おまけ サンクン会戦始末記
アイリン王国軍大本営。
そこは、アイリン軍全軍を統括する心臓部である。
勤務するものの数は三〇〇〇名ほどで、ほとんどが事務仕事に従事している。
赤の軍のように王都の治安維持のために駆け回ったりもしない。
青の軍のように華々しい活躍もない。
大本営勤務というのは栄達には違いないのだが、官僚機構の頂点とは、けっこう退屈なものだ。
「そう思っているのは閣下だけですっ!」
大本営の一角でフィランダー・フォン・グリューン准将が怒っている。
秀麗な顔に青筋が浮かんでいた。
「血圧が上がるぞ?
フィランダー」
つまらなそうに心配する振りをしているのは、彼の上司である。
「だれが上げているんですかっ!」
「たとえばカールレオンとか?」
「あの馬鹿のことでもたしかに上がっておりますがっ!」
「だろ?」
「ですがっ!
いまの話とは次元も事象もびっくりするほど違いますっ!!」
「なにを興奮しているんだ?」
「あなたという方は……」
がっくりと項垂れる青年騎士。
サンクン会戦はアイリン軍の勝利に終わった。
これ自体はけっこうなことであるし、彼自身が苦労した甲斐があったというものだ。
王妃優蘭は今回の軽挙に懲りて大人しくなったし、ミズルア王国への援助も当初予定より多く実施されることになった。
ドイルのアラート王子以外は、万々歳の結果というわけである。
そのアラートを討ち取ったものが誰かを隠蔽するなど、些細なことだ。
「生き残ったものは誰も傷つかない。
めでたしめでたしではないか」
女将軍がにやりと笑った。
不毛な会話を打ち切ったフィランダーは、士官クラブ(ガンルーム)でコーヒーをすすっていた。
芳醇な香気が青年騎士の鼻腔をくすぐる。
「暇そうだねフィランダー。
ついに副官をクビになったのかい?」
無遠慮な声がかかる。
軍学校で同期だったイアン・ウェザビィ主計少佐だ。
フィランダーに比較すれば階級は低いが、二八で少佐というのはべつに遅い出世ではない。
木蘭やフィランダーが異常なのである。
「クビになどなっていないっ」
「じゃあ煙に巻かれたんだ。
お気の毒」
「ぐぅ……」
簡単に言い当てられ、言葉に詰まる。
これはイアンの為人が深いというより、フィランダーがわかりやすいのだろう。
「何人か、ミズルアにくっついていったみたいだね」
対面に座り、ウェイターにコーヒーを頼む。
勤務中なので、さすがに酒精はまずいのだ。
「かくしてアイリンは東方に忠実なる友を得る。
隆盛は揺るぎないねぇ」
歌うようなイアンの言葉。
木蘭やミルヴィアネスがどこまで計算していたのかはわからない。
わからないが、結果としてあの二人は三つの国を手玉に取ったわけだ。
敵でなくて良かった、と心から思う。
ミズルアの要請を奇貨として猛虎を誘き出し倒してしまうなど、イアンもフィランダーも絶対に思いつかない。
仮に思いついたとしても、リスクを考えれば実行できるわけがない。
それをやり遂げてしまうところに恐ろしさがある。
「アラートが死んで西方国境は当面は安全だろうね。
ファイルート王は穏健だし」
「そうだといいのだが……」
心配性のフィランダーが言いよどむ。
「となれば、後の心配は」
「なんだ?」
「君たちの結婚さ」
「なっ!?」
「あと、ベイビーも」
「ぐはっ!?」
予期せぬ二段攻撃に、フィランダーの視界がぐらりとよろめいた。
彼が木蘭の婚約者であることは周知の事実である。
なんと国王マーツとの競争に勝って常勝将軍の心を射止めたのだ。
アイリン中の男から羨ましがられる身なのだが、どういうわけか嫉妬の視線というより、恐ろしいモノでも見るようにみられている。
「閣下は、そなたの頑張り次第だといって……」
ぽつりぽつり。
にやりと笑うイアン。
「ガンルームにいるみなさーんっ!
フィランダー准将は昨夜、木蘭大将とえっちしたそーでーすっ!」
大声で吹聴したり。
笑いに包まれる士官クラブ。
「ぶっ殺すっ!」
血相を変えたフィランダーが親友に殴りかかった。
昼休みのひととき。
柱時計が困ったような顔で時を刻んでいた。