4、口を利く道具②
「ではミレニア。……貴族階級が誇りを失い、腐敗し、力を失ったとする。それを踏み台に、奴隷商人が力をつけて、皇帝の権威が脅かされているとする。――ならば、どうする?」
「どう――……って……」
ミレニアは、父の課題に頭を巡らす。彼とこうして直接国策について議論出来る機会は貴重だ。
「まずは、貴族が奴隷に使える金額に制限をかけるわ。いきなり禁止すると反発も大きいと思うから徐々に――」
「どのように管理する?」
「収支を報告させて――」
「書面で?いくらでも改ざんが出来そうだな」
ふっ、と鼻で嗤われて、ぐっ……とミレニアは言葉に詰まる。
「じゃぁ……ま、まずは見世物奴隷が諸悪の根源なんだから、それを無くすことから始めるわ。そうね……奴隷の見世物以外の娯楽を作って――」
「娯楽を提供するのは誰だ?奴隷商人に金が渡らぬようにするのならば、当然奴隷ではないはずだな?」
「っ……」
「先祖代々の職を放り投げ、新しく貴族への娯楽を提供する職になれと、命じる?そんな命令に応えてくれる者がいるとは思えんが――仮にいたとして、では、その者が従事していた今までの職は誰が担うのだ。供給が止まれば、需要とのバランスが崩れる。経済について、一から学び直す必要があるか?ミレニア」
「ぅ……」
「国民が、就労人口が、勝手に増えることはない。侵略し、領土を増やし、需要と供給を補充せぬ限りはな」
わかっている。――だから、父は、偉大なのだ。
ギュンターは、命の危機と隣り合わせの戦争を繰り返したことで国民からの悪感情を招いた皇帝だったが――間違いなく、歴代のどの皇帝よりも圧倒的に帝国を発展させた。強く、美しく、富んだ国へと変貌させた。例え、それが数多くの人間の血の上に成り立つものだとしても。
「そ、そもそも、貴族が自分たちの私欲のために使える金額が多いことが問題なのよ。私財を持たせているのは、私腹を肥やさせるためではなく、領地の発展のための投資をしたり、有事の際に領民を助けるための物なのに――」
「では、貴族に課す税を増やすか?――皇族こそが私腹を肥やしていると民衆に思われぬためにはどうする?」
「ぅぅぅ……」
あっさりとすべての打ち手を切り返されて、ミレニアは涙目で悔しそうに呻く。税を増やしたとて、貴族は苦しまない。領民から絞り上げるだけだ。結果、頂点にいる皇族が民衆全てから恨まれるのは目に見えている。
「お前は、綺麗すぎる。生まれながらにして、苦労を知らぬ。世界のことを城の中から本と物語で学び、全てを知った気になっているだけだ」
「世間知らず、って言いたいの?」
「それもあるが――理路整然と不可能だと周囲に言われている事柄について、何かを心より成し遂げたい、何が何でも手に入れたい、と思ったことはあるか?ないだろう」
ギュンターの苦笑を前に、ミレニアは視線を巡らす。
「……ないわね」
良くも悪くも、ミレニアは賢く聡い少女だ。周囲が理路整然と不可能である理由を説けば、感情論だけで我儘を押し通すことなど決してない。
記憶にある限り、過ぎた願いも、過ぎた欲も、人生で持ったことは一度もなかった。
心に抱くはただ一つ――この国初の女帝になる、という野心だけ。
彼女にとってそれは、決して過ぎた願いとは思えない。どれほど周囲に無理だと言われても、兄たちより優れている自分が、性別だけを理由に君主に据えられないという論は、非論理的と思わざるを得ない。
ただ、仮に彼女が能力的に他の兄たちよりも劣ると、他者に論理的に説明されれば、ミレニアはあっさりとその野心も捨てるだろう。――そういう意味では、唯一の願いすら、執着が薄いと言われても仕方がない。
「どう考えても論が通じぬ事柄なのに、己の感情だけを理由に、決して諦めることが出来ぬほど心から願う”何か”が出来たとき――お前はきっと、綺麗事の無意味さを知るだろう。正しいことが正義ではないのだ」
「……じゃあ、お父様の行った、剣闘奴隷の実践投入施策は、どんな意図があったの?お父様だって、奴隷商人が力をつけすぎるのも、貴族が力を失うのも良くない、っておっしゃっていたじゃない」
やられっぱなしが悔しくて、不機嫌そうな表情で問いかけると、ギュンターは窓の外へと視線を投げた。影が差す通りは、目的地が近いことを指している。
「目的は、お前が成そうとした、見世物奴隷の数を減らすことと同じだ。――貴族が私財で買い上げる奴隷の数には限界がある」
その言葉で、神童は父の意図をすぐに悟った。
奴隷は、一度その身に”奴隷紋”と呼ばれる焼き印を入れられれば、基本的に生涯奴隷小屋から出ることは叶わず、己に焼き印を押した奴隷商人から逃れることは出来ないが――運が良ければ、貴族階級に買われて奴隷商人の呪縛から解放されることもある。労働奴隷は労働力として、性奴隷は愛人として、剣闘奴隷は子飼いの用心棒として。
(そうか……一番、解放されないのは、”剣闘奴隷”だから――)
愛人の数を制限する法律はないため、性奴隷を金に糸目をつけず何人も買い上げる色好みの貴族は存在する。だが、剣闘奴隷を何人も買い上げるような奇特な貴族はいない。そもそも、嫡男以外の息子が生まれれば、武芸を習わせ、兵士にするのが普通なのだ。町には警邏隊もいる。大陸一の屈強な軍隊を有する帝国内で領土を構えていながら、剣闘奴隷を買い上げる必要はほとんど無く、買うとしても腕の立つ一人二人がいれば十分すぎるほどだ。
「そっか……今の時代だと、剣闘奴隷が余っちゃうのね。需要と供給のバランスが――」
「その通り。”剣闘”は奴隷自身の命を懸ける見世物だ。制度が出来た当初、命を散らす危険と隣り合わせの剣闘奴隷は数も少なく貴重な存在であったため、”剣闘”は選ばれし富裕層しか楽しむことのできぬ貴重な娯楽だったが――今やその法則は通じない。度重なる戦争は奴隷の数を爆発的に増やし――結果、剣闘奴隷が余るようになった。代わりがいくらでも用意できるならば、頻繁な見世物の開催へとつながる。奴隷商人は私腹を肥やし、娯楽に触れる機会が増える貴族は、喜んで金を落とす」
「しかも、供給が増えるんだから、一回当たりの金額を下げてもいい――ってことね。昔は限られた上級貴族しか楽しめない娯楽が、下流貴族まで楽しめるものになってしまった、ということ」
「その通り」
賢い娘を褒めると、ギッ……と音を立ててちょうど馬車が止まった。
「戦は、体のいい口減らしにもなるのは、もはや暗黙の常識だ。剣闘奴隷は、そこらの兵士などより腕が立つものが多い。供給過多な、有能な”口を利く道具”を前線に配備したところで、感謝する国民はいても、異を唱える者はおらん。――『侵略王』らしい施策だろう?」
皇帝を下ろすための準備で慌ただしくなる外の様子を気にするそぶりもなく、にやり、と褐色の頬をゆがませた父を見て、ミレニアは軽く嘆息した。
「きっと、国民は、戦が大好きな『侵略王』がより強い軍隊を作るためにやった、狂気の施策だと思っているわね」
少し頭を使える者でも、度重なる出兵で国民の悪感情が高まり、前線に送る兵の士気の低下を憂いた結果、人権のない彼らを最前線に配備することで解決を図ろうとした、程度にしか考えまい。
まさか、その施策に奴隷商人の権力弱体化があったとは、夢にも思わないだろう。
「誰に何と思われようが、反乱が起きぬ以上、構いはしない。――それよりも、問題は、当初描いた施策が想定通りになされぬことだ。この施策には、”優秀な”剣闘奴隷が国へ提供されることが何よりも肝心だと言うのに」
嘆息と共に呻く父に、ミレニアはやっと最初の父の発言の意図を正しく理解し、頷いた。
最前線に送る以上、戦力として優秀な奴隷である方が良いのは間違いない。だが、ギュンターの思惑が、奴隷商人の弱体化にあるのであれば、なおのこと優秀であることが肝心なのだろう。
”剣闘”は、猛獣や奴隷同士を戦わせるのを貴族たちが安全な場所から高みの見物を決め込むという見世物だ。優秀な奴隷の戦いほど見世物は熱狂し、大枚をはたいてでもその奴隷が出る日の見世物を楽しみたいと望む者が増える。
施策によって順調に剣闘奴隷の数が減っていけば、再び供給が少なくなり、一回当たりの見世物の金額が跳ね上がることになるだろう。その時、優秀な奴隷が残っていては、見世物好きの愚かな上流貴族が根絶されない限り、再び財のある限られた上流階級の娯楽として観覧席の値段はどんどんと吊り上がり、奴隷商人の懐は、剣闘奴隷が減る前と比べて大して痛むことはない。
だが、優秀な奴隷がいなくなれば、以前よりも劣った見世物に、以前とは比べ物にならない法外な金額を払う貴族は減る。需要と供給が釣り合わず、商人の懐は痛むはずだ。
(さすがお父様ね!)
ミレニアが父に尊敬のまなざしを注ぐと、ガチャリ、と外から馬車の扉が開いた。
「帝国の治世に奴隷制は切っても切り離せぬ。綺麗事しか知らぬお前のために、今日は同行を許したが――ここは、帝都でも有数の治安の悪さを誇る場所だということを忘れるな。決して、私や護衛の者の傍を離れぬと約束してくれ、ミレニア」
「はい、お父様。勿論よ」
にこり、と大人びた表情で物わかり良く微笑む皇女は、”第二の傾国”と綽名されるにふさわしい可憐さだ。
だが、彼女はまだ、知らない。
この日、彼女は生まれて初めて――”綺麗事の無意味さ”を噛みしめるほどに、心から欲する存在と出逢うことを――