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紅い瞳の奴隷騎士は、少女のために命を捧ぐ  作者: 神崎右京
第三章

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41、忍び寄る影④

 少し雑談が過ぎたかもしれない。マクヴィー夫人は、ミレニアに再度礼をした後、ガチャリ、と扉を開いて退室した。すると、ちょうど廊下の奥から、夜の見回りを終えて部屋の護衛にあたろうとしているらしきロロがやってくるのが目に入る。

「ご苦労様です。こちらは、つつがなく」

「あぁ」

 互いに業務連絡を交わす。もう、同じ宮で働き始めて、三年だ。筆頭侍女と専属護衛は、互いに寡黙な性格だからか、仕事の上でも最低限の言葉を交わすだけで情報伝達に無駄がない。口下手で愛想がないと評判のロロにしてみれば、とてもやりやすい相手だった。

 今や、紅玉宮の夜の護衛は、基本的にはミレニアの就寝前に宮の敷地内を見回って不審な点がないかを確認した後は、部屋の前で見張るだけの一名しか配置が出来ない日がほとんどだ。他の護衛の影がないと言うことは、今日はロロが夜の当番なのだろう。

(他の護衛兵が部屋番の時、夜に何度か、ロロ殿が宮を見回っているのに遭遇したことがあるから、ロロ殿が当番でない日は、実質二人体制に近いとは思うのだけれど)

 マクヴィー夫人は、寡黙な元奴隷の主への献身っぷりに舌を巻きながら、軽く会釈をしてその脇を通り抜けようとして――

「――――……?」

「?……何か」

 すり抜けざまに不意に立ち止まり、怪訝な顔で振り返った夫人に、ロロもまた軽く怪訝な顔を返す。

「ぁ……いえ……えっと……今日、ロロ殿は、お昼は暇をもらっていたんですよね……?」

「あぁ。たまたま休暇だったガント大尉が、ダンスレッスンの相手を兼ねて昼の護衛を担ってくれたと聞いている。……それが、何か?」

「えぇと……最近ずっと、お昼にロロ殿が暇をもらっているときは、どこにもお顔が見られないので……その……皇城にはいらっしゃらなかったのですよね…?」

「あぁ」

「つ……つかぬことを伺いますが、お昼はどちらに……?」

「?」

 今度はわかりやすく、ロロの眉が中央に寄った。不可解、と顔に大きく文字が書いてあるようだった。

「どうしてそんなことを?」

「いえ、その――えぇと……」

 マクヴィー夫人は、何やら歯切れが悪いまま、視線を宙にさまよわせている。ロロは、さらに怪訝な顔でマクヴィー夫人を見返した。

 夫人は、鼻の下あたりに軽く指の背を当てるようにして、少し複雑な顔で何かを思案しているようだった。

(……まぁ……この方も、よく考えれば、それなりの年齢でしょうしね……)

 ちらり、と夫人はロロの顔を見やる。整った顔の頬で大きく主張している焼き印に目が行ってしまうためわかりづらいが、身体の発育を見る限り、どんなに若く見積もっても、二十歳前後ではあるのだろう。十五で成人として扱われる帝国の中では、もうそれなりにいい歳だ。結婚して子供がいてもおかしくないどころか、下手をすれば第二夫人を迎える者もいるくらいの年齢。

「……申し訳ありません。何でもありませんわ。お気になさらず」

「……?……そうか」

 怪訝な顔をしつつも、マクヴィー夫人がさっと頭を下げてしまえば、わざわざ聞き出そうとするほどのことでもない。――ロロ自身、あまり突っ込んで聞かれても、正直に答えられない理由がある。

 今日は――ミレニアからの直々の命で、”お遣い”に行っていたのだから。

「それでは、私はこれで。おやすみなさいませ」

「あぁ」

 軽く答えて、護衛の定位置に陣取りながら、夫人を見送る。

 夫人の姿が廊下の奥に消えて、しん……と静寂が周囲を支配した。

「――――……」

 そこから、たっぷり半刻ほど――

 紅玉宮にいるすべての者が、眠りについたであろう時間帯になってから、周囲に人の気配が何もないことを確認し、ロロはミレニアの寝室の扉へと向き直る。

 コツコツ、と小さく音を立てて、その大きな扉をノックした。

「――姫。お待たせいたしました。まだ、起きておいでですか」

「えぇ。入ってきなさい」

「失礼いたします」

 許可を得てから、そっと音をたてぬように、扉を開く。

「――待っていたわ、ロロ。”お遣い”の報告を聞かせて頂戴」

 明かりが全て消された昏い部屋の中、大きな窓から差し込む月光を背にした少女は、この世の物とは思えぬほどの幻想的な美しさで悠然と微笑んだ。


 ◆◆◆


 事の発端は、ギュンターの国葬の日――帰りの馬車の中、誰にも聞かれる心配のない二人きりの密室で、ミレニアはロロに告げたのだ。

 どうにも帝国の様子がおかしい。何が起きているのかを探りたい。

 慈しむべき民が何に苦しんでいるのかを突き止め、微力でも何か、紅玉宮から出来ることを探りたい。

 だが――それをしたくても、もう、今のミレニアには、現状を知りに行くための権力も臣下もほとんどない。

 だから――休みを全て返上させてしまうことになってしまって申し訳ないけれど、どうか、探れる範囲でいいから、今、国内で何が起きているのかを探ってくれないか――

 勿論ロロは、二つ返事で引き受けた。 

 だが、当然ぶち当たる壁が、いくつかあった。

 まず、ロロの外見は目立ちすぎると言うこと。

 聞き込みをしようにも、左頬の奴隷紋も、白髪に近い短髪も、禍々しいと言われる真紅の瞳も――何より、誰もが息を飲むような整った美貌すら、全てが相手の印象に強く残りすぎる。こっそりと聞き込みをする、などということは難しいだろう。

 左頬に奴隷紋を刻んだ赤い瞳の美丈夫が、帝都で何やら聞き込みをしている――そんな噂が駆け巡れば、どこで貴族の関係者の耳に入るかわからない。その外見特徴を聞けば、ロロであることはすぐに突き止められるだろう。そうすれば、当然、聞き込みがミレニアの指示だと言うことは察しがつくはずだ。

 露骨に現皇帝であるギークに疎まれているミレニアだ。こそこそと何を嗅ぎまわっているのだ、と嫌味を言われるくらいで済めば御の字だが、場合によっては、悪意のある情報操作によって、謀反を企てているとして処罰される可能性もありうる。それだけは、何としても避けなければならない。

 故に、ロロは決して貴族の耳に入らないルートから現状を探るしかなくなった。

 そうなれば、当然――彼が出入りしても噂にならず、貴族からほど遠い場所といえば、奴隷小屋の一画のみだ。

 剣闘奴隷としての日々で、顔なじみになった人間もいる。温かな交流などというものはなかったが、枷を着けられて許可された貴重な休暇で、互いに情報交換をするくらいの相手はいた。まずは、彼らを頼った。

 そして、次は奴隷小屋の一画に出入りする業者――武器商人や、薬師などだ。彼らは、無認可で商売をしていることも多く、アンダーグラウンドの情報網を持っている。だが、彼らは同時に奴隷商人とのつながりも深いため、頼れる者は少ない。――奴隷商人は、上顧客の貴族とずぶずぶにつながっている。ロロの企みを、商人経由で貴族に知られるわけにはいかなかった。

 進むようで進まない調査を、辛抱強く三ヵ月続けたところで、ようやく進展が見られた。

「前回、やっと、一番の昔馴染みの行方が分かったと言っていたでしょう。今日は、無事にその者に会えたのかしら」 

 奴隷小屋に繋がれている過去の同胞は、そんな狭い世界から帝都の事情など知られるはずもなく、殆ど情報源としては当てにならなかった。彼らは、肥溜めの中で息をすることに必死で、他人だの国だのを気にしている余裕などない。その境遇をよく理解しているため、ロロは聞き込みを初めて早々に彼らから情報を得ることを諦めた。

 業者も、あまり深く突っ込んでは、奴隷商人につながる可能性もある。面倒ごとは避けたかった。

 どうすべきか思案を巡らしたロロは、ふと、その昔、奴隷小屋の中で交流を深めた人物を思い出したのだ。

 この三か月のほとんどは、その昔馴染みの行方についての情報を集めることだけに終始したと言っても過言ではない。

「はい。……貴族に買われていったあとの行方を辿るのに苦労しましたが――今は、買い上げられた貴族の元を離れて、帝都の裏路地で小さな店を経営していました」

「そう。それは期待が出来る情報源ね」

 帝都で市民として生活を営んでいるということは、最も生きた情報を仕入れられるだろう。ミレニアはほっと安堵の息を吐く。

「もう少し、こちらへ来なさい。ないとは思うけれど――誰かに会話を聞かれては厄介だわ」

「はい。失礼します」

 ロロは、静かに窓の前のソファに腰掛けていたミレニアの方へと歩き出す。

「そういえば、その情報源となってくれた昔馴染みの元奴隷というのは――」

 剣闘奴隷だったのか、と尋ねようとして――

「――――?……姫?」

「――――――――――……」

 不自然なところで言葉を切り、どこか呆然とした表情で見上げられ、言われた通りに主の近くまで来たロロは首をかしげる。

 不自然な沈黙に支配された部屋の窓から差し込む月光が、静かに二人を照らしていた。


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