とても銀の精霊の力とは思えません。銀の精霊の力を遥かに超えていると、私は感じました。あれは楽器としてのリュナではなく、銀の印としての力を発揮したのですか?」
新たにリュナを受け継いだツクヨノは、不安そうに顔をしかめた。服の上からリュナに手を当て、気にかけている。どうにも、リュナになじめず、しっくりこない様子だ。その上、こんな話を兄ツクヨミから聞いたので、ますますリュナが恐ろしくなっていた。
「おまえたちが探り当てた預言詩のとおりで、銀の印とは関係がない。リュナは銀の精霊であり、それを吹く者に祝福を与える。その音色は魂の奥深くまで入り込み、人の心を変える。それが、十年という時の重みを注ぎ込まれると、どうなるのか。預言詩に記されているように、銀の精霊は、それを遥かにしのぐ、時の精霊へと進化する。時の精霊とは全宇宙に満遍なく広がる、原初の力そのものだ。銀の精霊が、月と関係するものにしか存在しないのに対して、時の精霊は、時間も空間も超えて、あらゆるところに存在している。未だに謎が多く、全容はつかめていないが、星々の運行でさえ変えられると言う話もある。呪術師と結託している闇の精霊も強力ではあるが、時の精霊の前では赤子も同然だ。何故なら、時の精霊は、闇の精霊が生まれる遥か昔から存在していたからだ。宇宙が生まれた時、時の精霊も生まれたのだ。いわば、宇宙と、時の精霊は双子の兄弟なのだ。だから、あの戦いで見せた力は、決して銀の印としての力ではない。その証として」預言者はツクヨノの胸もとを指さした。「ツクヨノ殿が受け取った銀の印を見るがよい。銀の印は、その者に必要な形をとるのだ」
ツクヨノは、胸もとから銀の印を不安げに引っ張り上げると、目を丸くした。銀王から受け取った時は確かに銀のリュナだったのに、今では銀色に輝く小さな竪琴になっている。その場にいた全員があ然としたが、誰よりも、それを取り出したツクヨノが一番驚いていた。
「それは、おまえさんの揺らぐ心を落ち着かせる竪琴だ。弦を弾くと、おまえの不安は遠のき、代わりに自信と希望がやってくるだろう」
ツクヨノは、穴のあくほど小さな竪琴を見つめていたが、試しに弦を弾いてみた。心地よい音色が波紋のように広がった。リュナとは異なる、どっしりとした安定感のある音色だ。
ツクヨノは、嬉しさのあまり、銀の竪琴を愛おしく握りしめた。
「そう、だからリュナでなければ、あのような銀の精霊の強い力は得られないのだ。まして、時の精霊に変化させられるのは、リュナだけだ」
「時の精霊…」ツクヨミはそうつぶやくと、少しの間、黙り込んだ。「時の精霊は、本当にいるんですね。私は詩を詠む上での、単なるたとえかと思っていたのです」
預言者は、深い溜息をついた。
「おやおや、呆れるね。マルディンと戦った時、おまえさんたちは見ただろう?十年後の自分たちを」
預言者はまるでその場にいたかのごとく、核心のある言葉を吐き、一同の記憶を甦らせた。
「あれは、十年後の自分だったのか…」
ツクヨミとカイは思わず目を合わせた。自分たちが、見慣れない剣を持ってマルディンと戦ったのは、もちろんわかっていたが、それが、まさか十年後の自分だとは考えてもみなかったのだ。
「自分なのに、自分のようでない、変な感覚だった」カイが、鳥肌の立った腕を摩った。
「そのとおり。あれも時の精霊の力だ。おまえさんたちが、もし月で十年を過ごしていたとしたら、あのような立派な青年になっていただろう。いわば、おまえさんたちは、十年後の未来から、剣と十年後の自分という武器を携えて、現在に戻り、あいつとの戦いに臨んだのだ」
ツクヨミたちは、本人たちも知らないうちに、時間そのものを武器としてマルディンと戦っていたのだ。預言者だけが、それを知っていたに違いない。そしてその結果についても。
ツクヨミとカイは、ぽかんと口を開けたまま、預言者を見つめるばかりだった。いつもは賢い二人があまりにも間抜けに見えたので、タツヤは思わず吹き出しそうになった。
だが、ここは宮殿であり、目の前にいるのは一国の王子である。タツヤはぐっと笑いをこらえた。預言者は笑いこそしなかったが、二人の反応に、またしても大きなため息をついた。
「やれやれ。あの立派な青年たちになるには、まだまだ経験を積む必要がありそうだな。それと忘れないうちに言っておくが、飛び越えた時間は、いつか必ず取り戻さなければならない。だがそれは、ずっと先のこと。その時が来れば、おのずとわかるだろう」預言者は扉の方に目をやり、立ち上がった。「どうやらおまえさんたちにとって、大切な客人が到着したらしい。私の出番もこれまでのようだな。少々疲れたので、また神殿地下で休息をとるとしようか。もっともそのうち、本物の休息を取れる日がやってくるだろうがね。その日が待ち遠しいものだ」
預言者は、そう言いながらゆっくりと歩き出し、「雷鳥の間」から出て行こうとした。
「そうだ、眠ってしまう前に、大切な預言を一つ残しておくとするか。近いうちに、失われた王女が戻ってくるぞ。その保護者と共にな」
預言者はそれだけ言い残すと、ぼう然とした一同を残して、部屋からさっさと出て行った。何を言われたのか、わからずにいた一同は、立ち上がったまま首をかしげていた。
そのうち、ツクヨミだけが、突如はっとして、なりふりかまわず預言者の後を追いかけて行った。しかし、部屋の外に、既に預言者の姿はなかった。
「失われた王女って、まさか、妹のツクヨナのこと?」
後から駆けつけたツクヨノが、廊下で立ちすくんでいるツクヨミと顔を見合わせた。
「そんなバカな。だって、ツクヨナは母上と一緒に墓地で眠っているはずでは…」
ツクヨミも自信がないような口ぶりだ。公爵も、悩まし気につぶやいた。
「妃殿下の墓を暴くなど、そんな不埒な行為はできない。が、噂によると、あくまでも噂であるが、赤子の亡骸はなかったとの話だ。それとは別に、王女は連れ去られたとの噂も流れている」
マルディンは、王妃と妹を殺したと公言していた。確かに、母王妃は妹ツクヨナを産んですぐに、死んでしまった。それは疑いようのない事実だ。だが、王妃と一緒に死んだはずのツクヨナの墓所は、空だったと言われている。
その後、連れ去られて行方不明だという噂が巷に流れたが、その真偽のほどは結局、わからなかった。しかし、預言者は確かに、失われた王女が戻ってくると預言した。妹が生きているかもしれない。もし生きているのなら、妹ツクヨナは、20歳になっているはずだ。ツクヨミは、新たな希望に胸を躍らせた。
そこへ、宮殿本館の方面から、白い服を着た一人の男性が近づいて来るのが見えた。日焼けした、精悍な顔立ちの男は、ほぼ全員が見覚えのある人物だった。
男は、「雷鳥の間」の前にいるツクヨミたち一行を見つけると、懐かしい友人にでも再会したように笑顔を向けた。
「みなさん、話は聞きましたよ。これでようやく月も平和を取り戻しましたね。おめでとうございます。おかげで私も心配なく眠れそうです」




