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私が1人ぼっちになった日

作者: nakimushi

私は3人姉弟の長女だ。両親からは大事に育てられた。父はあまり働かない人。代わりに母が良く働き育ててくれた。1人で3人の子供を働きながら育てる事がどれだけ大変だったか想像もつかない。


私自信、幼い頃は自分の家が大変な状態だとは気づいていなかったが、長女なりにしっかりしなければと思っている子供だった。


最後に母の前で泣いたのはいつだろう、、、。小学校1年生?記憶にもない遥昔で、お姉ちゃんは泣いてはいけない、泣いたら弱いと思われる、プライドの高い、大人ぶった可愛げのない子供だった。


周囲の大人からしっかりしてる、大人っぽいと言われるのが誇らしかったし、そうでないといけないと思った。だから大好きな友達の転校も、卒業式も大好きなおじいちゃんのお葬式も満足に泣けず、家に帰ってお風呂や夜一人の部屋で寝る前に泣く子供だった。


大人になって、大学を出て、看護師になった。初めて実家を出て一人暮らしをはじめた。実家からの距離は約電車で2時間、それ程遠い距離ではない。寂しいかもしれないと思ったけれど、同期や友達に恵まれて楽しく過ごした。初めての仕事と一人暮らしで自分は全くしっかりして無いし、大人っぽくもないと知った。


初めのうちは休みの度に実家に帰って母のご飯を食べた。しかし、だんだん母と同じ味の料理を自分でも作れると分かった。何かあるとすぐに母に電話して少し鬱陶しいがられた。しかし、本当は嬉しいんでしょと思った。


昔から犬が大好きで、一人暮らしで犬を飼い始めた。まっ白でふわふわなトイプードル。とても頭が良くて、可愛い、自慢の愛犬。


周囲からはこれで結婚が遠のいたと言われたが、結婚願望よりも犬と暮らしたい願望の方が強い私には、全く効果のない言葉だった。その通り結婚からは遠のいたが、愛犬だけが理由では無いと分かっている。


両親も孫の代わりにとても可愛い愛犬を連れて帰ると、とても喜んだ。私が帰るよりも嬉しそうだった。とても甘やかしてくれて、帰る度に愛犬の玩具と、おやつが増えた。


弟達も成人、就職し実家を出た。弟は2人とも飛行機ではないと帰れない距離に就職した。実家には父と母2人になった。更に働かなくなった父と、子供が全員自立したのに昼も夜も働く母。


この頃やっと母の大変さにちゃんと気づく事が出来た。金銭面で実家にお金を入れる事は出来なかったが、母の欲しがっているスチーマーをプレゼントした。母と出かける時は全部お金を出そうと決めた。母を旅行に招待した。昔からのイベント、母の誕生日や、クリスマス、年末年始はなるべく実家に帰るようにした。何年経ってもこまめに連絡もした。帰省した時には、「ママ大好きだよ」と伝えた。


ある時自分は病気だと知った。将来子供を望むことが難しいと分かった。治療が始まって体調を崩す日が多くなった。辛かったが、母には言えなかった。悲しむし心配させると思ったから。


働き始めて10年目の冬、その年は仕事が忙しくて年末年始も働いた。年始の夜勤は本当に最悪で、自分の不甲斐なさに落ち込んだ。このまま、この場所で看護師をしていていいのかとも思った。しかし、私にはこれしか出来ないのだと何とか立ち直った。それでも年越しも新年も、ひとりと1匹が寂しくて、実家に帰る事にした。


久しぶりに家族5人が揃った。私はすぐに仕事で実家にいられるのはたった2日。夕方に実家に着いたから、実質1日と少し。久しぶりに家族で鍋を食べた。年越し蕎麦もおせち料理も食べられなかったが、その日の鍋は本当に美味しかった。


2日目、この日は夕食を食べてから今住んでいる場所に帰る予定にした。家族はお昼まで家でゆっくり過ごした。この日は、何も作りたくないと母が言うため、デリバリーを家族にご馳走様した。皆美味しいと言ってくれて嬉しかった。


その時に少し調子に乗ってしまった。私は言ってはいけない言葉を言った。「この後たまには皆で出かけよう!」何気ない提案だった。母には前日に出かけようと伝えていた。


しかし、私以外否定的な回答だった。私は遊びに行きたかったというよりも、年にたった数回しか集まらない家族。それなのに家の中でも特に話もせずそれぞれの部屋で過ごして、食事も一緒に食べたり、食べなかったり。だから、その数日の少しの時間を子供の時のように家族で過ごしたいという、私の勝手な提案だった。


母と1番目の弟から次々に否定的な言葉が帰ってくる。「今から?」「めんどくさい」「着いたら夕方」「なんでもっと計画的に動けないの?」「自分勝手」「そんなに行きたいなら1人で行けば?」



「家がつまらないなら帰って来なければいいじゃない」


最後の母の一言がトドメだった。何も言えなくなった。目の前がチカチカして、涙が溢れる事が分かった。家族の前では泣けない。子供の頃からそうだった、大人になった今でも、その呪縛が私を縛り付けた。


急いで「もういいよー」と言って、コタツで寝たふりをした。ねむれる訳ないのに。涙が溢れるのをコタツの布団と着ていた服で必死に隠した。家族がいる部屋で寝たフリを始めた事に後悔したが、2階の自分の部屋やトイレに駆け込むなどの時間は無かった。一瞬で涙を見せない方法を考えて、それが最前の方法だった。


寝たフリの最中も次々と母と1番目の弟からの私に対する悪口が聞こえてくる。涙は止まらないが、長年の寝たフリをしながら泣くという技は大人になってからも完璧で全員を騙せた。愛犬だけが私の涙に気がついて、ずっと寄り添い、母と弟がふざけながら私をとって起こすために足で続いたり、叩いたりする度に唸って守ってくれた。本当に天才で可愛い、私の愛犬。


2時間程耐えて泣き顔も何とか寝起きの顔に見えるようになった頃、私は初めての嘘を付いた。


友達が夜ご飯を一緒に食べようと言ってるから、もう帰るね!


とても自分勝手な娘に思えただろう。勝手に年始早々、遊びに行きたいと駄々をこね、否定されたららふて寝、仕方ないから近所ならお前の我儘に付き合ってやると言う母と弟を無視し、友達との約束を、優先させる。最低な娘だ。けれども、これ以上この家にはいられなかった。夕方を一緒に食べるなんて事は出来なかった。


手早く荷造りをし、車に乗り込んだ。自宅の庭を出た瞬間、我慢した涙が溢れた。帰路の1時間泣き続けた。自宅に帰ってからも涙が止まら無かった。実際の私は泣き虫なのだ。全くしっかりもして無いし、大人でもない。小さな事ですぐに傷つく。悩む。泣くなんてしょっちゅうだった。しかし、この日の涙は一晩中、朝になっても止まら無かった。


その日の夜本当は家族で行きたかった初詣に愛犬と2人で行った。真っ暗な神社、少し怖くて、とても安心出来た。私は最低なお願いをした。


私は今日ひとりになりました。

でも私は弱いので、私に家族をください。愛犬と私を大切にしてくれる家族をください。私のその家族を何より大事にします。その家族の家族も大事にします。だから私に家族をください。


これまで大切にされて来たのに、一瞬で全部が嘘だと感じた。その日以降母に連絡出来なくなった。今月帰る?と聞いてくる母の連絡も忙しいから難しいと返すようになった。気づけば夏が来て、再び家族が集まる時期が来た。1番目の弟は仕事で帰れず。2番目の弟は5日間の帰省。私はずっと仕事だと嘘を着いた。


それでも何かあったの?など母からの心配の連絡はなく、私の存在の小ささを実感した。夏も秋も冬も過ぎる頃、母から最近連絡ないけど、元気なの?と連絡が来た。やっとかと思った。しかし、その頃は元気では無かった。とても帰れる状態では無かった。


病気が進行して、冬は越せないかもしれない。治療は止めた。ただ痛みをとってもらう緩和ケアを選択した。若い分進行が早かった。


愛犬とも暮らせなくなった。信頼出来る知人に預けるという形で、一緒に暮らして貰う事になった。別れの時は、本当に胸が張り裂ける思いだった。胸が張り裂けるとはこの事なのだと身をもって実感した。


唯一の家族。全部を見せられた初めて家族。感情の全てを愛犬だけに見せることが出来た。


幸せになってね、幸せにしてもらってね、ごめんね、ありがとう、最後まで家族でいてくれる?そう思っていい?


そう伝えながら、子供のように大泣きした。そんな迷惑な私を知人は一生懸命抱きしめてくれた。


俺と家族になろうと言ってくれた。恋人だった。あの神社に願ってすぐに彼と出会った。本当に優しい人だった。実は子供の頃から家族が苦手だったと初めて話した。家族の悪口を言えた初めての相手だった。


働かない父親、父の悪口を言う母、人を見下した噂話好きの母、空気の読めない両親、心無い言葉で人の心を傷つけてくる弟。唯一2番目の弟だけは今でも私も慕ってくれて可愛いと。


家族が苦手なんて、変でしょ?性格悪いでしょ?と尋ねると、そんな事ないよと抱きしてめくれた。とても暖かい彼だった。


病気の進行が分かった時も支えると言ってくれた。しかし、それは出来なかった。彼は私よりも6個も若かった。きちんとした会社に就職してこれからという時期に30歳を過ぎた、余命わずかなおばさんが結婚相手なんて相手のご両親が気の毒すぎる。


頼ってはいけないと分かってはいたが、愛犬を任せられるのは彼しかいなかった。神社の神様に感謝した。


病院のベットの上から母に返事をした。体調を崩したので、今年は帰れそうにないと。


彼から愛犬の動画や写真が送られてくる。初めて会った日から変わらない、まっ白でふわふわで、可愛い子。大好きな子。そして、そこから聞こえる大好きな人の声。


私は職場を退職後ホスピスに入った。死んだ後の事まできちんとしてくれる場所だ。これまでの看護師経験と貯金が役にたった。私の病気は家族には知らせないで欲しい。死んだあとはその事実だけを伝えてくれれば良いと。骨は無縁仏として、処理して欲しい。


眠くなる。痛みもない。これまでの事を思い出す。ママ大好きだよ。大好きだったよ。ごめんね。いい子じゃなくてごめんね。結婚出来なくてごめんね。孫の顔見せられなくてごめんね。いっぱい好きだと言ってごめんね。産まれてきてごめんね。


私はひとりになった。世界にたったひとり。

悲しくて、嬉しかった。

光が消えていくのが分かった。最後に見えたのはふわふわの真っ白なしっぽが、新しい家族にじゃれている姿。幸せになってね。私は今とても幸せです。

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