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或る人殺しの肖像 1



(14)


 西新宿の繁華街とさして遠からぬ裏通りにおいて、一日の中で最も静かなのは早朝、朝日が昇る前後の僅かな時間帯だ。


 酔客は始発の電車に揺られて去り、住民がさして多くない分、ジョギングに励む男女の姿も無い。


 9月18日、火曜日の朝もそんな静寂に包まれていて、エレベーター設備も無いオンボロ分譲マンションの外階段を下りる音がし、裏口の方から暗い路地へ出て行こうとする人影が一つ。


 右手に何やら詰まったスポーツバッグを下げ、そ~っと辺りを伺う横顔は五十嵐武男である。


 見渡す限り人影は無く、ほっと安堵の吐息をもらした五十嵐は大通りの方へ歩き出すが、

 

「うわっ!?」


 電柱の裏側から富岡がヒョイと飛び出してきて、後ずさった足が絡み、そのまま尻餅をつきそうになった。


 富岡は咄嗟に五十嵐の体を支え、「先生、お待ちしておりました」と、にっこり笑う。


「お前、どうして?」


「いや~、三日連続で夜中に押しかけ、あなたにあれだけプレッシャーを掛けとけば、その内、逃げ出すと踏んでいました」


「わしに罠を掛けたのか!?」


「ええ、こうすれば俺に見せたくない重要な資料を全部、書斎の隠し場所から持ち出してくれると思いまして、ね」


 富岡の目がチラリとバックを見やる。


「素直に協力してもらえませんか?」


「誰が、貴様なんぞに」


 すっかり頭に血が上った五十嵐はマンションの階段へ突進し、玄関の物陰に潜んでいた笠松が飛び出して、通せんぼを食らう。


「笠松君、確保!」


 富岡の号令一下、息を切らした五十嵐を取り押え、バッグを取り上げるのは赤子の首を捻るより簡単である。


「はい、ごくろ~さん」


 前夜からの張り込みで疲労の滲む笠松からバッグを手渡され、富岡は抱え上げてその重みを確かめた。


「オイ、人様のバッグ、強引に取り上げる気か?」


「非常に、遺憾に存じます」


「気持ちの問題じゃない。任意だろ? 拒んだら返すしかなかろ」


「あ~、本当はコレ、もう取ってあるんです」


 富岡は正式な捜索差押許可状を懐から出し、五十嵐へ示した。


「先生が持つ犯罪資料の重要性については、前から上に話を通していましてね」


「……お前らしいわ。嫌らしいまでの準備の良さが」


「家宅捜索した所で、警察の手の内を知り尽くす先生なら資料を隠し抜くかもしれない。やむを得ぬ選択でした」


「……畜生、わしを弄びおって」


「気が小さい人の行動は読めるんですよ。私も自他ともに認める小心者ですから」


「お前と一緒にすんな!」


 五十嵐は憤然とマンションへ戻っていく。


 スポーツバッグを手に追う富岡のニヤケ面を見て、笠松は老学者を気の毒に感じた。


 必要に迫られて、と言うより、半ば楽しみながら富岡が罠を仕組んだ様に見えたのである。

 

 ある意味、快楽犯に近いレベルで性格歪んでんじゃねぇの?


 先行する先輩刑事にそんな疑念を抱きつつ、笠松はマンションの外階段を上っていく。






 五十嵐のマンションに戻り、前と同じ書斎へ入って、富岡は資料のバッグを持ち主の前に差し出した。


「これ、一旦お返しします」


「良いのか?」


「俺にとって資料は二の次。むしろ先生から直接お話を聞く方が重要でしてね。何故、これまで口を閉ざしてきたかも含め、お話頂くまで何時間でも居座りますよ」


 富岡のずうずうしさに、五十嵐は口元を歪めて笑った。


「……まぁ、仕方ない。奴が本当にまた殺し始めたなら、わしとの契約も終わりだろうしな」


 契約、という言葉に笠松が眉をしかめる。


「奴って、例の『赤い影』っスか? それと契約って一体?」


「そう急くな、小僧」


 傍らの書架から、五十嵐が取り出したのは、1988年と89年の新聞記事を集めたスクラップ帳だ。


 東京、埼玉で発生した有名な連続幼女誘拐殺人について報道した物である。

 

「アメリカを発祥の地とするプロファイリング捜査について日本の警察が着目したのは、この事件がきっかけだった」


 静かに耳を傾ける富岡の隣に立ち、笠松は4才から7才までの幼い少女が次々に殺害される凄惨な事件の記事と、逮捕後、無表情で連行されていく宮崎勤という男の写真を見つめた。


 データバンクに残る公的な名称は「警察庁広域重要指定117号事件」。


 それは二十代半ばの笠松にとって遥か遠い過去に思えるが、現在に至る警察の捜査の在り方を大きく変えた事件でもある。


「それまで、日本には明確な動機の無い快楽犯、シリアルキラーという発想が殆ど無かったのよ」


「凶悪なレイプ殺人とか、終戦直後も多かったんじゃないスか?」


 乏しい知識を動員した笠松の問いに、五十嵐が頷く。


「戦争による心の傷が社会全体を覆っていた時期には過激な事件も起きたが、当時は犯罪をシンプルに判断しておった」


「シンプル?」


「要するに、欲望の発露で片付けたんじゃ。例えば、変態が助平根性で女を襲い、殺した、とかな。当たり前の人間が抱く当たり前の欲望の延長線で片づけ、それで世間も納得した」


 スクラップブックの頁がめくられ、1980年代末期のモノクロ写真を五十嵐は示した。


「状況が変わったのは宮崎の事件の前後、90年代に近づく頃よ。例えば1988年3月、名古屋で臨月を迎えていた妊婦が殺害され、傷口から胎児が取り出される事件……」


 五十嵐がスポーツバッグから独自に作成したノートを取り出し、マスコミに公表されていない現場写真を見せる。


「宮崎勤は捕まったが、名古屋の件は未解決のままだ。異常な事件が増える一方、警察が積み上げてきた捜査のノウハウは通用せん。宮崎の場合にせよ、犯人が執拗に犯行を繰り返していなければ、逮捕まで至っていたかどうか?」


「合理的な利害や欲で行われる犯罪じゃありませんからね」


読んで頂き、ありがとうございます。

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