第2章 第12話 かわいさ 後編
〇八雲
「はぁ……」
1年生の時。俺はずっと先輩に守ってもらっていた。だから見えるところで直接的な被害が出ることはなかった。
だがこういう遠征先での宿泊など同学年しかいない場では、その枷は外れる。
今回はまだマシだ。布団が消え去り、横になれるようなスペースもなく、押し入れも荷物が入っていて。俺はベランダで寝ることを余儀なくされていた。
鎌木がいてくれたら裏から手を回してくれたりもするが、男子部屋ではそれも無理。当然嫌だが、まぁこれくらいなら耐えられる。俺だけに被害が出る分にはたいした問題でもないしな。
ということでベランダで横になっていると、スマホが揺れた。見てみると、先輩が部屋に来るよう言っていた。
もう消灯時間をだいぶ過ぎている。俺は脚を気にしながらもベランダを降り、そこから先輩の部屋へと移動する。
「……先輩?」
「やっほ~、やっくん」
先輩の部屋をノックすると、笑顔の花音先輩が出迎えてくれた。
「お妙寝てるから静かにね」
「はぁ……」
先輩は綺麗に布団にくるまっている鍬形さんの真横の布団に入り込み、そして掛布団を上げる。
「おいで~」
そう、言われたら。俺は……。
「はい……!」
「ふふ。静かにって言ったでしょ~? やっくんはかわいいんだから~」
決して逆らうことができない。まるで修学旅行で部屋に異性を連れ込み、先生が巡回しに来た時のように2人で布団の中に完全にくるまる。いや状況的には完全にそれなんだけど……。
「それで、何で俺を呼んだんですか?」
「花音ちゃんたちはずっとこうして寝てたでしょ~? どうやら花音ちゃんはあの部屋に戻れないみたいだから~。こういう時くらいはね~」
吐息が顔にかかる。目の前に先輩の顔があるんだ。すぐ、そこに。
「はぁ……っ、はぁ……っ」
「ふふふ。どうしたの~? 息荒いよ~?」
布団の中にいるからか息が苦しい。先輩も俺と同じ思いをしていると思うと、なんか、すごい……。
「やっくん。キスするよ」
「はい……!」
息がさらに苦しくなる。何も考えられない。頭がどうにかなってしまいそうだ。
「……やっくん。あの女……金銅さんのこと、どう思ってる?」
「はぁ……っ、後輩……ですけど……」
「そうだろうね。でもわからせたいって思ってない?」
「思ってます……あいつは……まだ駄目駄目なんで」
「じゃあ具体的にどうわからせるの?」
「惚れさせる……に近いことをし続けます。あいつチョロすぎるんで。耐性つけさせるなり、凌げるようにしないと危険すぎる」
「つまりは?」
「……俺が先輩にされたようなことをします」
入学当初。俺は瑠奈ほどの敵対心こそなかったが、瑠奈よりよっぽど反抗的だった。それこそ俺が入院するまでは会話すら避けていた。
そんな俺を、先輩が変えてくれたんだ。わからせてくれたんだ。だから俺が瑠奈を……。
「先輩……。俺は、あなたみたいに……」
「そっか……。でもそれは、難しいと思うよ」
だが俺の決意は先輩によって阻まれる。
「やっくんには立花花音のやり方は向いてない。やっくんの武器はそのかわいさだよ」
「……や、それは……」
「わかってる。やっくんは花音ちゃんを目指してるもんね。だったら一つだけ、アドバイス」
「……お願いします」
暗くて先輩の顔はほとんど見えない。でもその顔が、その暗闇よりも深く、漆黒に染まったような気がした。
「やるんなら徹底的にやりな? 金銅さんの人格を壊すくらいやらないと、やっくんは花音ちゃんには追いつけない。それで操り人形にするの。やろうと思えばできるでしょ?」
……それは、できる。断言できる。先輩から教わったやり方を駆使すれば、瑠奈程度。相手にもならない。
「でも……」
「教育っていうのはつまりはそういうことだよ。生き方を強制的に矯正するのが教育。大丈夫だよ、やっくんはかわいいんだから。徹底的にやろうとしても甘さが残る。だから金銅さんも安心!」
そう……なのか……? わからない。でも、先輩がそう言うのなら……。
「大事なのはあっちのペースに呑まれないこと。そうだな、オリエンテーションから帰った直後の部屋がいい。一方的に仕掛けて、無理矢理終わらせる。これが一番いいと思うな」
「……はい」
「何より気をつけてほしいのは、素を出さないこと。どうしてもやっくんはかわいさが漏れ出ちゃうから、非情になって、演技を続けて」
「はい……」
「それで全部終わったら花音ちゃんのところに帰っておいで。絶対に大丈夫だから……金銅瑠奈を、死ぬほどわからせてね。花音ちゃんからの、お願い。安心して、立花花音が一番あなたを愛しているんだから」
「はい……はい……」




