出会い
目が覚めたのはうるさいセミの合唱でも無く、おじちゃんの呼ぶ声でも無く、見目麗しい女の子の呼びかけでも無く、ただ草刈機の石を弾くチュインチュインという音だった。
これが田舎の現実ってやつか……。
思っていた心地よい目覚めとは異なる事に少しガッカリしつつも、時計を見ると朝の8時だった。
窓から外を見てみると、そこには草刈機を持ったおじいちゃんが、左右に振りながら草を薙ぎ倒していた。
鼻の中を夏特有の湿った熱気と、慣れていない草の潰れた青臭い匂いが通り抜けて少し眉を顰めたが、おじいちゃんに声をかける事にした。
「おはよう、手伝うね」
「んお?おぉ!おはようさん!えやー!すまんの!やっぱりもう歳なんか腰が痛くて痛くて……」
そんな様子で腰をささるおじいちゃんに俺は笑い掛けると、窓を閉めて、もう既に気温が三十度を越えようとしている中、大きく伸びをすると長袖長ズボンに着替えて裏庭に降り立った。
「やり方分かるか?」
「うん、上から見てたから」
「おぉ!流石やなぁ!それじゃあ中で美味しいやつ用意して待っとくわな!」
「うん、お願い」
俺はそうして草刈りを始めた。
徐々に高くなる日に暑くなる気温の中、チュインチュインと時々石を飛ばしては壁に当たって跳ね返った石に撃たれながら、庭の七割の草を刈り取り一息着こうと良さげな石を見繕って座り込んだ。
「うっ!?」
俺が偶々手に取った石は置いた後に少し角度が傾いたのか、尖っている部分を尻に敷いた俺は若干うめき声を上げた。
眩しい光に目を窄めて一つ深呼吸をすると、足音が聞こえた。
「おじいちゃん?もうご飯の時間?」
立ち上がって足音のする方を向くと、そこには昨日挨拶を交わしたしぐれが立っていた。
「………な、何かな?」
「……私はおじいちゃんでは無いですよ」
「あぁ、てっきりおじいちゃんが来たのかと思ったよ」
内心恥ずかしさのあまりに顔を覆ってもんどりを打ちたい気分だったが、何とかそれを堪えて俺は話を続けた。
「それで……どうしたんだ?」
「先日のお礼をと……」
そう言って彼女は俺に何か、手作りのお菓子を差し出した。
「わざわざ……ありがとう」
「いえ、どういたしまして、お礼はキチンとするべきだと教えられていますので」
「そうか……それじゃあまたこれのお返しを……」
「!?」
驚いた様に振り向いた彼女に俺は、してやったりと笑いかけた。
「冗談だよ冗談……ありがとうな」
「揶揄うのは大概にしてくださいね……?それでは」
と、彼女は呆れた様にそう言うと行ってしまった。
「………青春やなぁ」
「おじいちゃん、そういうのは分かってたとしても口に出さないのが大人だと俺思うんだよね」
「それはすまん……庭の方はもう一息やな」
「うん、直ぐに終わらせるよ」
そして、草刈りを再開して全部刈り取り、日も頂点に来ようとしている頃、家の前からガッシャーンと何かが激突する音が聞こえた。
何事かと思い家の前に行ってみると、家から少し離れたところで男が自転車で転けたのか、うつ伏せになって転がっていた。
「き、救急車ー!!」
男が救急車に搬送されて行くと、自転車はおじいちゃんの家の車庫で少しの間預かる事になった。
心配だったが、どうすることもできないので取り敢えずお昼ご飯を食べて宿題を進めた。
宿題を終えてクーラーの涼しい風に気持ちよく目を閉じていると、おじいちゃんが釣竿を持ってやって来た。
「宿題終わったら釣りにでも行かんか?」
「いいねぇ、ちょうど終わったところだから行こうよ」
「よし、帽子はしとけよ、熱中症なるからな、帽子じいちゃんのでええねやったらあそこにあるから、適当に見といて」
「はーい」
返事をして筆記用具をしまって、適当に帽子を見繕うと俺はじいちゃんと島の港へと向かった。
「お、来たか」
「おう、あ、すまん、言い忘れてたけど乗り物酔いは大丈夫か?」
「ま、まぁ多分……」
「山城ぉ……安心し、一応酔い止めは持ってるから……ほれ、飲んどけ」
「すまんなぁ、マサ」
「ありがとうございます」
俺はじいちゃんの友達から酔い止めの薬を貰うと、自販機で買った水で飲み込んで船に乗り込んだ。
「まぁ、割と大きめな船ではあるからそんなに揺れんはずやけど吐きそうなったら船の外に頼むわな」
「は、はい!」
船のエンジンが掛かり、ゆっくりと港を出ると徐々に速度を上げて島の周りを回り始めた。
「折角やしぐるっと見回ってみるのもええやろ?」
「うん」
暑い日差しに、少し冷たい海風を気持ちよく感じながら島を回っていると、岩だらけの海岸に何か小さな光が見えた様な気がした。
「あれ……」
「どうしたんや?何か見つけたんか?」
「あそこで何か光って……」
しかし、お爺ちゃんが見る頃にはその光は無くなってしまっていた。
「何や、何も見えへんぞ?」
「……昔、漁に出て死んだ人を祀る為の石碑があそこら辺にあったんやけど、だいぶ昔に嵐で流されてしもたからなぁ……」
「何言っとんねん、それこそ流された後すぐに新しく建てられたやろが」
「ちぇっ……」
少しおじいちゃんの友達の言葉にヒヤリとしていると、おじいちゃんのその言葉と友達の反応を見てホッとした。
「……でも昔はこの島には死んだ人はお稲荷さんに見そめられて、連れ去られるって『神隠し』があるって話があってやなぁ」
「そろそろええやろ、ここで始めよか」
「……友人の冗談ぐらいは聞いてくれんかなぁ?」
「俺が聞いてますよ!」
「あぁ、ありがとう、ホンマ薄情な友達やわ」
「俺が幽霊とか怖いの知っててそういう話するからや!」
おじいちゃんお化けとか苦手んなだ……。
通りで若干顔が青いわけだ。
そう思いながら俺はおじいちゃんから手渡された釣竿を持って、餌をつけると釣りを始めた。
釣りはおじいちゃん曰く始める時間が良くなかったせいか、あまり釣れなかったらしい。
それでも俺だけでも十匹程魚を釣る事が出来て満足だった。
帰る際におじいちゃんは悔しそうにリベンジを誓っていたが、スーパーによると魚を一匹買って家に帰ると、それを晩御飯にすると言った。
家に帰って、買った大ぶりの魚と釣った魚、小ぶりな魚だったけど、おじいちゃんはそれを丁寧に捌いて、刺身にしてくれた。
残った骨は油でしっかりと揚げて骨せんべいとして、塩胡椒や柚子胡椒を振りかけて食べるととても美味しかった。
そろそろ風呂に入ろうかと思っていると、家のチャイムが鳴った。
俺は食器を洗っていたのでおじいちゃんが出ると、入り口からおじいちゃんが俺を呼ぶ声が聞こえた。
何事かと思って入り口に向かうと、そこには昼間救急車で連れて行かれた眼鏡をかけたあまりパッとしない男がそこに立っていた。
「あー!君か!俺助けてくれたん!いやー助かったわー、いやね、自転車のブレーキ壊れてたんか知らんけどここら辺坂多いやんか?んでもう止まらん様になってしもてさぁ、ガードレールにぶつけるか足で踏ん張って止まろうとしてんけど、いかんせん俺をサドルめっちゃ上げるタイプの人やからさぁ、足全然届かんくて……んで事故ってしもてんけど、あっ、遅くなりました俺は一応大学の准教授をやってんねやけど、日本の妖怪とかの地方の民話とか伝説の跡を追ってんねん……あれ?どないしたん?」
「……いえ、何も……」
「んでやなぁ……」
「ちょちょ!一旦ストップ!」
唐突にやって来た男はマシンガントークで何かを話していたが……多分三割聞き取れていたらいい方だろう。
ただそれでも気になる、と言うかギリギリ聞き取れた内容として、このメガネをかけた胡散臭い男はどうやら俺が昼に助けた人らしい。
「お元気そうで……骨折とかは?」
「いやー!なかってんよ!ホンマに運良かったわぁ俺!まぁ、長話したらアレやし、これお礼の菓子折りですわ、んでこれが俺の名刺、暫くはこの島で色々調べたいから何かしたい事とか聞きたいことあったら基本暇してる……げふんげふん、空いてる時やったら手伝えるからいつでも連絡してな!ほな!」
と、一人で勝手に話を進めるとおじいちゃんにお菓子を渡して出て行ってしまった。
「……あっ!自転車!」
おじいちゃんが気がついて外に出て行ったが、既に男の姿は無くなっていた。
「全く……後で連絡するか……」
「ごめんなさーい!」
「えぇ……」
再び嵐の様に現れた男はペコリと頭を下げた。
「自転車を忘れとりました!いやー!すいませんすいません!それじゃあ今度こそ、ほな!」
………今度こそ行ってしまった……よな?
こうして今度こそ去って行った男におじいちゃんと俺は首を傾げると、袋の中に入ったお菓子を覗き込んだ。
「何こ……えぇ!?」
おじいちゃんが驚愕の声を上げた。
何だろう嫌な予感がする。
「これめっちゃ高い饅頭やで!?……えぇ……そーいや大学の教授かなんか言うてたよなぁ?」
別にそれ程悪いものでは……と言うかむしろ良いものをもらってしまった様だ。
「おじいちゃん教授じゃ無いよ、准教授らしいよ……?」
「んーなんどっちも一緒や……しっかし何でそんな偉い人がこんな島に?何や?大学の教授て案外暇なんか?」
多分大体合ってると思う。
頷きながら貰った名刺をみると、そこには聞いたことのない大学名と、藤原 与一という名前が書いてあった。
……何だろう、また会いそうな気がするなぁ
そんな嫌な予感をしつつも、その後は特に何事も無くお風呂に入って就寝する事が出来た。