君が深淵を覗く時 1
(22)
それが夢でしかないと、高槻守人は知っていた。
東北の郊外、都市と都市の間をつなぐ幹線道路は木材や土木工事の資材を運ぶトラックを除くと、夕方は交通量が多くない。
赤い小型車で快適にスピードを上げ、雨上がりの涼気を胸に吸い込む。快適だ。でも、所詮は夢。普通免許は取ったが、守人は自分の車を持っていない。
あ、誰かから借りたんだっけ?
はっきり思い出せない。
でも、赤い小型車なんて……好みから言っても論外。色も形も可愛過ぎ、自分には似合わないと思うが、その可愛さに惹かれたのだろうか?
道端で若い女性のヒッチハイカーを見かけ、二人組の内の一人が片手を上げた。ウォーキングに適した旅装をしているから、都会からやってきたのかもしれない。
台風24号は気象庁の想定を超える速度で通過。宮城県では昼過ぎに爽やかな晴れ間が広がったから、それに誘われて歩いてみる気になったのだろう。
だが、既に夕日は山の端に没しつつあり、薄暗くなって焦ったらしい。守人が車を止めると喜んで乗ってきた。
しばらく軽い会話を楽しむ。
口下手の守人が、この時は巧みな話術で女の子たちを笑わせ、リラックスさせる事ができた。
僕にしては上出来じゃん。上出来過ぎて、僕じゃないみたい。
夢だから、唐突に場面が飛ぶのも仕方ない。
次に目に浮かんだのはドライブしたまま市街へ7キロの距離まで近づいた所で、何時の間にかヒッチハイカーは消え、パトロール中の警官が前方を自転車で走っていた。
車の速度を落とし、何処か良い宿が無いか尋ねる。
感じの良い小太りの警官でしばらく路肩に車を止め、他愛のない世間話を楽しむ。
又、車を走らせ、そして、教えられた場所、派手なネオンサインが目印になっている駐車場へミニセダンを乗り入れて……
窓から差し込む朝の光で目覚めた。
今度こそ夢じゃなく現実かな?
衣服は昨日から着の身着のまま、部屋に入った直後にベッドへ倒れ込んだという感じ。ぼけた頭を軽く叩き、大きく背伸びして意識をはっきりさせる。
全く……夢にしたって極端な展開だよな。
丸い回転ベッドに仰向けで寝転び、真上に張り付けられた鏡の天井を見上げて、守人はつくづくそう思った。
見るからにラブホテルの内装だ。
悲しいかな、彼女いない歴と年齢が一致する守人には、この手のホテルに入った経験が無い。
カーテンは紫色で、パンダやらアライグマやらのぬいぐるみが彼方此方に置かれ、様々な言語の張り紙が目についた。
そういえば夢の中でお巡りさんが話してくれたっけ。
外国の観光客目当てで改装したラブホテルなら、男性一人でも泊めてくれるし、安上がりだってさ。
ならここ、今は普通のホテルなのかな?
ベッドサイドのスイッチを押すと、ウィンウィン耳障りな音を立てて寝台が回りだした。一回転した所でスイッチを切り、ベッドから起き上がって上着のポケットをまさぐってみる。
財布とスマホしか入っていない。しかも、スマホの方は格安携帯キャリアのSIMカードが抜いてある。
ん~、何でこうなったんだっけ?
能代さんと一緒に、来栖先生の催眠療法を受けた所までは覚えていて、何か凄く厭な事が起きた様な……
晴れない靄が頭の中心に居座り、思い出すのを邪魔する。
スマホにSIMを挿入、電源を入れると日付は10月2日の火曜日で、催眠療法を受けた日から二日過ぎていた。
完全な記憶のブランクが存在していた訳で、以前にも何をしたか思い出せない日は時々あったが、これほどの期間、意識が飛んでいた経験は無い。
こういう場合、他人に頼るのが一番だ。
留守電の記録をチェックすると臨から何度も……数えきれない程、受信していた。
時刻表示は午前9時半。この時刻なら迷惑にならないかな、と発信ボタンを押しかけ、その指が止まる。
夢うつつの内に又、何かやらかしてたら?
あれは何時だったか、いつもの癖でぼ~っとしていて曖昧な返事をした後、臨に思いっきり突っ込まれた記憶が疼く。
高槻君、ちょっとソコ座んなさい!
説教のノリで言い出したら聞かない。口答えしたら三割増しで反撃。こっちが一歩退いたら、何歩でも限りなく突進してくる。
『羊の皮を被ったイノシシ』と言うあだ名がピッタリに思えたけれど、慌てて謝る守人に少し頬を膨らませて微笑む臨は堪らなく可愛い。
他人との関りを極力避けてきた守人にとって、臨は最大の例外に他ならなかった。
物騒な事件に巻き込まれ、もう沢山と思う反面、彼女が側にいてくれるなら、ずっとこんな時が続けば良いと思えてしまう。
さ~て、今日の御機嫌はどうだろう?
読んで頂き、ありがとうございます。
守人に何が起きていたか、このエピソードで描いていきます。