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第11章 小さな革命家と守りの革命家

 青い地球の背後から姿を現した星を、全員が小さな丸窓から見つめた。月は小さいながらも、煌々と白く輝き、タツヤたちを見つめ返している。

 ツクヨミとカイは、胸が締め付けられる思いに、じっと耐えていた。

「ああ、あれこそが、私たちの故郷であり、神聖な場所でもあり、これから戦場となる月だ。こうして遠くから眺めていると、地球同様、美しい星なのに」

 ツクヨミの淡い栗色の瞳には、欠けた白い月が写りこんでいた。今までの長い歴史と、これから始まる更に永い未来の両方が、あの小さな星には詰め込まれている。ツクヨミたちの運命は、まさにその間に挟まれた現在にあるのだ。そして、未来を変えられるかどうかは、ツクヨミたちの手にかかっている。

「月のこと、もっと話してくれない?私、知りたいの。あなたたちが必死で守ろうとしている、故郷の月ってどんな星なのか」

 マナミは、窓に映る白い月を背に向き直った。

 カイは、ちょっとの間ためらうような素振りを見せたが、大きく息をつくと、月を見ながら言った。

「今でこそ、月は人の住める美しい星になったけれど、昔は水も空気もない死の星と考えられていたんだよ」

 カイは、月の歴史を静かに語り出した。

 月には、岩山と砂漠以外、何もないと考えられていたため、地球は長い間、身近な存在である月には、たいして興味を示さなかった。

 ところがある時、クレーターの底深くに、鉱物と植物の中間のような生命体が発見された。その針金の塊のような鉱植物は、ほんの微量ながら酸素を放出していた。新たな発見と期待に、地球の人々は胸を膨らませた。フェニックス樹と名づけられたその鉱植物は、すぐに品種改良がほどこされ、たちまち月に適応する緑の植物となった。

 驚いたことに、クレーターの地下深くには、網の目のように広がる地下水路も発見され、緑の植物はやがて月面に広がっていった。

 フェニックス樹の改良を重ねていく過程で、人々は、月の環境に適応する、青く軽いバクテリアを創り出した。月の海と呼ばれた暗い区域に解き放つと、バクテリアはたちまち増殖し、青い霧の塊となって空中を漂いだした。それは、光合成によって酸素を吐きだし、重力と光の変化によって、波うち、うねり、見た目は地球の海のようになった。

 このフェニックス樹とバクテリアと、それに重力発生装置のおかげで、月は長い年月の後、人間の住める環境に整ったのだ。

 時が流れ、月に移住した人々は、地球の植民地支配を嫌い、やがて独立を宣言する。その独立を旗揚げした人々が、今日、王族と呼ばれている一族と、神殿を管理する神官の家系だ。初期の宇宙ステーション住人だった彼らは、険しいアペニン山脈の奥深くに銀の炎を発見し、そこをそのまま神殿として奉り、月を守る誓いを立てた。

 時が経つうちに、神官の家系が神殿の守り人となり、王族は月の政治を受け持つようになった。この役割分担が、今日まで変わることなく引き継がれている。

 こうして月は、地球や銀河連邦の星々とは異なる、特異な道を歩んだのだ。

「キララ号はまもなく、地球・月の軌道圏に入ります。現在、定期航路B41を正常に航行中。各検査ポイントも問題なく通過しています。あと20分ほどで、月の第1関門所に到着します」

 月や地球に思いを馳せていた少年たちは、ケンゾーの声で一気に現実へと引き戻された。

「いよいよ、次の計画に取りかかるタイミングかな。ケンゾー、そろそろ操縦交代だ。全窓のフィルターをレベル2に上げた後、手動に切り替えを頼むよ」

 カイはそう言うと、タツヤと共に操縦席に着いた。その後ろの補助席には、ツクヨミとアキラが腰を降ろしている。マナミは、眼前の景色が迫り来る操縦席が苦手だったので、一人おとなしく、司令室の大画面から同じ光景を眺めていた。

 月の遥か上空に浮かぶ、巨大な、平べったい円形の建造物が見えてきた。白いドーム型の屋根が、やけに目立っている。月の第1関門所だ。そこは、貨物船を検査する船体検査所と、一般客の出入りをチェックする、一般関門所の二つに分かれている。

 一般関門所の方には、明日の夕刻に開催される銀王生誕祭晩餐会に合わせ、早くも出席する小型宇宙船が詰めかけていた。色や形も様々な宇宙船が、列をなして並んでいる。美しくも壮大な光景だが、職員は対応に追われ、てんてこ舞いだ。

 対照的に、貨物船検査所の方は、えらく閑散としていた。職員ものんびりと対応している。

「ツクヨミ、オーム大公ご一行も来ているようだよ」

 カイは顎を軽く突き出して、大窓の外を示した。

 一般関門所の前には、黒光りする宇宙船が7隻、行儀よく隊列を組んでいる。黒光りする一団はひときわ目立ち、他の宇宙船を威圧しているようだった。そして、先に並んでいた他の宇宙船を当たり前のように追い越し、建物の中へ悠々と滑り込んでいった。

 ツクヨミは、カイとタツヤの間から身を乗り出して、大窓を覗き込んだ。

「そのようだね。いつもどおり、特別扱いされている」

「オーム大公って、そんなにえらい人物なの?」

 タツヤは、黒い船団が白いドームに吸い込まれていくのを見ながら言った。

「ああ、ある意味では銀王よりえらい存在かもしれない。銀河連邦の重鎮、銀河連邦最高顧問の一人だよ。こと座のベガ星系出身だ。父、銀王とは昔からの因縁ある知り合いだ。いや、知り合いというより、月を監視している側かな」

 そう言いながら、ツクヨミは首を引っ込め、座席に座り直した。カイはキララ号の速度をぐんと落とした。

「さてと。我らキララ号は招待されていないけれど、化粧ぐらいしておくか」

「化粧だって?」と不審な顔をするタツヤ。

「そりゃあ、このままじゃ、どう考えたってまずいだろう。キララ号だってばれたら、関門所で全員、御用だ」アキラが後ろから口を挟んだ。「だから、アズミはカイたちにいろいろと入れ知恵したんだろう?キララ号をどう化粧して変身させるのか、おれは楽しみにしていたんだ」

「まあ、見ててよ」カイは、自信ありげにくすりと笑った。

 カイは、キララ号をいったん地球側へゆっくりと寄せた。月の第一関門所とほぼ隣り合わせに、地球側の巨大な関門ステーションが浮いている。

 月側の関門は、小さく地味だが、地球側のそれは、月の何百倍もあり、造りもやけに派手だ。実は、地球側の関門は、関門所の手前に、総合デパートみたいな商業娯楽施設が併設されている。それらは、肝心の関門所が霞むほど巨大で、派手で、ひと際目立っていた。

 キララ号は、まるで地球側の関門施設へ立ち寄るかのごとく、大きく進路を変えたが、不自然には見えない。月・地球間には、様々な宇宙船が、それこそ無数に散らばり、行列の最後尾につくまでに、好き勝手なカーブを描いて飛行しているからだ。

 カイは、地球の関門施設へと入った。いわば、宇宙船の地下駐車場のような場所だ。キララ号を目立たないスペースに停泊させると、カイはケンゾーに命令した。ケンゾーは、待ってましたとばかり、嬉々として、次々と特殊なプログラムを実行させていった。

 まず、キララ号の尾翼の形が変わった。尾翼の先端が突き出て二つに分かれ、双葉のような形になった。船体自体も少し膨らんで、ずんぐりむっくりした。これで、かなり貨物船の形態に近づいた。

 船外から見学していた少年たちは、呆気にとられた。キララ号にこんな大それた機能があるとは露知らず、ただ驚くばかりだ。

「たまげたな。船体そのものの形を変えられるのか。いったいどうなっているんだろう」アキラが早速、その仕組みに興味津々だ。

「ああ、私も先ほど知って、正直驚いたよ。アズミ指揮官がこっそり教えてくれたんだ。おそらくは、軍の機密事項なんだろうけど」とツクヨミ。

「軍の機密事項?それ、変じゃない?だって、キララ号は民間機でしょ?なのに、どうしてこんな高度な機能を持っているの?絶対おかしいよ。それに、アズミ指揮官は何故、これを知っていたの?」

 マナミの素朴な疑問に、誰もがはっとして顔を見合わせた。

 確かに、妙だ。キララ号は軍用機ではなく民間機だ。それなのに、何故こんな特殊機能を備えているのだろう。しかも、相当高度な、機密事項級の機能だ。形態を変化させるメタ機能は、どんな大金持ちの民間宇宙船でも、そう簡単に搭載できるわけではない。明らかにおかしいし、それを知っているアズミ指揮官にも疑問がわく。

「確かに、変だよな」カイとツクヨミも首を傾げた。

 全員がキツネにつままれたような気分で、船内に戻っていった。

「ケンゾー、僕らの話を聞いていたよね?このキララ号は、軍用機だったの?キララ号の秘密を教えてくれないか?」

 タツヤがたまらなくなって、画面に向かって問いかけた。

「それについては、一切、お答えできません。秘密を守らなければならない義務が、私にはあります。秘密は教えられないから、秘密なのです」

 ケンゾーが、あっさりと、しかし、きっぱりと断言した。少年少女たちは、予想していた答えが返って来たので、それ以上は深追いしなかった。追求したくても、ケンゾーは絶対に、キララ号の秘密をしゃべらないだろうから。

「まあ、今はやるべき作業が山積みなので、この話はいったん保留だ。キララ号の秘密を紐解くのは、ゆっくり話し合える時が来るまで、お楽しみにとっておこう」

 カイが、皆を現実へと引き戻した。少年少女たちは各自分担して、点検作業に専念した。

 ケンゾーの許可が出ると、すっかり生まれ変わったキララ号は、地球の施設を飛び立った。すぐさま、月関門所の平べったい屋根が見えて来た。鋭い光を放つ関門所の監視カメラ衛星が、あちらこちらに浮かんでいる。特殊な遮光フィールドを張り巡らせたキララ号は、外からは中が全く見えなくなっていた。

「さあ、いよいよ、ガマ口に呑み込まれるぞ」

 キララ号は、巨大建造物の平べったい出入口へゆっくりと吸い込まれていった。短いトンネルのような、何もない空間を通過した。そこをくぐりぬける短時間に、走査用のビームが当てられ、キララ号は走査機械による検査を受けた。中にいたタツヤたちは、特に何も感じなかった。

 指示どおり、トンネルの出口で停止すると、抑揚のない声が響いてきた。

「識別コードから、あなた方は、ヤンル・ウル星系からやって来たとあるが、それで間違っていないか?」

 すぐさま、カイが答えた。

「はい、我々はクジラ座レウロからやって来たアルファ星人です。ご存知のとおり、我々アルファ星人は光というものを知りません。光がないゆえ、目がないのです。その代わり、全身が目の役割を果たしておりますので、ちょっとの光でもすぐに全身が焼けただれてしまうのです。それゆえ、このような暗い画面での無礼をお許しください」

 薄暗い画面には、小柄な青年商人に変換されたカイの姿が映っている。おまけにカイの声も変換され、ぐっと大人っぽくなっていた。検査員は、キララ号の船体をじろじろ眺めた後、画面に向かって再び話しかけてきた。

「確かに、コードは銀河連邦発行の正式なものだ。走査上では、全員で5名。ああ、今、照会したが、コード内容と合っている。確かにアルファ星人は、視覚が敏感過ぎるため暗闇が必要で、小柄な人間型生物だとある。体の代謝も子ども並みに活発だとあるな。確かに数値は、子どものような値だ。だが、こんな離れた銀河の月に、いったい何の用だね?」

 不審さと好奇心が入り混じった声が響く。

「光のないところで育てた、無光花をお届けしに来ました。そのため、特殊な容器、特殊な宇宙船を使い、月の裏に住むザガ氏の邸宅へ向かっております」

「ああ、珍しい物を収集している、あの変わり者のザガ氏ね」検査員たちから笑いが漏れる。「なるほど、ご苦労だな。いいだろう。走査しても危険物はないようだし、大風号、月への入国を認める」

 カイが通信を切ろうとしたところ、検査員の声が鋭く響いた。

「あ、ちょっと待て」

 全員の心臓の鼓動が跳ね上がった。しかし、検査員の声は落ち着いた笑いを漏らした。

「今、月では銀王誕生祭が開催されているので、月面上での飛行は気をつけたまえ。花火もバンバン打ち上げられるし、観客用の小型船の往来も多い。まあ、高度な特殊センサーをお持ちだろうから、問題ないとは思うが、通常より高めの飛行高度をお勧めするよ。Ba1からBa2帯あたりが最適だろう」

 カイは軽くお礼を言って、通信を切った。タツヤたちは、ようやく胸をなでおろした。

 こうしてキララ号は、大きく開けられたゲートを通過し、月の上空へと舞い込んだ。

 全ては、アズミがお膳立てしてくれたおかげだ。ツクヨミとカイだけだったら、こんな風に、スムーズにはいかないだろう。しかも、念のためと、アズミは偽の身分証書まで準備してくれたが、今回それらの出番はなかった。全ての点において、アズミの手配は完璧だった。

「さて、いよいよ月の領域だ。これから僕は、操縦に専念させてもらうよ。監視ドローンや検問所、観光客の小型カートがうじゃうじゃ浮遊しているからね。後は、ツクヨミ、司令をよろしく」

 カイは、ツクヨミの方に振り返った。ここでリーダーは、カイからツクヨミに引き継がれる。

「了解。準備は出来ているよ」ツクヨミが元気よく答えた。

 ツクヨミが操縦席を空けると、代わりに、タツヤが操縦席へ移った。

 ツクヨミは、いったん司令室に戻るとテーブルに、巨大な月の立体電子地図を映し出した。ケンゾーを通して送られてくる月の警備状況や最近のニュースを丹念にチェックし、照らし合わせた。その後、カイとタツヤの後ろにある補助席に再び腰を降ろした。

 キララ号は、そのまま月に突っ込むのではないかと思われるくらい、急角度で月面に近づいていった。夕闇迫る険しいアペニン山脈の麓、雨の海の端には、月の首都、銀都が広がっている。銀都には、早くも明かりがチラチラと輝き出していた。既に夜の部分に入った晴れの海や豊かの海の沿岸都市、それに巨大なコペルニクス・クレーター内側にも、密集した明かりが垣間見える。それらは、どれも月を代表する大きな都市だと、カイが説明した。

 しかしキララ号は、それらの都市に舞い降りず、上空を素通りした。険しい山脈の上空に差しかかると、後ろの補助席にいるツクヨミがつぶやいた。

「アペニン山脈に、銀の煙が立ち昇っていた。預言者は、もう神殿を離れたようだ」

 ツクヨミの小さな失望を、タツヤとカイは敏感に感じ取った。カイは、自分から説明を始めた。

「予想より、ずっと早いな。預言者は神殿を一旦離れると、探すのが厄介なんだ。いったいどこで何をしているのか、誰も知らない。あるいはもう、宮殿を訪れているのかもしれないけどね。目覚めるたびに毎回、宮殿の王族たちと話し合いをするんだよ。秘密裏にね。だけど、今回はどうだろう」

 カイは、操縦桿をゆっくりと傾けた。キララ号は大きくカーブし、巨大な山脈の背骨に沿うようにして、飛行した。

「預言者って、そんなに頼りになる人物なの?」

 タツヤは、前方から目を離さずに聞いた。後方から、ツクヨミが言った。

「月にとっては銀王と同じくらい重要な人物さ。もちろん私も会ったことがないから、詳しくは知らないけれどね。普段はアペニン山脈にある神殿の、地下深いところで眠っているんだ。何十年に一度、王国に助言が必要な時だけ、自然に目を覚ますと言われている。だから、まさに、今なんだろうな。未来を正確に予見し、月王国にとって正しい者に、助言を与えるとも伝えられている。それも含めて全てを見通すのだから、まさに超人だろう」

「ふうん、その預言者が君たちの味方だったら、それこそ心強いな。でも、本当に未来が見えるのなら、全てが解決するんじゃないのか?」

 アキラは眼光鋭く、アペニン山脈を見下ろして言った。

「未来は見えるけど、見えるもの全てを教えてくれるとは限らないよ。預言者はそもそも、政治に直接関われないんだ。だから、ヒントはくれるけれど、何かを変えたいのなら、自分たちの手で変えないとね」

「なるほどね。そう言う話か。だけど、何十年に一度しか目覚めないのなら、何か問題が起こっても、すぐにヒントをもらうのが難しいな」

「逆だよ」ツクヨミは、手にしていた紙の地図を折りたたみながら言った。「預言者は月王国にとって、本当に重大な時にだけ目覚めるんだ。仙人みたいな人物だから、眠っていてもその時がわかるらしい。だから、眠っているのは、月が平和な証拠さ。それに、自分が眠っている間、助言が必要になった場合を考え、目覚めている間に預言書をたくさん書き記しているんだ。必要なら、その中からヒントを探し出せばいいんだよ」

 タツヤたちは、地球では考えられない話に、ただ感心するばかりだった。

 そうしているうちに、キララ号は月の裏側へと廻り込んだ。同じ月なのに、明るい表側と違って、裏側はうら寂しい印象だ。

 表側は、月の宮殿がある銀都をはじめ、大きな街が多く賑やかだが、裏側は、巨大なクレーター公園や農牧地や荒野がほとんどを占め、領主や貴族の館が点在する他は、地表に輝く明かりは僅かだった。

 キララ号は幸い、パトロール中の警備艇にも怪しまれず、また、あちらこちらに目を光らせている無人自動防衛システムにも引っかからず、月裏のほぼ中央にある、クレーター上空に到着した。

 長い夜から解放されつつあるそのクレーターは、夜明けを迎えるところだった。直径は、5百メートル近くもあるだろうか。かなり大きなクレーターだ。盛り上がった丘の内側には、ぽっかりと穴が開いている。中はあまりに闇が深く、その底は、全くうかがい知れない。キララ号はクレーターの上空で、しばらく静止した。

 ケンゾーが盛んに訴えかけていた。

「ツクヨミ王子、やはり応答はないようです。留守なのか、それとも、わざと息を潜めているのか、わかりません。ただ、周囲に仕かけられたカメラが、キララ号の動きを俊敏に捉えていることから、自動監視機能が作動しているようです」

 ケンゾーはクレーターの底に向かって、尚も見えない相手を呼び出し続けた。しかしいくら待っても、クレーターからの応答はない。

「こちらに応答せず、ただ僕らを見ているだけか。敵方だったら、何かしらの反応はありそうだけど」

 カイは慎重に、送られてくるデータを見極めた。

 ツクヨミは、カイと顔を見合わせると、ついに、クレーターの中に降りる決断を下し、指令を出した。

「仕方ない。ケンゾー、シールドを張って慎重に降りよう。底までは、推定500メートルだ」

「了解。降下地点の重力場は0.8G。探知機能及びシールド、レベル4で作動開始。秒速1.5メートルで降下開始します」

 キララ号はゆっくりと、クレーターの中へ沈んでいった。クレーターの内側は、まさに漆黒の闇そのものだった。普通に照明を当てても、何一つ見えない。あまりに闇が深いゆえ、普通の照明は、たちまち内壁に光を吸収されてしまうのだ。これでは、周囲の様子が全くわからない。

 底知れぬ暗闇と、体ごと沈み込んでいく感覚に、タツヤたちはどんどん不安になっていった。

 それでも、照明を強烈な一束にまとめ、それを回転させながら四方八方に向けると、クレーター内壁の風景が少しずつ浮かび上がってきた。キララ号を取り囲んでいるのは、黒くごつごつした岩でできた、人工の断崖絶壁だ。その下には、鉄板が幾重にも継ぎはぎされた頑丈な壁が、底知れず延々と続いている。一見すると、古代の堅固な要塞のようだ。

「ずい分と深いな。おれたち、もしかして地獄に向かっているのかい?」

 アキラが余計な話をしたおかげで、タツヤとマナミはますます不安になっていた。

「心配は無用さ。このクレーターの底にあるのは地獄じゃなくて、椎間(しいま)公爵の屋敷だよ。えらく殺風景だけど、今の僕らにとっては、むしろ都合のいい場所なんだ。敵方の手に落ちていなければいいのだけど、それだけが、ちょっと不安だな」

 操縦から解放されたカイは、軽く伸びをしながら言った。

椎間(しいま)公爵?」

「遠い親戚にあたる王侯貴族の一人だよ。私の強力な支援者なんだ。小さい頃からよくこの屋敷に遊びに来ていた。普通の館と違って、珍しい物がたくさんあるんだ。見かけだって、このとおり一風変わっているだろう?公爵が自分の趣味で要塞のような造りにしたんだよ。カイも何度かここへ来ている」とツクヨミ。

「確かに、この殺風景は懐かしいな。ここへ来ると、身が引き締まるよ。公爵はいつも元気に溢れて、分けへだてなく接してくれる。古の預言者たちの教えを守り、王族、とりわけツクヨミには惜しみなく力を貸してくれる。昔、『魔術師の乱』と呼ばれるおぞましい事件があった時も、椎間公爵は大活躍して王族たちを守ったそうだよ」

「すごそうな人物だね。大物の予感がする。アズミ指揮官といい勝負かな?」とタツヤ。

「性格は違うけど、人の上に立つという点では、似ているかもしれないな。情熱的で公明正大な公爵は、階級を問わず、多くの人々から厚い信頼を寄せられている。それにちょっと人間っぽいところがあってね。そこがまた人気なんだよ。みんなからは親しみを込めて、『守りの革命家』とも呼ばれている」

 五、六分ほどすると、キララ号はクレーターの底に到着し、宇宙船停泊用の桟橋に船をつけた。金属製の桟橋周辺には、砂塵が厚く降り積もり、最近この桟橋を使った形跡は見られない。廃屋のごとく空しい静けさだけが、重くのしかかっている。遥か頭上にあるだろうクレーター出入口が、早くも恋しい気分だ。

 相変わらず屋敷からの反応はなかったが、積もっていた砂塵が、キララ号の照明の中で無言の舞いを披露し、タツヤたちを歓迎した。

 照明の角度を変えてみると、奥まったところにある格納庫が半分だけ照らし出された。そこからは、長い間放置された個人用小型艇が2隻、顔を覗かせている。

 ツクヨミは散々迷ったが、とりあえず、キララ号から降りて様子を確かめてみることにした。

 キララ号には、マナミと足を負傷しているアキラを残し、武装したカイ、ツクヨミ、タツヤの三人が桟橋に降り立った。クレーターの底は予想以上に、暗く寒い。三人の吐く息は、たちまち白くなった。

 桟橋は、暗い横穴通路に、まっすぐ続いている。打ちっ放しのコンクリートでできた通路は、上から吹き込んでくる風のためか、時折うら哀しい音をたてていた。その通路の先は完全に真っ暗で、何があるのか全くわからない。

「ずい分と荒れ果ててしまったな。昔よく遊んでいた屋敷とは思えない」

 ツクヨミは用心深くあたりを見廻し、手にしたレーザー銃に力を込めた。

「どうも様子が変だ。ツクヨミ、いったん引き返した方がいいんじゃないか?」

 カイはより神経質に、あらゆる方向へと注意を向けていた。

 すると、真っ暗だった通路の手前半分ほどに、突然、照明が灯った。青い人工光にさらされた三人は、その場で身構えたまま固まった。天井から投げかけられる青白い光は、ちらつきながら、埃だらけの荒れた通路を顕わにした。通路脇に置かれていた白い石が、青白い光に照らし出され、ぼうっと浮かび上がった。

 人間を感知すると、自動で明かりがつく仕組みになっているのだろうか。それとも、誰かが故意に照明をつけたのだろうか。高まる緊張の中で三人は、通路のずっと先に、人の気配を感じ取り、とっさに銃口をそちらへ向けた。

「無駄な抵抗はおよしなさい。こっち側には、厚いシールドが張ってあるのよ」

 クレーター中に響いた声は、間違いなく幼い少女の声だ。三人は、自分の耳を疑った。声は、まだ電灯がついていない、真っ暗な通路の奥から聞こえてくる。そう言いながら、声はどんどん三人に近づき、ついに薄明かりの下へ姿を現した。

 三人が見たのは、驚くべき人物だった。そこには栗毛色の長い髪をなびかせた少女が一人立っていた。年は十歳くらいだろうか。アーモンド形の瞳をした、小さなかわいい人形のようだ。それなのに、少女は地味な戦闘服を着込み、か細い両腕で、およそ似つかわしくないマシンガンを構えている。

 おまけに、警戒する目つきで、マシンガンの銃口をツクヨミたち一行に向けていた。マシンガンは少女の体にくらべ、あまりに大きく重すぎたため、少女は抱えているのがやっとの様子だった。なんとも異様な光景である。

 少女が言ったように、少女と三人の間には、電磁シールドが張られているようだ。

 両者は微塵も動かない。睨み合ったままの態勢で、何秒か、沈黙の時が流れた。

「もしかしたら、あなた、ツクヨミ王子?」

 通路の奥から、先に少女が叫んだ。

 ツクヨミは目を凝らしたが、その少女に、身に覚えがないようだ。

「どうして私がツクヨミだと思うんだ?」

「だって手配書で見た写真とそっくりだもの。でも、あれは、ずい分昔の写真なのに、今のあなたと同じ顔をしている。私には、わけがわからない」

 少女は迷っている素振りを見せたが、それでいて警戒を緩めるず、ツクヨミたちにしっかりと銃口を向けたまま、動かなかった。

「そうだよ。確かに私はツクヨミだ。だけど、私は犯罪者なんかじゃないよ。神殿に誓って言える」

「神殿に誓って?」少女の声が少し震えた。

「そう、正しくは、銀の精霊に誓って」

 ツクヨミはレーザー銃を腰のベルトにしまい込み、代わりに、銀のリュナを胸もとから取り出した。そのとたん、銀色の光が容赦なく溢れ出し、薄暗かった通路の中が一気に輝き出した。銀の光は、クレーターの底をいっぺんに照らし出した。圧倒する光を目にした少女も、明かりが灯ったように、顔がぱっと明るくなった。

「それが特別なリュナね。じゃあ、お父様の言っていたのは本当なんだわ。ツクヨミ王子は、絶対に犯人じゃないって」

 ツクヨミは、記憶の糸を手繰り寄せた。とたんに、答えが頭の中に浮かび上がった。

「お父様って、君はもしかして、(あんず)姫じゃないか?」

「私を知っているの?」

 今度は少女が驚いて目を丸くした。

「昔、君の父上、椎間公爵から聞いたからだよ。でも私が君に会ったのは、君がすごく小さかった頃だから、会ってもすぐにはわからなかったんだ。生まれた時、右腕に杏のような模様の痣があったから、(あんず)って名づけたと、公爵は嬉しそうに語っていたよ」

 ツクヨミの話に、少女はますます顔を輝かせ、やっと、腕に抱えていたマシンガンをふらつきながら床に置いた。そして、通路の灯りを全てつけると、シールド壁を解除した。その時、袖口からはみ出した少女の右腕には、杏模様の痣がくっきり浮かんでいた。

「お父様はいつも、あなたの話ばかりしていたわ。四六時中、あなたを気にして、心配して、あなたがいなくなってからは、うわ言のように、あなたの名前をつぶやいていた。本当の娘がここにいるのに、口にするのはあなたの話ばかり。ツクヨミ王子、私、ずっとあなたが羨ましかった」

 杏姫は、子どもらしく口を尖らせた。さっきまでマシンガンを構えていた姿が嘘のように、素直であどけない少女に戻っていた。

「公爵殿には昔から、よく世話になっていたよ。杏姫、その公爵はここにいないのかい?」

 すると少女の、物憂げな深いため息が、クレーターの底に響いた。無邪気な少女は一転して、大人の顔つきに変わった。それも、勇ましい兵士の顔つきだ。

「父がここにいるように見える?お父様と臣下たち、それからジアン大佐や須藤署長たちも全員、あなたの逃亡に加担した罪で、大臣に捕まり、宮殿の地下牢よ。見てのとおり、私以外、この屋敷には誰もいない。長い間、この状態よ」

 ツクヨミもカイも、一瞬返す言葉がなかった。

「ここには誰もいない?じゃあ、侍従や乳母や料理人まで捕まったって言うのか?」

 ツクヨミは、信じられないといった表情のまま、頭を抱えた。

「ええ、まさに根こそぎ。大臣に従わなかった者たちが、家族ごとや関係者ごと、まとめて投獄された」

 杏姫はツクヨミとは正反対に、冷静な顔で、冷たく言い放った。

 カイはがっくりと膝をついて、絶望の声をあげた。

「僕らが浅はかだった。この計画は誰一人知らないから、万が一囚われても、すぐに釈放されると思っていた。たとえ呪術や薬で自白させられても、知らなければ、安全だと踏んでいたんだ。でも、まさか、公爵たちが、ずっと囚われたままだなんて…」

 わめくカイの横で、ツクヨミは頭を抱えたまま呻いた。

「やっとの思いで、外宇宙から戻って来たのに、今度はまさか支援者が全員捕まっているとは。さすがに心が折れそうだ。銀の精霊は、とうとう私を見放したのか…」

 ツクヨミは、絶望のあまり床に倒れ伏せそうだった。

 タツヤたちも、ツクヨミたちの背後で愕然としていた。少なくとも、これだけははっきりした。頼りにしていた仲間たちが、全員捕らえられ、今やツクヨミを支援してくれる者は、一人もいない。

 これで、ツクヨミとカイは、たった二人で無謀ともいえる戦いに挑まなければならなくなった。だが、たかが少年二人で、何ができようか。こうしてキララ号で、月の中に潜り込むのがせいぜいだ。敵は、既に月をあまねく牛耳っている。しかも、強欲で手段を選ばない連中だ。タツヤたちもまた、二人の行く末を案じた。

 しかし杏姫は、そんなツクヨミたちの顏を、挑むように覗き込んだ。

「支援者なら、少なくともここに一人はいるわよ」少女の気丈な声が響いた。「私だって誇り高き公爵の一人娘ですからね。ツクヨミ王子、あなたは父を取り戻してくれるんでしょう?月の平和を取り戻すために帰って来たのでしょう?だったら、私は最後まであなたの味方よ」

 杏姫は、きっぱり断言した。

 まだ十歳かそこらの、少女の意気込みに、ツクヨミは驚き、しり込みし、そして、あり得ないほど顔が赤く染まった。そんなツクヨミを見たのは、初めてだ。

 ツクヨミは、自分の至らなさに恥じ入ったのだ。月に戻ってからの計画は、支援者の力をあてにするばかりで、自分で道を切り開こうとはしなかった。おおまかな計画はあるものの、それを実行するのは、全く支援者頼みだった。

 それなのに、この幼い杏姫は、愛する父を奪われても誇りを捨てず、たった一人でここに取り残されても、怯むことなく、立ち向かおうとしている。

 この健気な少女は、ツクヨミに一国の王子としての責任と誇りを思い出させてくれた。

 ツクヨミは、顔をキリリと上げると、今度はまっすぐに少女を見た。

「ありがとう、杏姫。君の言うとおりだ。私は、椎間公爵や仲間たち全員を必ず救い出してみせるよ。そしてこの月も、元に戻してみせる。そのために、戻って来たんだ」

 覚悟を決めたツクヨミに、少女は大きくうなずいた。それはまるで、厳格な教師がようやく納得した弟子にみせる、深い共感のようだった。

 これでは、年齢も、立場も、まるであべこべじゃないか。しかし、タツヤは、この不可思議な関係に希望を垣間見た。

「それでこそツクヨミ王子よ。父が信じていたツクヨミ王子だもの。きっとあなたの思いどおり、うまくいくわ。それに、あなたには銀の精霊がついている」

 少女は、ツクヨミたちの勝利を心の底から確信していた。その揺るぎない強い思いに、タツヤは心の底から拍手を送った。だが考えてみれば、心は鋼のように強くても、杏姫はまだ年端もいかない少女だ。タツヤはふとそれを思い出した。

「でも、君はこんな寂しいところに、ずっと一人きりでいたの?」

 タツヤは今更ながら、周囲を見廻して聞いた。

「ええ、そうよ。ある日学校から帰ると、父も乳母も従僕も、みんな捕まって、誰もいなくなっていた。だけど、父の逮捕には慣れっこだから、私がしっかりとこのクレーター屋敷を守ってきたの。普段から、こういう場合どうすればいいのか、父にしっかり教わっていたし、武器や食料だって、ちゃんと隠しておいた。だから、大臣の手下どもが来た時も、無人の廃墟の振りをして、見つからずにやり過ごせたわ。もちろん、突然みんないなくなって、とても辛かったけれど、父さんの話を信じて待っていた。そして、この間、月の預言者が目覚めた話を聞いた。父さんは、前にこうも言っていた。正しき者のために、預言者は目覚め、導くと。だから、きっと良い方に向かうって信じていたの。そうしたら今日、あなたたちがここへやって来た」

 タツヤは、この逞しく誇り高い姫に敬意すら感じた。

 ツクヨミは杏姫をキララ号に案内し、みんなに紹介した。キララ号から成り行きを見守っていたアキラとマナミは、小さな戦士に戸惑いながらも、大きな志を持っているこの少女がすぐに好きになった。ケンゾーは入力すべき新しい情報が増えたので、もちろん大歓迎だった。

「さっそくだけど、杏姫、君が知っている宮殿の情報を聞かせて欲しい。銀王は、弟ツクヨノ王子はどうなっている?」

 ツクヨミは努めて冷静を装っているが、内心は不安ではち切れそうな様子だ。食い入るようにして、杏姫の答えを待っている。

「あなたが出て行った時から、ほとんど変わってないと思う。銀王様は相変わらずうつろな目をして、いつも傍らにいる大臣の言いなりよ。弟王子も眠り続けたまま、目を覚ます気配もない。だから、実際は大臣が王様のようにふるまっている。それに反発する人もいるけれど、この頃では、軍隊までがすっかり大臣の言いなりよ。特に、大臣が軍の最高司令官になってからはね」

 大人のような話しぶりの杏姫に、全員が当惑した。とても10歳そこそこの子どもがしゃべっているとは思えない。特に、アキラとマナミは、杏姫のかわいらしい外見との落差に驚き、肝心の話もどこか上の空で聞いていた。

 杏姫は、周囲のそんな反応を気にする風でもなく、平然と話を続けた。

「権力を手に入れて図に乗った大臣は、早くあなたを捕まえたくて、しょうがないみたい。きっと目障りなんでしょうよ。懸賞金だって、あなたがアンドロメダにいるって噂がたってから、ものすごく吊り上がったわ」

「私の価値がそんなに上がっているとは、ありがたい話だね」ツクヨミは、うんざりするようにのけ反った。「だが、そうか。やはり私の居場所がばれていたんだな」

「こんな広い宇宙で、よく王子の居場所がわかったな。月正規軍の執念深さが身に染みたよ」タツヤが思わずつぶやいた。「邪魔者である王子が月からいなくなれば、それでいいわけじゃないんだね」

 すると、杏姫が大真面目な顔でツクヨミを睨み、責めるように言った。

「その銀のリュナをどこかで使ったでしょ?神聖なメロディを奏でたでしょ?」

 ツクヨミもカイも、とたんに視線を下に落とした。情けない話だが、二人とも、この小さな少女には、頭が上がらない様子だ。

「確かに」ツクヨミがポツリと答えた。「…やむを得ず、使った…」

 杏姫は、なおも容赦なくピシリと言った。

「神聖なリュナで、神聖なメロディを奏でれば、その波動は全宇宙に響き渡る。もちろん知っているはずよね?リュナの音色の波動は、時空を超えて届けられ、特殊な人々にはわかるのよ。それまでは、行方不明の王子はもう死んでいるかもしれないと、人々の関心が薄れかけていたのに、魔術師や巫女たちが気づいてしまった。そこから急に、王子はアンドロメダを逃げ回っているって噂が盛り上がって、人々の怒りが再燃したの」

 タツヤは、はっとした。ピルラ星で、バルを助けるため、ツクヨミは確かにリュナを吹いた。今思えば、ツクヨミはリュナを使うのを、それまではえらく躊躇していたではないか。あの後も、これで自分たちのことが知られてしまい、かなり危険になるとも言っていた。その意味が、ここでようやく理解できた。

 杏姫は、冷静な態度を崩さず、ツクヨミを見上げて言った。

「リュナを使ったせいで居場所がばれたけど、重要なのは、そこじゃない。あなたは危険を覚悟で、わざわざ月に帰って来たのでしょ?お父様が捕まる前に、言っていたもの。王子は逃げたんじゃない、きっと理由があって月を出たけれど、必ず戻って月に平和を取り戻すってね。私も、あなたの支援者よ。私にできることなんて限られているけれど、父のためにも、月王国のためにも喜んで協力するわ。だからお願いよ。必ず父を救って、そしてこの月を守って」

 杏姫は眉一つ動かさず、真剣に訴えた。父親と月のためなら戦いも辞さない少女は、ツクヨミやタツヤたちの心を強く揺り動かした。こんな小さな少女でさえ、誰よりも月王国について深く考えているのだ。ケンゾーは後に、この少女を「小さな革命家」と呼ぶようになった。

 杏姫は、月や宮殿の情報を詳しく語り終えると、必要な物品を用意してくれた。守りの革命家を自称する椎間公爵の屋敷には、そう呼ぶにふさわしい武器、弾薬、特殊工具など、何もかもが豊富にそろっている。タツヤたちは、せっせとそのお宝をキララ号に運び入れた。

「杏姫、いろいろありがとう」ツクヨミは、最後に手を差し出した。「何より、私を信じてくれたのが、とても嬉しかったよ。君が、月の支援者第1号だ。私は必ずやり遂げると、君に約束する。だから、もう少しの間、この要塞で待っていて欲しい」

 杏姫はツクヨミの手を小さな手で握り返すと、初めて笑顔を見せた。美しく、気高く、そして屈託のない笑顔だ。アキラは後ろの方で、独り頬をほんのり赤らめていた。


 杏姫と別れた一行は、キララ号に乗り込み、低空飛行で再び月の表側へと向った。1時間ほどで、夕闇迫るアペニン山脈が見えてきた。山脈の峰の尖端だけが夕日に照らされ、長い昼が今まさに終わりを告げようとしている。

 その麓の、既に夜になった雨の海沿いには、ちりばめられた宝石のように、首都銀都が広がっていた。キララ号は銀都の中心部を避け、アペニン山脈側にある、黒っぽい森に舞い降りた。

「さて、ここからは全員、祭りの参加者になってもらうよ。これを着てね」

 カイは、杏姫から借り受けた月の民族衣装を、ごっそり差し出した。月は今、祭りの期間であるため、住民のほとんどが民族衣装を着ている。他からやって来た一般観光客も、記念に着用して祭りに参加している。なので、そのままの服装だと逆に目立ちすぎるのだ。言い換えれば、月の民族衣装さえ着ていれば、少々変な行動を取っても、そう目立たなくなる。

 月の民族衣装は乳白色をした、絹のような生地で仕立てられている。上着の丈が長く、腰のところで優雅にねじれ、男性は下にズボン、女性は上着の丈が更に伸びて、ドレスのようになっている。

 少年たちは、乳白色の生地を見ただけでピルラ星を思い出し、一様に不快な顔をした。事情を知らないマナミだけが、少年たちの反応を不思議がっていた。

 それでも便利な点がある。襟元についている長いスカーフを頭に巻くと、顔がほとんど隠れるのだ。顔を見られたくないツクヨミたちにとっては、大変都合のいい衣装だった。それを見越して、ツクヨミは民族衣装を杏姫から借り受けたのだろう。

 だが、アキラだけが着替えるのに抵抗した。

「だって、これ、女の服みたいじゃないか。ツクヨミだけは妙に似合っているけど」

 ツクヨミは着替えながら、奇妙な顔をして振り向いた。そこへいち早く着がえたマナミが、憤然としてアキラの前に姿を現した。

「似合う、似合わないはこの際、関係ないでしょ?ただ、着ればいいだけの話じゃない。そんな文句を言っている暇があったら、さっさと着替えなさいよ」

 マナミの命令口調に、アキラはむっとして衣装を放り投げた。そこへタツヤがなだめるように、力強く説得した。

「君にだって十分似合うよ、ほら」タツヤはそう言って、アキラに衣装をあてがった。が、とても似合っているとは言い難い。優雅な服だけが宙に浮いているようだった。鏡を見たアキラは、ますますげっそりして、渋い顔つきになった。

「おれ、やっぱり…」

 そこへ、カイの声がキララ号の船内に鳴り響いた。

「アキラ、これだけはハッキリ言わせてもらうよ。今の服のままで外に出たら、たちまち周囲に怪しまれてしまう。警備兵に通報される危険もある。目立ち過ぎるんだよ。観光客とも、招待客とも思えないその服で、宮殿をウロウロされたら、警備兵も放っておかないだろう。着替えない限り、キララ号からは一歩も出さないからね」

 カイがスカーフを首に巻きつけながら、脅しともとれる助け舟を出した。

 実際アキラの格好は、皆の中で一番ひどかった。上着は肩のところで二箇所ほど裂け、履いているジーンズは、擦り切れてボロボロになっている。船内クリーニングで汚れはきれいにとってあるものの、度重なる衝撃で服の生地は限界だった。

 結局、強烈な一言を放ったカイに、アキラはついに折れた。外に出さないと脅され、嫌々ながらも、アキラは月の衣装に着替えたのだ。

 5人全員の準備が整うと、ツクヨミはケンゾーに留守番を指示した。

「皆さんが何を計画されているのか、私にはわかりませんが、十分にお気をつけて。それから」ケンゾーが珍しく口ごもった。「どうか、私のこともお忘れなく」

 5人はちょっと戸惑ったが、それぞれがケンゾーを励まし、冗談を言いながら、キララ号の外に出て行った。外は薄暗いが、夜の期間が始まったばかりなので、薄手の衣装でもちょうどいいくらいの気温だ。

 振り返ると、キララ号は黒い巨大樹の森の奥に、すっかり覆い隠されていた。驚いたことに、キララ号は船体を垂直にして、巨大樹さながら、森の中に収まっている。船体の形を若干変化させ、樹木を擬態しているのだ。

 船体を垂直にしても、当然、周囲の巨大樹に比べて高さが足りないが、その分はホログラムで補い、梢の高さに合わせている。よほど近づかない限り、偽物の樹木だとは気づかれない。粘土細工のように、自由自在に変形できるわけではなさそうだが、こんな芸当までやってのけるキララ号は、やはり特別な宇宙船なのだろう。

 森は、それほど鬱蒼とはしていない。下草も少なく、見通しが良くすっきりとしている。木々は、やたら巨大で高くそびえているが、どこか軽さを感じさせる不思議な森だ。地球上の森とは、明らかに雰囲気が違っていた。

「ここから街までは、歩いて約20分。そして秘密の入口から30分歩いて、宮殿の地下に入り込む。今日は、お祭り中のお祭りだから、地下の警備は手薄だと思う」

 スカーフでしっかり顔を隠したツクヨミは、今後の計画に自信があるような口ぶりだ。それを聞いたタツヤたちは、急にそわそわし出した。いよいよ、新たな冒険が始まるのだ。気を引き締めて、ツクヨミたちについて行かなければならない。内心ワクワクするが、これからは危険と隣り合わせの本番だ。

 5人は、森の中の遊歩道を下っていった。遊歩道は、きれいに舗装され、薄っすら銀色に輝いている。タツヤは地球にいた時に比べ、体が少しだけ軽いのに気がついた。そのせいか、気分までも軽やかで、ちょっとしたピクニック気分だ。負傷した右足が気になるアキラも、それほど苦労せずに歩いている。

 黒い森を抜けるとすぐに、丸みを帯びた光沢のある人家が見えてきた。まばらだった人家は先へ進むほど増え、やがて密集し、首都の街並みへと繋がっていった。街並みは、ピルラ星で過ごした街の様子と、どこか似ている。街行く人々も皆、タツヤたちと同じような民族衣装を身につけていた。確かに、これなら、自分たちは全く目立たない。

「銀王様、万歳。月王国、万歳!我々の勝ち戦に乾杯!」

 太鼓を叩く音に混じって、銀王を賞賛する歓声がどこからともなく上がった。銀王は、まだ、月住民の信頼を得ているらしい。歓声を耳にしたツクヨミは、少しだけほっとしていた。

 しかし、人々は同時に戦争も賞賛している。単なるかけ言葉かもしれないが、タツヤたちは、その何気ない言葉に不穏なにおいを感じ取った。

 観光客だと思われている5人は、時おり投げかけられる歓迎や祝福の言葉にも、顔を半分隠したまま愛想よく、銀王様万歳と返した。

 街の中心部に入っていくと、祭りはさらに盛り上がっていた。街の青い広場は、乳白色の明るい光と銀色の深い光が重ねられ、ほどよく色分けされていた。月の紋章入りの、銀色と青色を組み合わせた旗が、各家やビルの前に翻っている。大勢の人が行き交い、リュナと、チェロのような音色の音楽が通りを賑わせている。

 全てが美しく調和し、洗練されている。タツヤたちはまるで、自分たちがおとぎの国の、まっただ中に立っているような錯覚さえ覚えた。

「私、両親を探し出したら、ここに住んでもいいな」

 あまりの美しさに、マナミはうっとり見とれ、しばし足が止まった。奴隷船での閉じられた空間や過酷な惑星の風景しか知らないマナミは、見るもの全てが夢のように感じるのだろう。

 5人は混雑した広場や大通りを後にして、密集した建物の間をうねり、狭い階段をいくつか上り下りした。その後、入り組んだビルの谷間にある、一棟の古い建物にたどり着いた。かなり前に見捨てられた、灰色の目立たないビルだ。そこに秘密の入口があるとカイは言う。

 5人はカイを先頭にして、崩れかけたビルの階段を地下へと降りていった。地下は、降りれば降りるほど暗くなり、足もとも見え辛くなった。暗闇の中、手探りで降りて行くと、やがて、ぼんやりした薄明るい光が見えてきた。幅の広い地下道だ。そこはおそらく地下鉄の駅だったに違いない。広いプラットホームや線路のあと、取り外された看板や標識がそこかしこに、散らばっている。

「昔、地球のまねをして地下鉄を作ってはみたものの、月はやはり地上が一番美しいとわかり、すぐに廃止。その名残が、この地下道になっているんだよ」とカイ。

 5人は気味の悪い光景を我慢しながら、奥へと進んだ。通路は複雑で薄暗く、行く先は真っ暗だが、不思議と足もとだけが薄明るい。ぼんやりと、緑に発光する苔が生えているようだ。これが自然に生えた苔なのか、わざと配置された人工物なのかは、わからない。

 15分ほど進むと、カイは立ち止まり、一旦注意深くあたりの様子をうかがった。問題ないと判断すると、すぐ横の壁を両手で押した。すすけたレンガの壁は両脇にゆっくり広がり、分厚い鋼鉄の扉が姿を現した。

 隠し扉だ。カイが鉄製の丸い取手を、右に左に何度か回すと、鍵の外れる金属音が響き、扉は音をたてて開いた。そこにはポッカリ開いた穴が待ち構え、中からは、不思議な香りを含んだ、生暖かい風が吹き出してきた。

 これこそが、宮殿地下へ続く秘密の出入口だ。カイは、率先して中に入り、安全を確認した後、全員を中に引き入れた。

 さらに暗くてじめじめした通路を何百メートルか進むと、かなり先の方から、漏れ出ているオレンジ色の明かりが見えてきた。

「宮殿別棟の地下深くにある地下牢の倉庫だよ。昔は王子と一緒に、あそこから宮殿を抜けて、よく街に遊びに行っていた」カイは、みんなの方を振り向くと急に声を潜めた。「さてと。ここからは、より慎重に、より静かにね」

 一筋のオレンジ色の明かりは、大きな二枚の岩の間から洩れていた。カイはじっと耳を澄まし、向こう側に誰もいないのを確認すると、岩の下についているハンドルをゆっくり回した。大きな二枚の岩は、たちまち左右に分かれた。

 5人は用心しながら、岩の間をすり抜けると、暗い倉庫に入っていった。錆びついた鎖や古いロープの詰め込まれた、気味悪い棚の間を通り越し、一同は、倉庫から石造りの廊下へと慎重に出ていった。曲がりくねった廊下の窪みには、松明が燃え、揺らめく影が踊っている。

 すると、鼻をつく異臭と共に、あちらこちらから、人の呻き声や話し声が微かに聞こえてきた。

 廊下の先端の、多少開けたところは小部屋となっている。どうやらそこが、地下牢の入口のようだ。柱の陰からそっと覗いてみると、年老いた警備兵が一人、椅子にもたれ、だらしのない格好で大いびきをかいていた。

 あたりには酒の匂いが漂い、グラスが一つ床に転がっていた。丸テーブルの上には、散乱した食べ物や食器と共に、飲みかけの酒瓶が青白い微光を放っている。酒瓶には、月光酒と書かれたラベルが貼ってあった。

 タツヤは、さっと周囲を見廻し、テーブルに置かれている食器や使われたグラスの数を確認した。

「どう見ても、警備はあの爺さん一人だけのようだね」

「いいぞ。これなら、おれたちだけでもなんとかなるな」アキラは出番とばかり、指をポキポキと鳴らしてみせた。「早速、牢屋の鍵を頂戴しようぜ」

 アキラとタツヤは、寝ている牢番を起こさないよう鍵束を探したが、どこにも見つからなかった。

「おそらく、鍵束は、王宮警備隊の上層部か総務部の誰かが持っているんだろう。今日に限って言えば、この警備兵は、単なるお飾りに過ぎない。まずは、椎間公爵を探そう」ツクヨミが地下牢の奥をうかがった。

「わかった。じゃあ、ここはおれが見張っているよ。万が一、爺さんが目を覚ましたり、誰かが来たりしたら、迷子の観光客のふりをして、大声で知らせるよ」

 見張り役を買って出たアキラにその場を任せ、4人は椎間公爵たちを探しに、奥に続く牢屋へと踏み込んだ。

 突然、目の前に少年少女たちが出現したので、囚人たちは非常に驚いていた。中には、騒ぎ出しそうな囚人もいたが、ツクヨミがこっそり顔を顕わにし、静かにするよう小声でささやいた。

 すると囚人たちは、声にならない息を大きく漏らし、一様に顔を輝かせて、涙ぐんだ。大半の囚人たちは、いわれのない罪で大臣に捕まった、王族支援者や善良な月の住人だった。何故なら、ツクヨミやカイの知っている顔が並んでいたからだ。

「ツクヨミ様?」

 自分を呼ぶ、ひときわ低い声が、一番奥まった洞穴の牢屋から響いてきた。ツクヨミはその声に吸い寄せられるように、走り出した。


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