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夢で逢いましょう 3



 ねぇ、君、辛そうだよ。なんなら、起こしてあげよっか?


 守人の位置から一つ通路を挟み、座席四つ分離れた所から、それとなく彼の寝顔を眺めていた女子学生が呟く。


 純白のタートルネックにツィードのキャロットという如何にもアクティブな身なりで、ボーイッシュな短髪と黒目がちの大きな瞳、少しアヒルっぽい上向きの唇が却って可愛い。


 彼女の名前は能代臨。


 陸奥大学の二年生で、文学部の守人に対し、臨は医学部だ。檀上の来栖晶子が指導する精神神経医学教室に所属し、予防精神医学を扱うゼミへ参加している。


 二人がこれまで会った事は無い。


 理系と文系に分かれていれば、同じサークルに属してでもいない限り、接点は殆ど無い筈である。


 なのに何故、地味で内気で、ルックス的にも極めて微妙な文学部の男子を、医学部の中でも一際目を惹くキュートな女子が見つめているのか?


 その疑問は彼女の取り巻きでも渦巻いており、


「あぁ、もう、かったりぃ……何の因果で、あんなダサ男、ウチらの合コンに誘わにゃアカンの?」


 臨の隣に座っている理学部二年の増田文恵へ、そのまた隣に座る経済学部一年・伊東正雄が大阪弁丸出しで毒づいた。


 他人をダサいと言う割にニワトリのトサカっぽい正雄の茶髪と、革ジャケットの下に覗く『迷わず行けよ! 行けばわかるさ』とプリントされたTシャツが目に痛い。


「強いリクエストがあったのよ、私の親友から」


 シンプルなチェック柄のブラウスをカジュアルに着こなし、ちょい古風な丸渕メガネが似合う、如何にも理知的なタイプの文恵が親指で臨の方を指さす。


「なぁ、あんなん、何処がええの?」


 文恵越しに放つ正雄のストレートな突っ込みに、振返った臨は意味ありげな微笑を浮かべた。


「一、二年の間は全学教育やからな。別に学部関係あらへん。守人とも教室で普通に知り合うたけど、俺、友達になる気とか無かったし……」






 ちなみに全学教育とは、他の大学なら『一般教養』と言われる初期の履修過程の事であり、陸奥大学では伝統的にこう呼ぶ。


 その内、一年生の間に終えておくべき「人間論」「社会論」「自然論」を基幹科目と言い、ジャンル内で更にいくつかの科目に枝分かれしていて、学生はその中から選択する。


 当然、人気がある科目とそうでない科目があり、一部の科目は履修したくても希望が通りにくい。


 面倒臭がりの正雄は、わざと人気の無さそうな戦後ロシア文学の講座を選んだ。そして、その最初の授業で隣に座り、いきなり居眠りをやらかした不埒者が守人だったと言う訳だ。






「全く……守人の事をテニスサークルの姉御・増田さんにネタで話したら、想定外のトコで想定外の反応やもんな」


 ぼやく正雄に臨は真顔で答えた。


「実は、彼に一目ぼれなの」


「えっ!?」


「……な~んて、ね」


 臨が悪戯っぽく笑うと、隣で文恵が小さな溜息をつく。


「まぁ、臨の物好きは生まれつきのビョーキみたいなもん。ルックスの割りに色々残念なキャラってのも、含めてね」


「それにしても何で、よりにもよって……」


 いつもの癖で動揺と共に声が大きくなり、周囲の冷たい視線に晒されて正雄は声を潜めた。


「センス、疑うわ。臨ちゃん、あいつ、最悪やぞ」


「何処が?」


「色々あるがな。付合い悪いし、友達おらんし、ついでに東京から来た征夷大将軍やし」


「アンタだって、大阪から来た太閤殿下でしょ?」


 隣ですかさず文恵が口を挟む。


「あ、俺をディスると後悔すんぞ。これでも関西じゃ一二を争う看板屋の長男や。経営勉強して、会社継いで、その内、マジで日本一でっかくしてやっから」


「看板屋の息子? ま、何かと目立つ気はしてた」


 臨からも突っ込まれ、閉口気味の正雄は、話を強引に安眠中の友人の方へと引き戻す。


「兎に角、守人は止めとき。偏差値だってムチャ低そうやし」


「偏差値で言うと、アンタもマグレ合格だよね。予備校で合格判定Dランクだったでしょ?」


「……俺、地元じゃ奇跡の逆転ファイターって言われとる」


「それ、絶~対、褒めてない」


 一応、ボケとツッコミが成立している二人の姿に、臨は口へ掌を当てて笑いを堪えた。


 一呼吸置いた後、文恵の方へ顔を寄せ、そっと囁く。


「ホントの事、言うとね……」


「何?」


「ちょっと前に変な噂が流れたの。学生の間じゃなく先生や事務局の関係者の間で」


「つまり……高槻君について?」


「ええ、あたし、偶然、聞いちゃったんだけど」


「どんな噂や?」


 盗み聞きする正雄ものってきて、臨は更に声を潜めた。


「すごく不自然な成績で、彼、入試をパスしたみたい」


「……不自然? 何や、それ?」


「センター試験の後、三科目の個別学力試験をやって、それで合否が決まるじゃない」


「そやな、個別試験は学部ごとに違う科目を選ぶんや」


「文学部の場合は国語、外国語、それと数学も選択できる。で、彼の数学の成績がメチャクチャ良かったらしいの」


「文科系なのに?」


「勿論、単純な比較はできないけど、理系で合格した学生と比べても一、二を争うレベルの答案だったって噂なのよ」


「はぁ!?」


 思わず文恵と正雄は守人を見た。


 レム睡眠の深まりで眉間に一層皺が寄り、歯ぎしりする様は躾の悪いブルドッグのようだ。


「能ある鷹は爪を隠す、なんてタイプにゃ、ど~しても見えませんけどね、私にゃ」


「いや、こいつ、素直にバカやで。つるんだ経験から言うと、カンニングするほどの度胸も悪知恵も無い」


「確かに、最初のセンター試験じゃ理系科目は全然ダメだったらしいの。陸奥大を受けるのが無謀に思えるくらい」


「……まるで誰か、別人が身代わりになって個別試験だけ受けた感じね」


「けど、前に携帯電話を使った不正入試があったせいで、今はやたらチェック厳しいやんか」


「うん、身代わりなんて絶対無理」


「……それじゃ、臨、あなたはどう思っているの?」


「わからないから、興味がある」


「出たよ、臨の残念なトコ」


 文恵が大きく肩を竦めた。


「あのネ、フミちゃん、その言い方、言われる方はけっこう傷つくんですけど」


「そんなタマじゃないでしょ。何かに興味を惹かれたら最後、あんた大抵、前のめりの一直線じゃん」


「そこまで好奇心、強くない」


「い~え、幼馴染の私は知っている。と言うより最近、変に過激さが増してるのよ。進撃のイノシシ娘と言うか、ブレーキ壊れたダンプカーと言うか」


「え、そんなキャラなん?」


 臨はブンブン首を横に振り、ちょっと上向きの唇を尖らせる。


 どうやら、素面じゃ言えないエピソードが二人の間にありそうだな、と正雄は察しつつ、臨に問い直す。


「で、イノシシ娘としては噂の真相を自分で確かめたいと?」


「うん、それに他にも気になる事が……」


 そう言いかけ、臨は軽く首を傾げた。


 無言でしばらく考え込み、「ううん、何でもありません」と素知らぬ顔で、演壇の晶子の声へ耳を澄ます。


「あ、誤魔化そうとしとンぞ」


「そういう事されちゃうと、却って気になるわね」


 二人が臨を問い詰めようとした時、横から耳障りな唸り声が聞こえた。


 守人がうなされているのだ。ステージに届く程の物音は立てていないものの、額の表面にびっしり汗が滲み、椅子の上で体をくねらせている。


 不気味そうに文恵達が彼を見下ろし、起こそうか、ほっとくか相談する間、臨の中では別の好奇心が渦巻いていた。


 この人は今、一体どんな夢を見ているんだろう、と……


読んで頂き、ありがとうございます。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 今日読んでフト思ったのですが、貴殿は、旧帝大の東北大卒なのでは?大学の授業内容にも詳しいし、そう思いました。大体が、レム睡眠、ノンレム睡眠の話など、心理学科や医学部ぐらいの人で無いと、普通…
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