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或る人殺しの肖像 2



「手詰まりの警察庁は欧米のシリアルキラーに対する捜査手法を研究すべく、チームを発足させた」


 二十名ほど写った古い集合写真をバッグから引っ張り出し、五十嵐が富岡と笠松の前に置く。


「あ、これ、先生ですか?」


 笠松が指す集合写真の後列、斜に構えた小男がいる。髪の毛こそ豊かだが、その不機嫌そうな表情は今の五十嵐と変わらない。


「ああ、35才の頃だ。当時は科捜研に籍を置き、発足したチームは警察の人間が中心だった。しかし、全く新しい取組みという事で民間からも広く優秀な人材を募ったんじゃ」


「見るからに精鋭、という感じです」


「……一人をのぞいて、と言いたそうだな、オイ」


「僻み過ぎですよ、先生」


 と言いつつ、富岡は浮かびかけた微笑をかみ殺している。


「チームが発足した1991年当時、プロファイリング研究の最先端はFBIとイギリスのリバプール大学だった。警察庁はFBIを選び、わしらは20週間にわたる研修に参加した後、二人一組でレポートを作成、競い合う事になっていた」


 五十嵐は写真の中で彼の隣に立つ痩身の男を指さした。


「わしと組んだのは、帝都大学・大学院の心理学研究室から参加した隅亮二という男じゃ。元は外科医なのに心理学へ転じ、臨床心理士の資格も持つ変わり種でな」


 写真の中にいる隅は五十嵐より十才くらい若く、身長は175センチくらいだろうか。


 富岡はふと怪訝そうに眉を寄せ、無言で写真を凝視した。


 痩せている点は彼と同じだが、しなやかな体に猫科の獣を思わす精悍な印象があり、むしろ二人より刑事っぽい雰囲気が漂う。


「まぁ、途轍もない切れ者よ。FBIの研修時は寮の同じ部屋でわしと共同生活を送ったんだが、暮らしぶりからして違う」


「天才と何とかは紙一重、みたいな感じですか」


「いや、見た目はむしろ平凡。美術館巡りが趣味と言うての。メトロポリタンやらボストンやら、暇を見つけては出かけておった」


「美術館巡り?」


「ヨーロッパ……例えば宮殿を改装したルーブル美術館辺りの優雅さに比べると、アメリカの美術館は豪華な反面、歴史の落とす影が感じられない、としたり顔で講釈を垂れた事がある。意外にミーハーな奴だと内心笑っておったが……」


 遠い目で過去を振り返る五十嵐の表情が、苦々し気に歪んだ。


「全ては理詰めの演出。美術館巡りなど口実に過ぎず、奴は密かにアメリカの著名な心理学者や研究機関を尋ねておった。自らの知見を高め、将来の糧となるコネクションを広げていたんじゃ」


「へえ」


「世界の深淵を覗いてくる、と下手な冗談を言いおってな。違法スレスレの治験で知られる製薬企業の重役や軍関係者とも会っていたらしい。勿論、研修の方も手を抜かなんだ。おかげで奴と共作したレポートは研修参加者中、最高の評価を得た」


「今も昔も、警察って組織は人を競わせるのが好きですねぇ」


 昇進試験の勉強で日々苦闘中の笠松はしみじみ頷く。


 その目前に今度は分厚い冊子が置かれた。経年変化で色褪せており、当時、五十嵐と隅が書き上げたレポートの実物らしい。


「その結果、わしは1995年、科捜研と科警研が共同で立ち上げたプロファイリング研究会に中心メンバーとして参加したのよ」


「その隅さんって人と一緒に?」


 五十嵐は首を横に振る。


「どうして? 優秀な人だったんでしょう?」


「本人が望まなんだ」


 五十嵐は、街中の真新しい医院の前に立ち、白衣に身を包んだ姿で写っている隅の写真を見せた。


「暫くの間、奴は帝都大学に籍を置いたまま、警察の犯罪心理研究に関わっておったが、大学を去り、地方の病院で勤務する経験を幾つか積んだ後、千葉で心療内科のクリニックを開業している」


「写真の日付は2007年の6月ですね」


「そしてその年の夏以降、猟奇的な殺人事件が続けて起きた」


「現場へ臨場なさったんですか?」


「特に印象深いのは2007年9月26日、埼玉の中年女性が一人で暮らす家へ何者か押入り、刃物で内臓を抉り出した事件じゃ」


 五十嵐は虚空を睨み、当時の記憶を辿りだす。






 残暑の生温い雨が落ちる中、埼玉郊外のボロい一軒家前にパトカーが所狭しと停まってたのを、今でも良く覚えとる。


 昼過ぎに到着した時、鑑識は仕事を半ば終え、遺体は運び出される寸前じゃった。


 FBI流のプロファイリングは犯人を秩序型、無秩序型、混合型に分類する事から始まる。酷く荒らされた現場の様子で判断する限り、典型的な無秩序型に見えた。


 血と肉片と、ガイシャの持ち物が辺りへ出鱈目に散乱しとっての。

 

 他の奴が気付かない犯人の署名的要素を探し、その結果、目に付いたのは整頓された台所じゃ。


 ちっぽけな家の割りに大きい冷蔵庫でな。


 わしゃドアを開き、中を覗いた。食材、飲み物の容器等が並べられ、特に異常は無さそうだったが……

 

 

 

 

 

 五十嵐のスクラップ帳には、その冷蔵庫の中身を撮影した写真も数枚入っている。


「わしには奇妙に見えたのよ」


「庫内が荒らされた痕跡は無いのに、ですか?」


「被害者は今で言う『片づけられない女』だった。にも拘わらず、この中だけ整っとる。何らかの目的で犯人が冷蔵庫を使用し、痕跡を消したのではないか、と疑った」


 五十嵐は写真の中から牛乳瓶が写った一枚を抜き出した。モノクロで色は見分けられないが、中身は明らかに濁っている。


「これ、牛乳が腐ってたんスか?」


「いや、ヨーグルトじゃ。それも被害者の血液を混ぜ、丹念にかき混ぜた代物よ」


「ち、血をヨーグルトに!? まさか犯人が……」


「そ~りゃ食ってたさ、勿論」


 富岡が口を挟み、笠松は気味悪そうに顔を歪めたが、五十嵐はあくまで淡々と言葉を継いでいく。


「瓶のみならず、庫内をくまなく調べたが、指紋や唾液等は出なかった。それだけ丹念に証拠を消す犯人だとすると、今度は犯行分析のプロファイリングと食い違う」


「無秩序型なら証拠隠滅に拘らない筈ですものね」


 五十嵐は書架から分厚い英語の原書を取り、ある頁を開いて、暗い目をしたアメリカ人の写真を指さす。


「若いの、知っとるか? リチャード・トレントン・チェイス」


 無言で下を向く笠松に代わり、富岡が答えた。


「吸血鬼と呼ばれた男ですね」


「こいつは被害者を殺す度、血肉を必ず口にしている。さもないと誰かに盛られた毒の為、己の血が砂に変わると信じていたんだ」


「砂? 何で、そんな事を?」


「妄想の類だから根拠なんて無い。ここで注目すべきは、当時の日本じゃ知名度の低い凶行を埼玉で再現した奴がいるって事じゃ」


 結局、その問いの答えは見つからなかった。


 目撃者はおらず、捜査は空転。一応、通り魔による犯行として継続捜査の対象になったものの、事実上の御宮入りとなる。


読んで頂き、ありがとうございます。


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