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古き骸を捨て 5



 時刻は午後3時17分。雨は激しさを増し、キャンパスを彩る街路樹を濡らしている。


 大学構内の駐車場で覆面パトカーを降り、富岡と笠松は、医工学科ビルへ続く路地を進んでいた。


 志賀が盗撮していた高槻守人という青年の現住所を調べ、訪ねてみたが不在。取り合えず盗撮写真の一部に映り込んでいた来栖准教授に話を聞こうと考えたのだが……


 大学構内は完全禁煙である。電子パイプでさえ許されないから、例によって富岡は落ち着かない。


 何処か、人気のない所でこっそり一服出来ないかな?


 警官にあるまじき不埒な思いを抱きつつ、辺りを見回していると前方から女性の悲鳴が聞こえた。


 笠松を促し、そちらへ走る。


 悲鳴は一つではなく、近づく内、パニックを起こした学生達の群れと出くわした。何かから逃げているようだが、


「富岡さん、アレっ、あいつ!」


 血相を変えて笠松が指さす先、全身から雨と血の入り混じる水滴を垂れ流し、覚束ない足取りで進む男の姿がある。


「まさか……志賀か」


「酷い怪我してますね、あの野郎、何でああなった?」


 志賀は聞き取りにくい乱れた口調で喚き散らし、左手に握った金槌を出鱈目に振り回している。


 せわしく背後を気にしながらキャンパスと公道を繋ぐ通用門を目指しており、パニック状態の若者達と接触した場合、何をするかわからない。


 迷わず拳銃を抜いた。


 刺激しないよう物陰から接近。「止まれっ、お前、志賀進だな」と富岡が正面へ回り込んで、銃を突きつける。


「殺人容疑、それと陸奥大学での障害未遂現行犯で、お前を逮捕する」


 笠松が後ろから距離を詰め、挟み撃ちを仕掛けた。


 二つの銃口はどちらも正確に志賀の体へ狙いを定めていて、普通ならどんな犯人でも観念する所だが、


「お、俺……蘇え、ル……虚ろな羊に宿り……ヒヒ」


 志賀は歩みを止めない。


 びしょ濡れの上着からPCPの錠剤を鷲掴みで取り出し、口一杯に頬張って噛む。

 

「富岡さん、やばいっすよ。完全にイッちゃってる」


 どうやって取り押さえたものか、考える暇も無かった。


 奇声を上げた志賀は、傷だらけの体からは信じられない素早さで横へ飛び、通用門へ走る。そこには状況を理解できていない学生がいて、又、新たな悲鳴が上がった。


「くそっ」


「撃つな、笠松っ! 学生に当たる」


 大声で叫びながら富岡は志賀へ突進。投げつけられた金槌をかわして組み付き、押し倒そうとする。


 でも、死に物狂いの腕力は始末に負えない。

 

 指の無い掌で殴打され、倒れた富岡の霞む視界に、公道へ身を投げる志賀が見えた。


 唇を切り裂かれた嘲笑は、直進してきた大型ダンプカーのバンパーと激突し、体もろとも轢き潰される。


 その衝撃と、激しい雨によるスリップでダンプは横転。幸い40代半ばの人のよさそうな運転手は軽症だったが、辺りは大騒ぎになった。


 すぐ県警へ一報を入れるものの、応援の警官が来るまで富岡と笠松は現場から動けない。壊れた車の下から流れ出る容疑者の血溜まりを口惜しく睨むだけだ。






 一方、守人が去った診察室の中では、晶子が意識を取り戻し、呆然自失のままリクライニングチェアへ腰掛けて、臨から傷の手当てを受けている。


 床で打った晶子の額は青く内出血し、肩を金槌で殴打された痕は腫れあがっていた。


 どちらも骨に異常は無さそうだが、クールな美貌でなる晶子には似合わない落ち込んだ表情で「ごめんね、力になれなくて」と臨に深く頭を下げる。


「先生のせいじゃないです」


 意識して明るく答えた時、文恵と正雄が部屋へ入ってきた。


 二人とも今日の午後は所属するテニスサークルの会合が有った筈だが、何を見てきたやら、変にテンションが高い。


「ねぇ、外は凄い騒ぎよ」


「特に通用門の方、偉い人だかりになっとるで」


 臨は溜息交じりに言った。


「知ってる……っていうか、騒ぎの震源地、ここ」


 臨の目くばせで隣の晶子を見、その負傷に気付いた二人は大慌てで外の状況を説明する。


「死んだ!? あいつが?」


「刑事に追われて逃げる途中、車に轢かれたって話やけど、居合わせた友達の話だと自殺じゃないかって」


 晶子はやるせなく首を横に振った。


 乱入してきた男は明らかに異常な精神状態だったから、自滅しても不自然ではない。むしろ問題なのは、志賀の後を追う様に去った守人の方である。


 一通り睡眠療法を行った際の成り行きを臨が話し、


「二人とも外の通りから医工学科ビルへ入って来たんでしょ? 高槻君、見なかった?」


 と腰を浮かして尋ねる。


 正雄は「知らん」と首を横に振り、彼と道端で合流したばかりだという文恵の方は戸惑いがちに答えた。


「あ~、あいつ、もう、大学にはいないかも」


 臨の「えっ?」と聞き返す声が思わず大きくなる。晶子も驚いて文恵を見つめた。


「急用で車が要るって言うから、私、おニューの愛車を貸してあげたわ。話した感じはまともに見えたけど」


「ええっ!?」


「変ね。高槻君、さっきの男を追ってったんじゃないの?」


 怪訝そうな晶子の声で一層危機感を煽られたのだろう。部屋から飛び出していこうとする臨を文恵が止めた。


「待ちなよ、臨! 外は大変な騒ぎって言ったでしょ」


「でも」


「あんたが取り乱してどうすんの! 慌てて行っても彼、見つからないよ」


「うん……」


「取り合えず、私と伊藤君で心当たりを探してみるから、来栖先生のケアをお願い」


 少し落ち着き、臨は切なげに窓の外の暗い雨模様を眺める。






 台風24号は接近し続けていて、路上のコンディションは最悪。


 封鎖された大学通用門付近では事故車両撤去が急ピッチで進められていたものの、事件の検証作業は滞りがちだった。

 

 野次馬の輪の外から学生達の肩越しに富岡、笠松ら警察官の動きを一瞥、高槻守人は軽く肩を竦める。


 向かう先は大学の駐車場だ。


 意外と派手好きな文恵の好みに合う赤いミニセダンを見つけ、借りたキーを差し込んで車を出す。


 正門から公道へ出、こちらに向かう増援のパトカー数台とすれ違ったセダンは郊外へ向けて、軽やかにスピードを上げていく。


 てるてる坊主、てる坊主、あした天気にしておくれ。


 ハンドルを握る守人は、志賀を切り裂いた時と同じ屈託の無い笑みを浮かべ、鼻歌を繰返し口ずさんでいた。


読んで頂き、ありがとうございます。

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