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第14章 闇の精霊、闇の呪術師

 上弦の月の刻、宮殿は暗い朝を迎えていた。

 朝とはいえ、地球の朝とはまったく異なっている。月の本当の昼夜は、地球を基準にすると、それぞれ14日間続くため、月の一日は約1ヶ月になってしまう。しかしそれでは、一番近く、交流の深い地球とのやり取りに支障が出てしまい、不都合だ。そこで、月でも地球時間を取り入れ、一日は24時間制を採用している。

 朝昼夕など、時間の呼び名もそのまま使用され、生活リズムも、地球とほぼ同様に調整されていた。ただし、太陽の沈まない14日間、太陽が顔を出さない14日間は、月ならではの動かしがたい事実なので、それぞれ、「昼の期間」、「夜の期間」と呼ばれている。

 さらに、昔からの慣習で、昼の期間に入ったばかりの時刻を「上弦の月の刻」とし、夜の期間に入ったばかりの時刻を「下弦の月の刻」と呼んでいる。

 長い夜の期間が始まったばかりの、首都銀都にある宮殿は、昨夜の混乱も落ち着き、見るも無残だった大広間は急ピッチで修復されつつあった。しかし、銀王から金の印が奪われ、椎間(しいま)公爵の娘、(あんず)姫がマルディンに人質として取られている以上、もとの平和な宮殿には、ほど遠い状態だった。

 明け方近くに出発した3機の小型宇宙船は、密かに、月の裏にある椎間公爵のクレーター屋敷に向っていた。一機はツクヨミたち一行を乗せたキララ号で、もう一機は、ジアン大佐を指揮官とする小型戦闘機だ。残り一機は、どこにでもある定期便の外見を装った小型戦闘機である。

 杏姫が人質になっている以上、大がかりな行動はできない。直接クレーター屋敷に向ったのは3機だけだが、目立たないように、クレーター屋敷の周囲を軍の特殊部隊がじわじわと取り囲みつつあった。

 キララ号には、ツクヨミの他に、カイ、椎間公爵、神殿副神官長のイラ、特殊部隊の兵士が12名同乗している。操縦は、兵士たちが担当する。そこに、ツクヨミたっての希望もあり、タツヤ、アキラ、マナミの3人が特別に同乗を許可された。少年少女の同行については、当然だが、強い反対を受けた。子どものままごとじゃないと、怒り狂う軍高官もいた。

 ところが、イラが、あっさりとツクヨミに賛同した。

「なんとも摩訶不思議であるが、この地球の子どもたちは、ツクヨミ殿を守る力をお持ちのようだ。魔術とは違う、何かがそこにある」

 奇妙なイラの発言に、全員が複雑な顔をしたまま、押し黙ってしまった。地球ではあり得ない話だが、ここ月では魔術や呪術など、神秘の力がいまだに物を言う。

 結局、ツクヨミたっての願いと、イラの意外な提言が功をなし、3人はおとなしくしているという条件のもと、キララ号への同乗を許可された。もちろん実戦には加わらないが、いわば、お守りとして同行するだけだ。それでも、タツヤたちは嬉しかった。自分たちが少しでも役に立てれば、何でもいいのだから。

 クレーター屋敷に近づくにつれ、一同はますます口数が減り、張りつめた空気の中で、ひたすら到着を待つばかりとなった。ツクヨミは胸もとのリュナをそっと握りしめ、目を閉じたまま、ずっと祈り続けている。カイは、司令室の窓の外をじっと見つめたまま、動かない。アキラもマナミも、静かに司令室のソファに座っている。

 全員が、背負いきれないほど大きな不安を抱えている。それでも、それぞれが心静かに自分を制していた。少なくても、周囲に不安が伝染しないよう、努力を重ねている。

 ただひとり、椎間公爵だけが、例外だった。公爵は、乗船時から、狭い船内を意味もなく歩き廻っていた。公爵は杏姫が心配で、いてもたってもいられないのだ。それでも指揮官らしく、不安な素振りを見せまいと気の毒なくらい、気を張っている。頬は再びげっそりとし、牢獄から開放された時のような精彩さは感じられない。

 誰もが、公爵の心中を察したものの、かける言葉が見つからないため、ずっと沈黙するしかなかった。

「公爵殿。杏殿は小さくても、立派な方です。きっとうまくやっていますよ」

 突然、ケンゾーが公爵に声をかけた。公爵は、ふいに声をかけられて驚き、さらに、声の主が船内コンピュータだと知り、一瞬ものすごい形相になった。しかし、それもつかの間、ふっと笑みを浮かべるとケンゾーにむかって言った。

「君が杏のことを一番よくわかっているようだな。この私なんかよりもね」

 この何とも不思議な会話のおかげで、公爵は少し元気が出たようだった。場の緊張が、やっとここで途切れた。タツヤたちは、すかさず、ケンゾーが杏姫を知っている理由を説明した。公爵は、嬉しそうに話を聞き、最後には笑みさえ浮かべていた。

 2時間ほどかけて、キララ号は椎間公爵のクレーター屋敷に到着した。タツヤたちが昨日訪れた時にくらべ、屋敷の様子は一変していた。このあたり一帯は、「昼の期間」に入るところであり、見通しはまあまあだった。しかし、クレーター周辺だけが、異常に暗い。よく見ると、クレーターの上には黒い霧の塊がのしかかり、巨大なクレーターを塞いでいる。まるでクレーターに被せられた、黒い蓋のようだった。

「私の屋敷は、ひどい有様じゃないか」

 公爵の気落ちした声が沈黙を破った。

 イラは、司令室の窓から注意深く黒い霧を見つめた。

「あれは」イラの顔が歪んだ。「屋敷全体に呪術がかけられているのか、あるいは、罠が張られているかもしれない」

「黒い霧の成分は、ただの水蒸気のようです。光を吸収し黒く見える理由は不明ですが、問題ありませんよ。たとえ視界はゼロでも、レーダーや特殊ビーコンで探知できますから、ご安心ください」

 ケンゾーがまた的外れなことを言っている。ケンゾーには、魔術や呪術、精霊といった類のものは、およそ理解ができないのだろう。みんなはそう思ったので、あえて誰も反論しなかった。

「たとえ罠が張られていようと、我々は進むだけだ」

 ツクヨミは、揺らぎのない、しっかりとした声をあげた。その声は、銀王のそれに似ているとタツヤは感じた。

 気を取り直した椎間公爵は、てきぱきと兵士たちに指示を出し、地上の各部隊長と作戦を確認し合った。

 ジアン大佐機をクレーター上空に待機させると、キララ号は、黒い霧が立ち込めるクレーターの中を慎重に降りていった。

 中はただでさえ暗いのに、黒い霧のせいで、強力な照明をつけても全く何も見えない状況だ。ケンゾーの言葉どおり、探査機能をフルに活用し、慎重に降りて行くしかなかった。

「あと20秒で、底の桟橋に着きます。シールドは最強度で作動中。視界はほとんどゼロ。生命反応は、今のところ感知できません」とケンゾー。

 キララ号は、真っ暗な空間に停止した。レーダー上では、桟橋に到着しているはずだが、とてもそうとは思えない。それほど、キララ号は深い暗闇の真ん中にいた。

 ここの暗さは、どこか異常だ。タツヤの腕にはいつの間にか、鳥肌が立っていた。体は既に、不吉な何かを感じ取っている。タツヤは、司令室の小さな窓から外を見た。

 前回ここへ来た時は、これほど暗くはなかった。キララ号の光をまとめて、外部に向ければ壁に反射し、ある程度の視界は確保できたはずだ。少なくても、キララ号と壁との間の空間は、肉眼で把握できていた。今はそれさえも感じ取れず、ただ高性能レーダーだけが、無機質な数値で周囲の様子を伝えてくるばかりだ。

 こんなにも黒く、こんなにも寒々とする暗闇は、外宇宙でも経験しなかった。いったいどうやったら、こんなにも純粋な暗闇を作れるのだろう。僅かな光さえも、暗黒の粒子に寄ってたかって食い尽くされ、その死骸さえも残らない。こんなところに一日中いたら、誰だって気が狂うだろう。

 それなのに、小さな杏姫は、よりによって悪魔のようなマルディンに捕らえられているのだ。想像しただけで、ぞっとする。タツヤは悪寒が走る腕をさすりながら、見えない空間を凝視した。

 桟橋に横づけされたキララ号は、照明を最強にして、桟橋の奥へ向けた。一方向に集中された光の束は、かろうじて暗闇を通過し、桟橋のすぐ先にあるコンクリートの通路まで届いた。光は、そこに倒れている少女の横顔をぼんやり照らし出した。

「杏…」

 椎間公爵がかすれた声で叫び、そのまま大窓の前でかたまった。倒れている少女は、まぎれもなく杏姫だ。

「早く救い出して!」マナミが悲痛な声で叫んだ。

「罠かもしれない!」アキラがほとんど同時に怒鳴った。

 杏姫は生きているのか、死んでいるのか、初めはわからなかったが、照明が少女の横顔にあたると、僅かだが、瞼がピクリと動いたように見える。

 公爵は冷静なふりを装おうとしたが、誰一人、そうは見ていなかった。実際、公爵の息は上がり、手は不規則に震えていた。

「罠かもしれないが、とても放っておけない。危険は百も承知だ。私が行こう」

 そう言うが早いか、椎間公爵は、キララ号から出ようと走りかけた。イラが慌てて公爵を止めようとしたが、その前にツクヨミが毅然と行く手を遮り、大声を上げた。

「待ってください、椎間公爵。預言者の言葉を信じるなら、ここから先は私とカイ、2人の戦いになるはずです。私たち2人を信じて、どうか待っていてくれませんか。必ずや杏姫を救い出すと約束します」

 ツクヨミの冷静沈着な物言いと強い覚悟に、椎間公爵は足を止め、自分の額を手でぴしゃりたたくと、すぐに踵を返した。

「ああ、私としたことが、軽率でした。そうでしたね。私の力ではどうにもならないのを、昨日、嫌というほど味わったばかりなのに。娘を思うあまり、すっかりのぼせていました」公爵は、二、三歩後ろに下がった。「ツクヨミ王子、そして青銀の騎士カイ、お二人に娘、杏の命と月王国の未来を託します。銀の精霊がお二人を祝福しますように―」

 椎間公爵は、ツクヨミたちの前で軽く頭を下げると目を瞑り、祈りの言葉をつぶやいた。その声は、穏やかで落ち着いていた。

 祈りの言葉を受けたツクヨミとカイ、そして、イラや後ろに控えていた兵士たちも目を閉じ、共に祈り始めた。ややあって、タツヤとアキラ、マナミの3人は互いに顔を見合わせると、彼らにならって同じように、祈りを捧げた。すると、今度もまた力強い風がどこからともなく吹いてきた。そこにいる全員が、特別な風を肌で感じた。

「よし」

 公爵が小さな声でつぶやいた。それを合図に、全員が目を開いた。

 ツクヨミが顔をきっと上げた。「とにかく、マルディンに術を使わせないことだ」

 これが唯一の計画だった。昨夜、あれこれ皆で話し合ったが、これといった具体策は一つも思い浮かばなかった。

 だが、思慮深いイラは、一人確信していた。自分たちがあれこれ幼稚な案を絞り出すより、預言者の言葉を素直に信じるのが、結局最良なのではないかと。

 つまり、計画を持たない計画だ。

 イラは、みんなに提言した。預言者は、マルディンが皆の考えを読み取り、先手を打ってくると懸念していたのだろう。だから、不安を耐え忍び、何も考えず、心の赴くままに強敵と戦う。それが、預言者の真意であり、正解なのだと。

 みんなは、驚き呆れていたが、銀王は、横になったまま、弱々しい目をイラに向け、うなずいた。

「私は預言者を信じ、イラの助言を信じ、ツクヨミたちの行動を信じている」

 銀王の一言で、みんなの気持ちは一つにまとまった。


 装備を整えたツクヨミとカイは、キララ号のハッチを開けると、用心深く桟橋に降り立った。タツヤたちは、キララ号の操縦室から2人の様子をひっそりと見守った。

 桟橋に降りたった2人は、通路に倒れている杏姫を見て思わず身を引いた。

 杏姫の傍らには、いつの間にか、マルディンが立っている。突然の遭遇に、二人は動揺を隠せなかった。

 マルディンは昨夜、宮殿に現れた時と同様の、修道士のような長いローブを着ている。その目は昨夜より凄みを増しており、妖気さえ漂っている。右手に握っている黒光りする杖の先は、意識のない杏姫の頭に向けられていた。

 ツクヨミたちがそれに気がつくと、マルディンは不敵な笑いを浮かべた。

「遅かったな。上弦の月の刻が終わる頃だ。だが闇の中にあっては時間など関係ないが。おやおや、役に立たない者どもを大勢くっつけてきたようだな。少々、目障りだ」

 マルディンは、右腕を軽く振り上げた。

 するとキララ号の陰から、イラが空中に放り出され、固い床に叩きつけられた。イラは、いつでも対抗魔術を使えるよう準備をしていたが、いきなりの不意打ちに、防御は間に合わなかった。イラは、そのまま気を失い、キララ号のすぐそばに横たわった。

 キララ号自体も、今の衝動で小さく横揺れした。タツヤたちは、イラが魔術師の中でも最高位の一級魔術師だと聞いていた。そのイラが、早くもマルディンの一撃で倒されてしまい、恐怖に身が縮んだ。

「誰にも邪魔はさせない。ツクヨミ、銀の印は持ってきただろうな」

 ツクヨミは、すかさず胸もとから銀のリュナを引っ張り上げた。そのとたん、あたり一面が銀色に照らし出され、マルディンの姿もくっきりと浮かび上がった。

 マルディンは、目を細めると、手を顔の前に掲げ、それから顔を背けた。やはり、銀のリュナの輝きは苦手のようだ。それでも、いち早く態勢を整え、邪悪な目をツクヨミにまっすぐ向けた。

「この娘は、銀の印と交換だ。おとなしくそいつを渡せば、この娘は生きて返してやる」

 言い終わるとマルディンは、杖で杏姫の頭を小突いた。杏姫はそれでも、目を覚ます気配がない。

「いや、話を始める前に娘を返してもらおう。今回の件に、その娘は関係ないはずだ。娘が先だ。このとおり、銀の印はここにある。おまえなら、実力でこれをもぎ取れるのだろう?」

 ツクヨミは、マルディンの要求を突っぱね、挑発とも取れるセリフを吐いた。

「関係ないと言い切れるかな。能力のないおまえにはわからないだろうが、私の眼力は、未来さえ見通せるのを知らないのかね?」マルディンは、意味ありげに笑った。

 その時タツヤは、カイの体が奇妙にふらついているのに気がついた。早くもマルディンの呪術にかかってしまったのかと慌てたが、カイは頭を二、三度強く振ると、両足に力を入れ踏ん張った。持ち直したようだ。

 一方、ツクヨミは強気な態度を崩さず、全く隙を与えなかった。昨日、マルディンに動じなかった、銀王を彷彿とさせる姿だ。

「脅しには乗らない。おまえがいくら闇の呪術を使おうと、銀の精霊にはかなわない。そもそもおまえに、未来はない。未来のないおまえに、未来の何が語れるというのか。さあ、娘と共に、銀王から奪いとった金の印を返してもらおう。おまえがそれを手にしたところで、どうにかなるものではない。とっくにわかっているではないか。金の印は常に、正しき者にしか祝福を与えないのだから」

 マルディンは、口もとだけを歪めるようにして笑った。

「それはどうかな、王子殿。私には、金の印と銀の印、両方同時に持てる力が備わっている。しかも、そこに闇の力を注ぎこむ能力さえ手に入れている。これら三つの力が合わさると、どうなるか。ぜひ、試してみようではないか。長年、月を苦しめた地球や銀河連邦に立ち向かえるほど、絶大な力を生み出せるのだ。そうなれば、古く、腐れきったおまえたち王族は不要となる。おまえたちは、月を守るふりをして、その実、月を滅びに導いてきた。巨大な銀河連邦や外宇宙の連中が、遠からず、月に手を出してくるだろう。こんな明白な近未来さえ、おまえは見えないのだろう?力も能力も持たない、腐れきったおまえたちは、月を守れない。ただ、月を破滅に導くだけだ。そんな王族は、もはや足手まといにしかならないと、おまえたちは知るべきだ。そうとも、だからこそ、王族の系統を絶つために、王妃と王女を始末したのだ」

 ツクヨミは、愕然とした。とんでもない事実を突然目の前に突きつけられ、大きく動揺し、一瞬転倒しそうになった。母上と妹姫を殺した?もちろん、疑ってはいたものの、確かな証拠はなく、母と妹については長い間、有耶無耶のままだった。

 だが、実際に、今こうして、目の前の殺人者からその事実が吐き出されているではないか。この殺人者は、もうずっと以前からこの件に関わっていたのだ。なんと深い怨念なのだろうか。

 ツクヨミは大きな衝撃に打ちのめされ、信じたくない思いに囚われた。と同時に、黒い炎のような感情が腹の底から煮えたぎり、頭の上まで一気に突き上げてきた。頭が燃えつきそうなほど狂おしい激情に、ツクヨミは我を忘れそうになった。が、杏姫の顔が目に入ると、耐え難い感情を無理やり押し留め、落ち着く頃合いを辛抱強く待った。

 マルディンは、そんなツクヨミの反応を楽しんでいるかのように、ほくそ笑んだ。

「力をほとんど奪われていた、あの頃の私は、毒薬なんぞという古い手を使うしかなかったが、それでもみごとな成功をおさめた。守りの薄かった王妃と生まれたばかりの王女を、手始めに片づけたのだ。その後長い年月をかけ、最強の呪術を身につけ、私は復活した。欲深い大臣を従え、銀王を言いなりにし、影ながら王政をこの手に握った。邪魔な弟王子を殺そうとしたが、どういうわけか生き残ってしまった。とどめを刺すのは容易いが、何かに役立つ時が来るかもしれないと、保険として生かしておいたまでだ」

 マルディンは、妖気漂う真黒な瞳でツクヨミを覗き込んだ。

「問題は、ツクヨミ、お前だ。我々の月乗っ取り計画は完璧なはずだった。おまえから銀の印を奪い、銀王の後継者として王に昇格し、用済みとなった銀王と邪魔な王子二人を始末する。ところが、予想外の出来事が起こり、計画は大幅に狂ってしまった。おまえが銀の印を持ったまま、密かに月を脱出し行方不明になったからだ。だが、外宇宙でおまえの吹いたリュナの音色が、時と空間を越えて、おまえの居場所を私に知らせてくれた。そして、おまえが必ず月へ戻ってくることも、併せてな。闇の精霊たちが、私を祝福してくれたのだ。何より証拠に、今こうして、絶好の機会を私に与えてくれている。金の印と銀の印、両方とも真の所有者は、この私なのだ。途方もなく長い年月を経て、今、両方の印が私の元に帰って来た。さあ、銀の印を渡してもらおう」

 ツクヨミの両目がきっと吊り上がった。

「そうはさせない」

 ツクヨミは胸もとからリュナを取り出し、一心不乱に吹き始めた。美しく、力強い旋律がリュナからほとばしった。リュナの音色は真っ暗なクレーター内部に反響し、不思議な和音を奏でている。

 キララ号にいた一同は、たちまちリュナの音色に深い感銘を受けた。全身の細胞が、力強い生命に目覚め、新たな力が沸き起こってくるのを感じた。自分自身から、新たな生命が次々生まれてくるような、不思議な感覚だ。その感覚に身を預けたタツヤたちは、喜びと幸福に浸り、自分たちが真っ暗で不吉な空間にいる事実さえ、しばしの間忘れられた。

 ところが肝心のマルディンには、一向に、変化の兆しが訪れない。

「どこまでも愚かな奴だな。昨夜の宮殿で既に証明済みだろう?私に、そんな安っぽい手は通用しないと。力も能力もないおまえは、銀の印を使いこなせない。まさに、宝の持ち腐れだ。せいぜい、無駄に音を鳴らすがいい」

 マルディンは鼻を鳴らし、せせら笑った。実際、リュナの音色がクレーター中にいくら響き渡っても、マルディンは何ともなかった。そればかりか、リュナの音色に合わせ、わざと杖を上下に振っているではないか。まるで、指揮棒でも振るかのようだ。完全に、小ばかにしている。

 キララ号で成り行きを見守っていたタツヤたちは、気が気ではなかった。特に、椎間公爵は、気の毒なほど、憔悴し切っていた。

 いつまでたっても、マルディンに変化の兆しは見られない。漠然としていた不安は、だんだんとはっきりした恐怖へ変わっていった。椎間公爵は、ついに、上空に控えているジアン大佐機を呼び寄せ、攻撃の準備に取りかかった。破れかぶれだが、リュナがマルディンに無力なら、後はもう、力づくで立ち向かうしか道はない。

 預言者の助言は、果たして正しかったのだろうか。このままでは、銀の印も、ツクヨミの命も、そして杏姫の命さえ、マルディンに奪われてしまうのではないか。そんな事態になったら、ここにいる全員の命も、当然危うくなってしまう。

 いや、それどころか、月王国そのものが、間違いなくマルディンに乗っ取られてしまう。何とかしなくては。気ばかり急くが、いいアイデアは何も浮かばない。

 いつの間にか、戦う気になっている自分自身に、タツヤは気づいた。しかし、アキラの方がタツヤよりいち早く宣言した。

「ああ、もう見ちゃいられない。おれたち、助けに行こうぜ」

 意気込むアキラに、タツヤは勇気づけられ、憤然と返した。

「当然さ。こんなところで黙って見ているわけにはいかないよ」

「当たり前よ。あんな化け物にやられてたまるもんですか。子どもだから何もできないと思っていたら、大間違いよ」

 マナミもいつのまに険しい顔つきに変わり、早くもレーザー銃を大きなポケットにしのばせた。戦闘には参加しない約束の三人だったが、最悪の場合を考慮し、自分の身を守る武器として、小型レーザー銃を渡されていた。この時ばかりは、仲の悪かったアキラとマナミも意見が一致したようだ。

「君たち、まあ、待ちたまえ。我々、戦闘の専門家がここにいるのを忘れてもらっちゃ困るよ」

 背後に控えていた特殊部隊の隊長が、鋭く叫んだ。既に重装備の兵隊を整列させ、いつでも出発できる態勢だ。

「椎間公爵殿、ご命令を。こうなったら我々も死ぬ気で参戦します。杏姫と殿下を御守するのは当然ですが、それだけじゃない。我々の月を、あんな奴に渡すわけにはいかないのです。クレーター周囲に待機させている援軍もすぐさま呼び込んで、徹底抗戦しますよ」

 杏姫のことで頭がいっぱいだった椎間公爵は、ようやく後ろを振り向いた。全身全霊で自分たちを支えようとしている、勇敢な兵士たちがそこにいる。本当のところ、今すぐにも飛び出して我が娘を助け出したい心境だろうが、何かがぐっと公爵の気持ちを押し留めた。公爵の瞳の中には、確信めいたものが、光輝いていた。

「ありがとう、諸君。その意気込みだけで、十分心強いよ。私も、もちろん杏と共に最後まで戦う覚悟だ。たとえ勝ち目がなくてもね。だが、もう少しだけ、後少しだけ、待ってみよう。預言者の言葉を信じるのなら、このままでは絶対に終わらないはずだ。きっと何かが起こる。銀の精霊に祝福された、あの二人を今一度、私も信じたいのだ」

 椎間公爵の確固たる思いに、隊長と兵士たち、そしてタツヤたちも、今しばらく様子を見守ろうと腹をくくった。タツヤはここにきて、ツクヨミたちが椎間公爵を頼ろうとした理由がよく理解できた。

 その頃ツクヨミは、マルディンの存在を無視するように、なおも無心にリュナを吹き続けていた。カイはすぐ横で、マルディンから一時も目を離さず、腰のレーザー銃に手をかけている。もしも、ツクヨミに何か術を仕掛けようとすれば、すぐに撃つ態勢だ。カイもまた、預言者の言葉を信じ、何かが起こるのを待っていた。

 時間が経つにつれ、マルディンはだんだんと苛立ってきた。握っていた杖の先を、反対側の手のひらにぶつけ、神経質に叩き出している。二人に危険が迫っているのは、明らかだ。

 その様子をつぶさに見ていた椎間公爵は、いよいよ苦しげにつぶやいた。眉間には、くっきりと刻まれたシワが、暗い影を落としている。

「やはり、二人だけでマルディンに立ち向かうのは、あまりに無謀か…」

 椎間公爵は背筋を伸ばすと、今度こそ決断した。

 公爵と特殊部隊の兵士たちは、居残る兵士とケンゾーに手早く指示をして、外へ出るためエアロックへ入っていった。もちろんタツヤたち未成年は、るす番組だ。ちょうど底の桟橋に到着したジアン大佐機も、椎間公爵たちに合わせ、頑丈なハッチを開けて外へ出るところだった。

 ところが、変化は突然現れた。

 まず、リュナの力強い旋律に、杏姫が目覚めた。杏姫は、ゆっくり目を開け、頭を起こすと、傍らにいるマルディンにぎょっとして、一度だけ身を震わせた。が、すぐに前方にいるツクヨミとカイを見つけ、じっとしたまま成り行きを見守った。こんな時に動いてはいけないのを、堅い少女はよく知っていた。

 マルディンは、イライラしているせいか、杏姫の目覚めには気づいていない。

 次に、立ち込めていた黒い霧が次々と追い払われ、頭上から太陽の光がいく筋か差し込んできた。まだ、か細い光の筋に過ぎないが、スポットライトのように、クレーターの底を照らし始めた。すると、たったそれだけで、周囲の空気が変わった。

 マルディンは、暗闇を突き抜ける陽射しに気づき、頭上を仰ぐと、激しく顔を歪めた。とうとう、堪忍袋の緒が切れたようだ。ついに、黒光りする杖を、リュナを吹いているツクヨミに向けた。

「子どもが遊ぶ魔法なんて、せいぜいそんなものだろう。いい加減、私がお手本を見せてやろうではないか。これが本物の呪術だ!」マルディンはそう叫んで、杖を大きく振り上げた。

 全員が息を呑んだ。

「ツクヨミ、危ない!あいつ、本気で術を使う気だ!」キララ号の中から、タツヤが思わず叫んだ。

 カイは、とっさにレーザー銃をマルディンに向け、手をかけた。

 しかし、カイの銃撃やマルディンの呪術より先に、リュナの音色が突如爆発した。

 美しく繊細だった旋律は、落雷のような大音響となり、鼓膜が破れそうなほどビリビリとあたりを振動させた。実際、リュナが爆発したのではないかと思うくらい、すごい衝撃だ。

 その場にいたカイや杏姫はおろか、キララ号にいた人々も思わず飛び上がり、両手でぴったりと耳を塞いだ。耳をつんざくような爆音がしばらく鳴り響き、地震のような衝撃波がクレーター内に広がった。

 リュナは爆発してはいなかったが、マルディンも皆と同様、失神寸前の大音響に耐え切れず、両手で耳を押さえた。あまりに突然の出来事だったため、対処が間に合わなかったのだろう。空中に振り上げられた黒い杖は、マルディンの手から放り出され、床に転がった。

 ただ一人、奏者のツクヨミだけが、何ごともなかったようにリュナを吹き続けている。それもまた、異様な光景だった。

 ツクヨミは、演奏を止めなかった。爆音も振動も、まるでものともせず、何かに取り憑かれたように、一心不乱にリュナを吹いている。そうしているうちに、リュナは少しずつ音量を下げ、もとの繊細な音色に近づいていった。

 すると、それに取って代わるように、今度はリュナ自体が輝き始めた。遥か上部から差し込む太陽光が、ツクヨミとリュナを照らし出している。すると、銀色のリュナは、まるで小さな銀の太陽のように眩しく輝き始めたではないか。

 リュナはどんどん輝きを増し続け、暗かったクレーターの内側を、あますところなく、銀の光で照らし出していった。照らし出された壁や宇宙船や人々は、みな銀色に光り輝いている。リュナが、あたりを銀の光に発光させたようだ。

 眩し過ぎて、今度は、目が焼けそうだ。

 あまりに凄まじい光に、キララ号の一同は、耳を塞いでいた両手を、今度は両目に持っていき、しっかり覆った。

「ケンゾー、早く窓に遮光シールドを!」

 アキラの叫び声とほぼ同時に、操縦席の大窓は暗くなり、タツヤたちはやっと目を開けていられるようになった。そして、窓に張られた薄暗いフィルターを通して、外の様子がうかがい知れる。

 この銀の太陽のような輝きに、マルディンとて、目を開けていられず、顔を腕で抱え込むようにして二、三歩後退した。もし、杖を手にしていたら、対抗呪文を使えたかもしれないが、幸い、杖は床に転がったままだ。

 マルディンが動けない隙に、片手で目を覆った杏姫がゆっくりと這いながら、通路の端へ向かっている。遮光シールド越しに、その様子がかろうじて確認できた。

 生き物のようなリュナの光は、ますます膨れ上がり、巨大な光の球になると、ツクヨミとカイの2人を包み込んだ。2人は身を縮こませ、光の中に収まっているようだが、あまりに激しい光のため、実際何が起こっているのか、タツヤたちにはよくわからない。

 マルディンは、リュナの強烈な光に背を向けた姿勢でしゃがみ込み、口もとを微かに動かしている。キララ号からでは、マルディンが何を言っているのかは不明だが、どうやら呪文を唱えているようだ。

 呪文を唱え終わると、マルディンはすっと顔を上げ、体の向きを変えた。それから、床の方に手を伸ばし、手指の先を少しずつずらして移動させた。おそらく、転がった黒い杖を探しているのだろう。指先をアンテナのようにして、杖のありかを探っている。先ほどの呪文は、杖を手もとに手繰り寄せる呪文に違いない。だが、杖のある方向を感知できないと、手繰り寄せられないらしい。

 このままでは、まずい。杖は通路の端に転がっているが、マルディンが杖を探り当てるのは時間の問題だ。杖を手にすれば、すぐに反撃へと転じるに違いない。

 それなのに、ツクヨミとカイは、リュナの光の中で動かないままだ。2人はいったい、どうなってしまったのだろうか。

 まばゆい光の繭の中で、熟すのをじっと待つ双子の胎児のごとく、二人は仲良く並んでいる。リュナは、いったい2人に何をしたのだろうか。それともこれは、リュナの力ではなく、マルディンの呪術によるものなのだろうか。

 だとしたら、2人は大変危険な状態にあると言える。動かない2人は、もしかしたら、既に亡くなっているのかもしれないし、よくても、瀕死の状態なのかもしれない。

 マルディンは、リュナの光を避けながらも、少しずつ移動し、杖のありかを探った。とうとう、マルディンは、杖が通路の端に転がっているのを感知した。

 転がった杖の近くには、運の悪いことに、先ほどマルディンから這って逃れた杏姫がいる。マルディンは、杖と共に、杏姫がそこにいるのを知ってしまった。

 一方、リュナの強烈な光で何も見えない杏姫は、自分がマルディンに見つかっていることに、気がついていない。マルディンは、意地悪い笑みを浮かべた。杖はのろのろと動き出し、宙に浮かび上がると、まるで吸い寄せられるように、差し出された持ち主の右手へ向かって、浮遊し始めた。

 これはまずい、とキララ号の誰もが焦った。マルディンが杖を手にしてしまえば、杏姫が再び人質にとられてしまい、無防備な状態のツクヨミたちが攻撃されてしまう。しかし今から外に飛び出して、杏姫を助けるには遅すぎる。マルディンはあとほんの数十センチで、黒い杖を手にしようとしているではないか。何とかしなくては。

「ケンゾー、マルディンに向けて空砲を撃ってくれ!」タツヤは早口で叫んだ。

「当キララ号には、空砲という武器は装備されておりません。代わりに、対空レーザーを撃つとなると、杏殿やツクヨミ殿に当たってしまう可能性が高いのですが」

 ケンゾーの冷たい即答に、椎間公爵は首を横に激しく振りながら、それは止めてくれと狂おしく叫んだ。タツヤはキララ号右舷についている、対空レーザーの銃口が、マルディンの方へ向けられているのを素早く確認した。

「公爵、大丈夫ですよ。杏姫を危険にさらしたりしません」タツヤは、ここで小さく息継ぎした。「ケンゾー、前方の照明をレーザー光と同じオレンジ色に変え、一本に集中させて、幅もうんと狭くするんだ。そして、その照明をマルディンに向けて当てると同時に、レーザー光発射の音を合成して、大音量で流すんだよ」

「意図を了解しました。つまり、対空レーザーが発射されたふりをするのですね」

「そうだ。急いでくれ!マルディンの気をそらせないと、3人が危ない!」

 タツヤがそう言うが早いか、いきなりオレンジ色の閃光と共に、ものすごい衝撃音がクレーターの中に轟いた。キララ号の一同は、その反動で飛び上がり、衝撃音で船体が揺れるのを感じた。まるで本物のレーザーが発射されたようだった。

「よくやった、ケンゾー。上等な出来栄えだ!」

 操縦席にしがみついていたアキラは、珍しくケンゾーを褒め称えた。

 タツヤが期待したとおり、マルディンは杖を手にする直前に、偽レーザー光線の光と音で身をすくめた。集中力が途切れ、杖はマルディンの手前で床に落下した。

 しかし、ここで予想もしていなかった事態が起こった。マルディンは、すぐにもの凄い形相でキララ号を振り返った。邪悪な、突き刺すような視線が、操縦席にいるタツヤの姿をがっちり捉えた。窓に厚いフィルターがかかっているのに、マルディンには、全てがお見通しなのだ。

 邪悪な視線に射すくめられたタツヤは、全身が凍りつき、手足も硬直して全く動けなくなった。

「今度はこっちがまずいぞ」

 タツヤは頭の中が真っ白になり、何一つ考えられなくなった。マルディンはタツヤを睨みつけたまま、何かをつぶやいている。

「ケンゾー、シールドを最強に!」椎間公爵が、横から叫んだ。

 しかし、ケンゾーが返事をする代わりに、ひどい雑音が船内に響き渡り、シールドの変化は起こらなかった。シールド機能だけではない。司令室のコントロール・パネルが、警告の赤ランプを狂ったように点滅させ、キララ号の異常をしきりに訴えている。キララ号の機能全体がコントロールを失っている。

 これもマルディンの呪術のせいなのだろうか。椎間公爵はシールド強化の指示を、何度も声高に叫んだが、ケンゾーは無言を貫いたままだった。

 マルディンはついに黒い杖をしっかりと握りしめると、タツヤから目を離すことなく歯をむき出しにして、何かを大声で叫び出した。

 まさに、絶体絶命の状況だ。タツヤは、覚悟を決めた。脳裏に浮かんだのは、大広間で無残に殺された大臣の姿だ。そして、またしても父タツノシンに申し訳なく思った。自分は何一つ約束を果たせない。そればかりか、親不孝者として、ここで命を落とすのだ。

 それでも、仕方がないとタツヤは頭の片隅で思った。月に忠誠を誓ったわけでもないが、ツクヨミやカイ、杏姫、みんなを守れるのなら、これも運命だと思い、短い人生を諦めようと。そもそも、こんな事態も覚悟して、ここまでついて来たのだから。

 ところが、最悪の事態は起こらなかった。

 次の瞬間、ツクヨミたちを包み込んでいた光の球が音もなく大きく弾け砕けた。光の殻は、塊となって四方八方に飛び散り、その中心から銀色に輝く2人の青年が現れた。

 20代後半くらいの青年たちだろうか。一人は黄金の剣を持った、細身で品のある美しい青年だ。整った顔立ちをしているが、その眼ざしは力強い意志で貫かれている。金の飾りのついた赤いビロードの服を身にまとい、腰には宝石をちりばめた黄金のベルトをしている。

 もう一人は、青銀の剣を手にした、精悍で透き通った黒い目の青年だ。その青年は非常に聡明な顔つきで、哲学者のようにも、軍人のようにも見える。はおっているコバルトブルーの長いローブは、そのどちらでもないと訴えているかのようだ。

 タツヤはその2人の青年を初めて見るのに、何故か以前から知っているような、懐かしさを感じた。

(まるで夢を見ているようだけど、僕にはあれが、ツクヨミとカイに思える…だけど彼らはどう見ても、20歳は越えている大人だ)

 あまりに強烈な眩しさのためか、キララ号の横で倒れていたイラが、ついに目を覚ました。イラは顔をあげると、信じられない光景に絶句した。

 さすがのマルディンも、砕け散る光と突然出現した二人の青年にぎょっとして、振り上げていた杖をそのまま宙で止めていた。銀の卵の殻がものすごい勢いで砕け散り、光の塊が飛んできたので、どこに自分の力を使うべきなのか、一瞬迷ったのだろう。それでもすぐに、自分が力を振り向けるべき相手は、キララ号にいるタツヤでも、通路に転がっている杏姫でもなく、この二人の青年なのだと悟ったようだ。

 光の中から現れた青年たちは、それぞれが手にしている、黄金の剣と青銀の剣を頭上高く、持ち上げた。剣と共に、銀の光も連動するように持ち上がった。

 マルディンはいち早く杖を振り上げ、黒光りする杖の先から、墨汁のような黒い煙を噴出させた。黒い煙は矢のように飛んで行き、二人の青年にまとわりついた。二人は、一時動きづらくなったが、後方からリュナの光がすぐに煙を追い払った。

 するとマルディンはまた杖を振り下ろした。すぐさま、黒く長い針の集団が、杖から飛び出した。二人の青年は大きく身をかわし、針の襲撃を避けた。黒い針は通路の壁に突き刺さったまま、いつまでもぐにゃぐにゃと気味悪く、身をくねらせていた。

 光に包まれた青年たちは互いに顔を見合わせると、間合いを取り、鋭い剣先を同時にマルディンの方へ向けた。そして剣先を標的から逸らすことなく、横に並んだまま一気に走り出した。

 ものすごい勢いで迫ってくる二人に、マルディンは慌てて杖を振った。また黒い針が、二人の方へ飛んできた。青年たちは黒い針の攻撃をものともせず、二人並んだまま疾走した。銀の光が、黒い針の攻撃から二人を守っている。

 二つの剣先がマルディン目がけて迫っていった。直前で、黄金の剣と青銀の剣の刃先が合体した。剣はより大きな、一本の光の剣となり、そのままマルディンの体を貫いた。

 目もくらむ光がマルディンを包むと、マルディンの体はほころび、あちこちから黒い煙が噴出した。剣の刺さった傷口から、目から、鼻から、耳から、黒い煙が立ち上った。信じられないが、赤い血は一滴も流れない。噴出した煙は生き物のように向きを変え、マルディンの目の前にあった白い石に、どんどん吸い込まれていった。

 マルディンは立ちつくしたまま、なすすべもなく、ただ、ぼう然と、銀の光に包まれている二人の青年を見つめていた。ふと我に返ると、目と口が別々の黒い生き物のように、動き出した。

「馬鹿な連中だ。私を封印したところで、どうなると言うのだ?未来は、もう変えられない。手に取るように、私には全てがわかっている。いいだろう。今は、おとなしく地の底へ沈み、休息を取ろうではないか。しかし、いつの日か、私は再び浮かび上がるだろう。その時は、更なる力と深き血の復活を携えて…」

 マルディンは憎しみをこめて、今一度、細身の青年を睨みつけたが、徐々に溶けていく自分の体をどうすることもできなかった。歪んだ顔はさらにぐにゃりと変形し、憎しみを抱えた目でさえ、黒い煙の塊となって消えていった。

 マルディンの体から出た煙は、余すところなく石の中に吸収され、白かった石の表面には、黒ずんだ痣のような斑点がいくつも現れた。

「私たちを怖がらせようとしても無駄だ。おまえは永遠に地の底へ沈むがよい」

 細身の青年は最後の脅しにもまるで動ぜず、非情とも思えるほど冷徹な目で見届けた。

 マルディンは、消え去った。その代わりに、テカリのない、真っ黒な石が残された。不気味な黒石の横には、黄金色に輝く三日月が勝利の証とばかりに、輝いている。金の印だ。ついに呪術師マルディンから金の印を取り戻したのだ。

 キララ号の大窓にへばりついていたタツヤたちは、その場で思わず手を取り合い、飛び上がって喜ぶと、二人の英雄のもとへと走り出した。公爵は一足早く、杏姫のところへ駆け出している。

 二人の青年は、体全体がまだ銀の輝きに包まれているが、先ほどにくらべ、輝きはだいぶ弱まっていた。細身の青年は、おもむろに金の印を拾い上げ、しみじみと眺めていた。

 しかしその傍らでは、もう一人の青年が右腕を押さえてうずくまっている。見ると、右腕には黒い針が刺さっている。マルディンから放たれた黒い針だ。そのせいか、青年を包んでいる銀光は、腕の部分だけ欠損し、弱々しい光が薄っすらと残っているだけだった。

 それに気づいた細身の青年は、一瞬ためらったが、憤然とその青年に近づいた。そして、まだ少し残っている針の頭を指先で素早くつかむと、一気に引っ張り上げた。青年は痛みに絶叫した。黒い針はなおも抵抗するかのように、腕の中へ食い込もうとしたが、力づくで、腕の外に引きずり出された。

「これも一緒に封印しなければ」細身の青年は空中でクネクネ動いている黒い針を、黒い石に目にもとまらぬ速さで叩きつけた。針は石の表面にへばりつくと、とたんに溶け出し、石の中に吸い込まれていった。

 戦いは終わった。あんなに眩しかったリュナの光が急速に縮み、銀の光に包まれた二人の青年は消え、代わりに、同じ場所からツクヨミとカイが姿を現した。

 ツクヨミは金の印を手にし、カイは痛そうに右腕を押さえている。やはりあの青年たちは、間違いなくツクヨミとカイだったのだ。

 通路の隅に隠れていた杏姫が飛び出してきた。同時に、キララ号にいた人々もいっせいに駆け寄った。

「杏!」

 椎間公爵がまっさきに杏姫を抱きとめた。小さな少女は涙ぐみながらも、見られるのが恥ずかしいのか、涙をこぼさないよう懸命に堪えている。そんな少女の気持ちに気づいたアキラとマナミは、わざと視線を外した。桟橋で待機していたもう一機の小型機からも、ジアン大佐とその部下たちが、次々集まってきた。

 タツヤは、急いでカイのところへ駆けつけた。カイは負傷した右腕を左手でしっかりと押さえている。

「カイ、痛むのか?」

「ああ、でも大丈夫。ツクヨミがすぐ抜いてくれたから、あとは傷が癒えるのを待つだけだよ。でもまだ少し出血しているから、何か縛るものをくれないか」

 それを聞いた椎間公爵の部下が急いでキララ号に戻り、そこにあった月の衣装を持ってきた。それは杏姫が用意してくれた、美しい月の民族衣装だった。部下はためらいもなくそれを派手に引き裂き、ちょうどいい大きさの布切れにすると、カイの腕にしっかり巻きつけて縛った。カイは顔色が悪かったが、すぐに立ち上がった。

「まだ起き上がらない方がいいんじゃないか」アキラが心配顔で覗き込んだ。

「そうはいかないんだ。マルディンを封じ込めた石を早く処理しないと…」

 カイは、鬼気迫る顔で訴えた。

「いや、後始末は私がやろう。それくらいやらないと、私が同行した意味もないしね」

 イラがまだ手で頭を押さえながらも、カイの目の前にやってきた。カイは大きくうなずくと、その場をイラに明け渡した。

 イラは、長い銀色のつる草を紐のように使い、黒い石に何重にもきつく巻き始めた。つる草には、細かく分かれた根もついている。

「この銀つる草は、魔物封じに使われる特殊な草だ。この根が石の奥まで入り込み、封じの力を全体に注ぐのだ」

 そう言うと、イラは胸もとから、透明な小瓶に入った銀色の不思議なものを取り出した。ビンの中では、銀色の不思議なものがチロチロと揺らめいている。炎のようであり、軽い水銀のようでもある。

 イラはビンの蓋を開けると、銀つる草が巻かれた黒石に、銀色のものを丁寧に注ぎ込んだ。注がれた瞬間、石はぱっと銀色の炎に包まれたが、炎はすぐに銀つる草を伝い石の中へと消えていった。

「月の神殿にある、銀の炎だ。これでこの邪悪なものが入り込んだ石は、外から手を加えない限り永遠に封印される。あとはこの石を誰も知らないクレーターの底の、更に深い地下に埋めればいいだけだ。ここまで処置しておけば、とりあえずは安全だ。封印場所については、後ほどじっくり考えるとしよう」

 イラは、大きな黒い布に石を包むと、兵士が持ってきた金庫のような金属の箱に収め、そのままジアン大佐の機に運ばせた。

 封印の作業を見届けたカイはやっと落ち着き、その場に倒れるように座り込んだ。そこへツクヨミがやって来て、カイの前にしゃがみ込んだ。

「カイ、ありがとう。このとおり、金の印と共に、月の平和も取り戻したよ」

 ツクヨミは戦利品である金の三日月をカイに見せながら笑った。金の三日月は薄っぺらいが、まるで生き物のように脈打って輝いている。こうしてみると、少し気味が悪い。

「ああ、やっと終わったんだ。長い長い戦いだったな。おかげで、ずい分老けたような気がするよ」

 ツクヨミとカイは固く握手した。そこに椎間公爵が杏姫を連れてやって来た。

「ツクヨミ王子、カイ、それに皆さん。我が娘、杏を救ってくれてありがとう」

 椎間公爵は感極まり、涙さえ流しそうな勢いだ。だが、その公爵を遮るようにして、小さい杏姫が前に出てきた。

「お父様、そうじゃないわ。皆さん、私の父を助けてくれてありがとう。それに誰より、ツクヨミ王子に感謝します。あなたは、父の言ったとおりの人だった。約束をちゃんと守ってくれた。だからきっと、将来はいい王様になれるわね」

 その場にいた全員が、微笑ましい会話に平和を実感した。

「ありがとう、杏姫。君が無事で何よりだ」ツクヨミが笑顔を向けると、杏姫は急にしおらしくなり、それからとびきりの笑顔を返した。その笑顔で、ツクヨミの疲れは一気に吹き飛んだ。

「ところで杏姫」少し元気を取り戻したカイが言った。「マルディンは、君のことを知っていたようだけど、君もあいつを知っていたの?」

「とんでもない」杏姫は露骨に嫌な顔をした。「あんな化け物に、出会った覚えなんてないわ。あいつ、昨日の夜遅く、幽霊のように突然姿を現したのよ。この要塞屋敷に、いったいどうやって忍び込んだのかしら。肝心のセンサーが、一つも反応していなかったみたい。鉄壁の守りもこれじゃあ、意味ないわね。しかも、出会いがしらに術をかけられ、気を失ってしまったので、普段用意していた武器を使う暇もなかった。そういう時のためにそろえておいたのに、使えなくて本当に残念。でも私を人質にとるなんて、どうかしているわね。普通は、弱い女や子どもを人質に取るんでしょ?」

 杏姫は口を尖らせていたが、みんなは笑いをこらえていた。

「そう言えば」椎間公爵が不思議そうにあたりを見廻した。「最後にマルディンをやっつけた青年たちが見当たらないが、彼らはいったい何者なのかね。できれば陛下にも引き合わせて、十分感謝の意を示したいと思っているのだが。それとも、私は幻を見たのだろうか」

 どうやら椎間公爵は、あの青年たちが、ツクヨミとカイであるのに、気づいていないようだ。他の人々は、とっくにわかっていた。

「幻なんかじゃありません。あれは、ツクヨミ王子とカイですよ」

 タツヤが自信たっぷりに断言したが、椎間公爵はそれでも納得できず、ツクヨミとカイをじろじろ見るばかりだった。二人は気まずそうに笑った。

「ええ、マルディンを倒したのは確かに私たちです。だけど、いったいどうやって青年の姿に変身し、見た覚えもない大きな剣を手にしていたのか、大いなる謎です。古めかしい服を着ていたのも変だし、記憶も曖昧で定かじゃない。ただ、私はずい分遠いところから、ここへ駆けつけたような気もしている。あれも、リュナの秘められた力の一つなのかな。あんな経験は、初めてだ」

 カイも興奮気味に言った。

「僕も腰を抜かしそうになったよ。てっきりマルディンの呪術のせいだと思っていたからね。青年の姿になった時、得体のしれない大きな力と自分が合体したように感じたけれど、それがまた妙に懐かしくて、不思議な感じだったな」

「あれもリュナの力だとすれば、私が理解しているリュナの力を遥かに超えている。あまりに偉大すぎて怖いくらいだ」

 ツクヨミは今までより少しばかり丁寧に、いや、恐る恐る胸もとのリュナに触れた。リュナはいつもどおり、神聖な光を放ってはいるが、穏やかで静かだった。

「何はともあれ、リュナには感謝だな。このリュナがなかったら、今頃君たちはこうして友情を確かめ合えなかっただろうからさ」

 アキラは自分で自分を納得させるように、何度もうなずいた。

「そして、預言者にも感謝だね。リュナの隠れた力を暗に教えてくれたのだから」

 タツヤは、アキラの肩を叩いて、満面の笑みを浮かべた。

「ほら見て。太陽も月を祝福しているみたい」

 マナミが頭上を指さして言った。

 眩しすぎて何も見えないが、陽の光はクレーターの底まで降り注ぎ、あたりはいつの間にか、自然な光で満ち溢れていた。全員、心地よい光に包まれ輝いている。リュナの光は美しいが、自然の太陽光はもっと温かく美しい。今度こそ月に平和が訪れたのを、そこにいる誰もが信じて疑わなかった。


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