第二回リプレイ 急転
降り続く雨は雪に変わり、明け方にはアスカ要塞はすっかり白い化粧を施されていた。
ミズルアの使節団と護衛の冒険者たちが到着した翌日である。
例年よりはるかにはやい寒波の到来だった。
「ふわわー
雪ですねー」
広い廊下から内院をながめ、ルゥ・シェルニーが歓声をあげる。
べつに初めて見たわけではないだろうが。
「子供ですねぇ」
歩み寄ったシン・フィアドルが声をかける。
「なんですとー」
振り返って頬を膨らます少女。
シンに指摘されなくても、充分に子供っぽい仕草だった。
「雪は白くてきれいなんですよー
きれいなものをきれいと思う心が大切なんですねー」
両手を腰にあて力説している。
「まあ、そうですけどね」
ぽりぽりと頭を掻くシン。
彼の生まれ育ったルーン王国はここよりずっと寒冷で、おそらくはもう雪と氷に閉ざされているだろう。
一一月はじめから四月の半ば過ぎまで。
年の半分ほどは雪の女王に支配される国なのだ。
「わたしはもう見飽きてしまいましたよ」
やや寂しそうに言う。
ルーンに比較すれば、ルアフィル・デ・アイリン王国は同じ大陸にあるとも思えないほど温暖で穏やかな気候だ。
広大な土地。
自由な気風。
そして花の都とうたわれる王都アイリーン。
子供の頃から憧れてやまなかった。
「憧れて、焦がれて、やっとやってきたアイリンですけど。
でもやっぱり人間の世界でした」
不分明な述懐。
「当たり前なんですねー
人間が暮らしているんですからー」
少女は、若い魔法使いの真意を測りかねたように小首をかしげる。
くすりと笑うシン。
「そろそろ朝食です。
いきましょう」
「わかりましたですねー」
「ミルヴィアネス男爵との面会は、午後一時からになるようです」
朝食の席上、ウィトリア王子が口にした。
アーセット・ローベイルとマーニ・ファルグルリミが視線で頷き合い、ベガが壁の時計に視線を走らせる。
あと六時間ほどだ。
長いようでいて、かなり短い。
実際に男爵と会うメンバーの最終決定。
会談の内容の煮詰め。
結果に対する備え。
やっておかなくてはならないことが山のようにあるのだ。
「こちらからはわたくしとアーセット、それにマーニとフェイオが出席いたしますわ」
確認するようにラティナ・ケヴィラルが発言する。
これは何度も話し合われてきたことだ。
ウィトリアと、実質的なリーダーであるティゼル子爵は絶対にはずせない。
というより使節団のものは全員が出席しないわけにはいかないだろう。
問題は冒険者たちである。
彼らに会談に出席する権利はないのだから、別室で待っていれば良いだけなのだ。
普通の依頼なら、間違いなくそうするだろう。
だが、これはそもそも普通の仕事ではない。
同席して会談の流れを掴んだ方が良い。
だが同時に、全員が一緒に行動するのはあまりにも意味がない。
アスカ要塞の同行、帰路の設定。
やるべきことはいくらでもある。
「それに、西の猛虎というのも気になります」
レイベナントが呟く。
昨夜、彼らに与えられたサロンに顔を出した男。
覗き屋と名乗っていた奇妙な男がいった言葉。
西の猛虎にこそ注意せよ、と。
「与太話と切り捨てるのは、ちょっと危ないですわね」
ラティナも頷いた。
「フェイオさまんに、猛虎とやらの正体がわかるのではありませんか?」
真剣なまなざしをマーニが、茶色い髪の剣士に向ける。
「どうして俺に振るのかわからないけどな……」
苦笑しながらも、フェイオ・アルグレストが説明を始めた。
おそらく猛虎とはドイル王国の王太子アラートのことであろう。
同じ王子でも性格はウィトリアの一〇〇倍ほども苛烈だ。
ある村で泥棒が捕まらなかったとき、村全体の罪だとしてその村を焼き払った。
ある戦役の時には嵐の中を行軍して過労で死んだ兵士まで出した。
たまりかねて抗議した幕僚は斬り捨てられた。
ついたあだ名は、猛虎朗君。
むろん、残忍なだけの人物に兵がついてくるはずがない。
「剛柔を使い分けるっていうのかな。
人気がない人ではないらしい。
怪我をして療養しているって話だったが……」
「ついに前線に戻ってきたってところからしらね」
下顎に手を当てるアーセット。
あるいはこの情報は、男爵に売りつける商品として価値があるだろうか。
微妙なラインだ。
もしアラート王子に備えなくてはならないとすれば、物資の供出に関して消極的になるかもしれない。
言わない方が良いだろうか。
思考の迷路へと入りかける。
「あ、あたいも会談に出たいっすけど、良いっすかねぇ」
不意に、ベガが口を開く。
何かを思い定めたようであった。
「そうね。
駆け引きのできる人がもう一人くらいいたほうが良いかもしれない」
「賛成ですわ」
アーセットとラティナが頷いた。
「……どうしてついてくる?」
仏頂面でリフィーナ・コレインストンが振り返った。
青い瞳から放たれる非友好的な視線に貫かれながら、
「いやぁ」
と、隻腕の剣士が笑う。
リィ・シュトラスである。
兵舎の一角。
単独行動をしているリフィーナに、この剣士がくっついてきた。
邪魔なことこのうえない。
「……私にはやることがある。
ついてくるな」
「やることってなんだよ?」
横に並ぶリィ。
まったく取り合っていない。
「……言葉がわからないのか?」
「状況がわからないよりはマシだと思うぜ。
アンタがここで変な真似をすれば全員に迷惑がかかる」
「……PWのくせに全体主義か」
PWとはパーソナルウォーリアの略で、ようするに傭兵稼業のものを指す。
掲げるべき大義もなく仰ぐべき主君もいない。
ただ金によって雇われ、金のために戦う。
そこにはチームワークなど存在しない。しないはずだ。
だが、
「味方が生き残ってくれねぇと、自分も生き残れねぇだろ?」
飄々とリィが応える。
「…………」
「この場合、誰が味方で誰が敵なのかって話になるけどな」
「……敵は男爵だ……決まっている」
「そう考えているのは、きっとアンタだけだぜ」
正面からぶつかる視線。
無明の火花を発して絡み合う。
一触即発の空気が流れる。
事実、リィはリフィーナが不穏な動きを続けるつもりなら、この場で斬り捨てるつもりだった。
そのような命令も受けている。
後始末が面倒ではあるが、ミルヴィアネス男爵や麾下の兵士に死人をだすよりはずっといい。
ここで男爵の不興を買うのは、まずいという次元以前だ。
「お二人とも」
と、不意に第三者の声が割って入る。
金髪に陽光を孕ませ、柔らかい笑みを浮かべたレティシア・ディアンサスが近づいてきた。
その後方から、控えるように続くライゾウ・ナルカミ。
軽く舌打ちしたリフィーナが一歩さがり、ライゾウとリィがちらりと視線を交わす。
リィがリフィーナを監視していたのと同じように、ライゾウはレティシアに張り付いていたのだ。
これも命令によってだ。
フェイオ、リィ、ライゾウにとって最もマークすべき人物が、レティシアとリフィーナの二人である。
王妃優蘭の紹介状を持っていたこと。
リフィーナは明らかにミルヴィアネス男爵に対して敵意を持っていること。
警戒しないわけにはいかない。
同時にこれは、フェイオたちが普通の冒険者でないことも物語っているが。
「リフィーナ。
ここは矛を収めても良いかもしれませんよ」
「……なに?」
レティシアの言葉に目を丸くする女銃士。
王妃づきの神官は、自分がどうして旅に参加したか知っているはずなのに。
じっとレティシアの目を見る。
「復讐するという理由がなくなったからですよ」
微笑。
リィとライゾウが顔を見合わせた。
なにがどういうことなのか、よくわからない。
「どうぞこちらへ。
疑問が氷解いたしますよ」
困惑する三人を女神官が差し招いた。
「なんとか丸く収まったようですねぇ」
城壁の上から様子を伺っていたシンが安堵の息を漏らす。
「シンは心配性だね。
あの人たちだってバカじゃないんだから、こんなところでトラブルなんか起こさないよ」
傍らに立ったレフィア・アーニスがくすりと笑った。
「どうでしょうか」
「トラブルを起こすのが目的ってならべつだけどね」
「そうですね」
ちらりとシンがレフィアを見る。
なかなか鋭いところを突く少女だ。
シンが心配していたのは、まさにこの時期を狙ってトラブルを起こそうとするのではないか、という類のことである。
現状、ミズルア使節団の立場は微妙だ。
アイリン王の勅許を持っているので、ミルヴィアネス男爵は物資の供出には頷くだろう。
というより、頷かざるを得ない。
すべてに優先しなくてはいけないのが勅命というものだからだ。
同時に、面白いはずがないのも事実である。
男爵にとって。
貴重な備蓄物資を吐き出させられて、へらへら笑っているようなら辺境とはいえ軍司令官が務まるはずがない。
だからこそ、男爵にとっても有利な条件を提示しなくてはならないのだ。
正論を並べるだけではどんな交渉も成立しない。
これは当然のことだ。正しいから従う、というほど人間の感情はストレートにはできていない。
まして今回は、どう考えても無体な要求を出しているのは王国政府の方である。
「まるで、失敗することを前提にしているようようにね」
空を見上げるレフィア。
暖かみを感じない太陽が要塞を照らしている。
「そろそろ、始まっているでしょうね」
ゆっくりと歩み寄ってきたレイベナントが告げた。
むろん、彼らとミズルアの命運を決める会談が、である。
白く化粧されたアスカ要塞。
身を切るような冷たい風が吹き渡っていた。
どこの要塞や軍事拠点でもそうだが、必ず評定の間というものがある。
軍事的な会議や決定がおこなわれる場所だ。
通常のブリーフィングルームなどとは異なり、厚い壁といつくもの魔法的防御システムに守られたそこは、実質的な心臓部といって良い。
ミズルア使節団が招じ入れられたのは、まさにアスカ要塞の心臓部だった。
「ようこそおいでくださいました。
勅使の方々」
表面上は愛想良く少壮の男が挨拶する。
アスカ地方を含めた四州を支配する大領主であり、緑の軍西方方面部隊一二万を指揮統括する将軍であり、アスカ要塞の司令官職を兼任する、フェルミアース・ミルヴィアネス男爵だ。
軍での位階は准将。
全軍に二三名しかいない「閣下」の敬称で呼ばれる人物である。
その閣下が、ウィトリア王子を上座へと導く。
普段は彼自身が座している司令官の席だ。
下にも置かぬ破格の待遇だが、これは当然である。
勅使とは国王の代理人なのだ。
准将どころか大将であろうとも、形式を守らなくてはいけない。
「では、お話をうかがいましょう」
全員が席に着いたのを確認して、ミルヴィアネス男爵が口を開く。
頷いたウィトリアが、詔勅を手渡す。
たっぷり時間をかけて文面を確認していた男爵が、重々しく承諾の意を示す。
「かしこまりました。
当要塞に補完されている小麦一五トン。
たしかにお引き渡しいたしましょう」
ほっと胸をなで下ろす使節団。
だが、むしろ本番はここからなのだ。
「お引き渡しいたしますが、その後については何か存念がおありですかな?」
穏やかな男爵の声。
そらきた、と、アーセットは身構えた。
「輸送用の馬車でしたら、すでに要塞の外に待機させてあります」
故意に的はずれな返答をする。
輸送手段のことなど、ミルヴィアネスは気にしてはいない。
「もとろん存じておりますよ。
ええと……」
「使節団のアーセット・ローベイルです」
平然として嘘をつく。
この場合、護衛として雇われただけなどと余計なことを言う必要はないのである。
「本職が懸念するのは、輸送手段のことではありません」
「では、西の猛虎のことでございましょうか。ミルヴィアネス卿」
柔らかく笑ったマーニが爆弾を投下する。
わずかに目尻を下げる男爵。
同格の智者として認めてくれたということだろうか、と、ベガは観察眼を鋭くした。
このような交渉ごとでは、カードを一度にすべて切るべきではない。
自分のカードを隠したまま、相手の手札を読むのだ。
「ミルヴィアネス卿としてはどのような見解をお持ちでおられるか?
失礼を承知で申し上げます。アスカ要塞がいかに堅牢であろうと、錬度という点から見たときにどうなるか?
ここの備蓄が削られることにより得をするのは何も王都の文官連中だけではなく、静観を続けている他国にも影響を及ぼすのではありますまいか」
淡々と言葉を並べるのはフェイオである。
彼は若いが軍事というものを知っている。
「まったくその通りですな。
では貴公の助言に従い、小麦の供出はやめることにいたしましょうか」
意地悪な口調を男爵が作る。
もちろんそんなことができるはずがない。
勅命を拒否すれば族滅されることすらあるのだ。
「それは、互いにとって困ったことになるだけですね」
くすりと笑うアーセット。
挑むような目でミルヴィアネスを見つめる。
「まったくです。
その困った事態を招来しないために、なにか妙案がおありですかな?」
柔らかな微笑は、女商人の視線を受け止めて小揺るぎもしない。
つまり、彼にもまた腹案があるということだろう。
それでもまずは使節団の意見を引き出そうとしているのは、あるいは十全の自信を欠いているすもしれない。
そう判断しつつ、アーセットと視線を交わしたマーニが咳払いして話はじめる。
「ではあれば男爵閣下。
兵と馬車を出していただきたく思います」
唐突といえば唐突な要求である。
一様に顔を見合わせる要塞側の士官たち。
中には露骨な嫌悪を表情に浮かべているものもいる。
物資を供出した上に、馬車はともかくとして兵士まで割けば、アスカ要塞の守りはますます薄くなってしまう。
本末転倒も良いところではないか。
男爵が仕草で先を促した。
「結局は同じことなのです。
もし猛虎に侵攻の意志があるなら、物資を運び出しただけでもそれは好機と映るでしょう」
その通りだった。
アスカ要塞は難攻不落という触れ込みであるが、まだ実戦を経験したことはない。
バール国境のデスバレー要塞やセムリナ国境のアザリア要塞とは話が違のだ。
一五万トンもの小麦を供出した後で、混乱が小さかろうはずもない。
その間隙を突いて攻め立てられたら、長くは持ち堪えられないだろう。
「二週間というところですね」
口には出さないが、ミルヴィアネスはそう予測している。
だからこそ、なにか手を打たなくてはならないのだ。
「ただ、いかに混乱していようとも、城攻めはしたくないというのが本当のところだと思います」
アーセットが言う。
どんな要塞でもそうだが、守るに易く攻めるに難い構造になっている。
当然のことだ。
逆ではまったく意味がない。
最終的にアスカが陥落するとしても、攻める方も甚大な損害を被るだろう。
「そこで、四〇両の馬車と一〇〇〇名の兵を貸していただきたく思います」
具体的な数字が出た。
「その心は?」
「それで罠を仕掛けます」
「どのような罠を?」
問う男爵。
むろんアーセットは詳しく説明するつもりだった。
使節団が用意した馬車と合して六〇両。
これがトリックの種である。
まずアスカの馬車二〇両を使って小麦を輸送する。
と同時に残った四〇両には兵を隠しわざと目立つように移動を開始する。
囮というわけだ。
囮部隊の馬車一両につき一〇名の兵士が隠れる。
つまり四〇〇名である。
残り六〇〇名が厳重に馬車を護衛して行軍する。
「もし猛虎が食いつくなら、要塞ではなく必ず輸送部隊に食いつきます。
それも要塞から一日二日の距離で」
どうしてそう言い切れるのか。
幕僚たちの視線が問いかけてくる。
が、
「平行追撃ですな」
男爵が頷いた。
それが要塞を一気に無力化する秘策である。
敵に追われてアスカに逃げ込んでくる兵士たちに並ぶように追撃する。
こうすることによって要塞砲を封じ込むことができるのだ。
まさか味方を巻き込んで撃つことはできないのだから。
だからこそ籠城中は簡単には出撃できないという側面がある。
「平行追撃の可能性を見せびらかすことによって虎を誘導しようというわけですか。
しかし、乗ってきますかな?」
「これは罠だ。
侵攻は控えよう、ということになれば、アスカは安泰。
我々も無事に王都アイリーンまで帰着できる。
違いますか?」
アーセットが不敵に笑う。
八割までがはったりであった。
一番怖いのは、自軍の損耗を計算に入れず、ひたすら力攻めをアスカに対しておこなわれることである。
ミルヴィアネス男爵は西方方面軍一二万を指揮しているが、むろんその全軍がアスカに留まっているわけではない。
変事に備えて国境各所に分散配置しているし、巡回している部隊もいる。
要塞に常駐しているのは五万に届くかどうかという数字だ。
もし力攻めされれば、仮に完全な防御態勢を取っていたとしても、いつかは失陥する。
「なるほど。
たしかに同じことですね」
得心したように膝を打つ男爵。
どのように動いたとしても、結局は同じだけのリスクは伴う。
であれば、少しでも勝算の高い作戦をとるべきだろう。
かといって、簡単に提案に飛びつくことはできない。
「ミズルアにとってのみ、有利な条件のような気もしますが」
変化球を投げ返す。
これはアーセットもマーニも予測済みだった。
ちらりと王子をみる。
「小麦の代金はお支払いいたします。兵と馬車の使用料も我々が負担いたしましょう」
決められたとおりの台詞を言うウィトリア。
「もちろん、小麦の価格は現在のものです」
フェイオがそれを補強する。
男爵が小麦を買ったのは値上がりが始まる前だ。
したがって差額分がまるまる利益になる。
「なるほど」
苦笑を浮かべるミルヴィアネス。
利鞘としては大層な額であるが、男爵自身の経済活動の規模から考えれば端金だ。
とはいえ、作戦に参加する兵士たちに特別ボーナスにしてやれば励みになるだろう。
一般にはあまり知られていないが、このミルヴィアネスという男は金儲けにはほとんど興味がない。
もともとただの地方貴族で爵位すら持っていなかった。
四州を領有する現在こそが望外のことだと思っている。
そして、その領地を下賜してくれた国王と常勝将軍の知遇に、是が非でも応えなくてはならない。
もちろん領民のためにも。
現状、ドイルの脅威が現実のものになりつつある。
杞憂であるなら良いが、何かが起きるという予感を感じていることも事実だ。
戦乱の時代を生きる者の嗅覚が危険な香りを嗅ぎつけるのだ。
「わかりました。
あなた方の要請を受け入れます。ただし」
一呼吸置き、
「兵は一〇〇〇ではなく、二〇〇〇お貸ししましょう」
武将の顔で、ミルヴィアネスが笑う。
交渉がまとまったからといって、使節団の仕事が減るわけではない。
むしろここからが正念場だということができるだろう。
猛虎相手の算術である。
生半可な罠では、逆に食い破られてしまう。
「では、いってきます」
短くレイベナントが告げ、ルゥとシンを伴って出かけてゆく。
アイリーンへの輸送隊ほ補佐する人足を雇うため、ということに表向きはなっている。
「実際はりゅーげんこーさくなんですねー」
胸を反らすルゥ。
「流言工作ですよ」
げっそりとシンが呟いた。
嘘が得意だからと自称するのでこちらのチームに入れたが、人選ミスではないだろうか。
そんな疑問が頭に浮かぶ。
彼らの主目的は輸送隊の出発日を誤って伝達することだ。
より正確には、囮の輸送隊の出発日を情報として蔓延させるのである。
もちろんルートも。
本当に小麦を輸送する部隊は、それより前に数隊に分けて出発させる。
ある隊は夜陰に紛れて、ある隊は他領への連絡を装い。これは男爵が信頼できる部下を使って作業を行っている。
というのも、この作業に使節団が手を貸すと、いらぬ疑惑を生むからだ。
そこまでして周到な準備をしているのに、肝心の流言工作で失敗しては目も当てられない。
ラティナなどは自分が行くと申し出たが、彼女には他にやるべきことが数多くあった。
弓を使える彼女は同行する兵たちと連携を高めておかなくてはならなかったし、実際に戦闘になった場合に備えて作戦を練っておかなくてはならないのである。
その点において、魔法使いのシンや精霊使いのルゥが動くのがベストだったのだ。
彼らのようなスペルキャスターに連携を求めるのがそもそも無理というものだし、兵たちだって魔法との連携離れていない。
どうせ一朝一夕でできるものでもないのだから、戦闘になったら魔法使いたちには彼らの判断で動いてもらうしかないのだ。
マーニやレティシアといった僧侶たちも同じなのだが、彼女らは回復魔法を使うことができる。
これを使うタイミングは勝敗に大きく影響するので、現段階から作戦会議に加わってもらわなくては困る。
使節団もまた囮部隊と同行することになった。
戦場になるかもしれないからといってフェイオやアーセットは輸送隊と一緒に行くように強く勧めたが、ウィトリア王子が頑として首を縦に振らなかった。
子供ゆえの判断の甘さか、王族としての責任感か、冒険者たちにはわからない。
が、
「私が王子を守る。けっして側を離れないと約束して欲しい」
リフィーナが微笑した。
明るくなった、と、リィは思う。
男爵に対する確執が解けたということだろうか。
いまのリフィーナならば、王子の守りを任せても大丈夫だろう。
「大丈夫でなければ困る」
内心の呟き。
ただでさえ少ない戦力なのだ。
余計なことに気を回す余裕はない。
全体の指揮はフェイオとアーセットで執る。
前者が主将で後者が副将というところだが、戦闘が始まってしまえばフェイオは前線に出なくてはならない。
実際の指揮はアーセットの肩にかかっている。
補佐をするのはベガで、ラティナ、レフィアは五〇人ほどを率いて、リィやライゾウは自分の才覚で、それぞれ実戦参加することになるだろう。
ミズルアのティゼル子爵がある程度の兵力を指揮した経験があるのがせめてもの救いだが弱体は否めない。
「男爵は指揮官は付けてくれなかったからね。
自分たちで何とかしないといけないんだけど、あたし商人なんだけどなぁ」
アーセットのぼやきである。
かといって指揮官を付けられれば窮屈な思いをしたことだろう。
二〇〇〇名といえば、二個中隊に届かない人数だ。
普通なら大尉の階級を持つものが指揮をするのが妥当であるが、男爵としては冒険者たちの冴えに期待する部分もあり、また、指揮系統が分散してはやりにくかろうとの配慮もあって、指揮官は付けなかった。
「鬼が出るか蛇が出るか。やるっきゃないわねっ」
ぼやいていても始まらない。
自分の頬を叩いて気合いを入れ直すアーセット。
囮部隊の出発は、五日後に迫っている。
予想されていたからといって襲撃がなくなるわけではない。
王都へと向かう囮部隊を送り出して二日後。
アスカ要塞は緊張の鉤爪に鷲掴みされた朝を迎えた。
「国境防衛ラインが一五ヶ所にわたって突破された模様です」
軍装を整えて司令室へと入ってきたミルヴィアネスに副官が告げる。
「絶妙のタイミングですね。
あれが本物の輸送部隊だとすれば、ですが」
戦略地図を見ながら男爵が微笑した。
順調に旅が進んでいるとすれば、あと四日もすれば囮部隊は王都とアスカの中間地点を越える。
アスカに戻るかアイリーンまで駆けるか。
攻める側としてはギャンブルの要素になってしまう。
だが、今このときに仕掛ければかなりの確率でアスカ要塞へ戻ろうとするだろう。
「つまり狙いは、やはりこのアスカということですね」
言葉には出さずに呟く。
覗き屋とかいう男の予測は外れていたということだ。
アラート王子はもっとずっとストレートで攻撃的な性格なのだろう。
輸送隊を殲滅しない程度に攻撃し、逃げ戻る彼らを急追して要塞砲を無力化し、敵味方の混在状態を作りだして内部制圧をおこなうつもりなのである。
見事な算術であるが、
「穴が一つ」
微笑を浮かべる。
囮の輸送隊は、なにがあっても要塞には戻ってこない。
そういう取り決めになっているからだ。
ドイル軍の攻撃を囮部隊が足止めし、その背後を要塞から出撃した部隊が襲撃する。
双方のタイミングが合えば、理想的な挟撃包囲戦が展開できる。
必勝の策である。
「それで、敵の兵力はどのくらいですか? 現時点での概算でかまいませんよ」
穏やかに問う男爵に、言いづらそうにする副官。
とはいえ、まさか報告しないというわけにもいかない。
「概算で一三万……これは最少の数値を取った場合です……」
その言葉に男爵の表情が凍る。
二万から三万の兵力が動員されるかもしれない、というのが彼の予測だった。
まさか、予想の五倍近い兵力が動員されるとは。
アラート王子の性を見誤っていたのは覗き屋だけではなかった。
「私も同じ……ということですか……」
自失したように呟く。
しかし、いつまでも呆然としてはいられない。
「王都に魔導通信を。
本日早朝、ドイル軍が大挙して国境を突破せり。
目的はアスカ要塞の占拠と認む。
敵数は最少で一三万。
至急来援を請う、と」
命令はすぐに実行に移される。
この方が届けば、王都の大本営も蜂の巣をつついたような騒ぎになるだろう。
「それと、早馬を飛ばしてください。
囮部隊に伝令です」
「は。
内容はなんと?」
「逃げろ、とです」
頬を冷たい汗が伝う。
脳裏には、雪原を駆けるドイル騎兵隊の姿が、ありありと浮かんでいた。
馬車の幌の上に座っていたライゾウの眉が、ぴくりと動いた。
「……きた」
刀を握る。
はるか遠方に上がる雪煙。
「おのおのがた」
警告。
このときすでに仲間たちには緊張が伝染している。
「かなり数が多いみたいですね……」
不安そうに呟くマーニ。
「いくら数がいたって同じだよ。
やることはひとつっ!」
元気に言ったレフィアが、アーセットの肩を叩いた。
「そうね。
やるっきゃない……みんなっ!
歓迎の準備は良いっ?」
『応っ!!』
仲間たちが鬨の声をあげる。
十数万を相手にした壮絶な宴が、いまはじまる。