第2章 第5話 先輩
「はぁっ……はぁっ……」
ウェーブがかかったブラウンの綺麗な髪。太陽を思わせる丸く大きな瞳。整った鼻筋。薄いながらも綺麗な色をした唇。シミ一つない綺麗な肌。瑠奈と大差ない小さな身体。なのに大きな胸、尻。それでいて細い腰。最高の、脚。
「はぁっ……! はぁっ……!」
先輩だ。幻でも見間違えでもない。
「あぁ……! あぁぁぁぁ……!」
1年間共に過ごし、共に笑い。世界で一番。大好きで大好きでたまらなくて。だからこそ傍にいることを諦めた、俺の先輩。
「花音……先輩……!」
立花花音先輩が、軽々とデッキの上にあがってきた。
「うぁ……ぁぁああ……!」
「せんぱい」
思考が完全に止まり、ただ何の意味もない言葉を上げることしかできない俺の肩に、瑠奈の小さな手が優しく置かれた。
「なんですかー? せんぱい。もしかしてビビってるんですかー? だっさーい」
「る……な……」
新たないつもとなった瑠奈の煽りを受け、ようやく俺は意識を取り戻す。
そうだ。俺は今、瑠奈に見られている。後輩に見られているんだ。恥ずかしい姿は、見せられない。
「どう……したんですか……」
「ん~? ほら、金銅瑠奈ちゃんっ。やっくんの代わりに花音ちゃんがペアになってあげないとな~って。お昼ごはん抜きじゃかわいそうでしょ~?」
上ずり、震える俺の声とは対照的に、記憶の中と寸分の違いもない楽しそうな声音が俺の耳を支配する。もう何も聞こえない。先輩の声以外、何も聞きたくない。それでも。
「先輩。俺はもう、大丈夫です」
そう、はっきりと言う。俺はもう先輩の後輩は卒業した。今の俺は瑠奈の先輩。泣き言なんて言えないんだ。
「……そっか。じゃあ花音ちゃんたちの部屋でちょっと話そっか~」
やはり記憶と変わらない歩調で、先輩は先を行く。その後ろ姿だけで、今にも涙が出そうになる。
「……せんぱい。大丈夫ですか?」
「……ああ。さっきは助かった。ありがとな」
「別にせんぱいのために言ったわけじゃないんですからねっ。なんて、テンプレツンデレです。ドキッとしました?」
「めっちゃしたした」
「ならいいです」
「ああ」
瑠奈といつも通りを心がけながら先輩の後をついていき、コテージの中の一室に到着する。3年の生徒会は2人。両方とも女子なので同室。部屋はかなり狭い。
置いてあるのは2人分の荷物と、既に敷かれた1つの布団。性格的に、確実に花音先輩の布団だ。絶対もう何度か横になっている。
「……さて」
先輩は部屋の鍵を閉め。
「会いたかったよやっくーーーーんっ!」
俺に抱きつき、布団に押し倒した。
「もうっ。さびしかったんだぞ~。このっ、このっ!」
仰向けに倒れた俺の身体の上に乗り、先輩は匂いをつけるように身体を擦りつけていく。
「ちょっと見ない内にかっこよくなっちゃって~! 嫉妬しちゃうよ~嫉妬!」
一通り俺の身体を堪能した先輩は。
「やっくんちゅーしよちゅー! ちゅーっ」
「ん……んん……」
何の躊躇もなく、口と口を重ねた。
「あむっあむっあむっ」
10秒ほどキスをしたら次は甘噛みの時間。耳や指、肩。様々な部位を口に入れ、それが終わると頬を舐め始めた。
「……ぇ? せん……ぱい……え?」
「あー……こういう人なんだよ、先輩は」
さっきまでの穏やかな笑みから一変。子どものような無邪気な笑顔で俺にべったりし始めた先輩の姿に困惑する瑠奈にそのままの状態で声をかける。
「先輩を表す言葉なんてあるわけないけど……とにかくこういう人なんだ」
自由……とはまた違う。型にはまらない……というわけでもない。
様々な一面が複雑に入り組み、出口がなくなったような人間。が一番近いだろうか。
だから今こうやって俺の首をペロペロ舐めている先輩も、先輩の一部でしかない。
だから。先輩と一緒にいられなくなった。
「ん~とりあえず満足~。じゃあ金銅ちゃん、いこっか~」
「は、はい……」
完全に気圧された瑠奈が、一歩後ずさりながら頷く。だが先輩は俺の身体からどいただけで、布団から立ち上がろうとはしない。
「あ~。なんか暑くなっちゃった~。やっくん、タイツ脱がして~」
「…………」
先輩が脚を放り出してそう言ってきたので。俺は黙って脱がす。
「お~涼しくなった~。あ、やっくん安心して~? ちゃ~んと虫よけスプレーかけとくから花音ちゃんの美脚は守られるよ~?」
「いや……別に……」
「そっか~」
先輩が立ち上がり、スカートの形を気にする。ようやく行く気になったか。
「やっくん」
名前を呼ばれ、見上げる。心底幸せそうに笑う先輩を。
「まて」
子どもにお留守番を頼むようにそう言うと、先輩の姿はあっという間に見えなくなってしまった。
「ふぅー……」
先輩が部屋から出て、ようやく一息つく。いや……まだだ。まだ、だめだ。がんばれ、俺。
「せんぱい……」
心配そうに見てくる瑠奈に。俺は笑顔を見せる。
「こっちは大丈夫だ。先輩に色々教わってこい」
「……わかりました」
瑠奈も渋々といった様子で部屋を出て、俺は。
「先輩……先輩ぃ……!」
ようやく涙を流せた。




