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或る人殺しの肖像 8



(16)


 十年前、人生を決定的に変えてしまった出来事を語り終え、五十嵐の顔には疲労が色濃く滲んでいる。


 持ち前の反骨心も失せて、六十代半ばの実年齢より老けて見えた。

 

 散らかった書斎の背もたれ椅子に深く凭れ、富岡と笠松へ落ち窪んだ瞳を向ける。


「思えば典型的な事例なんじゃ。秩序型シリアルキラーは、往々にして他人を意のままに操る特異な才能に恵まれ、その行使に強く拘泥する」


「サイコパスの特質にも重なりますね」


「ああ、サイコパスの素養を持つ者には、犯罪者どころか社会の重要な地位につき、時代の寵児となるカリスマも多い。両者を安易に混同せず、峻別するのは当然の理じゃが、その特質を併せ持つタイプは始末に負えん」


 苦い自嘲の笑みを五十嵐は浮かべた。


「それにしても、犯罪者の言いなりだなんて、俺には……」


 言いかけた笠松の肩に富岡が手を置き、首を横に振る。


 若い刑事が正論を説く気持ちは良く判るし、正論で片付かない苦境の重圧と、それに流される弱さも富岡には理解できた。


 俺だって他人の事は言えんしな。


 左胸の古傷が疼き、喉が掠れて、無性に電子パイプを吸いたくなったが、ぐっと堪えて質問を続ける。


「10年間、ご家族は無事だったんですか?」


「家族……別れた女房や娘をそう呼べるのなら、特に何も起きとらん。但し、外出中に追ってくる足音を感じた、とか、誰かの視線が気になる、とか言われた事なら幾らでも有る」


「遠回しのプレッシャー、ですね」


 笠松の呟きに五十嵐は頷いた。


「ずっと見ている、奴はそう断言しおったからな。わざと監視者の存在を仄めかし、わしに釘を刺したかったんじゃろ」


「ここへ押しかけた俺達が言うのも何ですが、今の状況、ご家族に危険なのでは?」


 五十嵐は皮肉っぽく鼻で笑った。文字通りの「おまゆう」状態だから、ひたすら頭を下げるしか無いが、


「前の女房……静代は二年前に死んだよ、癌で」


「は?」


「口に出せない事情があるのを多分、あいつは察してた。死ぬまで無理に聞き出そうとはせんで、のう」


 その、らしからぬ静かな声音から、亡き妻へ寄せる五十嵐の気持ちが伝わってくる。


 短気で言葉足らずの夫を離婚後も信じ、支え続けた静恵と言う人の面影が偲ばれる気がした。

 

「娘の方はアメリカの大学へ行き、同級生と結婚して、今も向うに住んどる」


「海外留学を勧めたのは五十嵐先生ですね」


「あいつ、強引に家族を捨てたわしを恨んどってな。言う事など聞かんから、静恵を通して説得した」


「賢明な判断だと思います」


「今は音信不通の有様よ。母親の葬式の時以外、一度も日本に戻って来ねぇ。全く、嫌われたもんじゃが」


 肩を落とし、再び自嘲の笑みを浮かべる。しかし、富岡は安堵の響きをその声に感じていた。


「だったら、もう隅なんて怖くないじゃないスか!」


 笠松が勢い込んで言い放つ。


「あのなぁ、小僧」


「……その呼び方、止めて下さい」


「一度、骨身に染みた恐怖って奴は、そう簡単に拭えるもんじゃねぇんだ。正直、今も膝の下がガタガタ震えとるよ、お前らに話すのが怖くてな」


 ギリッと奥歯を噛む音がし、窪んだ瞳に反骨の光が瞬く。


 長きに渡り、積もりに積もった挫折感と屈辱、激しい怒りが老いさらばえた肉体へ再び火を灯そうとしている。


「自覚はしとる。警官としての命脈を絶たれ、契約とやらで縛られた挙句、影に怯えた年月、わしゃ奴の玩具だった」


「だった……過去形ですね」


「契約を反故にしたのは、向うの方よ。それに今なら標的になるのは老い先短いわし一人。決着をつける頃合いかもしれん」


「リベンジ・タイム、到来ですね」


 更に前のめりで言う笠松を見て、五十嵐は眉間に皺を寄せた。


「騒がしいわ、小僧!」


 怒声で思わず身を縮める笠松へ、五十嵐はぐっと顔を寄せて藪睨み。若者の額に冷や汗が滲みだしたのを見て、破顔した。


「全く、ジェネレーション・ギャップという奴かのう。そう能天気に言われると、悩んでいたのがアホらしくなるわい」


 声を上げて五十嵐は笑い、呆気に取られている笠松の横で富岡もニンマリした。


「そうそう、そういう能天気な奴なんですよ、笠松君は」


「お前の教育がなっとらんせいじゃろ」


 顔を見合わせて笑う二人を見て、笠松は仏頂面を浮かべる。五十嵐に突っ込まれるのはまだしも、富岡にだけは言われたくない。


 そんな後輩の気持ちを余所に、富岡は笑いを収め、


「でも、まぁ、借りは返さないと」


「まず真っ先に突き止めるべきは『タナトスの使徒』の管理人について、かの? ディープウェブ版はお手上げじゃが、その入口となる表サイトの方なら何とかなると思う」


「サイコパス・ネットワークについては、俺も警視庁のサイバー犯罪対策課へ相談してみます」


「富岡さんの話だと、上は都市伝説扱いしそうですけど」


「わしが隅から聞いた話以外、何の根拠も無いしの。おまけに上層部のウケが悪いと言う点でわしも富岡と変わらん」


「何とかうまく話すつもりでいますがね、それ以外にも……」


「消息不明の、隅の居所か?」


「更に気がかりなのは奴の言う契約が破棄され、犯罪を再開した理由です。十年前に殺しより面白い何か、奇跡的な出会いがあったと口にしたんですよね」


「ああ」


「その何かが終わったか、次の段階に入ったか……荒生岳や気仙沼の事件も単なる前振りに過ぎない、そんな気がするんですよ」


 二人して考え込む横から、躊躇いがちに笠松も口を挟む。


「でも、その……変じゃないですか?」


 五十嵐と富岡が同時にこちらを見た。


 笠松は口ごもるが、勇気を出して後を続ける。

 

「え~、隅のネットワークが犯罪に手を染めていたとして、世間には知られていない。長い間、完全に隠蔽してたんですよね?」


「わしはそう思っとる」


「でも今回は違う。わざわざ晒してる。外部から覗けないダークウェブだけじゃなく、短い時間とは言え、表のサイトにまで殺人動画を流したんだから」


 五十嵐は唸り、深く考え込んだ。


「何を考えとるか判らん連中だから、その辺の矛盾は考慮しなかったが、確かに変じゃ」


「単純なミスと思えませんしね。例えば、組織の中に事件を誇示したい者と隠したい者がいて、対立しているとか」


「そちらも調べてみる必要があるな」


「もしかして、でっかい資金源みたいな奴かいるんじゃないすか? やる事なす事大掛かりだし、そいつの意向で『タナトスの使徒』に影響が出てる、とか」


「小僧、中々、良い所に気が付くじゃないか?」


「あ、その呼び方、止めてって言ったじゃないスか」


 渋い顔になる笠松の肩を富岡が柔らかく叩き、五十嵐も又、声を上げて笑う。


 それは捜査一課の昼行燈と若造にトラブルメーカーの元レジェンドを加えた、見るからに危ういチームの発足する瞬間でもあった。


読んで頂き、ありがとうございます。


次回から守人の心の中に何が起きていたのか、隅が言う「奇跡の出会い」が何なのか、探っていきます。

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