CURTAIN CALL 1
(37)
『赤い影』を名乗るシリアルキラーと『タナトスの使徒』という闇サイトにまつわる事件に一応の決着がついてから、二か月の時が流れた。
東京の下町では既に師走の気配が濃い。
その慌ただしい空気が流れる中、笠松透は地下鉄の出口を出て、渡されたメモの住所を頼りに先輩刑事の住むアパートへ向かっていた。
あ~ぁ、結局、貧乏くじとの縁は切れねぇか。
相変わらず、若さに似合わぬグチばかりだが、意外に嫌そうではない。
むしろ楽し気で、足取りも弾んでいた。今日はこれから、富岡の部屋で五十嵐と富岡自身の快気祝いを行う予定になっているのだ。
福島の山間地に根城を築いていた『赤い影』の一味に対し、捜査本部に連絡をしないまま、単独潜入した富岡への責任追及の声は大きかった。
何せ、謹慎を食らった身の上でありながら更にルールを逸脱した訳で、懲戒免職も十分ありうるケースである。
本人も覚悟していた筈だが、最終的に出た処分は謹慎の延長と半年の減給。安月給の宮仕えだから辛いは辛いものの、いい年をして失業するよりずっと良い。
事件を解決に導いた功績と相殺する形で、雨宮課長が上を説得したのではないか、と笠松は思っている。
もっとも、内心で「解決か、アレ?」と言いたい気分も残っていた。
一番気掛かりなのは、陸奥大学・精神神経医学教室に立て籠もった時、ムカつく言葉でアレコレ挑発してくれた動画の『隅』についてだ。
何とか生き残ってラボを出る直前、笠松は増田文恵に、あの『隅』が何者なのか、彼女なりの見解を尋ねている。
晶子が自爆する前、『隅』と交わしていた会話の内容は、ラボのパソコンにしか中継されていなかったそうで、その動画データにせよ、残念ながら残っていない。
事件の黒幕と思しき『隅』と会話を交わした生き残りは文恵、正雄、そして笠松自身だけであり、捜査一課へ戻る前に考えをまとめておきたかったのだが、
「本物の人間がネットの向うにいる、というより、ディープフェイクみたいだな、と思ったんですよ、私」
と文恵は思案顔で答えた。
文恵によると、ディープフェイクとは動画や静止画の一部、或いは全体を別の素材で巧妙に置き換え、実際には存在しない動画等を作り上げてしまう技術らしい。しかも、加工処理を行う機器が自ら学んで、精度を向上させていくディープラーニングを応用している為、見破るのは非常に難しい。
アメリカ大統領の偽インタビュー映像がネットへ流出した件で世間を騒がせたから、笠松も名前くらいは知っている。
それに、
「言葉の方は、そもそも私達、隅と直接話した経験がありませんから、デジタル処理で適当な声を作り上げ、チャットボット的仕組みを使う事もできます」
とも文恵は言った。
チャットボットとは、平たく言うと自動的に不特定の相手と会話するプログラムで、極めて特徴的な言い回しを再現するなら特に難しくないらしい。
つまり、隅本人が生きている必要は無く、あの時の状況なら誰かが、或いは何かが、隅を演じる事は十分可能だったのだ。
ラボ襲撃事件の二日後、文恵と正雄は、千代田区霞が関の警察庁・本庁に呼び出されて事情聴取を受けた。
理路整然とした文恵の言葉には強い説得力があり、やや脱線気味の正雄の説明と相互矛盾が無い上、刑事である笠松が同様の証言をしていた事で信憑性は申し分が無い。
警察庁は、自首してきた高槻守人を連続殺人事件の容疑者から外し、文恵の証言に沿う内容を記者会見で発表。
連続殺人は来栖晶子、志賀進、及びその仲間による犯行。西新宿のマンション及び福島県の廃校爆破や大学での暴動騒ぎはカルト集団『タナトスの使途』メンバーによるテロという事で、事件全体が決着を見た。
但し、明らかにできなかった事件の側面は、敢えて情報が伏せられている。
マスコミ報道は『隅』の動画と『スポンサー』について触れてさえおらず、単に「狂った女と狂った集団の殺人遊戯」が面白おかしく語られるだけ。
意図的な警察の情報操作でもあったのだろうか?
それに、あの奇妙な『隅』のライブ、死にゆく晶子が最後に語った『スポンサー』の暗躍を、只の悪ふざけで済ませて良いものか?
笠松からすると、以前の様にSNSが炎上しないで済んだ点は有難かったのだが……どうにもスッキリしない。どでかい胸のつかえが下りてくれそうにない。
左胸を刺され、高槻守人と能代臨により病院へ担ぎ込まれた富岡は、意外と軽症で、十日前に退院していた。
今日まで快気祝いを遅らせたのは、より重症だった五十嵐武男の退院を待っていたからだ。
「おう、よく来たな、若造!」
呼び鈴を押し、玄関へ入ると、馴染みのある野太い怒鳴り声が聞こえた。五十嵐は先に来て、もう呑み始めているらしい。
「早く、こっちへ上がって来いよ」
富岡に呼ばれて狭いリビングに入る。几帳面なほど片付いていて、富岡のマメさが伝わってきた。
部屋の真ん中には年代物の炬燵があり、布団に載せられた板の上、カセットガスコンロの炎で鍋が煮立っている。
かいがいしくキッチンとリビングの合間を行き来し、味見やら調理やら大忙しな富岡のエプロン姿がしっくり馴染んでいた。
「オッサンが作った割に意外とうまいぞ、ホレ、早く座らんか」
「……五十嵐さん、他人の家でもでかい顔するんですね。いい年して、遠慮のえの字も知らないでしょ」
「ナマ、言ってんじゃねぇ。それにしょ~がね~だろ。俺のマンションは跡形も無い有様で、次の行き場も決まってねぇンだから」
「俺ン家、しばらく居候してもらう事にしたんだよ」
笠松は露骨に顔を顰めた。偏屈爺と能天気中年のワンペアが一つ屋根の下とは、絵的にキツ過ぎる気がする。
取り合えず挨拶はできたし、早めに帰ろかな。
そう思いつつ炬燵に足を入れると、やたらエプロンの似合う先輩刑事が鍋の中身を小皿によそってくれる。
「ほれ、食ってみろ。東北の味だ」
「東北?」
蕩けた麩の棒を頬張ってみると、笠松の口の中に独特の芳醇な香ばしさが広がった。
「へ~、これがはっと汁ですか! 油麩って、こんなにうまいもんなんだなぁ」
「お前ら、俺んちへ土産に持ってくる前に、味見くらいせんかったのか?」
「……折角、快気祝いをしてあげてるのに、憎まれ口は止まりませんねぇ」
富岡は苦笑して五十嵐の猪口へ酒を注ぎ、富岡の分には笠松がついで乾杯をした。
しばらくはのんびり舌鼓を打った後、
「それにしても、来栖晶子の執念には恐れ入ったな」
五十嵐がポツリと口にする。
「帝都大学での先輩、後輩の間柄から始まり、共に働く機会を得て、隅を愛する様になったんスね。共感性に乏しいサイコパス相手じゃ、殆ど報われない一方的な愛情だったろうに……」
「陸奥大学に入り込んだのも、隅の遺志をついで高槻守人を側で見守る為なんてな。ホント、女は怖い」
「その年で女っ気に見放された富岡さんじゃ説得力無いけど」
片付いている反面、古本が置かれているだけで飾り気のない殺風景な富岡の部屋を見回し、笠松が言う。
「ま、要するに……快楽犯の狂気ではなく、愛の妄執がなす業だったと」
「若造も中々、言うようになったわい」
「じゃ、ついでに聞かせてもらいますけど」
ふと笠松は表情を改め、
「本当の理由を教えてもらえませんか、富岡さんと五十嵐さんが同居する目的……まだ何か、組んで調べるつもりなんでしょ?」
と富岡を見つめる。
「いや~、成長著しいねぇ、笠松君」
茶化す富岡だが、今更、本音を隠す気も無いようだ。
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