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第三回リプレイ スノーダンス

 厚い天を切り裂いて、陽光が大地へと落ちる。

 だが天候が回復したわけではなく、相変わらず地上は薄明の中にあった。

 地軸を揺るがすように轟く馬蹄の音。

 どろどろと不吉に。

 ドイル王国軍。

 中央大陸の軍事史にはあまり登場することはないが、このときドイル軍はルアフィル・デ・アイリン領土深くに侵攻している。

 その数およそ一五万。

 率いるのは王太子アラート。

 英雄王ファイルートの長男で、猛虎朗君の異名をもつ猛将だ。

 彼の野心の苗床となっているのが、まさにこの一五万の精兵である。

 昨年の対アイリン大同盟においてアラートに活躍の余地はなかった。

 これはアイリンのミルヴィアネス男爵と花木蘭将軍の策謀であり、結局ドイルは出番のこないまま終戦の日を迎える。

 アイリンにとっても、戦渦に巻き込まれなかったドイルにとっても、これは幸いなことである。

 あるのだが、物事には別の側面もある。

 つまり戦いに参加しなかったことによってアラートの手元には一五万の精鋭が無傷で残ってしまった。

 自信と野心とを両手いっぱいに抱え込んだ猛虎が、このまま黙っているわけがない。

 不穏な空気がドイル国境に流れていたのだ。

 一度は戦った方が良いかもしれない。

 ミルヴィアネスがそう思い始めたのは、遠い過去ではなかった。

 もちろん彼は辺境軍を預かる一司令官に過ぎず、勝手に対外戦争などを企てられるはずもない。

 当然、敬愛する上官と幾度も協議をおこなっている。

 攻めさせて撃退する。

 それが基本方針だった。

 戦争というものは、先に手を出した方が悪役にされると相場が決まっているし、より勝算を高めるためにはホームグラウンドに引きずり込んだ方が効率が良い。

 しかし、順調に進められていたこの計画は、途中で大きな変更を余儀なくされる。

 ミズルア王国からの使節団が到着したことで。

 使節団がアイリーンを訪れたとき、木蘭は王都を離れアザリア地方で休暇を楽しんでいた。

 だからこそ王妃優蘭は自由な裁量を振るえたのだが、これが結局のところ計画に打撃を与えることになった。

 木蘭やミルヴィアネスがドイル進行の時期として設定していたのは三月の半ばである。

 いくつかの理由があるが、農業国であるドイルが忙しくなる時期というのが、最も有力なものだ。

 つまり心理的に焦らせることによって、侵攻自体を雑なものにさせるのである。

 十重二十重にドイルが敗北するための布石をしいていたのだ。

 だが、王妃優蘭の采配により、アスカ要塞の物資を供出しなくてはならなくなってしまった。

 しかも勅命であるため逆らうことはできない。

 頼みの木蘭も王都には戻っていない。

 予定していた迎撃計画は大幅に遅れることになるだろう。

 もし収穫期などに攻め入られたら、撃退したとしても国土に大きな損害を与えてしまう。

 ならばとミルヴィアネスが思い悩んだ末に打ち出したのが、ドイルの侵攻をむしろ早めさせるというプランだった。

 準備不足のまま開戦させるのだ。

 むろんアイリンの準備も足りないが、ドイル一方だけが準備を整えた状態で戦端を開くよりはよほど良い。

 いずれにしても主導権を握り続けることが肝要である。

 だから、青の軍専用の物資集積所の情報以外に、アスカが物資を放出せねばならないという情報も、自然な形でドイルに流れるように工作した。

 アザリアにいる木蘭に連絡を取ることも忘れなかった。

 こうして輸送隊を狙わせ、そこを王都アイリーンとアスカ要塞から押し出した兵力で挟撃して、ドイル軍を包囲殲滅するという戦略の大方針が固まったのである。

 ミズルア使節団にはあずかり知らぬところで。

 この策を知っている者は、ミルヴィアネスと木蘭。

 そして、


「策士は策におぼれる。

 アイリンの小策士どもに目に物をみせてくれるわ」


 鞍上で笑うアラート王太子だ。

 アイリンが罠を張り巡らせることなど、最初から彼は知っていた。

 承知の上で飛び込んでいるのだ。


「挟撃体勢が完成してしまえば、我が軍は一五万。

 アイリンは二〇万近くにはなろう。

 数において劣り体勢において劣り地の利において劣る。

 たしかにこれでは勝機はない。

 だが、あくまでも挟撃できればの話だ」


 自信に満ちた顔。

 彼の目には、アイリンの失敗がありありと見えていた。

 アイリンがドイル軍を挟撃するためには、挟撃できるだけのフィールドが必要になる。

 となればアスカ周辺は決戦場に適さない。

 内部までドイル軍を進めさせなくてはならない。

 そして内陸部で戦うには、アスカから大兵力で打って出る必要がある。


「つまり、アスカはがら空きになるということだ」


 ただ、当然ミルヴィアネスのくせ者は守備兵を残してゆくだろうから、空城を簡単に奪うことは難しい。

 だからこそアラートは軍を分けず、一団となって行動している。

 これは敵地において兵力を分散させてはいけない、という兵学の基本に沿ってもいた。

 まずは野戦でミルヴィアネスの軍を破り、そのあと余裕を持ってアスカ要塞の攻略占拠をおこなう。

 アイリン軍が多数とはいえ、まだ合流したわけではないし、アスカに駐留する五、六万ていどの兵力が野戦するということであれば、ざっと三対一でドイル軍が優勢である。

 しかもこれだけの兵力差がある場合、自軍の損害を考慮に入れる必要はほとんどない。


「我らの侵攻に応じて王都アイリーンから援軍が出てくるだろうが、彼らを待っているのはアスカの砲列だ」


 さっと指揮棒が踊る。

 完璧なまでのコンビネーションで侵攻する騎兵たち。

 国境が改めて閉鎖されたという報告はすでに受けている。

 おそらくは後詰めを通さぬためだろう。

 そしてそのこと自体が、アイリンの戦略構想を知らしめている。


「そんな兵力があるなら正面から我らと戦えばよかったのだ」


 国境を固めるのが七万。

 アスカから出撃したのが五万。

 合すれば一二万にはなる。

 それだけいれば一五万のドイル軍とも互角に近いだけの戦いができたはずだ。

 策にとらわれすぎて、ミルヴィアネスは兵の運用を誤った。

 力は集中してこその力なのだ。


「輸送隊を追いつめろ。

 やりすぎぬようにな。

 我らが平行追撃を目論んでいると思ってもらわなくてはならん」


 酷薄な笑み。

 一五万ドイル軍のうち、すでに一〇万ほどは反転攻勢の準備を終えている。


「仕上げといこうか」


 猛虎の言葉に感応するように、乗騎がいなないた。




「……きたぞっ!」


 フェイオ・アルグレストが剣を握る。

 後方から凄まじいまでの雪煙が迫ってくる。

 とても目算はできない。


「したって仕方がないけどね」


 苦笑するレフィア・アーニス。

 敵が圧倒的大多数なことなど、最初からわかっている。

 こちらの方針としては一目散に王都を目指すしかないのだ。


「ただ逃げてもすぐに追いつかれてしまいますわ」


 弓を振って味方に指示を送るのはラティナ・ケヴィラルである。

 レフィアとともに五〇名ずつの兵士を預かっている。

 その兵達がゆっくりと方円陣を形作ってゆく。

 最も防御に向いた陣形だが、たった一〇〇名ではたいした効果は期待できない。

 そもそもこの囮部隊には二〇〇〇名しか兵力がないのだ。

 そのうち一〇〇〇名をミズルア使節団のティゼル子爵が指揮し、残った一〇〇〇をフェイオとアーセット・ローベイルが率いることになっている。

 ラティナとレフィアがそれぞれ率いる五〇名はフェイオたちの組だ。

 リィ・シュトラスやライゾウ・ナルカミなどは兵士の一人として戦うことになるだろうし、シン・フィアドルやルゥ・シェルニーなどといった魔法の心得のある者は、それぞれの才覚で攻撃なりバックアップなりをすることになるだろう。

 ただ、前述のようにたった二〇〇〇名ではどうすることもできない。

 あくまで逃げることが前提だ。

 四〇両の軍用馬車は、すぐにでも荷車を切り離せる状態にしてある。

 行動速度をあげるために。

 本来の目的である小麦の輸送は別口でおこなわれているので、空の荷車を捨てたところで、彼らはまったく痛くもかゆくもない。

 それに、


「マーニが上手くやっていてくれれば」


 フェイオの呟き。

 使節団唯一のプリーストであるマーニ・ファグルリミは先ほど通過したマルゴー市に赴き、現地の司祭にドイル軍の足止めを依頼しているはずだ。

 マルゴー市に駐留するシティーコマンド(守備兵)五〇〇〇程度が戦場に出てきたところでたいして意味がない。

 かえって邪魔になる。

 だから、高位の司祭が使えるウェザーリポートの魔法によって局地的に天候を変え、追撃をしづらくするのだ。

 目くらまし以上の効果は期待できないが、この際はなにもしないよりはましである。

 やがて、雲が厚くなり、部隊の後方に雹が降り始める。

 それを合図に速度を上げる囮部隊。


「はじまったわね」


 リフィーナ・コレインストンが呟く。

 馬車の中。

 右手には魔銃を持ち、左手で弟のような年齢の少年を抱いている。

 この少年こそが、ミズルア王国の第二王子ウィトリアだ。


「逃げるしか……ないんですよね……」

「戦っても皆殺しにされるだけよ」

「わかってはいるのですが……」


 悔しそうに呟く。

 何度も説明されているし、頭では理解もしている。

 それでも無念さを感じるのは、あるいは幼さゆえか。


「アンタが生きてないと報酬のもらいようがないからな」


 リィが横から口を挟む。

 やや偽悪的な口調だった。


「ええ……」

「いままで黙ってたけどな。

 俺はミズルアの生まれなんだ。

 あっちにゃ親兄弟がいる」

「そうなんですか……」

「飢え死にされるのは困るんだ」


 真剣な目。

 酒を飲んでは馬鹿騒ぎをしている普段の姿からは想像もつかないほどの。

 おもわず息を呑む王子。


「だからよ。

 アンタは生きて帰って、アイリンとも仲良くして、良い国を作ってくれよ。

 俺たちがここでした苦労が無駄にならないくらいのさ」


 言ってから頭をぼりぼりと掻き回す隻腕の傭兵。

 自分の言ったことに照れているのだ。

 まったく、慣れないことをするものではない。

 ちらりとリフィーナがリィを見た。

 ばつが悪そうに、傭兵が馬車から飛び降りようとする。


「他の連中の様子をみてくらぁ」

「リィどのっ!」


 王子が呼び止めた。

 傭兵の動作だけが止まる。


「必ず、素晴らしい国にしますから!」


 しますから、なんだろう。

 必ず生きて帰ろう、だろうか。

 あるいは他に何か言いたかったのか。

 ウィトリアにも不分明だった。


「生き残れよ。

 王子さま」


 振り向かずに言った、リィが馬車から飛び降りる。

 リフィーナは王子を抱く手に力を込めた。


 彼女自身にもわからない理由で。




 誰もが予想したことではあるが、ウェザーリポートによる雹はさしたる効果を上げなかった。

 ドイル軍の侵攻速度はほとんど落ちることなく、輸送部隊を追撃している。


「ま、これは仕方ないだろうな」


 マルゴーから離脱する馬影。

 鞍の後輪で、覗き屋と名乗る男が言った。


「でも、これでマルゴーへの攻撃は防げます」


 前輪で馬の首にしがみついたマーニが小さく笑う。

 さしあたり、マルゴーに乱入されて暴虐の限りを尽くされるという悪夢は回避された。

 いまはそれで満足するしかない。

 あるいは輸送隊がマルゴー市に逃げ込んだという偽情報をまけば、部隊そのものは損害を受けなかっただろう。

 むろん、そのかわりにマルゴー市民たちは戦渦に巻き込まれる。

 何十万という人の命が危険に晒されるのだ。

 マーニにはそれを選択することができなかった。

 たとえそうすれば助かるとわかっていても、選ぶことはできなかった。

 甘いと言われようとも。


「アンタの考えは間違ってないぜ」


 覗き屋が声を掛ける。


「あら。

 ありがとうございます」

「もしアンタらが、マルゴー市を囮にして自分たちは助かろうって考えてたなら、オレはその情報をドイル軍にリークしただろうよ」

「…………」

「悪辣だと思うかい?」

「……いいえ。

 それが軍人というものなのでしょうから」


 返答の前に沈黙を挿入するマーニ。

 マルゴー市の守備兵は五〇〇〇しかいない。

 ドイル軍に襲われたら守りきれるはずもなく、市民に多数の犠牲を出してしまうだろう。

 だが囮部隊はミズルア使節団と冒険者たちを除いて全員が軍人だ。

 戦う覚悟も死ぬ覚悟もできているし、それ以上に、軍人とは民を護るために存在しているのだ。

 民に犠牲を強いない方法を取らなくてはならない。

 自分が死ぬことになったとしても。


「厳しいですわね。

 黒の軍は」


 振り返る。


「気づいていたのかい」


 苦笑を浮かべる男の顔があった。

 アイリン王国正規軍。

 なかでも情報工作や特殊工作を担当する黒の軍。

 この奇妙な男がその一員ではないかと思い始めたのは、そう遠い過去ではない。


「イニゴ・モントイヤってのが本名だ」

「戦いが終わって、生き残っていたら改めてご挨拶いたしますわ」

「その方がよさそうだっ」


 後方からはどんどん軍気が近づいてくる。

 のんびりと和んでいる時間はない。

 拍車をくれ、ふたりは先を急いだ。




 マーニたちが合流してから一時間ほど。

 ついに囮部隊にドイル軍が追いついた。

 数千の矢が大気を切り裂き、馬車の幌に突き刺さる。

 だが、それで倒れるものはいない。


「そのためにこそ、わたしがいるのですから」


 杖を構えたシンが微笑する。

 魔法によって防壁を張り巡らせているのだ。

 もちろん長時間など保たないが、最初の攻撃だけでも防げれば、ずいぶんと楽になるはずである。

 どのみち逃げることしかできないが、後ろから撃ちまくられるだけというのも面白くないのだ。


「どんどんいくですよー」


 ルゥの詠唱に従い、数匹のサラマンダーが出現する。


「やっちゃってくださいー」


 数人のドイル兵が炎の舌に絡め取られた。

 ラティナとレフィアの部隊から、ぱらぱらと矢が撃ち上げられる。

 微々たる戦果だ。

 先ほどのドイル軍の攻撃に比較すれば。

 相対距離はどんどん狭まってゆく。

 すぐに弓は役立たずの武器になるだろう。


「馬車を捨てろっ!」


 フェイオが吼えた。

 次々に馬車が馬から切り離される。

 荷車自体には攻撃力などないが、街道を塞いでくれれば時間稼ぎにはなる。

 たたらを踏むドイル軍。


「よしっ」


 アーセットが小さくガッツポーズを作った。

 この隙に少しでも距離を稼がなくてはならない。


「殿下っ!

 おはやく!」


 馬車から切り離された八〇頭の馬にはなるべく安全な場所にいてもらいたい人を乗せ、アイリーンの方向に賭けてもらうのだ。

 リフィーナとともに乗馬したウィトリアに、レイベナントが声を掛ける。

 一刻一秒も惜しい。

 剣の腹で馬の尻を叩く。

 いなないて駆け出す馬。

 護衛たちが続く。

 後方ではドイル軍がふたたび追撃態勢を取っている。


「結局、一〇分も保たなかったっすねぃ」


 ベガがショートソードを鞘走らせた。

 相手は騎兵。

 あっという間に追いつかれてしまうだろう。

 逃げながら白兵戦を演じるしかない。


「もう一発いくですよー!」


 ふたたびルゥの魔法が飛ぶ。

 今度はドイル兵を目標にしたのではなく、空の荷車を狙ったのだ。

 幌に引火し猛烈な勢いで炎上する。

 これで、また時間が稼げるはずであった。

 はずなのに。


「馬鹿なっ!?」


 驚愕するフェイオ。

 なんとドイル軍は炎上する馬車にかまわず、むしろより以上の戦意をもって追撃を再開したのである。

 両翼を広げ、囮部隊を押し包み、鏖殺しようとでもするかのように。


「く……っ!?

 なんで……」


 シンの張り巡らせた防御フィールドがずだずたにされてゆく。

 先ほどまでの攻撃とは明らかに違う。


「なんだこいつらっ!

 突然むきになったような攻撃してきやがってっ!!」


 追いすがるドイル兵の馬の足を斬りつけたリィが喚く。

 喚きたくなるのも当然だ。


「どういうことなんですのっ!」

「あたしにいわれても知らないよっ!」


 退却戦に全力を挙げながら、ラティナとレフィアが怒鳴り合う。

 方円陣のあちこちに綻びが生じていた。

 もともとの予測では、ドイル軍は本気の攻撃をしてこないはずだった。

 輸送部隊を全滅させてしまっては平行追撃という構想そのものが成立しなくなるからである。

 彼らが生きてアスカ要塞に逃げ戻らなくては、追撃する相手がいなくなってしまう。

 そもそもここで輸送隊を撃滅したところでドイル軍に益はないのである。


「くぅっ!」


 顔の横数センチメートルを通過した槍を薙ぎ払い、大きく跳んだライゾウがドイル兵を馬上から斬り落とす。

 空馬が逃げてゆく。


「そうか……そういうことか……」


 剣の柄まで人血に染め、フェイオが呻いた。

 気がついたのだ。

 自分たちが犯した失敗に。

 馬車を切り離した行為、火を付けた行為。それが失敗の方程式である。

 輸送隊なら大切な物資を死守するのが当然で、それを捨てて逃げること自体がおかしい。

 それによってドイル軍は気づいてしまったのだ。

 彼らが輸送隊でも何でもなく、ただの囮部隊であることに。

 囮がアスカに逃げ戻るわけがない。

 足止めか、誘導か、いずれにしてもドイル軍の動きを攪乱するために存在していることは間違いないのだ。

 騙されたという怒りと、後顧の憂いを断つという戦術目的のため、ドイル軍はこのこざかしい囮どもを皆殺しにするだろう。


「こうなっては仕方ありません。

 ミズルア兵の心意気を見せるのみです」


 唇を噛んだレイベナント。

 右手に持った剣を紐で固定する。

 こうすればたとえ握力を失っても剣を落としてしまうことだけはない。

 死戦の誓いだ。

 囮部隊はいま、完全にドイル軍の包囲下にある。

 斬り破らなくては勝機はないが、仮に突破しても再包囲されるだけだ。

 機動力が違いすぎるから。


「殿下にはやく脱出していただいてよかった。

 アーセット殿、リフィーナ殿、殿下をよろしくお願いいたします」


 この場にいない仲間に語りかける。


「うおぉぉぉぉっ!!!」


 勇猛な、だが意味のない雄叫びとともにドイルの陣列に躍り込む。

 斬り、突き、薙ぎ払い。

 鬼神のごとく。

 返り血がレイベナントと雪原を深紅に染め上げる。

 むろん無傷であるわけがない。

 剣を持たぬ左腕は肩を割られ、もはや動かない。

 背中からも太股からも小さな滝のように血が流れ続けている。

 それでも、


「絶対に後ろにだけは倒れぬっ!」


 不退転の決意で戦い続ける。

 信じられない勇戦に怯んだかのように見えたドイル軍だったが、ふたたび槍先を揃えて包囲にかかった。

 兵力差が響いている。


「だめか……」


 レイベナントの瞳に絶望の色が宿った。

 伸びてくる槍。


「まだ諦めるのにははやいんじゃないですかい?」


 だが、死は彼の頭上には落ちてこなかった。

 信じられない軽捷さで鞍上に現れたベガ。

 ショートソードでドイル兵の喉を掻き斬る。


「命を大事に、ですよぃ」


 微笑。

 ここでいう命とは、むろん自分の命であり仲間の命だ。

 残念ながらドイル兵の命は含まれない。

 無抵抗で殺されてやるわけにもいかないのである。


「どう?

 そっちは?」


 レイベナントとベガが死線としているのとは違う場所。

 だが同じように死闘を演じながら、レフィアが訊ねた。


「……良くありませんわ」


 ラティナの返答は控えめに過ぎただろう。

 戦闘開始時、五〇名ずついた彼女らの部隊。

 現在は双方を合しても五〇に届かない。

 じつに半数以上を失っているのだ。

 もともとラティナは一割程度の損失を出した時点で退却するつもりでいた。

 レフィアも同じだ。

 だが、完全に包囲されている状態では退却する場所などないし、そのための経路すら確保できない。

 このまま無様に打ち減らされるだけなのか。

 絶望の黒い染みが心を蚕食してゆく。

 進むことも戻ることもできずに。


「密集体型をとって防御を固めるんだっ!!」


 フェイオの声が虚しく響く。

 敵兵から奪った馬にまたがり、自らの血と返り血で全身を染めながら。


「フェイオさまっ!

 治療を」


 マーニが叫ぶ。

 囮部隊の本陣と前線の距離は、いまや限りなくゼロに近い。

 したがってマーニにの目にはフェイオ状態がはっきりと見えた。

 関節を砕かれた腕。

 出血し続ける腹部の傷。

 放っておけば死に至るだろう。

 なおも戦い続けようとする騎士に駈け寄り、半ば強引に回復魔法を使う。


「私の術では完全回復は無理です……」

「痛みが引けば十分だ。

 ありがとう」


 凄絶な笑みを、フェイオが見せた。


「ホールドっ!」


 ルゥの魔法が馬の足にからみつき、数騎のドイル兵を転倒させる。

 落馬した兵士に群がって味方がとどめを刺す。

 正々堂々とした戦い方ではないが、そんなことにこだわっていられない。

 怒りに燃えたドイル兵の攻撃が精霊使いの少女に集中する。


「きゃ……」

「ぐ……」


 ルウの悲鳴とシンの呻きは同時だった。

 魔法使いの手に生えた槍。

 自分の掌を盾として使い、少女を救ったのだ。

 ぽたりぽたりと、ルゥの頬に赤い雫が落ちる。


「……大丈夫でしたか……?」

「シンさんっ!?」


 悲鳴が、戦場に木霊する。


「こいつは……だめかもしんねぇな。

 覚悟は完了したかい?」

「儂はまだ未練があるのぅ」


 互いの背中を護りながら戦うリィとライゾウ。

 救いのない戦局。

 次々と倒されてゆく味方。

 むろん二人とも満身創痍だ。

 もったいぶった死神のように包囲の鉄輪を狭めてくるドイル軍。


「こんなところで終わるのかよ……」


 胸中に呟く隻腕の剣士。

 視界の端を、何かがよぎった。




「敵しゅ……っ!?」


 急を告げようとしたドイル兵の首が、口を開いたまま宙に舞う。

 包囲陣の一角。

 囮部隊を殲滅しようとするドイル軍に、猛然と襲いかかる騎影。

 陽光を燦然と照り返す青い甲冑。

 先頭に立つのは兜をかぶらず、長い黒髪を風になびかせる女騎士。

 アイリン人なら、否、この大陸に暮らすものなら知らぬもののいない美貌。

 純白の駿馬が駆け抜けるところ、ドイル兵の死体が積み重なる。

 凄まじいまでの剣技と馬術。

 右手に掲げた剣が閃くごとに、ドイル兵が落馬してゆく。

 たんなる殺人技術が、どこまでも美しく見るものの目を奪う。

 彼女に続いて突進した五〇〇騎ほど。錐形陣でドイルの軍列に穴を穿つ。

 囮部隊にとって待ちに待った援軍。

 ドイル軍にとっては予期せぬ奇襲だ。


「チャンスですぞ」


 馬を寄せたティゼル子爵がフェイオに告げる。

 包囲の外側からの攻撃でドイル軍は乱れている。

 ここは、ありったけの兵力を叩きつけ、味方に呼応して脱出しなくてはいけない場面だ。


「紡錘陣形をとるんだっ!

 いそげっ!!」


 マーニの腕を掴んで、鞍の前輪に乗せながら叫ぶフェイオ。

 彼の部隊とティゼル子爵の部隊を合すれば、それでも七〇〇名ほどは生き残っているだろうか。

 正念場だ。

 別々に指揮を執ることを諦めたラティナとレフィアが、最後に残った兵力を使って前衛部隊をつくる。

 ルゥに肩を借りたシンが、なおも不屈の闘志で攻撃魔法を放つ。

 怪我と疲労のため意識を失ったレイベナントを、ベガが馬に乗せて駆けてくる。


「征くでござる」

「応ともよっ!」


 紡錘陣形の先頭に立ったライゾウとリィが、決死の斬り込みをみせる。

 荒れ狂う太刀と大剣。

 まきあがる血飛沫。

 ドイル軍に綻びが生まれる。


「突進っ!!」


 間髪を入れずに轟くフェイオの叫び。


「生き残りましたら!」

「お祝いだねっ!!」


 ありったけの力を叩きつける前衛部隊。

 もはや余力など考えている場合ではない。

 ここを斬り破らねば死ぬしかないのだ。

 錐を揉み込むように突撃してくる援軍。

 薄紙を突き通すように突破を測る囮部隊。

 前後から挟撃されることになったドイル軍の一角は、みるみるうちに撃ち減らされてゆく。


「脱出っ!」

「突入っ!」


 フェイオの声に重なるような女の声。

 互いの馬が馳せ違う瞬間、フェイオは美貌の女騎士と目が合った。


「常勝将軍……」


 知らず、感歎の吐息が漏れる。

 戦場の狂風にたなびく黒髪。

 返り血でまだらに染まった白馬。

 爛々と輝く黒い瞳。

 花木蘭。

 フェイオが尊敬と親愛の視線を送る。

 あるいは軍神に捧げるまなざしだったろうか。

 だが、それは一瞬の交錯。

 女将軍とそれに続く騎士たちは猛然とドイル軍に襲いかかり、食い破り、打ち倒してゆく。

 翻るスカイブルーの軍旗。

 沸きあがる喊声。

 後続の青の軍が次々と突撃を開始する。

 大陸最強の兵団だ。

 この局面における勝敗は、決した。




 アラートは、アイリンが全大陸に誇る青の軍の編成速度と進軍速度を見誤っていた。

 というよりも、すでにして青の軍がアスカ近くまで来ていようとは、誰にも読めなかっただろう。

 ドイル軍が国境を突破してから、まだ三日しか経過していない。

 それなのに青の軍は戦場に現れた。

 アスカから王都アイリーンまでは、ゆうに六〇〇キロメートルはあるのだ。

 凶報が飛んで、援軍を編成するのにはやくても五日。

 そこから移動を開始して一日に八〇キロを進んだとしても、援軍が駆けつけるまで一〇日から一二日はかかるはずだった。

 そのつもりでアラートは行動計画を立てていたのである。

 無能とはいえない。

 即日のうちに出撃し、しかも一日に一二〇キロメートルの移動が可能な軍が存在するなど、常識の範疇を越える。

 かつて木蘭と戦って破れたバール帝国のタティアナ・カイトスも同じ計算ミスを犯している。

 彼女だけではない。竜騎士たちも戦術的には木蘭に大きく遅れを取った。

 大陸最強の名を欲しいままにする青の軍。

 誰しもがその力を警戒しつつ敗北してしまう。

 ただ、今回は青の軍だけの功績ではない。

 囮部隊から離脱したアーセットやリフィーナたちが、馬の消耗すら考えに入れず王都方面へと駆け、わずか三〇分という短時間で青の軍との接触に成功したことがかなりのウェイトを占める。

 短距離を駆けるような全力疾走だった。

 青の軍の前衛を発見したとき、アーセットは疲労と喉の渇きで声も出なかったほどである。


「止まれ!

 その軍止まれっ!!」


 かすれた声でリフィーナが叫ぶ。

 だが、青の軍は止まらなかった。

 青騎士たちは速度を落とすことなく彼女らに接近し、


「なっ!?」


 驚く間もあればこそ、次々に馬上から人間を掬い上げる。

 あまりに見事すぎる動きに、抵抗する暇すらなかった。

 気付けばアーセットは木蘭の馬の鞍上にいた。

 むろん彼女は常勝将軍と初対面であるが、顔は幾度も肖像画などで見て知っている。


「将軍さま……!?」

「どうやら急いでいるようであったからな。

 軍を止めて話を訊くより、こちらの方が速いであろう?」


 笑いを含み、力感に富んだ声。

 慌ただしく情報が交換される。

 それによって木蘭は、より急ぐ必要を感じた。

 囮部隊が犯したミスに、百戦錬磨の女将軍は気がついたのである。

 おそらくは苛烈な攻撃に晒されているはずだ。

 ただ、輸送隊(と信じていたもの)を追ってきた全軍が戦う理由はないから、多くてもドイル軍は二万程度だろう。

 まずはこれを何とかして囮部隊を救う。

 その後はそのままアスカ方面に進み、ミルヴィアネスの軍勢と呼応してドイル軍を殲滅する。

 軽く心を定めると、次々と指示を飛ばす木蘭。

 高速の青の軍の中にあって、さらに速いものだけを選んで猛進し、まずは心理的な一撃を浴びせる。

 予想もしていない攻撃であろうから大人数は必要ない。

 五〇〇もいれば充分だろう。


「木蘭さまっ!」


 半ば呆然と見ていたアーセットが声をあげる。

「なんだ?」

「我々ミズルアの民にも、戦う場をお与えください!」


 この言葉には、むろん政治的な意味が含まれている。

 ミズルアとしては、我らも良く働いた、と主張できるだけの功績を立てなくてはならない。

 このまま手をつかねて事態が推移を見守ることはできないのだ。

 やや考える素振りを見せた木蘭だったが、


「よかろう。囮どもを助け出したら、そなたらを遊撃の位置に置く。

 武勲を立てるが良い」


 闊達に笑う。


「ありがたき幸せ」

 ウィトリア王子に代わり、丁寧に頭をさげるアーセットだった。




 青の軍と合流した囮部隊は、じつに六〇パーセントの損失を出していた。

 非常に厳しい言い方だが、よく六割の損害で済んだ、ということもできる。

 一〇倍の敵を相手に包囲され、一方的に叩きのめされたのである。

 全滅していてもおかしくなかった。

 そうならなかったのは、フェイオやティゼル子爵が無謀な攻勢など指示せず、ひたすら防御に徹したという側面がある。

 各種の魔法を使える者がいたというのも大きい。

 さらにはラティナやレフィアのような前線指揮官が献身的で堅実な戦いを続けたというものもある。

 これらの条件のうち一つでも欠けていれば、木蘭の俊足をもってしても間に合わなかったかもしれない。

 青の軍のクルセイダーたちが負傷者を治療してゆく。

 疲労はどうにもならないが、それでも囮部隊は活力を取り戻した。


「我らは先を急ぐ。

 そなたらはどうする?」


 木蘭が訊ねる。

 このとき冒険者として囮部隊に潜入していたフィランダー・フォン・グリューンとイアン・ウェザビィも、無事に青の軍と合流を果たしていた。

 囮部隊の役割は終わったといって良い。

 アーセットとウィトリアはそのまま従軍することを望んだが、政治的な意味合いをひとまずおけば、これ以上危険な橋を渡る必要はないだろう。


「戦わせて……ください……」


 剣を杖にして、レイベナントが起きあがった。


「まだ動いちゃダメです」


 心配するマーニに軽く微笑した後、木蘭に向き直る。


「我々ミズルアはダシに使われ、現在のところ使われっぱなしです。

 このままでは……終われません」


 はっきりと述べる。

 その肩に、フェイオが手を置いた。


「できるなら、小官も」


 瞳に決意がみなぎっている。

 次々に起きあがる仲間たち。


「ま、乗りかかった船だし」と、レフィア。

「報酬、弾んでくださいましね」と、ラティナ。

「このまま終わるというのも」と、ライゾウ。

「シャクだしな」と、リィ。


 為人に応じた言葉だったろう。

 ルゥとシンが黙って視線を交わした。

 まだ、自分たちにもやれることがあるはずだ。

 いままでは助かることを、無事に生き延びることだけを考えていた。


「ですが、猛虎を放っておけば、もっと多くの人が傷つき倒れる、ということですわね」


 マーニが言う。

 その通りだ。

 アラートの野望をここで挫かぬ限り、彼は何度でも侵攻してくるだろう。

 そうなれば無辜の民にも害が及ぶ。


「みなさん……」


 瞳を潤ませるウィトリア。

 フェイオが、


「べつにミズルアのために戦うわけでも、君のために戦うわけでもない。

 自分の住む国くらい自分の手で護りたい。それだけだ」


 仏頂面をする。

 ぽむぽむとレフィアが肩を叩いた。

 そんなに無理しなくても良いのに、と、表情が語っている。

 一様に笑みを浮かべる仲間たち。


「話がまとまったのなら進発するぞ。

 あまりのんびりもしていられぬからな」


 木蘭が馬に飛び乗る。

 この瞬間、囮部隊は遊撃隊となった。




 ドイル軍主力と対峙したミルヴィアネスの部隊はおよそ五万。

 数の上では二対一の劣勢にある。

 しかもドイル軍がほとんど騎兵で編成されているのに対して、ミルヴィアネス軍は通常編成であり、騎兵の含有率は三割に届かない。

 自然、作戦行動としては防御的になる。

 対するアラートは兵力差を活かして短期決戦を挑む。

 互いのスタンスは暗黙のうちに定まっていた。

 もともとミルヴィアネスの用兵は奇をてらわない。

 堅実で隙がなく冒険をしないのだ。

 だからこそ国境守備に向いているのだが、たとえば木蘭のような華麗さやダイナミズムとは無縁である。

 むろん彼は、野次馬やサーガを描く吟遊詩人のために事態を面白くするつもりはまったくないので、面白みのない用兵で充分だった。

 派手好みと無責任さとはだいたい比例関係にあるものだ。

 ドイル軍が攻め、ミルヴィアネス軍が守る。

 単純な図式だが、犠牲が出ないわけがない。

 戦闘開始から一昼夜を経過して、双方ともに一万ほどの戦死者を出している。

 ドイル軍にとっては一〇パーセントの損害であり、ミルヴィアネス軍にとっては二〇パーセントの損耗だ。

 死者の数は同じでも、ドイル軍の優勢はまったく動いていない。

 むしろ勝利に近づいているといって良いだろう。

 ドイル軍には輸送部隊のために割いた五万の兵力がある。

 これが合流すれば、兵力差はさらに広がり、ミルヴィアネス軍を血と泥濘のなかに叩き込むことは容易なのだ。

 ミルヴィアネスにはそれがわかる。

 わかるからこそ焦りもする。


「どちらの増援が先にやってくるか。

 他人事ならみものですね」


 巧みな防戦指揮でドイル軍に失血を強いながら、男爵が胸中に呟いた。

 このまま戦い続ければ、どれほど戦術の妙を誇ろうといずれは敗北する。

 それが兵力の差というものだ。

 また、ドイルの援軍の方が先に現れても、やはり敗北は必至である。

 彼らが勝利する方法は一つしか存在しない。

 王都からきた援軍が、合流しようとするドイル軍の撃滅し、さらにはいま戦っている本隊の後ろに喰らいつく。

 極少の可能性しかないのである。

 まともな神経の持ち主ならば、絶対にそんな賭博には出ない。

 だが、


「まことに不本意ですが、どうやら私もまともではない方の人間なようで」


 苦笑する。

 男爵の目に映る雪煙。

 はるか遠くに。

 青い旗が翻ったのが見えた。

 ミルヴィアネス軍は凸陣形。

 ドイル軍はそれを包むように凹陣形。

 その凹形の後ろで喊声があがる。

 驚いたアラートが振り返ったとき、その目に映ったものは、地軸を揺るがすほどの勢いで突進してくる兵団だった。

 味方ではない。

 青い甲冑。

 青い旗。

 舞い上がる雪煙の中、禍々しい美しいコントラストに目を奪われる。


「馬鹿な……」


 猛虎は自分の唇が漏らした言葉を聞いた。

 圧して、女将軍の声が戦場に木霊する。


「全軍突撃っ!!」


 むろんそれは大陸最強の兵団。

 青の軍。

 本隊に合流しようとしていたドイル軍三万を文字通り一撃で蹴散らし、驚くほどの快速で主戦場に駆けつけたのだ。

 この時点でドイル軍は九万。

 青の軍は連戦にもかかわらずなお一二万の兵力を有している。

 囮部隊を襲っていた二万を倒し、本隊に合流しようとしていた三万を撃滅し、それでも青の軍の損害は五千に達していない。

 これは木蘭の指揮もさることながら、二度が二度とも奇襲に成功しているというのが最大の理由であろう。

 そしていま、三度目の奇襲が完璧なまでに成功しようとしていた。


「ハウンドっ!」


 女将軍の指揮棒が踊る。

 五〇騎ずつの隊に分かれた騎士たちが、ドイル軍の背後から襲いかかり次々と血の華を咲かせる。

 一隊に襲われた部分が防御しようとすれば、横から別の隊が襲う。

 それに備えようとすれば、さらに違う場所から槍先が伸びてくる。

 防御も反撃もあったものではない。

 ドイルの軍列は各所で切り裂かれ、分断され、各個撃破されてゆく。

 あたかも、無数の猟犬に咬み裂かる大型獣のように。


「なんだこれはっ!?

 いったい何なのだっ!?」


 アラートの叫びに、応えられる幕僚はいなかった。

 常勝将軍が最も得意とする戦術「カラコール」。

 それについてアラートは彼なりに研究してきた。

 対処法も考えてあった。

 なのに、この見たこともない戦法はなんなのだ!?


「ハウンド。

 奇襲なればこそ使える戦術だが、そう滅多には見れぬであろう?」


 アラートの叫びが聞こえたわけではなかったが、木蘭が不敵な笑みを浮かべた。


「これがハウンド……」


 青の軍にかなり遅れて戦場に到着したフェイオ。

 呟いたきり、次の言葉が見つからない。

 噂には聞いていた。

 報告書も読んでいた。

 だが、実際に目にして、青の軍と常勝将軍の恐ろしさをはじめて実感したように思う。

 彼らの囮部隊にとってドイル軍は魔的なまでに強かった。

 死をも覚悟したのだ。

 にもかかわらず、青の軍はそれをすら圧倒している。

 最初の一撃でドイル軍本隊は一万以上の戦死者を出したのだ。


「最強……兵団……」


 かすれた声を絞り出すアーセット。

 フェイオだけでなく、遊撃隊の皆が息を呑んでいた。

 彼らはまだ実戦に参加してはいない。

 というのも、どんなに頑張って馬を飛ばしても、青の軍の快速には追いつけなかったから。

 ようやくいま本陣に辿り着いたばかりである。


「まもなくドイルの戦線は崩壊する。

 さすればそなたらの出番もあるだろう。

 武勲を立ててくるが良い」


 微笑する女将軍。

 またしても彼女の予言は的中した。

 青の軍の攻撃に呼応してミルヴィアネス軍も攻勢に転じ、ついにドイル軍は崩れ立ったのだ。

 僚友を見捨て、戦友の遺体を置き去りにして我先にと逃げ出す。

 追撃するアイリン軍。

 戦局は、掃討戦へと移行していった。




 巨大な失意と、同じくらい巨大な復讐心を両手いっぱいに抱え込み、アラートが馬を走らせる。


「諦めぬぞ。

 諦めるものか」


 身辺を守る兵は、わずか二〇〇名。

 それでもアラートは不屈の野心を抱いていた。

 敗戦したとはいえ、生き残ったものをかき集めれば、なお七、八万の兵力にはなるだろう。

 全滅といっても、一人残らず殺されることはないのだから。

 本国に戻り、体勢を立て直すのだ。

 いまは涙を呑むしかない。

 だがけっして諦めはせぬ。

 憔悴しきった顔で、だが目だけは異様に輝かせて馬を駆る。

 と、前方に立ちふさがる一団。


「どこへ逃げて傷心を慰めるつもりですかしら?

 王太子殿下」

「追いかけっこの鬼は、こっちの順番だよ」


 むろんアラートは名前など知らないが、ラティナとレフィアだ。

 二人がさっと腕を振ると、数百の矢羽が空を裂き、アラートの幕僚たちを打ち倒す。

 同時に、


「マジックミサイルっ!」

「ファイアボルトっ!」


 シンとルゥの魔法が迸る。

 最初の攻撃で数十名を脱落させながら、戦意に燃えて突進してくるドイル兵たち。

 ここを食い破らねば、逃げ道がないのだ。

 アラートのためというより、自分が生きるためにはそれしかない。

 ひときわ立派な馬にまたがったウィトリアに、攻撃が集中する。

 大将首を狙うのは常道である。

 だが、彼らの剣は、ウィトリアには届かなかった。

 さっと身構えるアーセットとベガ。 

 左に馬を立てたリフィーナに頷いてみせる王子。

 連鎖する銃声。

 落馬するドイル兵たち。

 リフィーナの手に現れた魔銃によって倒されたのだ。


「復讐のため以外にこれを使うことになるとは思わなかった。

 けど……いまは、護るために」


 涼やかな声。

 何のために戦うのか、答えを見つけたものの顔であった。

 馬首を巡らすアラート。

 部下たちが稼いだわずかな時間を作って逃げるつもりだった。

 しかし、その前にまた立ちふさがる人影。

 レイベナント、ライゾウ、リィの三人。


「追いかけっこは終わりだぜ」


 斬りかかる隻腕の剣士。

 それに続くライゾウ。

 金属音が鳴り響き、剣士たちが地に這う。


「ぐは……」


 折れ飛び雪に突き刺さる二人の剣。

 さすがに強い。

 ほとんど一瞬のうちに、無力化されてしまった。

 無言のまま突進するレイベナント。

 繰り出される槍。

 脇腹を突きぬける灼熱。

 激痛に耐えながら、レイベナントがアラートの槍を掴む。


「フェイオどのっ!!」


 同時にいくつかのことが起こった。


「いってください!」


 フェイオの肩を叩いて馬上から飛び降りるマーニ。

 突進した騎士の剣は聖なる光に包まれていた。

 アラートの馬とフェイオの馬が激突する。

 レイベナントが地上に投げ足されて横転する。

 そして……。


「猛虎朗君。

 お覚悟っ!!」


 叫んだフェイオがバックハンドで剣を薙ぐ。

 無念の表情を浮かべたまま、猛虎と怖れられた男の頸が、空に舞った。




 大陸歴二〇〇六年の初頭におこなわれたドイル軍の侵攻は、決戦場となったサンクン平原の名前を取って、サンクン会戦と呼ばれるようになる。

 この戦いに参加したドイル軍はおよそ一五万。

 帰還せざるもの数は七万に達した。

 一方、守勢のアイリン軍が動員した兵力は総計で一八万。

 損害は二万に届かなかった。

 また、ドイル軍の主将でありドイル王国の王太子であるアラートは、このサンクン会戦で命を落とす。

 大陸の列将中、最大の野心を抱いていた男は異境の地に倒れた。

 彼を討ち取った勇者の名は、公式記録には残されていない。




終章




「お別れね」


 アーセットが右手をさしだした。


「皆さんも、お元気で」


 やや照れながら、ウィトリアがその手を握り返す。

 王都アイリーン。

 港がある東ブロック。

 出航準備を終えた「希望の朝日」号が、最後の乗員たちが乗り込むのを待っている。

 ウィトリアと、それに同行するリィとリフィーナ。

 それに、やっと負傷の癒えたレイベナントである。


「ミズルアは、これで救われます」

「まだこれからっすよぃ。

 良い国にしてくださいね」


 ベガが手を振る。

 サンクン会戦の後、ミズルアへの援助額が再検討された。

 総額二億金貨相当。

 当初予定の二倍である。

 しかも返還の義務はなく、まさに援助という形になった。

 これは、会戦での功績が評価されたためである。

 フェイオやアーセットが常勝将軍に強く掛け合ったのである。

 多少は取引という側面もあった。

 猛虎を討ち取ったのが他国からの使節団を中心とする部隊だというのが、尚武の国であるアイリンにとってはやや面白くない。

 これを公式記録から抹消することにより、ミズルアは多額の援助を受ける。

 そのような談合が成立したのである。

 ようするにミズルアは名より実を取ったのだ。

 本来なら、アラートの首は一州の領地と爵位ほどには値するだろうが、冒険者たちとしてはそんなものをもらっても仕方がない。

 というのがフェイオとアーセットの考えだったが、あとからその処置を知ったラティナなどは地団駄を踏んで悔しがったものである。

 ただ、冒険者たちには充分な報酬が支払われた。

 それを元手に、レフィアとラティナは傭兵団を立ち上げる等と言っているし、ルゥは魔法大学へ進むための資金を手に入れることができた。

 シンは魔法の研究資金ができ、マーニは教会に多額の寄付ができるとそれぞれに喜んだものである。

 軍人であるフェイオとその部下としてついてきたライゾウは報酬を金銭で得ることはできなかったが、前者は中尉への昇進、後者はPW隊への正式採用という形で報われた。

 生き残ったものそれぞれに、運命とやらは道を用意したのである。


「ところで、アーセット姐さんはどうするんですかぃ?

 これから」


 宿への帰り道、ベガが訊ねる。


「どっしよーかなぁ。

 お金はあるから遊んで暮らしても良いんだけど」

「けど?」

「それじゃ退屈だから」


 くすくすと笑う女商人。

 莫大な資金を得た。

 どうせならそれを使って大きな商売をしてみるのもいいだろう。

 西方大陸に渡ってレアメタルの買い付けなどをしたも面白いかもしれない。


「おっきな仕事、したいねー」

「いいっすねぃ、それ。

 あたいも一緒に行っていいっすかぃ?」

「いいけど。

 儲けは折半よ?」


 腕を伸ばし、女盗賊と肩を組む。


「りょーかぃっすよ。

 ボス」


 戯けるベガ。

 早朝の街。

 肩を組んで歩く。

 振り返ると、紺碧の海に小さく船が見えた。

 遠い遠い異国へと帰る船だ。

 大きく手を振るアーセット。

 もちろん船からは見えるはずはないだろう。

 つられるように、ベガもまた手を振り上げた。

 昇り始めた太陽。

 去りゆく船と二人の姿を、眩く照らしていた。




                   おわり

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