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一章 ──異世界にて。【前編】


 ──聖女召喚の伝説。

 何百年も昔。世界は突如として混沌に飲まれ始めた。

 混沌はこの地の底、魔物たちが住まう〝地底魔界〟によって溢れているようだった。

 土地が、生き物が穢され、人間たちは穢れの浄化による救済を神に祈った。

 すると〝違う世界からやって来た〟異邦人が、聖なる力により穢れを浄化し、混沌を世界に溢れさせた魔の王を鎮めたのだという──。


「伝説ねぇ……」


 読み終えた本を傍らに放ると、私は仰向けに倒れ込んだ。

 ふかふかとしたベッドは一ミリの痛みもなく、私の体を受け入れる。

 だだっ広い部屋に、いい匂いのする柔らかいベッド。窓からは温かな日差しが差し込んでいて、室内は綺麗に片付けられていた。

 ……カーテンを閉め切って、ごちゃついていて、いつも薄暗かった私の部屋とは大違いだ。

 異世界に召喚だなんて訳の分からないことが起きて、うっかり記憶が欠落していたりしたらどうしようかと思ったけれど案外そんなこともなく、私はどこまで行っても私のままだった。


「……異世界、か」


 窓の外を眺めながら、ようやく混乱も落ち着いてきた頭で置かれた状況を整理する。

 五日前のあの日、どうやら私は、その本当かどうかも分からない話を信じた連中によって、この異世界に〝聖女〟として召喚されたようだ。

 どうやら一年ほど前から国の一部では穢れの兆しがあるようで、じわじわと広がっていくそれに、お偉方は危機感を覚えたらしい。

 穢れた土地にはどんな生物も住めなくなる。作物は育たず、水は濁り、家畜や野生動物、そして人間へも影響を与えだす。病や貧困がたちまち蔓延するのだ。

 そんなものが国全体に広がっていけば、生活が立ち行かないばかりか、この国は緩やかに滅びの道を行くだろう。

 しかし穢れが全土に広がる前に、外部要因から国家が滅びる危険性も十分にあり得る。

 話を聞く限り、この国──《モンテルーズ》はかなり大きな国で、他国との貿易も盛んらしく、隣国と比べると国民の生活のみならず、作物などの品質や技術力も高い水準を誇っているようだ。

 そんな広い土地を誇り資源も豊富な国が、あるときを境に貿易品の質を低下させ、技術力の停滞や国民の生活の水準すら落としていると露見したらどうなるか。

 近隣諸国は一斉に睨み合うだろう。

 どの国がその広大な土地を手にするか。初めに攻め入るのはどの国か、独占するのかはたまた国同士で手を組むか。

 ここが異世界であっても国々の在り方というのは、元の世界とさほど変わりはない。

 少なくとも戦争などは過去あったようだし、思考や言語を持つ種族が存在する限り、争いはなくならないのだ。

 ともかく、そうならないためにも早いところ穢れを浄化しなければならないと判断した国のお偉方は、伝説の聖女召喚に命運を託すことにした。

 国存続の危機をそんなあるかどうかも分からないものに託していいのかとは思ったが、どちらにせよ結果的に、この国の技術力をもって無事に異世界から人間を召還した。

 ……そこまではよかった。

 異世界から召喚された〝異邦人〟は、この世界の人間にはない特別な力を持っていて、それがあの人たちが言うところの『スキル』であるらしい。

 伝説の中での聖女は穢れを浄化できる聖なる力を持つとされていたが、残念ながら、私には聖なる力なんて備わっていなかった。


(異世界まで来て無能、って……前世でどれほど悪人だったんだ、私は)


(異世界まで来て無能、って……前世でどれほどの悪人だったんだ、私は)

 スキル《フィルムロール》──これが私のスキルだ。

 任意の記憶を五つ限定で保持でき、対象にその記憶を開示できる、というものらしい。

 記憶をどう保持してどう開示するのかは実際に使用してみなければわからないけれど、土地の穢れを浄化するなど到底できそうにもないハズレのスキル。

 聖女召喚は、失敗だ。

 そんなわけで、私は〝失敗聖女〟として城の離れにある塔に軟禁されている。

 異邦人を元の世界に帰す方法はなく、だからと言って国民には秘された情報の塊である人間を城外へ放り出すわけにもいかない。

 連中は迷いなく、私を飼殺す方を選んだというわけだ。


「あーあ。せめて魔法でもあったなら、もっと異世界に来た実感もあったんだろうけど」


 この異世界にはどうやら魔法はないらしく、私を召喚したのはあくまでもこの国で編み出した技術だというのだ。

 元の世界でいうところの科学技術が大幅に進化したもの、ここでは〝魔学〟と呼ばれている。

 私の世話をしてくれているメイドによれば、魔法は聖女召喚の伝説と同じく過去にあったとされるもので、魔法に関する古い文献などから研究・解析を行った、〝魔法由来の学問〟を省略して〝魔学〟と名付けられたそうだ。


「ま、私にそう見えているだけで……もしかすると、もっと別の言葉なのかもしれないな」


 異世界に来た実感は、未だ薄っすらとしている。

 その理由の最たる理由が、これ(・・)だった。


「もうこれも読み終わった。別の本、持ってきてもらわないと」

 読み終えた五冊目の本を、巻末からパラパラとページをめくり直してみる。書かれた文字は元の世界にあったどの言語とも違うものだが、私にはそれが読めている(・・・・・)のだ。

 私はこの世界の文字が読めるし、言葉がわかる。

 そうあることが自然なのだ、とでも言うように。

 見知らぬ言語であることを知るまでに時間を要してしまったのは、この国の言葉が日本語ではないのだと気付いていなかったせいだ。

 召喚されたあの日、周りで囁かれている言語を私は〝日本語〟だと認識していた。違う言語を喋っているという認識はまるでなかった。

 確かに、衣服や髪色は日本であまり見ないものだったし、容姿についても少し日本人離れした……西洋人と似た、ともかく和性の容姿ではない。

 それでも違和感はなかった。例えるなら、海外を題材にした漫画なのに台詞は日本語で喋っているようなものだと思う。

 なんとなく『日本語で書かれているけれどキャラ同士は外国語で話しているのだろう』と無意識に受け入れているが、それと似た感覚だ。

 召喚されてから二日ほどは召喚の混乱と〝失敗〟だと言われたショックでぼんやりと過ごしていたが、メイドがそんな私の様子を気にかけて、この世界のことを地図と一緒に教えてくれた。

 その地図に書かれた文字を見て初めて、この国の言語が日本語ではないと知ったのだ。

 同時に私が話している言葉も、自分では日本語を喋っているつもりだったが、こちらの言葉になっているとメイドに教えられた。

 召喚自体にそういった作用があったのかは分からないが、聞こえる言葉も文字も、私の話す言葉でさえ自動で翻訳されているらしい。

 全く便利なものだ。

 加えて、もうひとつ便利な能力がある。

 本を読んでいる限り、私の世界に存在するものとこちらの世界に存在するものには、わずかながら異なっているものがあるようだ。

 そう言ったものに行き当たった際、その物体が私の世界のどれに値するのかを教えてくれる機能。

 例えばいま私の目の前にリンゴがあるとして、ちょうどその真上に《リンゴ:日本でいう『リンゴ』である》と解説が出る。ゲームで物体を調べる際に出るポップアップ表示みたいな感じだ。

 これがあれば、少なからず元の世界との違いで困ることはないだろう。


「聖女さま、しつれいします!」


 と、扉をくぐる小さな人影に私は苦笑いを零した。


「その呼び方やめてよ、リーヤ」


 彼女は、私が王宮の離れに幽閉されることとなってから身の回りの世話をしてくれている、メイドの〝リーヤ〟だ。私に地図と一緒に世界のことを教えてくれたのも、私の言葉がこちらの言葉になっていると教えてくれたのも、彼女である。

 異世界に来た実感などほとんどなかったが、彼女を見ているとやはり、ここは別の世界なんだと納得せざるを得ない。

 彼女の頭には、二つの尖った耳が付いていた。

 獣人、という人種らしい。

 とは言え形的には人に近いから、例えば爪の形が普通の人より尖っていたり、人間の耳がなかったりと細部を見るとかなり違いが分かる。

 尻尾は無いのか、と聞いてみたら、『お洋服の邪魔になるから体に巻き付けてるんです』と言っていた。

 きっと彼女の耳と同じように、ふわふわの尻尾なのだろう。元の世界では猫や犬のしっぽには神経や骨があったが、その原理と同じであるのならば、ずっと体に巻き付けているのは窮屈ではないのだろうか?


「お昼ごはんお持ちしました!」

「ああ、ありがとう」


 リーヤはティーカートに乗せた紅茶と平皿をテーブルに並べながら、サラダを取り分けキッシュを切り分ける。主食はトマトソースにエビっぽいものが入ったパスタのようだ。


(しかし……いつもながら豪華だな)


 召喚されたあの日、失敗だと言い放った男たちは、ひそひそと何やら話し合いそれを終えると私の手を引っ張り強引に立たせた。

 そして広く長い廊下を歩かされ広い場所に放っぽり出されて、階段の向こうにある高い場所から、高そうな椅子に座っている人が混乱している私に言い放つ。


『お前を元の世界に戻す術はない。かといって町に放り出すわけにもならぬ。そのため、この先お前には城の離れで暮らしてもらう』


 聖女として失敗である私は彼らにとって既にお荷物で、外へ放り出すにはリスクが大きすぎるのだろう。

 例えこの世界の服を着て町へ出たとしても、私がこの世界の常識を知らないことはすぐに気づかれるはずだ。

 リーヤに持ってきてもらった本を読む限りでは、異世界人を召喚する術について秘匿しなければならない、ということだったが……。

 どうして秘匿しなければならないのか、という理由までは記載していなかった。

 特別な魔法、いや魔学を使うから? それとも、異世界人を召喚する、ということ自体に機密性があるのだろうか。


(と言うか……普通に考えて、別の世界から人間を連れてくるなんていくら魔法……魔学って概念があるとしても、かなりのエネルギーや労働力が必要にならないか? いやでもここ異世界だし、それを補える何かがあるのかも)


 ただ、私が失敗聖女ってことは、聖女召喚は必ずしも成功するわけじゃないということだ。

 元の世界にも帰せない異世界人を、彼らはこうして王族の手元に軟禁した。私の衣食住は最低限不自由のない範囲で保障されている。

 毎日の食事や与えられた部屋、衣服はどれを取っても質が良く、食事も毎日三食、しかもデザート付き。

 ちらりと見た限りいい暮らしをしているのは王族も同じなようで、見るからに高価そうな宝石のアクセサリーや装飾の付いた衣服を身に着けていた。

 彼らの話では瘴気が広がり始め作物などに影響も出ている土地もある、とのことだったが……国庫を食いつぶしているように思えてならない。

 わざわざうまくいくかも保証のない聖女召喚をして、結果失敗し、呼び寄せた異世界人をそのまま城の離れに住まわせ、良い食事を与えている。

 聖女召喚は伝説とされているもので、この世界では現在、魔法は過去の遺物だ。その代わりに魔学、元世界で言う科学力はかなり発展している。

 ならば、穢れへのもっと別の対策を講じることも出来たはずだ。

 それなのにリスク、コスト、どれをとっても効率のいい方法だとは思えない聖女召喚に拘ったのは、どうしてだろう。


「お食事の準備ができましたよ!」


 その声に私は思考の沼から抜ける。

 こちらを向いたリーヤは、私の傍らに転々と置かれた本を見て驚いたように声を上げた。


「あれ、もしかして、もう全部読んじゃったんですか?」

「ああ、うん。本読む以外にやることもないからさ……」


 席につき、「いただきます」と手を合わせる。


「聖女さま」

「聖女じゃなくていいってば」

「でも……」

「ハルって呼んでよ、リーヤ」

「は、はい! じゃあ、あの……ハルさま、食前にされているそれは、一体何ですか?」


 彼女は私がさっきしたように手を合わせ、首を傾げた。


「何って、食べる前の……ああそうか、海外と同じ感じなのか……えーっと、この国は食べる前に何か、お祈りとかしない?」

「お祈りならしますよ! こうして、両の手を胸に当てて、『聖神様、聖女様、穢れ無き命をありがとうございます』って、目を閉じながら心の中でお祈りをするんです」

「それと同じ。私の元居た場所では、こうやって手を合わせて、『いただきます』と言ってから食べるんだ。これから食べるものに対して、命を頂きます、って感謝する、みたいな感じかな」

「いただく命に、感謝を……」


 リーヤはぽむ、と小さな両の手を合わせジッとそれを見つめたかと思えば、パッと顔を上げ愛らしい笑みを浮かべた。


「聖女さまのお国は、生きている命を大事にしているんですね……すてきです!」

「ああ……そう、かもね」


 普段と変わらないよう笑みを浮かべると、食事に手を付ける。

 彼女はとても素直で、純粋な子だ。私の世話を始めてしてくれた日から、彼女は私が居た世界のことを知りたがった。

 日本での生活や色んな文化、私の住んでいた国は小さな島国で、海の向こうにはもっとたくさん大きな国があったんだよ、と教えれば、彼女はまるい瞳を輝かせながら、


『聖女様の世界はすごく大きいのですね! リーヤはこの町から出たことが無いのです。もしかするとこの国の外にも、聖女様の世界みたいに、たくさんの国があるんでしょうか……!』

 

 と言った。

 きっと彼女は、私の住んでいた国を、元の私の生活を物語に出てくるような夢に溢れたものだと想像しているに違いない。


(元の生活を……元の私を知ったら、幻滅するだろうな……)


 そもそもろくでもない生活だった。

 学生だった頃、『小説家になれそうだね』なんてクラスメイトに言われたことを真に受け抱いた小説家の夢は、早々に諦めた。他にやりたいこともなく、小さな会社で事務の仕事をしながら、それでも夢を捨てきれず、時間の合間を縫っては同人誌作成に精を出して。

 家族とはとうに縁を切っていて、狭いアパートに一人暮らし。

 なんの色も見えない日々だった。

 なんとなく働いて、ご飯を食べて、寝て、起きて、働いて、合間に誰も読まない文を書いて。

 毎日がその繰り返し。

 楽しむには擦り切れすぎて、けれどその現状を嘆くには、私は怠惰だった。

 転職だとか引っ越しだとかしてみればよかったのかもしれないが、新たな環境でまたイチから始めようと思うと疲労感がどうしても勝ってしまって、動く気にもなれずにいた。

 そうしてそのまま、私はこの訳のわからない世界へとやって来てしまったのだ。

 誇れるものなんてひとつもない、ただの私。

 彼女をがっかりさせたくなくて、私は少しでもあの世界で楽し気だったことを記憶から引っ張り出しては、彼女にその話をする。

 暗い部屋で過ごしていたことなんて、微塵も感じさせないように。

 何でもない顔で笑っては、心の内で、私が〝聖女〟だなんて呼ばれるべき人間ではないことを、悟られたくないだとか、つい考えてしまうのは、見て見ぬふりをした。


(まあ……失敗の聖女だけどさ)


 食事も早々と終えてしまった私は、今日もすることもなく、何となく時間を潰している。

 そうやってまた一日を無駄に消費する……そのはずだった。

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