91、最後の一年⑤
クルサールが次にやってきたのは、それからしばらく経った後のことだった。
「これはこれは、ミレニア姫。――随分と、隙だらけの装いで」
「だらしがなくて申し訳ありません。でも、着替えを手伝ってくれる従者はもういないんですもの。独りで脱ぎ着が出来る服を、と注文したら、こんな寝間着みたいな服しかないと言われたから」
ミレニアはおどけたようにスカートの裾を引っ張り、あえて貴婦人のような礼をして見せる。
先日、十四の誕生日を迎えたミレニアは、ついに従者たちに「いい加減に各自の本職に本腰を入れろ」と全員に引導を渡した。給金が支払われない仕事を、いつまでずるずると続けるつもりなのか。
最後だから、といって十四の祝いと称し、各自が持ち出した金で精一杯の祝福を受けた。この服は、マクヴィー夫人からのプレゼントだ。侍女に手伝ってもらって着るようなコルセット付の豪奢なドレスなど、もはや無用の長物だ。独りで着用が出来ないのはもちろん、そもそもそんなものを着ていくような場所に赴く用事もない。
マクヴィー夫人はそれでも、最大限上等なものを贈ってくれたようだ。商人の元へ嫁いだという末娘に頼んで、庶民たちが着るようなワンピースタイプの服装のうち、上等な布で造られた可憐な装飾のついたものばかりを調達してくれたらしい。
それでも、皇族としての生活を考えれば、寝間着に毛が生えたような簡素で心許ない装いと感じられるのも仕方ないだろう。クルサールは苦笑して、ミレニアを頭のてっぺんから下まで眺めた。
「さすが、美女は何を着ても美女ですね。そのような装いもまた、凛としたいつもの雰囲気と異なり、素敵です」
「あら。ふふ、ありがとうございます」
「清貧を愛す私たちの教義を思えば、むしろ、いつもの豪奢なドレスよりも好ましいくらいですよ。清楚で、可憐で――在りし日のフェリシア様を思い出します」
「それは嬉しい限りですわね」
クスクス、とミレニアは結い上げられていない漆黒の髪を揺らして笑う。
従者を全て失い、着飾るドレスも髪飾りも全て失った少女は、首元に不釣り合いな大きな紅玉の首飾りだけを付けて、何かの憑き物でも落ちたかのようにすっきりとした顔をしていた。
「ですが、男の前で、「寝間着みたい」という表現は頂けませんね。私が貴女との夜を想像して、よからぬことを考えたらどうするのですか」
「まぁ。……ですが、ご心配なく。仮に夜這いに来たとしても、ロロが守ってくれますから」
ミレニアの言葉に合わせるように、キン、と後ろから硬質的な音が響く。ロロが、威嚇のため鍔を鳴らした音だろう。
「これはこれは。恐ろしい番犬がいたものだ」
軽く肩をすくめて嘯いてから、クルサールはミレニアへと手を差し出す。
「お手をどうぞ、ミレニア姫」
「えぇ」
着飾る物がなくなっても、高潔な魂の輝きは衰えない。
ミレニアは貴婦人として完璧な所作でクルサールのエスコートの手を取った。
「今日は天気が良いです。庭園へ出てみませんか」
「庭師がいなくなって、あまり手入れはされていませんよ?」
「構いません。大自然の摂理に従い生きる草花を眺めるのも、なかなか良いものではありませんか」
クルサールは飄々と言いながらミレニアを伴い勝手知ったる様子で庭園へと歩みを進める。
「従者のいない生活はいかがですか?」
「慣れないうちは不便を感じることもありますが、日々かつての従者たちに感謝しています。当時は気付かなかった、細やかに心を砕いてくれていたことに気付けたりもして――」
「なるほど。従者冥利につきますね」
「ふふ……いらない、と言っているのに、時々こっそり私にわからないように紅玉宮にやってきては手を入れて帰って行く者もいて、困っているんですのよ。何度、ロロが侵入者と間違えて襲いそうになったことか」
クスクス、と笑みを漏らしながらクルサールと連れ立って歩く足取りは軽やかだ。
チラリ、と少女へと視線をやってから、クルサールは口を開く。
「……今日は、以前持ち帰った件をご報告したく、参上しました」
「えぇ。……ふふ。お茶のセットを用意してくれる従者はいません。このまま伺いますわ」
のんびりとした歩調で、春の日差しの中を歩きながら、ミレニアは囁くように告げる。
「ギーク陛下より、この宮に従者を入れることの承諾を頂きました」
「まぁ……!あの、お兄様が……?」
にわかには信じられず、思わずクルサールを振り仰ぐと、クルサールは苦い顔を返す。
「本当は、末端でも貴族の子女を……と願ったのですが。どうしても受け入れていただけず――」
「まぁ、そうでしょうね」
「その――……承諾をもらった、と言っても、条件付きでして……」
もごもごと気まずそうに言葉を濁すクルサールに嘆息して、そっとエスコートで取られていた手を引く。
「大丈夫。想像していたことです。……どうぞ、遠慮なくおっしゃって」
「……はい」
なおも言いにくそうにしてから頷いて、チラリ、とロロを振り返る。隙のない紅い瞳が、怪訝に軽く眇められた。
「その……奴隷、の身分の、者であれば……と――」
「!」
ロロの瞳が驚きに見開かれる。ミレニアもまた、一瞬驚いた顔をしたが――すぐに、柔らかな笑みを湛えた。
「なるほど。――かしこまりました。それでは、そのように」
「よろしいのですか?」
「えぇ」
恐る恐る尋ねるクルサールに、迷いなく頷くミレニアは、変わらず笑みを湛えている。
「従者はどのようにして選ばれるのでしょうか?」
「近日中に、奴隷商人から、紅玉宮へと献上出来る候補者のリストが上がってきます。さすがに、無条件で受け入れるには、抵抗があるでしょう。ミレニア姫の兄上たちの居住地や執務地もすぐそこですし。故に、カルディアス公爵が事前に仕様書を元に審査をするようです」
「仕様書……?」
ロロやディオを手に入れたときにそんなものはなかった。
我知らず問いかけるように、自然とロロの紅い瞳を見上げると、青年は静かに睫毛を伏せて主の疑問に答える。
「奴隷を指名買いしない場合に、商人に提出させることが出来る書類です。労働奴隷であれば、持っている技能や今まで従事した仕事、家について。剣闘奴隷であれば、布の色や戦績などです。それを見て、提示された金額が見合っているかを考え、購入者は、どの奴隷を買うかを決められます」
「なるほど……せめて、経歴書、とは言えないのかしら」
ミレニアは心底不愉快そうに眉をしかめて呻く。”道具”と割り切られている彼らの境遇は、こうした些細なところでも容易に推し量られ、あまり良い気分にはならない。
憂鬱そうに息を吐いたミレニアに、ロロがそっと静かに口を開く。
「――おそらく、ディオも、そうした仕様書を提出され、買い上げられたと思われます」
耳に届くか届かないか、というほど小さな声で呟かれた声に、ぱちり、と翡翠の瞳が瞬く。
「――なるほど。理解したわ。ありがとう、ロロ」
「いえ……」
すっと頭を伏せて、再び気配を空気に溶けさせる護衛を振り返ることなく、ミレニアはクルサールを見上げた。
「クルサール殿。――カルディアス公爵が餞別した奴隷の中から、さらに私が餞別をすることは可能でしょうか?」
「ほぅ……?と、いうと……?」
面白い物を見つけた、とでもいうように、クルサールの紺碧の瞳がキラリと光る。
「書類だけでは、わからないことも多いでしょう。日常を共にする従者を選ぶのですよ?直接会って、話をして、我が紅玉宮に務めるに相応しいと思う者だけを迎え入れたいと思うのは当然ではありませんか?」
「面接、というわけですか?……ふむ。……まぁ、一理ありますね」
顎に手を当ててうなずいたクルサールは、快諾する。
「わかりました。公爵によって選別された奴隷を全て雇い入れなければならない、という決まりはなかったはずです。候補を減らす分には文句も言われないでしょう。貴女のお言葉通り、進めましょう」
「ありがとうございます」
笑顔でミレニアは礼を言う。
面接をすることを思いついたのは、ロロの小さな呟きがきっかけだった。
(奴隷商人が作成する書類は、巧妙にミスリードするような記載が載っている可能性がある……というわけね)
かつて、ヴィンセントが買い上げたディオルテという少年が、奴隷商人に実際の彼の実力以上の価値があると吹っ掛けられて買い上げられていたのがいい例だ。
そして、今回それを書類で選別するのは、その時見事に商人に惑わされたヴィンセントの実の父親と来ている。帝国三大貴族の頂点に立つ彼もおそらく、奴隷市場に詳しいとは言えないだろう。剣闘奴隷の布の色の意味すらよく分からない可能性すらある。
反抗的な性格かどうか、きちんと職務をこなせるスキルがあるかどうかは、結局、己の目で見て判断しなければいけない、ということだろう。
歩んでいくうち、見慣れた庭園が視界に現れる。
「あら……?」
ミレニアは、小さく驚きの声を上げた。庭師のデニーに暇を与えてから、ここを手入れする者はいない。今頃、草木が生い茂っているのでは、と思っていたが、驚くほどに綺麗に整えられている。近日中に手を入れられたに違いない。
「どうやら、妖精が手を入れてくれたようですね」
「ふふっ……だとしたら、随分とむさくるしい妖精ですわね」
クルサールの茶目っ気溢れる言葉に返しながら、ミレニアは笑う。これほどまでに見事に庭園を整えられるのは、デニー以外にいないだろう。花を愛でるには少し無骨すぎる中年男の容貌を思い出せば、笑みが浮かんだ。
さりげなく後方に視線をやれば、紅い瞳がすぃっと左下に動く。どうやら、ロロはデニーがここに来ていたことを知っていたらしい。いちいちミレニアに報告しなかったのは、敢えてだろう。
「さぁ、ミレニア姫。妖精が整えてくれた美しい庭園へと参りましょう」
「ふふ……クルサール殿ったら」
あくまで妖精の行いだと主張する青年に笑みを漏らす。
監視者としての役目を負っているという彼だ。紅玉宮に出入りする人物がいれば、ギークらに報告するなり実力行使で排除するなりしなければならないのだろう。
だが、”妖精”の仕業であれば、彼の管轄外である――言外に込められたクルサールの意図に気づいて、ミレニアはその温かな心遣いに、ふっと心を緩ませた。
「実は、今日お話ししたかった本題は、従者の件ではないのですよ」
「ぇ――?」
「どうしても、この今を盛りと咲き誇る美しい庭園こそが相応しい、と思ったので、こっそりと妖精にお願いしたのです」
それは、さすがにロロも聞いていなかったのだろう。整った無表情に微かに怪訝の色をにじませ、クルサールを見る。
しかし、最初からロロなど眼中に入っていないように、クルサールは物問いたげな視線を無視して、しっかりとミレニアを見据えた。
最初に「空気のように扱え」と言ったのはロロだ。どうやら、その通りに振舞うらしい。
「ミレニア姫。先日、貴女のお気持ちを伺いました。――国を想うお心、民を導くために貫く志、その高潔で尊い姿……本当に、尊敬いたします」
「ぇ……は、はぁ……あ、ありがとうございます……?」
急に紺碧の瞳に甘やかな光を宿して、熱っぽくささやかれた賛辞の言葉に、困惑しながらも返事をする。
にこり、といつもの完璧な笑顔を面に刻んだ後、クルサールはさっとミレニアの手を取り、そのまま跪いた。
「く、クルサール殿!?つ、土が――」
「どうぞ、お構いなく。そのままで、お聞きください」
シンプルだが上質な仕立てとわかる彼の装いは、きっとそれなりに高級な物だろう。しかも、その色は、帝国ではあまり見かけない真っ白に金色の刺繍が入った珍しいもの。庭園に何の躊躇もなく膝をつけば、純白の衣装に土汚れが遠慮なく付着していく。
しかし、クルサールはミレニアの手を取ったまま、完璧な笑顔を向けてまっすぐにミレニアを見る。
「先日の貴女の美しい決意を聞いて、私も決心いたしました。――ミレニア姫。美しい人」
「は……はぁ……?」
ドレスも身に着けず、髪すら解いているみすぼらしい女相手に、何の冗談か。
困惑するミレニアに構わず、クルサールは握った手に口付けを落とす。
「!」
流石に驚き、思わず手を引くと、思いのほかあっさりと手が離れた。
「な――な、なにを――!」
翡翠の瞳がこれ以上なく見開かれて、跪く美丈夫を見下ろす。
すると、不意打ちのキスに驚いていた内にどこからか用意したのだろう。――クルサールの手には、見事な大輪の薔薇の花束が握られていた。
「ぇ――……?」
「我々の国では、こうして男性から申し込むものなのです」
理解が追いつかず、言葉を紡げないミレニアに、ふわり、と完璧な微笑を刻んだ青年が花束を差し出す。
「ミレニア姫。――愛しい人。どうか、私を生涯の伴侶とし、共に人生を歩んでいただけないでしょうか」
「――――――……」
ザァ――……と風が吹き、差し出された薔薇の香りが流れていく。
「――――……へ……?」
しばらくして、ミレニアの唇から洩れたのは、酷く間抜けな声だけだった。




