第3章 第13話 昔話 4
「師匠は昔、人を殺したことがあります」
有栖ちゃんの部屋に戻ると、開口一番有栖ちゃんはそう明かした。絶句するわたしと轟さんを置いて有栖ちゃんは続ける。
「アリスが師匠と出会ったのは中学最後の一年のみ。なので今からお話しする話は伝聞がほとんど。あくまでも噂程度、に収めてください。それと面白半分で広めないこと。漏れた時点で徹底的にぶちのめします。あなた方を信頼してお話しすることを覚えておいてください」
わかっている。これはわたしとせんぱいがわかり合うためだけのもの。それ以外には必要ない。
「まず師匠ですが……基本的には今と変わりません。陰気で生意気で正義に溢れ、自分を犠牲にする方でした。しかし雰囲気とスタンスだけは今とは真逆。厳しく、暴力を辞さなかったそうです」
あのせんぱいが暴力を……。いや、だからこそ今は暴力を禁じているのか。
「とは言っても自分がやられる分には黙っているのは今と同じ。だから入学当初からいじめられていたし、友だちもいなかったそうです。ですが師匠は剣道だけできればいいという方なので、特に気にはしていなかったそうです」
「そして事件は起きました」。有栖ちゃんが辛そうに小さく言う。
「アリスたちの出身中学はとても荒れていて……。だからあるんです。大人数で女性を囲み、襲うということが。1年生の夏前だと聞いています。師匠がその場に出くわしたのは」
もう聞かなくてもわかる。せんぱいが何をしたのか。せんぱいがどういう方なのか。
「20人以上の相手に孤軍奮闘一騎当千。その女性を救うために、とにかく暴れたそうです。『血濡れの髪のアリス』なんて霞むくらいに。そしてその結果、1人。殺してしまったそうです」
そういえば小学生の時、そんなニュースを耳にしたかもしれない。でもよくは覚えていない。わたしには関係なかったから。
「相手は盗難や暴力、様々な犯罪をしていたし、正当防衛は認められませんでしたが先に傷つけてきたのはあちらということでそこまで大きな問題にはならず、数ヶ月後には学校に復帰していたそうです。ですが罪を犯したのは事実。剣道部からは追い出され……何より。師匠は人を殺してしまった事実を悔やんでいました」
だからこそ、暴力を禁じた。何が起ころうとも。
「それ以来師匠は心を閉ざし……そしてアリスと出会います。それからはアリスと一緒に不良生徒を更生させ、外部の道場に剣道をしにいく。そんな日々を送り、師匠は中学を卒業しました。それから先はアリスにはわかりません。ただ一つ言えるのは……アリスとの1年間よりも、高校での1年間の方が師匠を変えたということです」
そんな話を聞き、わたしは食事もとらないまま部屋に帰った。何かを食べる気分じゃなかったし、胃には何も入らないと思ったから。そしてせんぱいが部屋に帰ってきたのは、夜の9時を回った時だった。
「ごめん、ちょっと珠緒と軽く剣道してた。少しは身体動かしておかないといざという時お前を守れないからな」
シャワーを浴びてきたのか、着替えも終えいつでも寝れる格好で笑うせんぱいに、わたしは言う。
「有栖ちゃんから中学時代の話を聞きました」
そう短く言うと、せんぱいの肩から防具の入った袋が落ちた。ひどく、ショックを受けた顔をして。
「……ごめん、人を殺すような奴と同じ部屋にはいたくないよな。ずっと考えていたんだ。後輩がその話を知ったら退学しようって……」
「せんぱいの退学の権利を握っているのはわたしだと言ったはずです。だからそんな昔の話で退学なんかさせません」
確かに少し……いやかなり。動揺はした。でも今のせんぱいは、絶対に人を殺したりしない。だからわたしが怯えることは何もない。
そう。関係ないのだ。せんぱいが昔、何をしようが。だから聞いても問題ない。
「中学時代のことは聞きました。だから次は、高校時代。わたしの知らないせんぱいの高校生活を、教えてください」




