第2章 第6話 先後
〇瑠奈
『立花さん……ですよね。久司せんぱいの後輩、金銅です。……お願いします。せんぱいの退学を止めてください……!』
『……うん。わかった』
それがわたしと立花さんの初会話だった。これだけのかわいさだ。何度も目を惹いたけど、実際に話したのはせんぱいが退学したいと言い出した後。立花さんの部屋を訪ねた時だった。
その時覚えた感情は覚えていないが、まず間違いなく。まるで犬みたいだ、なんてことは思わなかった。
せんぱいに飛びつき、興奮して身体を寄せる姿はまさに犬。正直イメージと大きく違った。
せんぱいがああまで引きずる女だ。たぶんわたしとは真逆の、かっこよくて頼りになる人だろうと思っていた。その実態が、これだ。
「ね~歩くのめんどいからロープウェイでいいよね~?」
せんぱいを部屋に残したことで、実質初対面の気まずい組み合わせなのに、一切気にせず自分のペースで話し続ける立花さん。せんぱいも気は遣えない方だけど、意識してわたしのことを大事にしようとしてくれている。それなのにその先輩がこれなんて。
本当にせんぱいがあそこまで引きずる女なのかな? わたしの方がかわいいし愛嬌もあると思うんだけど。
「さ~乗って乗って~」
ちょうどよくゴンドラが来たので乗り込む。小さな箱の中にはわたしと立花さんの2人だけ。これはこれで気まずいけど、長時間話しながら歩くよりはマシだ。
「はぁ……」
あのせんぱいの顔を見た今、楽しくお話なんてできる気がしない。ため息をつき景色でも見ようと思っていると。
「さて、金銅さん。ボクとおしゃべりしようか」
さっきまでののんびりとした口調とは明らかに違う、低く、鋭い声が向けられた。
「……立花さん?」
視線も向けてみると、やはり違う。まるで別人のような張り付いたような笑顔が正面からわたしを覗いている。
「やっぱ裏ありますよね……」
本当にただの癒し系女に心酔していたのだったら、そっちの方がショックだった。ここからが本音というわけか。
「裏? ああ、人間には裏表がある、というやつか。それは間違いだよ、金銅さん」
「間違い……?」
「表も裏もない、というのが正しい。どれだけ複雑なことを考えていても、心は一つ。ただそこから出力される表面が一定ではないというだけだよ」
そうしたり顔で語ると、急激に表情が変化し、わたしと初めて話した時のような正統派美少女的な明るい笑顔になった。
「普段は私みたいな大衆向けなかわいさがいいよね。王道は人気があるから王道なんだもん。逆に~やっくんみたいなひねくれ者にはかわいいかわいい花音ちゃんがいちばん~。で、君のような臆病者には得体の知れないボクが最適だ」
表情、口調、空気をコロコロと変え、立花さんは笑う。
誰だって。人によって、自分を変える。目上の人にはへりくだるし、年下には少し横柄な言い方になってしまう。わたしの場合はあざとくかわいく。でも近い人には素を出している。
この人は、その極地。他人とのコミュニケーションのために、自分を捨てている。
立花花音という人間は、そんな人間を超越したかのような人間なんだ。
「ていうか……わたしが臆病……?」
「臆病だろう。まったく。やっくんとは正反対だよ」
わたしが臆病なわけがない。いや、せんぱいが臆病じゃないわけがない。
「納得していないような顔だが、事実だよ。人間とは過去の積み重ね。君の過去から考えると……この手はなんだい?」
「どこまで知ってる……!?」
気がつけばわたしは無意識的に、立花さんの胸ぐらを掴んでいた。そして気づいた後はさらに強く締め上げる。
「どこまでと訊かれたら、学校が知ってる範囲だよ。やっくんの性格的には言わないか……。あのね、男女ペアに割り振られた子は決まって問題児なんだよ。厄介な部屋には処分しやすい子を入れた方がいいからね。だから当然調べる。大切な後輩のためでもあるしね」
「……せんぱいは、そのことは……」
「知っている。ああ、問題児部屋だってことはね。君の過去は知らないよ、誓ってもいい。やっくんはそういう人間だからね。ま、現時点ではだが」
「……話したら殺す」
「ボクを傷つけようとしたら君がやっくんに殺されると思うが、どう思う?」
「せんぱいがわたしを傷つけるわけない……!」
「だろうね。ちょっと気になるから試してみようか。なんてことは言わないよ。やっくんに明かすつもりはない。調べようと思えばやっくん自身でも調べられるからね。その上で知ろうとしないやっくんの意思を尊重するよ」
「……ならいいです」
立花さんの胸ぐらを放し、椅子に座る。そろそろ到着するのか、ゴンドラの速度が遅くなった気がした。聞けることがあるなら、今の内がいい。
「……あなたは、せんぱいの気持ちに気づいてますか」
「ボクのことが死ぬほど大好きってこと?」
「……そうです」
せんぱいは感情がすぐ顔に出る。必死に平静を装っていたけど、身体を重ねていた時のその顔は。見たことがないくらいに、幸せそうだった。
せんぱいは、立花さんを愛している。
「立花さんはせんぱいのことを振ったんですよね。なら、なんであんなことするんですか。あんな、ひどい……。あんなことされたら、忘れられないに決まってるのに……!」
「振った? 告白された覚えも、振った覚えもないな」
「じゃあ、何があったんですか。何があって、せんぱいはあなたから距離をとることになったんですか」
「それについては死んでも明かさない。久司八雲のあの想いは、立花花音だけのものだ」
ゴンドラが駅につく。そろそろこの会話も終わりだ。
「あの……」
「勘違いしてそうだから言っておくよ」
開いたゴンドラから出ながら。わたしには決して顔を見せず、立花さんは言った。
「久司八雲を世界で一番愛しているのは立花花音だ。君如きが立ち入れる領域じゃない。邪魔する気なら、徹底的にわからせるから覚悟しておいてね」




