痕跡 1
(23)
能代臨の通報を富岡が受けた時点で、まだヒッチハイカー殺しの件を警察は掴んでいなかった。
晶子らの心配と裏腹にホテルの死体は発見されておらず、急行した富岡と笠松は、高槻守人が泊まった部屋の鍵を開けて貰い、バスルームへ踏み込む。
カーテンは開いたままで、バスタブの隅にチョコンと若い女性の首が載っていた。
死体と目が合い、うっ、と笠松が呻く。
入室者を驚かす為、絶妙の位置に女の首は置かれていて、犯人の歪んだユーモアが伝わってくるようだが、
「能代さんの情報とは違いますね」
ハンカチで顔を覆いつつ、笠松が言う。
「高槻守人がバスタブから床へ首を落した、という話だものな」
「バスルーム全体が散らかってませんし」
「話が違う点は他にもあるよ」
富岡は思案顔で、スイッチの入っていない電子パイプを咥えた。
「ここの清掃担当、部屋を掃除しようとしたらドア・チェーンが掛かってて、入れなかったと言ってる。もし高槻が本当に部屋を出たなら、誰か他の人間が入れ替わりで入室し、中の証拠を消して、浴槽へ落ちた死体の首をバスタブへ置き直した事になる」
「普通、そんな面倒な真似、しませんよね。第三者がいたとして、目的が何なのか見当もつかないし」
鑑識が来るまで触れないようバスタブから距離を保ち、富岡は電子パイプの吸い口を噛みながら、首の状態を見つめる。
カツカツ。
考えをまとめる為にやっている事だから笠松には文句を言い辛いが、隣にいると落ち着かない。コンビを組んだ当初の苛立ちや「貧乏くじ」を引いた実感が改めて蘇ってくる。
近頃こりっ放しの肩を笠松が揉みだすと、富岡が呟いた。
「……エドモンド・エミル・ケンパー」
「は?」
「似てるよ、この状況、ケンパーが起こした事件と」
笠松も、その名に聞き覚えがある。
五十嵐武男の書斎を訪ねた際、自身も快楽殺人に手を染めたと言う医師・隅亮二の名を聞かされたが、その隅お気に入りのシリアルキラーにケンパーが含まれていた。
又、隅が関わっていたサイト『タナトスの使徒』でも、その模倣犯出現が予告されている。
「ケンパーが最初に犯した殺人は15才の時、被害者は自分の祖母と祖父だった」
「家族を殺すなんて、最初からイカレてたんすね」
「いや、ケンパーは幼少期から母親に酷い虐待を受けており、その母に捨てられた後、祖母にも虐められている。復讐行為と見做すなら、必ずしも異常な動機とは言えないよ」
「イカレてたのは家族の方、すか?」
「さあな、その事件で精神疾患の診断を受けて更生院へ収容されたのは確かだが、ケンパーの異常性が先天的なものか、後天的なものか、判断は難しい。だが、当時から彼の特異性は明らかでね。それは際立った知能の高さにあったんだ」
「つまり、頭が良かった?」
「飛びっきりの知能指数だったそうだよ。精神科医の心理テストを受ける内、そのノウハウを把握し、医師が求める理想的な答えを示して見せた」
「へえ、医者の上を行ったんすか」
「模範囚を演じるのも簡単だったろう。24歳の時に保釈を認められたが、身元預かり人は幼少時に虐待した母親で、胸に秘める特殊な願望は消えていなかった」
「特殊な願望?」
「好意を持った女性に対し、性的欲望と同じくらい強烈な殺意を抱いてしまうのさ。愛する母親からの虐待が影を落としていたのだろうが、その母との同居は狂気を更に増幅した」
富岡の話を聞きながら、笠松は五十嵐の書斎で見たケンパーの写真を思い出していた。
眼鏡をかけた静かな面持ちと、がっしりした大きな体格が強く印象に残っている。身長は206センチ、体重は126キロもあったそうだが……
「出所後にケンパーが犯した連続殺人の最初の犠牲者は、18才の女学生二人組で、ヒッチハイカーだった」
「そこが今回との共通点ですね」
「ケンパーは誠実そうな態度で女性達を油断させ、人気のない所で殺害。死体をトランクに詰めて自宅へ持ち帰り、浴槽で首と手首を切断している」
笠松はついバスタブ上の女の首を見てしまい、又、気持ちが悪くなった。
「大抵のバラバラ殺人は、証拠隠しや死体処理の為ですが」
「シリアルキラーの場合は別の理由がある。荒生岳の件でも言ったよな、笠松君」
「遺体の一部をトロフィー代りに飾るんでしょ、殺した時の喜びを何度も味わう目的で」
胸糞悪そうな笠松と共に富岡がバスルームを出ると、鑑識が到着した所だった。
昨夜、犯人らしき若い男からパトロール中に道を尋ねられたという交番勤務の警官も来ている。
富岡は、その警官と笠松を連れてホテルの駐車場へ行き、停められっぱなしの赤いミニセダンの前に立った。
「君が路上でこの車を見た時、話しかけてきたのはこの男?」
臨から預かった守人の写真を、富岡は警官に見せる。
「午後9時過ぎで街灯が疎らな場所だった為、暗かったのですが、この男だと思います。自分が警邏中、車で近づいてきて、安く泊まれる場所が無いか訊ねられました」
「その時の態度は?」
「明るく、愛想も良かったように思います。車を路肩に寄せ、二、三分、世間話をしました」
「どんな話?」
「その……他愛無い話ですよ、良いバイトが無くて生活が苦しい。就職口として警察はどう、なんて類の」
富岡は少し考え、更に幾つか細かい質問をして、警官を仲間達の元へ戻した。
大崎市警・鳴子署から合同捜査本部に参加している泉刑事の一報が届いたのはその後だ。
能代臨の通報内容を元に、警官隊を率いて近くの林を捜索した結果、切断された二体の亡骸を見つけたのだと言う。
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